響の本懐
響の横にプリ様が、ドサッと、寝転ぶと、十歳児の姿に戻った昴が、倒けつ転びつ、走り寄った。
「プリ様、プリ様、プリ様ぁぁぁ。死んでは嫌ですぅ。プリ様ぁぁぁ。」
抱き締める昴の身体を通して、空間中から吸収された魔法子が、エンプティ状態のプリ様のお身体に、蓄積されていった。
「しなないの。だいじょぶ なの……。」
「プ、プリ様。プリ様ぁ。」
薄っすら目を開けたプリ様に、今度は、頬擦りするわ、愛撫するわ……。まだ、ちょっと動けないプリ様は『うっ、うゆさいの。』と、思っていた。
そんな、プリ様と昴の様子を、嫉妬に塗れた視線で見ていたリリスだが、今は、それ以上に大切な事があり、自分がプリ様に、抱き付きに行くのは、自粛していた。
「兎笠! 兎笠〜!」
リリスは、兎笠を、探していたのだ。
魔物となった人達は、異世界化が解除された時、自分が魔物になった場所に引き戻されるらしい。なので、この足立区の荒涼とした空き地には、ほとんど人影は無かった。
ただ、兎笠は、プリ様の話を聞いた限りでは、人間のまま、此処まで連れて来られた可能性が高い。なので、人間に戻って、その辺に居るかもしれないのだ。
必死に兎笠を探すリリスを見て、翔綺も、照彦(inポッカマちゃん)の背中から、滑り降りた。
「翔綺さ……、翔綺。」
歩み寄る自分を見て「翔綺」と、優しく呼んでくれる姉。だが、手放しで喜んで、彼女の胸に飛び込んで行けない。オクに、汚されてしまったと、思い込んでいるからだ。
それどころか、頭の中には、トキに植え付けられた、奴隷として過ごした記憶まで、蘇っていた。それは、御三家の娘として、矜持を持って生きた来た翔綺には、到底容認出来ない記憶であった。
『あいつら〜。絶対、許さないんだからぁぁぁ。』
悔しさに、落涙し続ける翔綺。不意に、その細い身体が、抱き締められた。
「姉様……。」
「貴方が無事で良かった。心配したのよ、翔綺。」
「姉様、姉様。」
「守って上げられなくて、ごめんね……。」
お姉様の所為じゃない。私の心が弱かったから……。
心中に溢れる想いは告げられず、翔綺は、ひたすら、泣きじゃくっていた。
「さあ、翔綺。一緒に兎笠を探しに行こう。三人揃って、お母様の元に、帰るのよ。」
泣いている翔綺を、励ます様に、微笑むリリス。翔綺が頷くと、リリスは、クラウドフォートレスを見上げた。
クラウドフォートレスもまた、何も無かったかの如く、元の姿に戻っていた。和臣と紅葉が暴れ回って、ボロボロにした痕跡も無かった。
『良かった。いくら使ったか分からないくらい、高価な移動要塞が、一回の戦闘で、使い物にならなくなったら、御三家聴聞委員会モノよね。』
安堵しながら、妹の手を引き、艦内に入って行くリリス。
一方、兎笠探しに忙しいリリスに代わって、人間体に戻った藤裏葉は、テキパキと、関係各所に連絡をしていた。
「もうすぐ、救急車も来ますよ。」
気絶している紅葉の上半身を起こし、心配そうに見ている和臣に、そう伝えた。その藤裏葉を、凝視する和臣。
「な、何ですか?」
「いや、何時も通りの裏葉さんだな、と。」
妖精の時の、ハッチャケぶりは、見事に陰を潜めていた。
「記憶は有るんですよね?」
「まあ、一応……。」
ちょっと、顔を赤らめているところを見ると、本人も、多少は、恥ずかしいらしい。
「私の事なんて、どうでも良いんですよ。モミンちゃんの気持ち、分かったんですよね?」
「ええっと、付き合えば良いのかな?」
「…………。なんか、他人事ですね。和君。」
そう言われてもな……。と、和臣は空を見た。出会ってから、もう、三年以上連んでいるのだ。その間、ほぼ毎日、顔を合わせている。今更、付き合うと言っても……。
『何時の間にか、一緒に居るのが、当たり前になっていたな。』
視線を、モミン……紅葉の顔に落とした。指先で、その柔らかい頰を突いてみる。恋愛感情が有るかと問われれば、正直、良く分からない。だから、別の角度から考えてみた。
もし、紅葉が居なくなったら……。
『あっ、考えてみるまでもないや。』
居なくなったらと、思うだけで、苦しくなるくらい、胸が締め付けられた。
『おっかしいよな。こんな、面倒くさい奴が、側に居ないと、ダメなんて。』
もしかして、俺って、マゾなのか? 自嘲気味の笑いを浮かべながら、紅葉の顔を見た。
「寝てりゃあ、美少女なのにな……。」
色々、残念だな。と思う、和臣であった。
クラウドフォートレス艦内を探索していたリリス姉妹は、前方の曲がり角の向こうに、人の気配を感じて、喜色を浮かべていた。
「姉様、きっと、兎笠ですよ。」
「そうね。一人にされて、不安だったでしょうね。可哀想に……。」
二人が、駆け出そうとした、その時……。
「リリスちゃーん! 好きだぁぁぁ!!」
角から飛び出して来たのは、乱橋だった。自分に抱き付こうとする彼を、冷静に、パンチ一発で、床に叩き付けるリリス。
「恥ずかしいから、止めなさい、リチャード。」
使用人の不始末に、溜息を吐きながら、六連星も出て来た。
「そういえば、貴女達も居たのね。忘れてた。」
「おい。」
と、突っ込みを入れる六連星の胸元を見れば、抱き抱えられて、眠っている兎笠が……。
「兎笠!」
「あっちの廊下で寝ていたから、連れて来たわよ。呑気な子ね。」
六連星から、小ちゃな兎笠を受け取ると、ヒシっと、胸に抱き締めた。
「怖い思いさせたね。ごめんね、兎笠。」
目を潤ませながら、眠る兎笠に、リリスは、頬擦りした。たっぷりの愛情を籠めて……。
『姉様、ちゃんと、私達の事、愛してくれているんだ……。』
辛い目にも合わされたけど、姉の胸の奥底に秘められていた、自分達兄弟への想いが、垣間見れた気がして、嬉しかった。
「兎笠……。」
翔綺も近寄って、兎笠の頰に、手を触れた。
「しょうきねえさま……。」
寝惚け眼を擦りながら、呟く兎笠。その目は、次に、リリスを捉え……。
「ええっと……。」
考える兎笠。考える、考える……。
「ええっとぉ……。」
ニコッとしてみる、リリス。
「ええっとぉぉぉ……。」
やばい。泣くかも。と、思った瞬間、兎笠も、ニコッと、微笑んだ。
「りりすねえさま! いえたぁ。」
得意気な兎笠の、満面の笑顔に、つい、つられて、笑みを漏らしてしまう、リリスと翔綺。束の間、三人の姉妹は、顔を綻ばせ合っていた。
美柱庵三姉妹&六連星主従が、クラウドフォートレスから出て来ると、すでに、御三家のヘリ部隊が、上空を埋め尽くしていた。
「えっ? 此処は何処……?」
川崎のドックに居たつもりの六連星は、荒涼とした荒地を見て、ちょっと、びびっていた。
「魔物と置き換わっていた、貴女は知らないわね。此処は、足立区内の空き地よ。」
「ええっ。そ、それは、困る。クラウドフォートレスは、超秘密兵器、人目に触れたらマズイ……。」
飛行要塞を所有している国が存在すると、世界のミリタリーバランスが、ワヤになってしまう。
「だいじょぶ なの。むつらぼし。」
けっこう、離れた位置に立っているのに、六連星の愚痴を聞き付けたプリ様が、話し掛けた。恐るべき地獄耳、プリ様イヤー。
「何が『だいじょぶ。』なのよ、ガキ。」
「ここは あだちく。しかも、こうだいな あきちの まんなか なの。ひと なんて いないの。」
「何て事言うのよ、ガキ。足立区の人に、怒られるわよ。」
「そ、そうよ、プリちゃん。」
あまりにも、辛辣な、プリ様の御意見に、六連星とリリスは、慌てた。
その時、リリスの胸元に抱かれていた兎笠が、身体を揺すった。
「おろして、ねえさま。」
「どうしたの? 兎笠。」
「はぎとちゃん。はぎとちゃんが……。」
担架で運ばれようとしている、響を見付けたのだ。下ろしてもらった兎笠は、トテトテと、響に走り寄った。
「ちがう?」
遠目には、ハギトに見えたのに、近付くと、見知らぬ女の子だった。
「このこは、はぎと なの。」
兎笠の後ろに立っていたプリ様が、声を掛けた。
「でも、おかおが……。」
「これが はぎとの ほんとの すがた なの。なまえは、かぎつじ ひびき。」
「ひびき……。」
それは、安らかに眠る、この女の子に、ピッタリの名前に思えた。
「ひびきは、とりゅうちゃんを、まもってくれたの。」
「わたちを?」
「そうなの。ねがいも、いのちも、なにもかも なげうって……。」
そう考えると、自分は、兎笠に救われたのかもしれない。プリ様は、不意に、そう思った。
「ありがとなの、とりゅうちゃん……。」
「えっ……?」
響を運んで行く救急車を、目で追っていた兎笠は、プリ様の言葉を、上の空で聞いていた。
深まる秋の夕暮れに包まれて、遠ざかって行く救急車のサイレンだけが、耳に残って、離れなかった。




