伸びていく異世界
プリ様が、シタとミトゥムの攻撃を受けて、船外に飛び出た、ちょうどその時、トキの能力で、クラウドフォートレスは通常空間に押し戻された。
『くらうどふぉーとれすが きえて いって いゆの……。』
滞空しながら、プリ様は、移動要塞の、消滅を見ていた。そして、重力を軽減させながら、フワリと地面に降り立った時、悟った。
「おいてかれちゃったの。」
ジワジワと、ハギトに迫っていたイシュタルだったが、急激な時空震動をキャッチして、歩を止めた。
「この要塞、外部からの干渉で、元の次元に、移動を始めているぞ。」
「オ、オクよ。さっき、彼女、私達をAT THE BACK OF THE NORTH WINDから追い出すって、言っていたわ。」
イシュタルの言葉に、リリスが答えている間にも、クラウドフォートレスは、先刻、飛び出して来た、川崎の造船所に戻っていた。
ハギトは、いきなり変わった、窓の外の光景に、怯えの頂点に達していた。
『どこ? ここ。なにが どうなって……。』
ガタガタ震えながら『そうだ、しょうきちゃん……。』と、彼女を見ると、リリスが、対ケストス用のヘルメットを、頭に被せていた。
「さあ、これで、翔綺さんには、ケストスの魅了の力は、通じないわ。」
言いながら、キッと、ハギトを睨んだ。リリスだけではなく、その場に居る全員が、敵意に満ちた目で、ハギトを見ていた。ただ一人、昴だけは、窓から「プリ様。プーリーさーまー!」と、プリ様を探していた。
「さあて、コイツ、どうしてくれようか。」
「迂闊に近寄らないで、六連星。シタとミトゥムを持っているのよ。」
「そ、そうじゃ。妾のシタとミトゥムを返すのじゃ。」
六連星とリリス、イシュタルが、寄って来た。その後ろでは、バックアップの乱橋が、ジャコンッと、銃のスライドを引いていた。
『こわい。こわい。こわい。だれか たすけて。だれか……。ふるちゃん。ふぁれぐちゃん……。』
歯の根も合わない程、怯え狂いながら、仲間達を心中で呼んでいたが、もちろん、誰も来る筈もない。
「ひいいいいい。」
真っ白になったハギトの頭の中では、ちょっと前の、紅葉の台詞が、思い出されていた。
「異世界化されると、人間は魔物になるよ。」
「魔物達は、ハギトちゃんには、決して危害を加えないよ。」
「それどころか、何でも言う事、聞いてくれるようになるよ。」
異世界化すると、異世界化させれば……。
助かる。
ハギトは、目をギュッと瞑り、右手の甲にある、六花の一葉に念を込めた。
川崎の造船所で、異世界の侵食が起こった事を、美柱庵家の情報収集要員が察知し、その情報は、たちまち、御三家の各所に伝えられた。プリ様の出陣の後詰めに、阿多護山地下の神王院家本陣に居た胡蝶蘭にも、同様に、伝聞されていた。
「川崎? 都内の何処かではないの?」
胡蝶蘭は、若い男性の伝令兵に、問うた。幼女神聖同盟の異世界化は、都内であるルールだ。
「はい。この造船所のドックが……。」
此処、クラウドフォートレスを、建造していた所だわ。胡蝶蘭は、伝令兵の指差す地図を見ながら、思った。
「この辺り一帯が、異世界になっているのね?」
「いえ、それが……。」
なんとも歯切れの悪い報告に、胡蝶蘭は焦れた。
「何なの? はっきり、言って。」
「じ、時間が経つにつれ、線状に、異世界が伸びて行っているのです。」
? 謎であった。今までは、銀座線軌道敷設内とか、伊豆七島だとか、新宿御苑など、位置や規模の違いはあったが、一度確定した異世界の範囲が、広がるという事態はなかった。
『一体何が始まろうとしているの……?』
娘の身も案じられた。
『プリちゃん……。』
すぐにでも、現地に駆け付けたい思いを堪えて、胡蝶蘭は、キツく唇を噛み締めた。
周りの空間が異世界に置き換わると、クラウドフォートレス自体も、前世の世界の物に、変化していった。
『これは……。』
見た覚えがある。リリスは、木造の床や、魔力で操舵する舵輪を眺めて、思っていた。前世での強敵、魔軍参謀の指揮する、魔軍移動要塞にソックリなのだ。
『雲隠島では、クラウドフォートレスは、そのままの姿だったけれど……。』
恐らく、異世界でも変化しないような処置が、施されていたのだろう。こちら側の技術で作られた、今のクラウドフォートレスには、そんな仕掛けは無い。
『そういえば、前世の移動要塞には、浮かぶ能力は無かったけど、これも同じみたいね……。』
体感的に、さっきから、地上を走行しているのは、分かっていた。
こと飛行に関しては、前の世界では、本当に原始的なモノしか存在しなかった。だが、結界の力でクラウドフォートレスが飛行していた事実を鑑みれば、前世でも、十分に、飛行する乗物は作れた筈だ。
『そういう発想をする、技術者が居なかったのね。』
裏を返せば、浮揚の仕方を考えついたオフィエルは、天才的に卓越した発明家なのだと言えた。
「はわわわわわ。また、エロイーズになっているんですぅ。なんで、どうして?」
リリスの思索は、昴=エロイーズの叫び声で、破られた。
『つまり、ハギトは、異世界化の能力を使った、というわけね。だとすると……。』
半神半人の自分と、神そのものであるイシュタル以外は、皆、魔物と化している筈だ。
『六連星は……あのハーピーか。乱橋さんは、狼男……。』
そこそこ強い魔物になっている。意外だわ。と、失礼な感想を抱くリリス。
『翔綺さんは……、変わっていない?』
首を捻るリリス。
「娘、速攻で倒すぞ。ハーピーや、狼男なぞ、ものの数ではないわ。」
そこに、イシュタルが、声を掛けて来た。
『性欲魔神の変態だけど、この局面では、頼りになるわ。』
少しイシュタルを見直した、その時……。
「し、しまった。時間切れじゃ。」
「へっ?」
「これ以上は、この世界に留まれん。すまんの。頑張って、何とか切り抜けてくれ。」
ううう、嘘でしょー!
肝心な時に、天界に帰ってしまうイシュタル。その、あまりの役立たず振りに、腹が立つやら、呆れるやら。だが、動揺している暇は無かった。パニクる昴に、状況が分からずキョトンとしているポ・カマム。そして、気絶している翔綺の面倒まで、見なくてはならないのだ。
「なんて、ハードワーク。」
ボヤきつつも、行動を起こそうとしたら、今度は、ハギトの隣に、トキが現れた。
『コイツは、得体が知れなさ過ぎる。』
最大限に緊張感を滾らせて、天沼矛を構えたが、トキは、そんな彼女を、一顧だにしなかった。
「あ、あなたは だあれ?」
「私は、お前を、導く者だ。」
ハギトの質問に、トキは簡潔に答えた。
「みちびく……?」
「これから先、どうすれば良いか、分かるのか?」
そう言われると、ノープランだった。追い詰められて、異世界化を、発動させただけだからだ。
「東京の外で、異世界化をしたので、お前の作った異世界は、不完全なのだ。お前は、この要塞を動かし、東京に入らねばならない。」
そう言って、ハギトの頭に触れ、舵輪での動かし方を、直接脳に流し込んだ。
「この要塞が通る所は、片っ端から、異世界になるが、気にせずとも良い。」
なんか、とんでもない発言をしている。リリスは、天沼矛を構えたまま、トキに突っ込んだ。
「そんな事、させるかぁぁぁ!」
「ふん、邪魔者め。」
トキは、天沼矛の刃先を、指一本で止めた。
「お前の相手は、ちゃんと、用意してやる。首を洗って、待っておれい。」
ツンっと、刃先を弾くと、リリスは、よろめいた。そして、気付いた時には、トキは、消えてしまっていた。
『! マズイわ。』
トキに斬り込んでいる間に、ハーピーが昴の方に、狼男がポ・カマムの方へと、向かっていたのだ。金切り声の悲鳴の二重奏が発生した。
「烏達!」
天沼矛の先端から、無数の烏が出現し、狭いブリッジ内を、縦横無尽に飛び回った。翻弄され、後ずさる、ハーピーと狼男。その隙に、翔綺をオンブし、昴とポ・カマムの手を引いて、リリスは、一時退却した。そのリリス達を、二匹の魔物は、追おうとしたが……。
「いかないで! こわいの。そばに いて。」
ブリッジに一人切りになるのが嫌な、ハギトの命令で、二匹は、その場に残った。
そして、クラウドフォートレスだった魔軍移動要塞は、周囲を異世界へと変えながら、都内へ向かって、恐るべき進軍を始めたのであった。