稀代の結界師「ミランダ・グリーチネ・ヴィオーラ」
「ふにぃぃぃ。ぐるるるぅ。」
「大丈夫だから。最初は、ちょっと痛いかもしれないけど、すぐに気持ち良くなるから。」
犯罪者だ。犯罪者が居る。
プリ様と昴は、何故か、そう直感した。女の勘なのよ、であった。
「いい加減にせんかー!」
突然、ポ・カマムが、流暢に喋った。それから、左のアッパーカットが、キレイに照彦の顎を捉え、彼の身体は、跳ね飛ばされ、地面に転がった。横たわる照彦の側に、幽鬼の如く棒立ちするポ・カマム。そして、プリ様の方を、キリッと、睨んだ。
「シシク。協力せい。オクの奴を、オクの奴を、ぶぶぶぶぶ。」
いきなり、喚き出すポ・カマム。怒りで、言葉が出て来ない様子である。
「ぶっ殺す!」
あまりの剣幕に、呆気に取られるプリ様と昴。
「お、おちつくの。こぐまたん。」
「子熊などではない。妾だ。妾。分からんのか!」
妾だと言われましても。困惑するプリ様。が、すぐに、ポンと手を打った。
「あっ、いしゅたるしん……。なの?」
「そうじゃ。妾じゃ! すぐに思い出さんかい!!」
イシュタル神、ご立腹である。
「今回は、随分、簡単に降臨されましたね?」
不思議そうに、昴が口を挟んだ。空蝉山での、仰々しい儀式が、嘘みたいな安直さだ。
「この依代の横に、目立つランドマークが有ったからな。」
ランドマークって、何? と、プリ様が疑問を呈そうとした時、倒れていた照彦が、急に起き上がった。
「何で、貴女が来るんですか? ヘーパイストスさんを、呼ぼうとしていたのに……。」
「ヘーパイストス? 何故、あんな奴を呼ぶのじゃ?」
「彼に、ケストスの力に対抗する、防具を作ってもらおうと思いまして……。」
イシュタルは、訝しげに、照彦を見た。
「それがあれば、オクを討伐出来るのか?」
「本拠地に、攻め込む為の、モノですよ。」
その言葉を聞くや、否や、カクンと、膝が折れ、座り込むポ・カマム。しかし、直ぐにまた、立ち上がった。
「イシュタルに聞いたぞ。あの、浮気女のケストスの能力を、無効化する道具を作れば良いのだな?」
あっ、子熊さんの中の人が、イシュタル神から、ヘーパイストス神に変わったのか。
賢いプリ様は、状況を理解し『こぐまたん、しーでぃぷれいやー みたいなの。』と、思った。
「あの腐れビッチ(……この後は、聞くに耐えない罵詈雑言と、下卑た隠語が並びますので、教育的配慮で割愛します。)の、ケストスの邪魔が出来るなら、何でもやってやる。」
ヘーパイストス神の吐き出す下品な言葉を、プリ様と昴は、ほとんど理解出来なかったが、とにかく、この神が、アプロディーテー神を嫌っているのは分かった。
「ところで、アンタは、何者だ?」
「あっ、僕ですか? トール神です。」
ヘーパイストスの質問に、涼しい顔で答える照彦。慌てたのは、聞いていたプリ様と昴の方であった。
『おおお、おとうたま。かみさまに うそ ついちゃ いけないの。』
『旦那様〜。何で、平気な顔で、自分を、トール神だなんて、言えるんですかぁ。』
ヘーパイストスは、すましている照彦の顔を、凝視していた。
『ばれてゆの。ぜったい うそが ばれてゆのぉぉぉ。』
『神罰が、旦那様に、神罰がぁぁぁ。』
焦りまくる二人。だが、ヘーパイストスは、破顔一笑した。
「おおっ。オーディンさんとこのな?」
「はい、はい。そのトールです。」
「噂じゃ、もっと単純で、馬鹿っぽいという印象だったがな?」
「あっははは。手厳しいなあ。」
バレてない? この神様も馬鹿……、いや、あまり深くモノを考えない性質なのだろうか? ともあれ、二人は、胸を撫で下ろした。
深い眠りの中、胸に重苦しさを感じて、藤裏葉は、覚醒した。
「藤裏葉〜。藤裏葉〜! ジジじゃよぉ。目を覚ましておくれ。」
瞼を開いて、まず、目に入ったのは、自分の胸の谷間に、顔を埋める祖父の姿であった。
「何をしているんですかね、この色ボケジジイは。」
「おおっ、藤裏葉。目覚めたのか。良かった。良かった〜。」
と言いつつ、益々、乳房に、頰を擦り付けて来るジジイ。彼女は、黙って立ち上がり、自分に馬乗りになっていたジジイを、払いのけた。そして、そのまま、踏み付けた。
「何をするのじゃ〜?! ワシは、お前を、心配して……。」
「約束を果たしているんですよ。記憶が戻ったら、踏んで上げると、言いましたよね?」
そう言って、ジジイを踏み付けながら、思い出した記憶を反芻していた。それは、驚くべき真相であった。
『魔物に食べられそうになった私は、トール様に助けてもらい、恋い焦がれるようになった……。』
そこまでは、あまり問題は無い。
『私に、人間と成って、トール様の手助けをするよう持ち掛けたのは、魔王ではなかった。』
今となっては、ハッキリ思い出せる、あの日、あの時、あの瞬間。花の蜜を吸って暮らし、毎日、踊りあかして過ごしていた日々。それに、終わりを告げたのは「トキ」という人物との出会い。
妖精だった彼女は「トキ」の力で、稀代の結界師「ミランダ・グリーチネ・ヴィオーラ」へと、生まれ変わったのだ。
『あれ? おかしいな。オクちゃんは、自分が、私をミランダにしたって、リリス様に言ったんだよね?』
でも、実際は「トキ」の仕業だった。
「何だろ? なーんか、引っ掛かる。何?」
「ふ、藤裏葉。許しておくれ。足をどけておくれ。お爺ちゃん、ちょっーと、痛いなあ。」
ジジイの頼みなど、一顧だにせず、考え続ける藤裏葉であった。
「プリちゃーん! 会いたかった。お姉ちゃん、プリちゃんに会いたくて、会いたくて……。」
午後になって、学校が終わると、リリスと和臣が、訪ねて来た。
「…………。りりすは よんで ないの。」
泣きながら、自分に抱き付き、頬擦りをして来るリリスに、冷静に答えるプリ様。
「酷い。何で、そんな事言うの? プリちゃん。お姉ちゃん、寂しくて、寂しくて……。」
涙腺決壊、全泣きで、しがみ付いて来るリリスを、困った子だなあ、と見詰めていた。
「で? 俺に何の用なんだ? プリ。」
「ぷり じゃないの。おとうたまが よんでゆの。かずおみを。」
プリ様は、泣き噦るリリスを引っ付けたまま、和臣に返答した。
照彦が、呼んでいる? 嫌な予感しかしない事実である。
「へーぱいすとすしんが、ほしいの。つよい かりょくを。ひつけ なら、かずおみ なの。」
「俺を、火付け盗賊みたいに、言うな。」
和臣は、リリスに正面から抱き付かれ、嫉妬に狂った昴に、背中から抱き付かれ、サンドウィッチ状態になっている、プリ様のオツムを、優しく叩いた。そして、照彦の所に行こうとして……。
ん?
「ヘーパイストス神?!」
一刻おいて、和臣とリリスが、同時に叫んだ。
「プププ、プリちゃん? 何で? どうして? そんな神様が、来ているの?」
「おとうたまが よんだの。こぐまたんを つかって。」
なるほど、憑依させたのか。
「ポッカマちゃんの身体だと、ウルリクムミの破片を加工するのに、充分な火力が、出せないそうなんです。だから、和臣さんに、手伝ってもらおうと……。」
あのオッさん、まだ、ウルリクムミ製ヘルメットを、諦めてなかったのか。昴の解説を聞きながら、その執念に、和臣は、ちょっと、呆れていた。
「だから、りりすは、こなくても よかったの。」
「何で、何で、そんな冷たい事言うの? プリちゃーん。」
忙しそうだから、気を遣っているのに、リリスは、益々、大泣きして、グリグリ頭を押し付けて来た。
「プ、プリ様。レヴィアたんの事を、相談したら、どうですか?」
あまりのリリスの取り乱し方に、恋敵であるのも忘れ、つい、助け船を出してしまう、お人好しの昴。
「レヴィアタン(レにアクセント)? あの悪魔の?」
「レヴィアたん(アにアクセント)、です。」
「れゔぃあたん(アにアクセント) なの。」
首を捻りあう三人。
「レヴィアタン(レにアクセント)じゃないの?」
「レヴィアたん(アにアクセント)、ですって。」
「れゔぃあたん(アにアクセント) なの。」
意思の疎通は、中々、難しいようである。