無理だ。絶対、無理だ。
夜になって、食事を終え、お風呂に入り、旅の疲れを癒した藤裏葉が、仏間を訪れると、布団が敷いてあった。
「さあ、藤裏葉。裸になって、その布団に寝るのじゃ。」
藤裏葉は、チラリと布団を見ると、布団の脇に座る爺さんを、おもむろに、蹴飛ばした。
「なんで、一々、裸にならなきゃ、いけないんですかね?」
「ま、孫娘の成長が見たい、祖父の茶目っ気ではないか。」
「可愛くないんですよ。皺くちゃジジイの茶目っ気なんて。」
爺さんを、グリグリ、踏み付けながら言う、藤裏葉。
「いつも、半裸で、周りに肌を見せ付けながら、生活しておるクセに、なんで、ジジには、見せてくれんのじゃ!?」
「孫娘に踏まれて、性的高揚を覚える変態に、見せる肌はないんですよ。」
「ああっ、藤裏葉。蹴っておくれ。このジジイを、罵りながら、蹴っておくれ〜!」
と言われると、藤裏葉は、ピタリと、足を止めた。
「ど、どうしたのじゃ。ほれ、もっとこう、蔑みを込めて、踏みにじらんかい。」
「お預けです、お爺様。続きは、私の記憶が戻ってからです。」
「記憶など、どうでも良いではないか。もっと踏んでくれ〜。蹴ってくれ〜。そうじゃなきゃ、やじゃ。やじゃ、やじゃ、やじゃぁぁぁ。」
仰向けに寝っ転がり、手足を、バタバタと振り回すジジイ。
「SMゴッコを、やりに来たんじゃないんですよ。主家の一大事なんです。翔綺様が拐われたんです。」
「何?! 翔綺様が……。」
ジジイは起き上がり、胡座をかいて、遠くを見た。
「翔綺様……。チラッと拝見しただけじゃが、色白で、お美しい容貌であった。」
「お爺様……。」
「あの、あの翔綺様に、一度で良いから、踏まれたいと思っておったんじゃ〜!」
おい、ジジイ……。と、また蹴飛ばしそうになって、藤裏葉は、自重した。
「藤裏葉。何を愚図愚図しておるのじゃ。サッサッと、記憶を取り戻して、翔綺様を助けに行かんかい。」
まあ、やる気になったのなら良いか。藤裏葉は、布団の上で、横になった。
「九年前まで、遡れば良いのじゃな?」
「いえ、リリス様が言われるには、前世で、魔王から能力を授かった時までと……。」
「何? 前世……。」
ジジイは、フッと、真顔になった。
「藤裏葉よ。前世の記憶まで、思い出すというのは危険じゃ。お前の精神が、耐えられんかもしれん。」
「お爺様……。いきなり、真面目な顔をされても……。」
笑ってしまいます。と言いながら、実際、笑っていた。
「ふふふっ。まあ、危険は覚悟の上です。」
「そうか……。あい、分かった。」
主家を守る、武人の家の者達である。コンセンサスが取れれば、躊躇いなどなかった。
「いくぞ、藤裏葉。気合いを入れよ。」
その掛け声に、藤裏葉も、臍下丹田に力を込めた。そして、ジジイの右の掌が、藤裏葉の額に置かれた。
ところで、此処、AT THE BACK OF THE NORTH WINDでは、ハギトが、紅葉をお供に、翔綺を探し回っていた。
「おくさま、しょうきちゃんが いないの。」
自室にやって来て、訴えるハギトから、オクは、さり気なく、目を逸らした。
「ハギトちゃん。今、そいつ、目を逸らしたよ。」
紅葉の指摘に、チッと、舌打ちするオク。
『どうしよう。はぎとちゃん だけなら、おかし でも あたえて おけば、ごまかせる けど、もみじちゃんが ついて いると……。』
とは言っても、誤魔化すしかない。あの、レヴィアタンと成った、変わり果てた翔綺の姿を見せれば、顰蹙をかうのは必至だろう。
「ところで、はぎとちゃん。とうきょう いせかいか さくせん、つぎは あなたの ばん だけど……。」
「それ、ふるちゃんに てつだって もらおうと おもってたのに、ふるちゃんも いないの……。」
しまった、藪蛇だ。フルは、ほとんど、ハギトの保護者で、彼女も依存し切っていた。東京異世界化作戦などという、大きな仕事をする際に、フルを頼るという事は、当然予測出来る事態だった。
オクも、ハギトに関しては、それで良いと思っていたし、腹心であるフルに任せておけば、安心でもあった。そのフルも居ないのだ。
『どうしよう……。はぎとちゃんが、けいかくりつあん から、すいこう まで、ひとりで できるかしら。』
無理だ。絶対、無理だ。
不安になったオクが、ハギトを、チラリと、見たら、椅子に座り、テーブルの上に砂時計を置いて、砂の落ちる様子を、ボエッ〜と、見ていた。
「なにを しているの? は・ぎ・とちゃん。」
そう問い掛けても、夢中になり過ぎて、トランス状態になっているハギトは、曖昧な笑みを浮かべるだけで、視線は砂時計から、離れなかった。
「ハギトちゃんは、今、お楽しみの最中なのよ。邪魔しちゃ、ダメじゃない。」
紅葉に窘められ『なんで、わたしが おこられ なきゃ いけないの?』と、頭を抱えるオク。
「そうだ。もみじちゃん、あなた とうきょういせかいかさくせんの さんぼうを やりなさい。」
小声で提案すると、紅葉は、静かに、首を振った。
「もちろん、ハギトちゃんが第一優先だけれども、平和を乱す企みに、積極的に関与するわけには、いかないわ。」
普段の言動は、完全に悪役なのに、なんで、一線だけは越えないかな? 意外に根っこが正義の紅葉に、オクは落胆していた。
「ポッカマちゃん。こっちにおいで。」
レヴィアタンの襲撃のあった翌日、朝御飯を食べ終えたプリ様と昴は、中庭で、ビーフジャーキーをヒラヒラさせて、ポ・カマムを呼び寄せる、照彦の姿を見付けた。
『ほとんど、ワンコと同じ扱いだなあ。熊なのに……。』
と思いながら、昴が見ていると、竪穴式住居から、物凄い勢いで、ポ・カマムが飛び出して来た。そして、呼ばれてもいないのに、ピッケちゃんまで、血相変えて、飛んで来た。
「あやや、ピッケちゃん、ちょっと待って。」
照彦の制止も虚しく、ピッケちゃんが先に、ビーフジャーキーに食い付いてしまった。遅きに失したポ・カマムは、不満も露わに、照彦の右腕に、噛み付いた。
「ぴっけ、ぴっけぇぇぇ!」
「がうっ〜。がるるるぅぅぅ。」
「止めて、二人とも止めてぇぇぇ。まだ、あるから。まだ、まだ、あるからぁぁぁ。」
必死に命乞いをする照彦を、ピッケちゃんと、ポ・カマムは押し倒し、着物の袂にあったビーフジャーキーの袋を見付け出すと、二人で、分け合って食べ始めた。
「なにを していゆの? おとうたま。」
トテトテと、近付いたプリ様は、立ち上がって、着物に付いた土を払っている照彦に、小首を傾げながら訊いた。その愛らしい様子に、我慢出来なくなった昴は、背中から、ガバッと、抱き付いて、オツムに頬擦りを始めた。
「ポッカマちゃんに、用があったんだけど……。」
ピッケちゃん同様に、必死の形相で、ビーフジャーキーに食い付いている、ポ・カマムを眺めて、溜息を吐いた。
「おとうたまが、こぐまたんに……?」
少し考えて、何かに思い至ったプリ様は、悲しげに首を振った。
「おとうたま。ざんねん なの。いくら、おとうたま でも、つうほうなの。こぐまたんに おいたは だめなの。」
「しませんよ。おイタ、なんて。」
幼い娘に、即反論する、大人気ない照彦。
「ウルリクムミ製ヘルメットを作るのに、ポッカマちゃんに、手伝って貰おうと、思ったのです。」
「こぐまたんに? どうやって? なの。」
「お父様の、知り合いの神様を、呼び出して頂こうかな、と。」
プリ様は、空蝉山で、イシュタル神を呼び出した時の、儀式を思い出していた。他の神獣の力を借りなければ、とても出来そうにはない。
「大丈夫ですよ。」
プリ様の心中を読み取ったのか、照彦が、涼しい声で言った。
「お父様なら、一人でも出来るのです。」
そう言うと、ポ・カマムを手招きした。ビーフジャーキーを食べ尽くした彼女は、満足顔で、それに応じ、ノコノコと、近寄ってしまった。
瞬間、照彦の両手が、ポ・カマムの小さな頭を、ガッと、掴んだ。
「ふにゃあああああ。」
「ああっ、暴れないで、ポッカマちゃん。大人しくしててくれれば、すぐ、済むからね。」
お父様の台詞、変態さんみたい。と、プリ様は、その光景を見ながら、思っていた。




