盟主オク、恐怖の倫理観!
「りりすちゃん、ゆうはんの まえに、おんせんに いきましょう。」
ニコヤカなオクの提案に、ついに来たか、とリリスは身体を強張らせた。
「いや、私、部屋風呂に入るから。」
「そうよ、ここ、ろてんぶろつきの おへや なのよ。」
来た時から、なんか無駄に広いと思っていた。さすが、光極天宗家の娘だっただけはある。一流の宿を知り尽くしているのだろう。
「そういえば、お金はどうしているの?」
「ひなぎく だったときに ためこんだ おかねを、きんに かえて、かくして いたの。」
光極天雛菊は、只でさえ多い報酬を、資産運用で何倍にも膨らませていた、という噂は聞いた覚えがある。
「わたしの あいじんに なるなら、おてあて はずむわよ。」
「本当に下種ね。」
発想が成金のオヤジと同じだ。
「それは さておき、おんせんに はいりましょう。」
進退窮まる。リリスは覚悟を固めた。
AT THE BACK OF THE NOTH WINDに戻ったハギトは、沸騰する感情を、持て余していた。
「ほやああああ。ひゃあああん。」
「ど、どうしたの? はぎとちゃん。」
オクの居城のエントランスで、頭を掻きむしって喚いていると、たまたま通りかかったフルが、声をかけた。
実は、フルも、煮詰まっていた。今日、オクが、リリスとの一泊旅行に行ったのは知っていたが、何も文句が言えなかったのだ。
空蝉山で、まざまざと見せ付けられた、自分とリリスの実力に違いに引け目を感じ、嫉妬しつつも、その感情を発露出来ないというジレンマに陥っていた。
「ふるちゃ〜ん。」
フルに抱き付くハギト。フルは彼女の頭を、優しく撫でて上げた。
「ふるちゃん。ふるちゃんは わたしの みかた だよね?」
「よしよし、なにが あったの?」
ハギトは、泣きながら、今日の出来事を話した。
『なるほどね……。やはり、ことうれいは ななだいてんしと なっても、こうぎょくてんしてんのうね。びちゅうあんの こどもを たすける ために、いのちを すてたのか……。』
月読は雛菊を主君と定め、彼女がオクとなっても、フルとして仕える道を選んだ。その事自体に悔いは無い。
しかし、彼女とて、光極天の人間だったのだ。人命を守る為に生きよと、教育を受けて来た。その使命を全うした湖島玲に、一種、畏敬の念の様なモノは感じた。
「ねえ、ふるちゃん。きいてる?」
「ああ、ごめんなさい。かんがえごとを していたわ。」
ハギトに袖を引かれ、フルは現実に戻った。
「ふるちゃん、びちゅうあんって しってる?」
「ええ、しっている けど。」
「おうち わかる?」
「なにを かんがえて いるの? はぎとちゃん。」
ハギトも収まりがつかないのだろう。とにかく行動していないと、おかしくなりそうなのだ。
「つれてって。ひであきって ひとを みてみたいの。ふぁれぐちゃんが たすけた……。」
ファレグの死を、意味あるものとして、納得したいのか……。月読だった頃、多くの仲間達を、魔物との戦いで失って来たフルには、その気持ちは、痛い程分かった。
「そうねえ……。きょうは もう おそいし、あしたは おくさまが おかえりだし……。あさってで いい? まてる?」
「うん、わかった。ありがとう、ふるちゃん。」
満面の笑顔を見せるハギトを、可愛いな、とフルは思っていた。しかし、彼女は気付いていなかったのだ。ハギトの中に、純然たる狂気が育っている事に……。
「がっおーん!」
オフィエルとハギトが帰った後、庭に出て来たプリ様に、嬉しげにポ・カマムが駆け寄って来た。
「くすぐったいの、こぐまたん。」
お顔をペロペロ舐め、お手手を甘噛みするポ・カマムに、プリ様は笑いながら言った。その様子を、縁側から、心配そうに見ている昴。
「プリちゃま、なんか寂しそうですね。」
いつの間に現れたのか、昴の後ろに、藤裏葉が立っていた。
「裏葉ちゃんにも分かりますか?」
「そりゃあ、愛する人の事ですからね。分かります。」
「…………。裏葉ちゃん、本当に、プリ様を愛しているんですか?」
昴には、藤裏葉は、何となくノリだけで、プリ様争奪戦に参加していると思えていた。
「もちろん。前世からですよ。」
ふーん、前世からか……。聞き流しそうになって、ハッと、脳天に電流が走った。
「裏葉ちゃん、前世って……。」
「おーい、プリちゃまー。」
話し掛ける昴に気が付かず、藤裏葉は、手を振って、プリ様の方に、走って行った。
「プリちゃま、ポッカマちゃん。ああ、二人が仲睦まじくて尊い……。」
どちらに抱き付こうか、悩む藤裏葉。そこに、五十メートル二十秒くらいの速度で、やっと昴が追い付いて来た。
「う、裏葉ちゃん。裏葉ちゃんも、前世で私達と一緒だったの? 誰?」
トールのパーティは、基本、トール、イサキオス、アイラ、クレオ、そしてエロイーズの五人。時期によって、助っ人が入ったりしていた。魔王領に攻め込む時も、ミランダを始めとして、何人かの追加メンバーが……。
「ミランダ……さん?」
そう呼び掛けられて、藤裏葉は目を伏せ、溜息を吐いた。
「つい最近思い出したんだけど、なんか照れ臭くて、言えませんでした。」
彼女の告白に、昴のみならず、プリ様も目を丸くし、甘噛みするポ・カマムを引っ付けたまま、近寄った。
「みらんだ なの?」
「お久しぶりです、トール様。こんなに小ちゃく、可愛くなっちゃって……。」
藤裏葉は、愛おしそうに、プリ様を抱き上げて、その豊満な胸に、ギュッと押し付けた。
いつもなら、嫉妬の炎に身を焦がす昴も、あまりに意外な展開に、呆然として、その光景を眺めていた。
「裏葉さんがミランダ?」
入浴衣を着て、風情のある、石造りの湯船に浸かった時、オクから告げられて、リリスは、思わず、声を上げた。
「きづいて なかったの?」
「全然……。」
返事をしかけたリリスは、そこで、ニヤッと笑った。
「貴女にとっては、縁起でもない話ね。前世、人類にとって前人未踏の魔王領に攻め込まれたのも、彼女の能力の所為だものね。」
ミランダは、前世の世界で、並ぶ者のない結界師だった。彼女の、結界と結界を繋ぐという特殊能力のお陰で、常に前線が、街に在るミランダの酒場と直結し、魔王領への兵糧輸送が可能となったのだ。
一本取ってやったと、ドヤ顔のリリスを、オクは、憐れむ様な、慈しむ様な目で見ていた。
「な、何? その目は。」
「むじゃき だなあ、と おもって。」
「どういう意味?」
「かのじょの とくしゅのうりょくは わたしが あげたのよ。」
なんですと?
「どうして……。」
「あなたたち にんげんが、いつまで たっても、せめこんで こないから。」
魔王の目的は、シシクの精製。自らの元へ案内する、ストーカーとして、ミランダを選んだと言うのだ。
「私達は、貴女の掌の上で、踊らされていたの?」
悔しさに、リリスの顔が歪んだ。生まれ変わっても忘れない、魔王国までの、苦難の道のり。仲間も、いっぱい、死んだのだ。
「ふふふ。やっぱり りりすちゃんの くやしそうな かおは そそるわ。そんな かおの あなたを おかすのは たまらない ゆえつね。」
「ふざけないで。」
「ふざけてないわ。ほんきよ。ほんきで りりすちゃんを おかすきよ。」
「や、約束が違う。何もしないって……。」
「やくそく なんてね、やぶるときの あいての ぜつぼう した かおを、たのしむ ために するものよ。」
なんて倫理観だ。
オクは、ジリジリと、リリスを浴槽の端に追い詰めた。
「いやあああああ。」
伊豆の夜空に木霊する悲鳴。危うしリリス。
先日、母と、偶々来ていた兄へ、お昼ご飯に、天麩羅饂飩を作って上げました。その饂飩は、冷凍の饂飩玉をレンジで温め、粉末のかけ汁をお湯で溶かし、スーパーで買って来た天麩羅を乗せただけのモノでした。
それなのに、兄が言うのです「お前、天麩羅饂飩とか作れるのか。凄いな。」と。
「いやいや、こんなのインスタントラーメンと同じだろ?」と返事をすると「俺、インスタントラーメンなんか作れないよ。」と返されました。
思い起こせば小学校高学年の頃、休日出掛ける時に、母は「お昼はラーメンでも食べなさい。お兄ちゃんの分も作って上げて。」と私に言っていました。
普通、逆だろ。
太平楽に饂飩を啜る兄を見ながら、つい殺意を滾らせてしまう秋のお昼時なのでした。