世界とは昴そのもの
愚図るオクを、お手洗いに連れて行くリリス。
「ほら、着いたわよ。」
扉を開けると、そのまま、リリスも個室内に連れ込まれた。
「な、何のつもり。」
「りりすちゃん、したぎ はきかえて。」
「はい?」
オクは、提げていたポシェットから、布面積のほとんど無い下着を取り出した。
「貴女、いつも、私の換えの下着を持ち歩いているの?」
「そうよ。いつも いやらしい したぎを つけた、りりすちゃんの えっちな すがたを そうぞう しているのよ。」
ゾゾゾゾゾッと、リリスの背筋に、悪寒が走った。
「嫌よ。絶対に着けない。」
「そう……。」
オクが呟いた途端、リリスの身体は、強い念動力で個室の壁に押し付けられた。
『なんて能力。全く、身動き出来ない。』
その時、胸と股間の辺りが、やけにスースーしている様に、感じ始めた。慌ててオクを見ると、彼女の掌中に、今日着て来た下着が……。
「わ、私の下着!」
「そうよ。りりすちゃんの したぎを いちど げんしにぶんかいして、わたしの ての なかで、さいこうせいしたの。」
無駄に凄い能力。慄然としていると、オクが持っていた、極端に布面積の少ない下着が消え、自分の身体に装着されるのを感じた。
「わたしに さからおう なんて、ひゃくまんねん……いちおくねん はやいわ。」
オクのドヤ顔に、敗北を感じたリリスは、涙に潤んだ目で、悔しげに睨んだ。
「下着返して。」
「いやよ、これは せんりひん。」
「私の下着、ポシェットにしまわないで。」
「ふふふ。まえに くもがくれとうで ぼっしゅう した、じばくの おふだつきの したぎ。あれも、AT THE BACK OF THE NORTH WINDないの わたしの きょじょうに ほかんして あるわ。」
ひぃぃぃ、やーめーてー。あまりの気持ち悪い告白に、頭を抱えて、のたうち回るリリス。
「これで、こころおきなく たのしい たびが できるわ。さっ、せきに もどりましょう。わたし、あいすが たべたいな。」
無邪気に笑うオクに手を引かれて、リリスは指定席に引き摺られて行った。
その頃のプリ様。照彦の膝の上に乗っかって、目の前の植木鉢と睨めっこをしていた。
「この枯れかけのお花さんを、元気にさせて上げるんだよ。」
「やってゆの。しゅうちゅう してゆの。でも、できないの。」
「うん……。プリちゃん、命というものは、それぞれ、別個に存在しているんじゃないんだよ。」
照彦は、プリ様の睨んでいる植木鉢の、隣の鉢に植えられている、やはり枯れかけて、首を垂れているチューリップに、手を翳した。
「森羅万象、あらゆる物に命は宿る。ヒーリングというのは、世界中の存在から、少しづつ、生命力を貰う事なんだ。」
言いながら、照彦は、集中を始めた。
「感じるんだよ。一体になるんだ。この広大無辺の宇宙と。」
「そんなの わかんないの。どうすゆの?」
「プリちゃんも宇宙の一部。つまり、プリちゃんの中にも、宇宙が在る。中から外へ。外から中へ。」
「なか から そとへ。そと から なかへ……。」
「そうそう。外から中へ。中から外へ。繰り返し、繰り返し……。」
その時、照彦が手を翳していたチューリップが、シュルルルッと音を立てて、首をもたげた。瑞々しく、生命力に満ち溢れた姿となったのだ。
『おとうたま、すごいの……。』
照彦の示した結果に触発され、俄然やる気を出したプリ様は、再び集中を始めた。
『せかいを、うちゅうを、かんじゆの。なか から そとへ。そと から なかへ……。』
堅く瞑った目の奥に光が……。何かが分かりかけている。もうちょっと、もうちょっと……。
「うーん……。だめなのぉ。もうちょっと なのに。」
「焦らなくて良いよ、プリちゃん……。」
すると、照彦の傍らに座っていた昴が、微笑みながら、プリ様のお手手を取った。
「一緒にやります。プリ様、もう一度、昴と……。」
「すばゆ……。」
そうか、世界とは……。
昴そのもの。
プリ様の頭の中に、稲妻が閃く。昴が掻き集めて、送ってくれる魔法子は、プリ様と万物を繋ぐ縄……。
プリ様のチューリップも、ソロソロと、茎を伸ばした。そして、遠慮がちに、花を天に向けて起立した。
「うん。プリちゃん、まずは第一関門通過だね。」
ヒーリング道の先は長い。しかし、プリ様は、確かな一歩を踏み出したのだ。
「ありがとなの、すばゆ。なんか、わかったの。」
「昴のお陰ですか?」
「そうなの。すばゆの おかげなの。」
「そ、それじゃあ、プリ様……。」
ご褒美を下さーい。と言って、抱き付く昴。頬ずりするわ、顔中にキスするわ。いつもの如く、やりたい放題。
昴、感動の場面が台無しなの。と、プリ様は思っていた。
三島から在来線に乗り換えて、修善寺からバスに乗った。
「何処に向かっているの?」
どんどん、寂しくなっていく、車窓からの風景を見て、不安そうに、隣の席のオクにリリスは訊ねた。
「ずっと えいこくで じっけんどうぶつ やっていたんだものね。にほんの ちりは よく わかんないか。」
実験動物……。時々、こういう勘に触る言い方をするのは、相手の平常心を失わせて、冷静な判断を阻害する、オクの手口だ。
「そうよ。実験動物だったの。ロンドンの郊外のお城の地下で、生きた龍人として、検査の毎日だったわ。」
平静な様子のリリスを、オクは面白そうに眺めた。
「すこしは、めんたる つよくなったのね。」
「貴女に鍛えられたからね。」
「ずいぶん、いじめて あげたものね。」
悪びれずに言うオクを、リリスは凝視した。
「あら、こわい。」
「胡蝶蘭叔母様と貴女は、どういう関係なの?」
「こんどは じんもん?」
「ふざけないで、答えて。」
「ふふふ。じゃあ、いっかいの しつもんに つき、きす いっかい ってどう?」
悪戯っぽく、目をクリクリさせるオク。
「ふ・ざ・け・な・い・で。」
「いたって、まじめよ。」
涼やかに笑うオクを前にして、リリスは逡巡していた。
「きす くらい、なんでも ないでしょ? もう わたしと なんかい きす したと おもっているの。」
不本意ながら、誰よりも多くキスしているのは、他ならないオクだ。
リリスは車内を見回し、他の乗客が居ないのを確認し、素早く、オクに口付けした。
「ええっ〜。ものたりない。」
「一回は一回でしょ。」
オクは、リリスの唇の余韻を楽しむみたいに、指でなぞってから微笑んだ。
「かのじょは わたし。わたしは かのじょ。」
「何よ、それ。そんなんじゃ、全然、分からないわ。」
「あんな おざなりな きす じゃ、これくらい しか おしえられないな。」
オクはバスの停車ボタンを押した。目的地に着いたらしい。
「ここよ。ふうこうめいびな いい ところ でしょ。」
山道を走っていたと思っていたのに、バスは、何時の間にか、海岸部に到達していた。眼前に広がる、昼下がりの海は、穏やかに波打ち、たゆたっていた。
「ゆうらんせんも あるのよ。あした、のりましょう。」
「今日は、これから、どうするの?」
「きょうは すぐ やどに いって、さっきの きすの つづきが したいな。」
「も、もうしないわよ。」
「するわ。りりすちゃんは する。だって……。」
オクの目が、幼女の外見とは裏腹に、妖しく光った。
「しらず には いられない でしょ?」
宿の部屋に落ち着くと、オクは仁王立ちになり、リリスは、その前に跪いた。そして、空蟬山でしたように、あたかも従者を思わせる姿勢で、恭しく、オクの唇に自分の唇を重ねた。
「ぜんぜん、だめね。」
数秒後、オクはリリスを突き放した。
「何故……。」
「りりすちゃん? くちびるを あわせる だけなら、さる でも できるのよ。」
「…………。」
「いいわ。とくべつ さーびすで おしえて あげる。」
今度は、オクから唇を重ねた。いや、それはもう、重ねると言うより、唇への強襲であった。オクの小さな舌は、リリスの口をこじ開け、中に侵入した。
口内を蹂躙される、経験した事の無い、甘美な感触に、リリスは、不覚にも、心地良さを覚えていた。