念を結晶化させる術
覚悟は決めました。私、美柱庵天莉凜翠は、オクとのデートに出陣します。
悲壮な決意を秘めて、リリスが、玄関へと廊下を歩いていると、植木鉢を前に、プリ様と照彦が、リビングで何やらやっているのが見えた。(つまり、リリスは、昨日も、プリ様のお家に泊まったのである。)
「ああーん、プリちゃん。お姉ちゃん、これからお出掛けするのー。お見送りしてー。」
豊満な胸を、ユサユサと、プリ様のお顔に押し付けるリリス。集中して何かをしている時、邪魔されるのを嫌うプリ様だが、オッパイに埋もれさせられるのは、満更でもないみたいである。
「プリ様の修行の妨害をしないで下さーい。」
傍らに侍っていた昴が、口を尖らせた。因みに、藤裏葉は、一時間程前、同じ様に、プリ様にオッパイを押し付けてから、任務に出掛けていた。
「修行? 何をしているの、プリちゃん。お姉ちゃんに教えて。」
「質問しながら、さり気なく、頬ずりをするのは、止めて下さいぃ。」
聞かれて、プリ様はニッコリとした。
「おとうたまに ひーりんぐ ならってゆの。」
「あらあら、ヒーリング……。」
リリスは、チラッと、照彦の顔を見た後、プリ様の両肩を掴んだ。
「プ、プリちゃん。大きな声では言えないけど、叔父様に習っても、その……。もっと、良い先生紹介するわよ?」
「聞こえてますよ、天莉凜翠。」
照彦に突っ込まれ「あらあら、おほほ。」と、誤魔化すリリス。
「どうしてまた、ヒーリングなの?」
プリ様なら、もっと、戦闘的スキルを優先して、身に付けたがると思っていた。
「ぷりは ねえ……。」
「プリ様は、空蝉山での奥様の様に、敵味方関係無く、全ての人に、癒しを与えられる人に、成りたいそうなんです。ああっ、お強いだけでなく、海よりも深い愛情をお持ちのプリ様、素敵ですぅ。素敵過ぎますぅ。でも、プリ様。その愛情は、昴に、一番、注いで下さいましね? ああっ、プリ様。プリ様。プリ様ぁぁぁ。」
答えようとしたプリ様の台詞を奪い、あまつさえ、感極まって、プリ様ラッシュを始める昴。やりたい放題である。ちょっと、ご立腹のプリ様。
「すばゆ、やめゆの。」
「ええー。だって、さっきまで、修行の妨げにならないよう、ずっと我慢してたんですよ。嫌ですぅ。昴は、もっと、プリ様にスリスリしたいんですぅ。」
「す・ば・ゆ。」
怒られて、昴は、シュンと、しょげかえった。
「ところで、そんなに、おめかしして。デートにでも行くのかい? 天莉凜翠。」
照彦の質問に、リリスの胸中は、再び、暗澹たる状態になった。
「いえ、ちょっと……。そう、セクハラされるのが分かっているのに、行かなければならない飲み会に行く。といったところですわ。」
「……。よ、良く分からない例えだね。あっ、そうだ。」
照彦は、着物の袂を、ガサゴソと弄った。
「天莉凜翠。これを付けてお行き。今日の服装に、きっと、似合うよ。」
袂から出て来た物。それは、エメラルドを思わせる、鮮やかな緑色の大きな石が嵌ったネックレスだった。
「何ですか? これは。」
「姉さんが君を生んだ時、いつか、君がデートをするくらいの年頃になったら渡そうと思って、僕が自分の念を結晶化させ、精製していた物だよ。」
「叔父様……。」
リリスは、ネックレスを、矯めつ眇めつ眺めてから言った。
「大丈夫なんですか? これ。叔父様の念が篭った宝石なんて、付けているだけで、妊娠しそうなんですけど……。」
「ああっ? 俺様の厚意じゃ。黙って受け取れや、小娘。」
あれ? おとうたま? 突然、耳慣れない暴言が発せられて、プリ様は、目をパチクリさせた。気の弱い昴などは、泣きそうな顔になっていた。
「お、叔父様?」
「ははは。手厳しいなぁ、天莉凜翠は。でも、騙されたと思って、肌身離さず持っていなさい。きっと、君を守ってくれるから。」
「い、いや、今……。」
「おとうたま……。」
「旦那様……。」
「なんだい? どうしたんだい? お前達。」
自分を見詰めて来る、プリ様、リリス、昴の顔を、照彦は、不思議そうに、眺めた。
『き、きっと、気のせいだったんですぅ。』
『寝不足ね……。デートの日取りが決まってから、眠れない日々が続いたから……。』
『と、とーゆしん みたい だったの。とーゆしんの しゃべりかた いつも おこってゆ みたいだったの。』
不審に思いつつも、リリスは緑の石を、もう一度見た。
「念を結晶化させる術なんて、聞いた覚えがないわ。神王院家伝来の秘技とかなんですか?」
帰国してから、美柱庵家の秘伝書は読み漁ったが、そんな記述は無かった。
「まさか。人間如きに出来る技ではありませんよ。僕が、トール神だから、出来るんです。」
「お、おとうたま。やっぱり、とーゆしん……。」
「あらあら。そんな訳ないでしょ。」
リリスは、眼を丸くするプリ様の頭を、軽く撫でて上げた。
「叔父様、娘の気を引きたいのは分かりますけれど、度が過ぎると嫌われますよ。」
「えっ……。いや、僕は……。」
「はいはい。もう、冗談はお終いです。とりあえず、これは、有り難く頂いておきますね。」
食い下がる照彦を、さり気なく、いなしながら、リリスは、ネックレスを首に付け、東京駅銀の鈴に向かった。
そもそも、なんで、銀の鈴なのかしら?
約束より、二十分早く着いたリリスは、三十分経っても来ないオクを待ちながら、首を捻っていた。
『十五分経過……。』
もしかして、何かアクシデントが有って、オクは、今日、来られないのでは……。そうよ、きっと、そうだわ。よし、帰ろう!
と、リリスが決断した時「おまたせぇぇぇ。りりすちゃーん!」という、弾んだ声が聞こえて来た。
来なくていいのに……。リリスは、暗い顔を、声のする方に向けた。
そこに居たのは、仮面を外したオクであった。という事は、昴と同じ、現実離れした美しい顔をしている、という事で……。
更に、リリスのスカートに合わせるみたいに着ている、赤いタータンチェックのワンピースが、その可愛らしさを一層引き立てていた。
「うれしいー。ほんとに きて くれたのね。」
何やら大きなタイヤ付きの旅行鞄を、頼りない腰付きで、ガラガラと引っ張っている様子は、容姿の美しさも相まって、映画のワンシーンを見ているのかと、錯覚する程の、絵になる光景だ。
「何なの? その大荷物。」
目の前に来たオクに、リリスは、開口一番、そう訊いた。
「りりすちゃん こそ なによ。ばっぐ しか もたないで。おとまり するって いったでしょ。」
そうだった。あんまり嫌過ぎて、忘れていた。
「あ、あらあら、失念していたわ。残念だけど、今日のお泊りは……。」
「だいじょうぶよ。そうくると おもって、りりすちゃんの きがえも ようい して あるわ。」
チッと、リリスは心中で舌打ちした。
「さっ、いきましょう。れっしゃが でちゃうわ。」
「列車? 何処に行くの?」
「いずよ。しんかんせんに のるのは ひさしぶり。」
こうして、はしゃいでいるのを見る分には、普通に幼女なのにな……。そう、思いかけて、リリスは首を振った。うっかり、気を許すのは、危険である。
「うふふふ。わたしの ぷれぜんと した ふく、きて きて くれたのね。にあって いるわ。」
「ありがとう。貴女も可愛いわよ。」(棒)
「そうでしょ? これも、えいこくの ぶらんどよ。」
オクは、先祖代々、吸血鬼やら、悪の超能力者やらと戦っている人達の様な、ブランド名を口にした。
「りりすちゃん、ところで したぎの ほうは……。」
「あんなエッチな下着、着ける筈ないでしょ。」
期待にドキドキしながら質問したオクは、あからさまに、ガッカリした顔付きになった。そして、乗車後……。
「おねえちゃん、おといれ いきたい。つれてって。」
列車が、東京駅を離れた途端、オクが口にした。
「一人で行きなさいよ。」
「つれてって、つれてって。」
そこでリリスは、ハタと気が付いた。自分達二人を世間様が見ると、オクの保護者は他ならない自分だ。
くそっ、コイツ、そこまで計算して……。
「はいはい。連れて行くから。」
リリスは体裁を繕った。オクの口元が、ニヤリとし、目が怪しく光った。