玲の星空
夕方になって、午前中に用事で出て行った尚子が、晶を迎えに戻って来た。
「いつも、晶の面倒を見てくれて、ありがとうね。昴ちゃん。」
「ありがと、すばるちゃん。」
そう、礼を言うと、二人、手を繋いで帰っていった。その様子を、ハギトは、ニコニコと、見詰めていた。
「ここ、もしかして、りたいあ した、ななだいてんしの しゅうかいじょ なの?」
言ってから、何かにハッと気付いて、プリ様を見た。
『ままま、まずい じゃーん。ぷりの そんざいに なにか ぎもんを もったって、ぎわく?』
慌てるオフィエルを余所に、ハギトはプリ様を凝視しながら、慎重に口を開いた。
「そうか。ようしが かわってたから きづかなかったわ。あなたは べとーるちゃんね?」
「ちがうの。そんなわけ ないの。いっしょに すゆななの。あんな のうきんと。」
プリ様がファレグの仇と、気付いたのでは、なかったか……。と、安堵に胸を撫で下ろすオフィエル。しかし、これ以上は藪蛇に成りかねない。そう判断し、やにわにハギトの腕を掴んで、帰る旨を伝えた。
「どうしてぇ? おふぃえるちゃん。まだ、いいじゃない。」
「いやいやいや。わたしは ともかく、おまえの すがたが みえないと、ふるが しんぱい するって、ほごしゃ。」
オフィエルは、昴に世話になった礼を言い、ハギトを引き摺るみたいに、出て行った。
「皆んな、昴ちゃんに、お礼を言って帰るんだね。」
「スバルンは、甲斐甲斐しく、子供達のお世話をしてますからね。」
渚ちゃんの呟きに、自分の事の様に、自慢気に答える藤裏葉。昴は照れて、真っ赤になりながら、プリ様の後ろに隠れていた。
「わ、私は、プリ様の奥さんなので、旦那様のお友達を、おもてなしするのは、当然なんですぅ。」
そう言いつつ、背中からプリ様に抱き付き、オツムに盛んに頬ずりをする昴。
「ずるい、スバルン。私もプリちゃまの妻の座が欲しい。」
突然、そう言って、正面からプリ様に抱き付く藤裏葉。
「あははは。プリちゃんはモテモテだねえ。」
渚ちゃんが、笑いながらリリスに話し掛けると、その彼女の肩を、兄が、両手で、ガッチリと握っていた。
「お兄ちゃん、何やってんの?」
「いや、リリスのな……、か、肩を揉んでやろうかと……。」
『ダメだ。もう、理性が飛んでいる。』
無意識に身体を動かし、プリ様を奪いに行こうとしているリリスを、彼は必死の努力で抑えていたのだ。
「お、俺達も、そろそろ、帰ろうか。」
「そ、そうね。」
「私は、今日は、泊まって行くわ。」
和臣と紅葉の会話に、リリスが口を挟んだ。
「でも、お前、明日学校が……。」
「いいの。泊まるったら、泊まるの。」
どうしたんだ? 我儘可愛いぞ。
二人は、リリスの子供っぽい口調に、萌えた。
なので、曽我兄妹と紅葉は、三人で神王院家を辞去した。
夕陽の中、家路を辿る三人。渚ちゃんは、二人の前を、何か楽し気に歩いていた。その背中を見ながら、和臣は紅葉に話し掛けた。
「なんか、最近、リリスの奴……。」
やけに言動が幼く感じるのだ。
「私には、何となく、分かるわ。」
紅葉は、フッと、夕陽を見上げた。
「幼児の頃からの、家庭内のゴタゴタが一段落した……。年相応に過ごせなかった子供時代を、やり直している感じかな。」
「…………。早くに大人になる事を、強要されたんだな。」
「んっ……。私も、そうだったから……。」
そう言って、紅葉は和臣に微笑んだ。
「私も、あの子くらいの時に、アンタと出会って……。アンタに我儘を聞いてもらって、受け止めてもらって……。」
「お前、本当に面倒くさかったよな。出会った頃。」
「うるさい。これでも……。」
紅葉は顔を赤らめて、伏し目がちに和臣を見た。
「か、感謝……しているんだ……から。」
「な、なんだ、それ。お前が、感謝の気持ちを口にするなんて、不気味過ぎだろ。何、企んでいるんだ。」
「もおおお。このバカ。」
ポカポカと叩いてくる紅葉。痛い、止めろ、と逃げ回る和臣。振り返った渚ちゃんは、仲が良いなあ、と二人を眺めていた。
そんな遣り取りをして、割と良い気分で紅葉が帰宅すると、母の楓が、灯りも点けずに、リビングのソファーに座っていた。
「ママ?」
照明のスイッチを入れながら話し掛けると、楓が、黙って、此方を向いた。
「今日、神王院胡蝶蘭さんという方と、お会いしたわ。」
「コチョちゃんと? 私の話?」
「到底信じられない、馬鹿馬鹿しい、お話だったけどね。」
ふーん、と生返事をして、紅葉は自室に行こうとした。
「待ちなさい、紅葉。本当なの? あの人の話。」
「どんな話?」
「貴方が、超常の能力を、持っているとか。東京を守っているとか。」
「…………。」
「隠してたの? お母さんに。」
その台詞に、紅葉は、ちょっと、切れた。
「隠してないじゃん。何度も話そうとしたよ。空蝉山に行く前の日だって……。ママが聞かなかっただけでしょ。」
娘の激しい口調に、母は、虚を突かれて、口籠った。
「どうしてなの……。」
「な、何?」
啜り泣きを始めた母親に、今度は、紅葉がギョッとした。
「どうして、貴女はそうなの? 普通じゃないの?」
「普通だよ? 魔物と戦う力があるってだけで……。」
「そんなの、全然、普通じゃないじゃない!」
楓は、激昂して、紅葉に迫り、その両腕を掴んだ。
「何で? 何で、いつも、お母さんを困らせるの? 私を苦しめるのが、そんなに楽しい? 貴女なんか……。」
飲み込んだ言葉が何なのかは、容易に推測出来た。乾き切って涙は出ず、溜息だけが虚空に舞った。自分の胸に顔を押し付けて泣き噦る母を、紅葉は、妙に冷静に見詰めていた。
「ママ……、ごめんね……。」
紅葉は、楓を引き離しつつ、言った。
「でも、この戦い、止めるわけにはいかないの。例え、命を落としたとしても……。」
「も、紅葉……。」
何か言おうとする母を拒絶し、紅葉は自分の部屋に籠ってしまった。
お風呂上がり、プリ様は、フラフラであった。そのお身体を洗おうと、昴、リリス、藤裏葉の間で、激しい争奪戦があったからだ。
「プリちゃん。今日は、お姉ちゃんと、オネンネしようね。」
「何言っているんですかぁ。プリ様は、昴と一緒でないと、おネム出来ないんですぅ。」
「イヤイヤ。私がプリちゃまを抱っこして眠るの。」
…………。今も、三人は、誰がプリ様と寝るかで、争っていた。
「もお。みんなで なかよく ねむゆの。みんな いっしょ なの。」
プリ様の仲裁で、四人は布団をくっ付けて、お団子状態になって眠った。
夢の中、プリ様が空を見上げると、満天の星空が広がっていた。
『いっしょに ほしを さがしたよね。』
いつの間にか、隣に玲が立っていた。それを、プリ様は、ちっとも不思議に思わなかった。だって、夢だから。
『うん。おぼえて いゆの。あれは しちせい。』
『ほくとしちせい だよ。むらちゃん。』
『そうそう。ほくと。』
二人は、顔を見合わせて、笑った。
『いそがし そうだね、むらちゃん。』
『そうなの。でも、しめい なの。がんばゆの。』
プリ様のお言葉に、今度は、ちょっぴり、寂しそうな顔をする玲。
『…………。むらちゃん……。ひとびとを まもる。とうきょうを まもる。せかいを まもる。それは だいじ。むらちゃん じゃないと できない しごとだ。でもね……。』
玲は星空を指差した。
『わすれないで ほしい。ぼくと みた よぞらの ひろがりを。』
『れ……い?』
『うちゅうは こうだい だよ。そして、いまも かくちょう しつづけて いる……。』
プリ様を抱き締めると、玲は、そのまま、宇宙そのものとなり、プリ様は、その深淵に放り出された。
『わすれないで。いつも こころのなかに ふたりで みあげた よぞらを……。』
れい……。寝ながら、その名を呼ぶプリ様の頰を、涙が一筋伝っていた。
そして、その深夜。眠っていたハギトは、ベッドの中で、パッチリと目を開いた。
『ぷりちゃん?! もしかして、わたしたちの てき、ぷり……。』
ハギトの目に、涙が溢れた。
あの子が、ファレグちゃんを殺した。プリ……。