曽我渚ちゃん純潔保存会
「プリからメール来てたでしょ?」
放課後、隣の席の和臣に、紅葉が話し掛けた。彼は素早く辺りを見回し「教室で俺に話し掛けんな。」と言うと、そそくさと鞄を持って、廊下に出て行こうとした。
「何よ。冷たいじゃん。」
ガッチリ和臣の腕を掴んで、その場に留める紅葉。
「誤解されるんだよ。俺達が付き合っているとか、何とか。」
「何を今更……。」
元々、二人はセットと思われていた。
しかし、昨今の風潮は、そんな生易しいものではないのだ。二人が平日、同時に、しかも、親公認で休んだという事実が、噂に尾鰭を付けまくっていた。
婚約式をしたのでは、という位は、まだ良い方だ。結納を済ませた。結婚式場の予約に行って来た。いやいや、もうすでに、結婚式をしてしまったのではないか。と主張する過激派まで居て、和臣君は、非常に肩身の狭い思いをしていた。
校内に点在する「絵島愛好会」だの「紅葉鑑賞倶楽部」だの「絵島友の会」だの、多数ある紅葉のファンクラブから命を狙われ、ここ一週間、生きた心地もしていなかった。
腕に覚えのある者からは、ほぼ毎日、校舎裏に呼び出された。ことごとく返り討ちにしていたが、負けを悟った途端、彼等は、例外なく、男泣きに泣くので、自分が悪人になったみたいで、大変居心地が悪い。
だが、そんな事よりも、彼にとっての重大事は「曽我君と、絵島さんの二人は、邪魔せず、暖かく見守ろう」とするスタンスの一派に、宮路さんが入ってしまった事だ。入っただけではなく、どれだけ二人の絆が深いかを、熱心に周りに吹聴しまくっているらしい。
「陽光の射し込む病室で、ベッドに眠る和臣君に寄り添う絵島さん。その佇まいは、宗教画を思わせる神々しさだった。」
という宮路さんの体験談は、曽我絵島見守ろう派内で、奇跡の顕現が如く語り伝えられ、新たな宗教の誕生も、時間の問題であった。
たまに目が合っても、宮路さんは生暖かく微笑むだけ。決して近寄ろうとはしなかった。
和臣にとって、地球を守る為に支払った代償は、途轍もなく大きなものだったのだ。
なお、紅葉さんは、ボッチなので、校内の空気感には、何も気付いてはおりません。
「俺にもメール来てたぜ。やっと、一段落ついたから、今日、遊びに来てくれって。」
和臣は、観念して、教室内で話し始めた。それを見た女の子達は、ヒソヒソと噂話をし、男供は、海江田信義が大村益次郎を見る目で、和臣を睨んでいた。
「あっー、いたいた。お兄ちゃん!」
そこに、渚ちゃんとリリスが入って来た。
「和臣ちゃんと紅葉ちゃん、プリちゃん家に、遊びに行くんでしょ?」
開口一番、リリスに訊かれ、二人は頷いた。
「良いなあ。プリちゃん家か。私も行きたいなあ。」
そう言って、ピトッと、和臣に抱き付く渚ちゃん。『なんだ、こいつ。最近、やけにベタベタして来るな。』と、和臣は不審な目で見て、紅葉は嫉妬の炎に身を焦がしていた。
「ダメだ。来るな。俺達は仕事なんだ。忙しいんだ。」
「さっき、リリスが『遊びに行く。』って……。」
「うるさい。お前は邪魔者だ。サッサッと帰れ。」
抱き付いたまま、和臣を見上げる渚ちゃん。その目が、みるみる、潤んで来て……。
「酷い! お兄ちゃん。何で、そんな意地悪言うの? この間、一晩一緒に寝て上げたじゃない!」
ザワッと、教室中がどよめいた。「鬼畜?」「鬼畜……よね?」などという不穏な単語が聞こえて来る。
「ちがっ……違うから! こいつが勝手に、俺のベッドに潜り込んで来ただけだから。」
「私の胸に、頭を埋もれさせて、眠ったくせにー。」
「お前が押し付けて来たんだろ。っていうか、埋もれるほど胸ないだろー。」
鬼畜和臣君は、この日から、校内に一つだけある渚ちゃんのファンクラブ、中等部一年有志による「曽我渚ちゃん純潔保存会」も、敵に回す羽目になってしまったのである。
そんな傷心の和臣は、密かに、プリ様に会うのを楽しみにしていた。会った途端「かずおみ〜。」と、舌足らずに言いながら、駆け寄って来る姿は、充分に癒される可愛らしさだからだ。
その筈だったのだが……。阿多護神社社務所の玄関に現れたのは、昴一人であった。
「昴だけ? プリは?」
皆んなの疑問を代表して、紅葉が訊ねた。
「一緒にお出迎えしようとしていたんですけど、急に電話が入って……。」
電話が入る? 幼女に?
紅葉、和臣、渚ちゃんの頭に、クエスチョンマークが浮んだ時、奥からプリ様のお声が聞こえて来た。
「ちがうの! それは うり。…………うん、そうなの。ふんそうが おきゆの。いまが うりどき なの。その くにの こくさいは。えっ? そっちは きんりが あがゆの。いまの うちなの。かいは。」
皆んながリビングに入ると、ちょうど、プリ様も電話を終えられたところだった。
「プ、プリちゃん。何のお話だったの?」
相手先に、凄い勢いで指示を出していた、プリ様の迫力に押され、恐々と話し掛ける渚ちゃん。
「プリ様は、昨日まで、寝込んでいた奥様の、代行をなされていたのですが、神王院家傘下の企業から、確認の電話が来たのです。」
昴の説明に「うむ。」と頷くプリ様。
「何で、お前が代行しているんだ? 親父さんは如何したんだよ?」
「おとうたまも いそがしいの。」
和臣の質問に、プリ様は、ニコヤカに、お答えになった。
「忙しいって……。家業も手伝わずに……。」
更に質問を重ねそうな、和臣と紅葉の袖を、リリスが、ソッと、引っ張った。
「あの……ね。叔父様は手伝わない方が良いの。無能……いや、その、色々……ね? 美術館巡りをしたり、骨董市に行ったり、忙しいから……。」
使えないから、タッチさせて貰えないのか。三歳の娘の方が有能なんて……。二人は、目頭が熱くなるのを、禁じ得なかった。
「それにしてもプリ様、何て賢いんでしょう。ちょっとレクチャーを受けただけで、すぐに業務を引き継げるなんて。昴は、もう、プリ様の聡明さに息が詰まりそうです。ああっ、プリ様、プリ様、プリ様ー!」
発作が始まったか……。プリ様ラッシュを始めた昴を、紅葉と和臣は、冷ややかな目で見ていた。リリスは、渚ちゃんが居るので、意志の力を総動員して、プリ様に抱き付くのを我慢していた。
「プリ様ー。ホッペ柔らかいですー。スリスリー。」
昴が頬ずりを繰り返していると、再びプリ様のスマホが鳴った。
「あっ、おかあたま。……うん。そうなの。じんのういん はちぶしゅうは こうわんちくに てんかい したの。……うん、うん。そうなの。がいらいしゅの まものに そなえたの。」
どうやら、胡蝶蘭かららしかった。
「なんか凄いね、プリちゃん。出来るビジネスマンって感じだね。」
幼女だけどな……。
渚ちゃんの呟きに、残りの三人は複雑な表情になった。
「でも、確かに、凄いのよ。何時の間にか、漢字も読めるようになっているし、神王院家の魔物討伐の指揮なんて、伝説の光極天四天王、湖島玲にソックリだって……。」
言いながら、リリスは気が付いた。玲……、湖島玲? もしかして、ファレグは、湖島玲だったのでは?
そういえば、植物人間状態だった湖島玲は、新宿御苑事件の日に亡くなったと聞いた。死亡時間も、状況終了時と近かった筈だ。
忘れないように……と、リリスは手帳にメモをし出した。
「アンタ、何メモっているの?」
紅葉が、手帳を覗き込みながら、訊いた。そこには、箇条書きで、色々な質問事項が並んでいた。
「オクに会った時に、確認する尋問メモよ。どうせ、素直に話しはしないでしょうけど、態度で、ある程度の憶測は出来るわ。」
「そうか……。デートの約束してたんだっけ。楽しみね。」
その台詞に、リリスは目を剥いた。
「楽しいわけないでしょ。アイツとデートするくらいなら、蠱毒の壺に一ヶ月浸かっている方がマシよ。」
そんなに嫌なのか……。和臣は、あまりの気の毒さに、こうべを垂れた。
「ねえ……、リリス。デート……するの?」
そこに、渚ちゃんが、目をウルウルさせながら訊いてきた。
「あ、あらあら。さ、三歳児だから。子守みたいな感じかな。」
その言葉に、ホッと胸を撫で下ろす、渚ちゃんであった。