ちょっと、地球が割れて、生命が絶滅するだけだから。
トキの後ろを、ついて行きながら、リリスは、後悔百万年だった。
『オクの奴、何をしてくるかしら……。いきなり、殴り飛ばしたり、手足を切り取ったり、猟奇的なところがあるものね。』
だけど……。と、細かく震える手足を抑えながら、リリスは、勇気を奮い起こしていた。
『神々と、オクの争いに、私達は巻き込まれている。まして、プリちゃんが、オクの側だと思われているのは、看過出来ない。』
ゲキリンとトラノオの言い分を聞いていると、彼女達は神々に、相当、酷い目に遭わされているのが察せられた。その運命は下手をすると、プリ様にも降りかかって来かねないものなのだ。
『プリちゃんを守る。その為には、情報が欲しい。上手くいけば、援軍も……。』
神々と敵対関係になるのなら、オクとの共闘も、視野に入れなければならない。しかし、それもそんなに、すんなりいくとは思えなかった。下手をすると、三つ巴になる可能性もある。
『そうなった時は、刺し違えてでも……。』
そこまで考えて、リリスは、キュッと、唇を噛み締めた。
オク達は、肘爪熊達の集落の、割と近くに陣取っていた。林道を抜けると、少し開けた原っぱがあり、昼下がりの陽光を浴びながら、フルと二人、倒木の上に座っていた。
「あら? あらあらあら。りりすちゃん。」
オクは、リリスの姿を視認すると、そう言ってから、彼女を、ジッと、見詰めた。
『あああ。やっぱり、来なければ良かった。何か、ロクでもない事を考えているに、決まってる。』
後悔していたら、オクが立ち上がった。
『来る!? 何をするつもり?』
警戒するリリスに、オクは一直線に走り寄り、泣きながら抱き付いた。
「いっ、いしゅたるの やつが きているんでしょ? おかされ ちゃった? おかされ ちゃったよね? だって、いしゅたる だもん。りりすちゃんを みのがす はずが ないわ。」
「犯されてなんていません。」
「うそ。うそ、うそ、うそよ。わたしの りりすちゃんの ていそうが……。」
「誰が、貴女の、貞操ですか。」
こいつ、乱橋と同レベルか……。そう思うと、張り詰めていた気が、フッと緩んだ。
「オク様。この者は、イシュタルの企てを知りたくて、訪ねて参ったのです。」
トキに説明されると、オクは、リリスから、手を離した。
「あっ、そう? わたしを たよるんだ? ふーん。」
謎めいた微笑みを浮かべながら、リリスの周囲を回った。
「いっ、一方的に頼るんじゃないわ。貴女は、イシュタルと敵対しているんでしょ? 相互に……。」
そこまで言った時、オクがジャンプした。急に目の前に現れた、彼女の右手が飛んで来て、リリスは、頰を張られた。
「なまいきよ、りりすちゃん。かみで ある わたしと、とりひきを するつもり?」
「あ、貴女は魔王でしょ。」
「かみで あるか、まで あるか。そんなのは、どちらの じんえいに ぞくして いるかの ちがいでしか ないわ。」
居丈高に言い切られ、リリスは、反抗心剥き出しに、オクを睨んだ。
「イシュタルは、貴女を追って来た。加勢が欲しいのは、貴女の方じゃない?」
「ふふん。なぜ、りりすちゃんが、わたしの しんぱいを するの? そうじゃないでしょ。こころの どこかで、いしゅたるを しんよう できないのでしょう?」
図星を突かれて、リリスは怯んだ。
「だから しりたい。あいつが なにを しでかそうと しているのか。」
オクは、リリスの周囲を回りながら、話し続けた。
「貴女には分かるの? ゲートを開くと、何が出て来るのか。」
「ふっ、いしゅたるの やりくち など、てに とるように わかるわ。」
オクは不敵に笑った。
「わたしの かくじつな せんめつ。そのためには しゅだんを えらばない。げーと から やってくるのは この せかいの はめつよ。」
やっぱり、そうなのか……。絶望の二文字が、リリスの頭をよぎった。
イシュタルは、剥き出しになった水晶の柱に、近付いて行った。その後ろから、ピッケちゃんを肩に乗せたプリ様も、チョコチョコと、ついて行っていた。
「これ、まおうの おへや にも あったの。」
「これは、神の力の結晶じゃ。」
恐らく、饒速日命と長髄彦が、コツコツと、精製したのだろうな。と、イシュタルは水晶の柱を見上げた。
「なにに つかうの?」
「何にでも使えるぞ。今回は、ゲートを開くのに使う。」
その時、ピッケちゃんが「ぴっけ……ぴぃけけけぴぃぃぃ……ぴっ、ぴっ……。」と、声を発した。
「ぴっけちゃん、どしたの?」
「ぴぴぴ……、プ、プリ。プリ、聞こえるか? プリ。」
突然、ピッケちゃんが、長髄彦の声で、話し始めた。
「ながちゃん?」
「そこに、イシュタルは居るのか?」
「なんじゃ、長髄彦。何の用じゃ?」
不機嫌な声で、イシュタルが返事をした。
「ウルリクムミを、使うというのは、本当か? 何を考えておる? 何故、黙っていた。」
「己ら穏健派は、絶対、反対すると思ってな。」
なんか、不穏な話をしている! プリ様達は、聞き耳を立てた。
「当たり前じゃ。完全体のお前でも、あの化け物には、敵わなかったではないか。制御など……。」
「制御する必要などないのだ。この星ごと、魔王を滅ぼしてしまえば、良いのだからな。」
「考え直せ。当初の予定通り、あの男の肉叢を……。」
長髄彦が何かを言いかけた時「ぴっけ! うにゃ〜ん。」と、ピッケちゃんに戻ってしまった。時間切れであった。
「ど、どゆこと? かみさま。」
さすがのプリ様も、今の会話で、イシュタルが人類に対して、良からぬ事を企んでいる、というのは理解出来た。
しかし、イシュタルは、涼しい顔をして……。
「んっ? 大丈夫じゃぞ、シシク。この星は割れて、全ての生命は死滅するかもしれんが、なあに、全員ちゃんと、転生させてやるからな。」
ほとんど、死刑判決であった。
「ちょっとアンタ。転生出来れば良い、ってものじゃないでしょ。」
「……。不満か? 何が不満なのじゃ?」
本当に分からない。といった風情で、紅葉の抗議に、イシュタルは首を傾げた。
「肉体は、遅かれ、早かれ、滅びるのじゃ。それが、ほんのちょっと、早まるだけの事。神の為の殉死扱いで、今より、良い条件で、新しい生を始めさせてやるぞ?」
死生観が全く違う。皆んなは途方に暮れた。
「そうじゃの〜。この星の遍く全ての者に、次の生では、ハーレムを作らせてやろう。生まれてから、死ぬまで、酒池肉林じゃ。」
それが嬉しいのは、アンタだけだろ。皆が、突っ込んでやりたいのを我慢していると、トラノオが、スッと、前に出た。
「これで、分かっただろ。このロクデナシの本性が……。」
「何じゃ? トラノオ。妾を斬るか? さっき、ゲキリンに止められていたではないか。」
「事ここに至っては、話は別さ。ポ・カマム一人の命と、地球上全ての生き物の命を、秤には掛けられない。そうだろ? ゲキリン。」
言われたゲキリンは、難しい顔をして、頷いた。
「って、事さ。安心してよ。苦しむ暇も無く、アンタは天界に帰っているから。」
トラノオが、ジリッと、イシュタルに迫った。その時……。
「やめゆの、とらのお。こぐまたんを こよしちゃ だめなの。」
プリ様が立ち塞がった。
「おう、シシク。お前は、良く、分かっておるようじゃの。約束するぞ。皆に贅沢三昧の来世を……。」
「それも だめなの、かみさま。」
プリ様は、イシュタルの方に、向き直った。
「いま、みんな、いっしょなの。それが だいじなの。いっしょに あそぶの。いっしょに たべゆの。かわりは ないの。」
「…………。何じゃ?」
語彙が少なく、舌足らずの、プリ様のお言葉は、イシュタルには、今一つ、理解出来なかった。
「縁あって、皆んなが、この世界に集っている。この絆は、今だけのもの。この時を、この刹那を、共に過ごす一瞬が、かけがえのない命の証。それを奪って良い筈がない。プリ様は、そう、おっしゃりたいのです。」
昴の解説に『物凄い超訳だな。』と、その場に居る全員が、感心していた。