誰かに相談出来れば。
「遊んでいる暇は、無いのではないか? そんなに長く、憑依はしておられまい。」
紅葉と、さあ始めるぞ、という寸前で止められて、ブンむくれているイシュタルに、ゲキリンが、冷静に、告げた。
「そうは言っても、せっかく、久しぶりに肉体を得たのに……。」
「移動は、我の空間転移能力で、行なっている。戯れてばかりいるなら、力も貸さんぞ。」
ブツブツと不満を言うイシュタルに、ゲキリンは、更に、追い討ちをかけた。
イシュタルは、草深い山々を見渡し、深い溜息を吐いた。
「分かった。この、か弱そうな神獣の肉体で、こんな山中を歩き回るのは、ごめんじゃ。疲労などという、恐ろしいものとは、縁遠くありたい。」
二人の会話を聞いていた胡蝶蘭は『神様、性行為も、十分、疲れますわ。』と思っていたが、口には出さなかった。
「では、転移しよう。イシュタル、場所を教えてくれ。」
「ふん、やけに協力的だな。そんなに、妾が呼び出す者を、知りたいのか。」
「そうだよ。場合によっては、斬るつもりだからね。」
ゲキリンに代わって、トラノオが答えた。
「きっちゃ だめなの、とらのお。ながちゃん から たのまれたの。」
「だけどね、プリ。こいつの呼び出すモノが、良いモノとは限らないんだよ。」
「そんな こと ないの。ねー、かみさま。」
プリ様に顔を覗き込まれたイシュタルは、慌てて目を逸らした。
「かみさま?」
純粋無垢な目で見詰められ、汗をダラダラと流すイシュタル。
『怪し過ぎるわ……。』
リリスは、そんなイシュタルの様子に、疑惑の眼差しを向けていた。犯されそうになった所為か、今一つ、彼女を信用出来ないのだ。
『どうしよう……。私達の、手に負えないモノを、呼び出されたら……。』
神々の意向など、あまりにも未知数だ。
『軽率だったかもしれない……。』
プリ様から聞いていた、長髄彦のイメージから、彼を信じ、安易に、その頼みを請け負ってしまった。だが、そのエージェントがイシュタルとなると、途端に胡散臭く思えて来たのだ。
『はあ〜。誰かに相談出来れば……。』
しかし、神様の事なんて誰に……。
その時、頭に、ポンっと、オクの顔が浮かんだ。
『いやいやいや。あり得ないでしょ。どんなに追い詰められても、アイツだけは……。』
オクとイシュタル、究極の選択だわ。と、リリスは思った。
そのリリスを、ジッと、見ている者が居た。トキだ。彼女は、広場の、肘爪熊達や、プリ様パーティの皆が集まっている、只中に立っていながら、誰にも、その存在を見咎められたりは、していなかった。
彼女の在る次元が違うのだ。さしものプリ様でも、感知出来なかったが、そもそも、イシュタルやオクでさえ、彼女に忍ばれると、知覚不能なのだから、仕方がないといえた。
『あれが、最近、オク様が御執心の娘か……。』
トキの口元が緩んだ。
『分かるぞ。お前が、何を、考えているか。手に取るようにな……。』
トキは、皆の輪から離れて、少し後方に居るリリスの前に、スッと、姿を現した。
「な、何者?!」
仰天したリリスは、思わず二、三歩退いた。
「リリス、どうしたの?」
リリスの叫びを聞いた紅葉が、後ろを振り返った。
「コイツが、いきなり、出現して……。」
「コイツ? 誰?」
「? 見えないの? コイツよ。」
しかし、紅葉は、首を捻るばかりだった。
『私の姿は、お前にしか見えぬ……。』
「誰なの? 貴女。」
『私と来るか? お前の、会いたがっていた方に、会わせてやろう……。』
「会いたがっている……? 貴女、オクの仲間ね?」
『やはり! オク様に、会いたがっておったか。』
「い、いや、会いたがってなんていない。」
リリスは、顔を真っ赤にし、全力で否定した。
「りりすぅ。しゅっぱつ すゆのー。」
自分を呼ぶ、プリ様の可愛いお声に、反射的に、顔を向けるリリス。
『イシュタルと、行って良いのか……。彼奴の企み、知りとうはないか?』
「…………。」
『それとも怖いか? オク様が。』
「……、怖いわよ。アイツが怖くない奴なんて、居るの?」
リリスの返事に、トキは、ほうっと、感心した。狭量な小娘の自尊心を煽って、オクの元へ、連れて行こうとしていたのだ。だが、リリスは、己の力量をわきまえ、敵の実力も認める、謙虚さを持ち合わせていた。
『なるほど……。オク様が、気に入るわけだ。』
「何?」
『いや、何でもない。では、行かぬか?』
トキが重ねて問うた時「りりすぅー。」と、また、プリ様の呼び声がした。
「ごめんなさい、プリちゃん。私は、後で行くわ。」
「りりす?」
「用事を思い出したの。後から、必ず、行くから。」
そう言われて、皆んなは、首を傾げながらも、瞬間移動して行った。
「私と来るか? 肝が座っているな。」
「……。怖いわ。怖いわよ。」
震える声を押し出して、リリスは言った。
「でも、何も分からないのは、もっと怖い。」
トキは、口の端を少し緩め、リリスに、ついて来るよう促した。
「あの娘は、何故、一緒に来ないのだ?」
イシュタルが、心底、残念そうに呟いた。
『アンタが居るからじゃないの?』
『かみさまが いゆから なの。』
『貴女が居るからだよ。』
紅葉、プリ様、和臣は、ほぼ同時に、同じ事を考えていたが「着いたぞ。」という、ゲキリンの声に、現実に引き戻された。
「ぴっけぇー。うにゃにゃーん。」
到着地点を一目見て、ピッケちゃんが、はしゃいで、駆け出した。
「こ、ここは……。」
プリ様も、感慨深げに言った。
「プリちゃまー。此処、知っているの?」
「そうなの。ここは……。」
「あっー、此処、私知ってますぅ。」
重々しく語り始めたプリ様を遮って、昴が高い声を上げた。
「此処は、プリ様が、私を救う為に、邪神と戦った所なんですぅ。プリ様ったら、私が目覚めた途端『すばゆぅ。』って、私の名前を呼んで、泣きながら抱き付いて来たんですよね。もうっ、プリ様ったら、甘えん坊さんなんですから。だから、私も、思いっ切り、プリ様を抱き締めて上げて……。」
「だまゆの、すばゆ。」
「あら、プリ様。照れているんですか? そんなとこもカワユイです。プリ様、プリ様ぁ。」
「だ・ま・ゆ・の。」
いくら凄んでも、暖簾に腕押しである。昴は「カワユイ、カワユイ、プリ様ー。」と叫びながら、頬ずりをし、鼻の頭を舐め、何時もの様に、やりたい放題であった。
そう、此処は、饒速日命が、邪神に囚われていた場所だ。あの時は、そんな余裕も無く、あまり気にも止めていなかったが、奥には、お寺の本堂に似た建物があったのだ。
「さっそく たんけん すゆのー!」
「うっにゃーん!」
建物に向かった、プリ様とピッケちゃんを、イシュタルが焦って呼び止めた。
「ば、ば、馬鹿者。迂闊に飛び込んではいかん。」
「なんで? かみさま。」
「下がっておれ。」
イシュタルに言われ、プリ様とピッケちゃんは、渋々、後ろに下がった。
「妾の右手よ、左手よ。生まれし時より握り締める、二つの戦鎚よ。妾の手へ!」
イシュタルが、両手を上げて、そう叫ぶと、彼女の両手に、輝く二つの戦鎚が出現した。
『何かしら? あの武器は。物凄い霊圧を感じる……。』
胡蝶蘭は思い至った。これが神器?!
確かに、プリ様の持つ三つの神器、ミョルニル、ヤールングレイプル、メギンギョルズからも、通常の武具からは、想像も出来ない程の霊気の放出を、感知する事はあった。
しかし、分霊の憑依体とはいえ、神が手にした時の神器は、なんと恐ろしい凄みなのか。この世界全て、空間さえも引き裂きかねない、凶暴な力そのものであった。
その圧倒的存在感は、胡蝶蘭のみならず、プリ様パーティの面々も、受け取っていた。能力が強ければ、強い程、その絶望的な実力の差が、分かるのだ。
「ふふっ。見直したか? 気付いたか? 妾の神性の崇高さに。」
大人しくなった皆を、イシュタルは、満足気に見回した。それから、おもむろに、二つの戦鎚を、お堂に向けた。
ただ、それだけで、お堂は跡形も無く消え去り、その場所には、二メートルくらいの、水晶の柱が三本、天に向かって突き出していた。




