私が癒して上げなきゃいけなかったのに……
皆んなが目を開けると……。
そこは、空蝉山を間近に望む、奥多摩の山中であった。
「凄い。本当に、一瞬で移動してますね。どうやったんです? ゲキリンちゃん。」
普段、何も考えてなさそうな藤裏葉までが、目を丸くして、ゲキリンに訊ねていた。
「この空間とは違う、並行世界とも言える擬似空間を、まず作るのだ。しかるのち、その十次元的座標を、この地点と重ね合わせ、擬似空間を解除する事によって、移動完了だ。」
なるほど。さっぱり分からん。
全員が、ゲキリンの解説に首を捻った。
「君も、似たような技が、使えるじゃない? あの結界と結界を繋ぐ……。」
口を挟んだトラノオの頭を、ゲキリンが、思いっ切り引っ叩いた。
「誰と勘違いしているのだ。全く困った奴だ。」
そう言うゲキリンの顔を、トラノオは恨めしげに睨んでいた。
プリ様達は、それ以上、二人の会話を深く考えはしなかったが、一人リリスだけは、何か引っかかっていた。
『結界と結界を繋ぐ……。前世で、似た様な能力の持ち主がいたわ……。』
リリスが考えていると、昴が、ゲキリンとトラノオを両脇に、くっ付けたまま、プリ様に抱き付いた。
「プリ様ぁ。三十二秒ぶりの抱擁ですぅ。」
三十二秒間、抱擁出来なかったのが、よほど辛かったのか、ムギュッ〜と、全力で抱き付いていた。
それを見た藤裏葉までが「あっ〜。スバルンずるいぃぃぃ。」と非難しながら、プリ様の後頭部にオッパイを押し付けた。
「!」
二人が、プリ様に引っ付いているのを、目の当たりにして、リリスの回路がショートした。
「何やっているの、二人とも。」
と言いつつ、プリ様を取り上げようとするリリス。
思い出しかけていた前世の記憶は、完全に、どこかに飛んでいた。
「はい、プリちゃんは、お母様と手を繋ごうね。」
昴、リリス、藤裏葉の、激しい取り合いを見た胡蝶蘭は、このままではプリちゃんが壊されてしまう、と危惧して、プリ様の手を取った。
母親の介入に、三人は、渋々、矛を収めた。
「で? こっから、どうするの?」
紅葉が、周りを見回しながら言った。本当に草深い山奥だ。近くに川が流れているらしく、水音が聞こえていた。
「この ちかくに あかひじつめくま……『き・いむんかむ』が いゆの。あうの。」
「成る程。熊みたいな神獣をさがすのね?」
「そうなの。」
皆に説明しながら、プリ様は、懐かしさで、胸が押し潰されそうになっていた。ここは、玲と二人で、肘爪熊達と対峙した所だ。あの時、玲は、あんなに元気だったのに……。
「プ、プリ様! どうしたんですか?」
ポロリと涙を落とすプリ様を見て、昴が、驚きに、声を上げた。
「なんでも ないの。」
「何でも無くないですよ。泣いてるじゃありませんか。」
「なんでも ないのー。」
「ほらほら、昴が拭いて上げます。泣かないで、プリ様ぁ。」
「もぉぉ。うゆさいの、すばゆは〜。」
そう言いながらも、大人しく顔を拭かれているプリ様。皆は、それとなく察して、プリ様のお心が静まるのを待っていた。
暫くしてから、歩き始めた。
「すばゆ〜。つかれない?」
「まあ、プリ様ったら。昴の事を、気遣って下さるんですね。大丈夫ですよ、タラリアを履いてますから。ああっ、それにしても、なんと、お優しい……。」
感激した昴が、性懲りも無く、プリ様に抱き付き、それを見たリリスと藤裏葉が……。
「はいはい。三人とも、いい加減にしなさーい。ちっとも前に進めないじゃない。」
胡蝶蘭に怒られて、三人は、また、大人しく離れた。
その様子を見ていた紅葉が、和臣の袖を引いた。
「ねえ、いつの間にか、裏葉の奴まで、プリハーレムに入会してない?」
「ん? 裏葉さんは、単に、小さくて可愛いから、プリを抱き締めたいだけだろ。」
ならば、昴とリリスは、本気でプリ様ラブなのかと問われれば、本気なのだから、困ったものである。
『そう言えば、前世でも居たなあ。エロイーズとクレオの陰で、トールが好きなくせに、言い出せなかった女の子……。』
和臣の胸に、前世の初恋が破れた時の痛みが、チクッと蘇った。
「まあ、裏葉の肉体を狙っているアンタとしては、プリに夢中などと、認めたくないわけね。」
「人聞きの悪い事を言うな。」
胡乱な発言をする紅葉に言い返すと、彼女が、奇妙な目で、自分を凝視しているのに気が付いた。
「な、なんだよ?」
紅葉は、黙って近付いて、和臣の匂いを嗅いだ。
「だから、なんなんだよ。」
「ど、どうして? どうして、アンタから、渚ちゃんの乳臭い匂いがするの?」
犬か、コイツは。異常な嗅覚を発揮する紅葉に、和臣は呆れた。
「昨日、あいつが、俺のベッドに潜り込んで来たんだよ。」
「い、妹と同衾……。」
「おかしな言い方をするな。」
昨日の夜、前世の事以外の全てを話してしまった後、渚ちゃんは、すっかり大人しくなっていた。
やれやれ、面倒くさくならなくて良かったと、安心した和臣は、今日に備えて、早めに就寝した。が……。
渚ちゃんが、枕を抱えて、部屋に入って来たのだ。
「お兄ちゃんと一緒に寝る。」
「いや、子供じゃないんだから……。」
「寝る!」
渚ちゃんは、強引にベッドに上がり込んで来た。
和臣は、妹のこういうところが、嫌いだった。父に対しても、母に対しても、そして自分にも、最終的には、相手が折れるのを見越した上で、我儘を言うのだ。
あーもう、煩わしいな。プロレス技でもかけて、少し痛め付けてから追い出してやろうか、と考えていると、ベッドの上で、ペタンと女の子座りをしていた渚ちゃんが、和臣のパジャマの胸元を掴んで、泣き始めた。
「どうしたんだよ、お前。」
「だっでぇぇぇ。お兄ちゃん、可哀想。」
地味にショックな発言だった。コイツに同情される程、俺は落ちぶれちゃいない。と、和臣は自分に言い聞かせた。
「夏休み、入院したのも、戦ったせいなんでしょ?」
「あっ、ああ。まあ、そうだな。」
「ごめんねえ。ごめんねえ。」
「なんで、謝るんだよ。」
「気付いて上げられなかったもん。家族なのに、兄妹なのに、お兄ちゃんが辛い思いをしているのにぃぃぃ。」
自分の胸元に顔を埋め、幼い頃みたいに泣きじゃくる妹が、不意に愛おしく感じられた和臣は、そっと渚ちゃんの背中に手を回し、抱き寄せ……。
たら、急に顔を上げて来た。和臣は、渚ちゃんの頭で、顎を打った。
「セクハラ!」
「はあああ?」
「いい? 私達は兄妹ですからね。夜中に発情して、変な事したら、紅葉ちゃんに言い付けるからね。」
「なら、出て行けよ。」
「やだ。今日は、可哀想な、お兄ちゃんを慰めるって、決めたんだもん。」
なんだ? この理解不能の生き物は。
どうしてやろうかと、和臣が考えていると、その隙に、渚ちゃんは、枕を置いて、コロンと横になった。テコでも動かない姿勢であった。
仕方なく、灯を消して、和臣も横になった。せめてもの抵抗の意思表示として、渚ちゃんに背中を向けた。
「お兄ちゃん、眠った?」
「…………。」
「私、紅葉ちゃんに、お礼を言わなきゃね。」
「……、何でだよ。」
「お兄ちゃんの面倒を見てくれて、ありがとうって……。紅葉ちゃんが居たから、お兄ちゃんも、癒されていたんでしょ?」
はあああ? そりゃ、逆だ。
抗議してやろうと、和臣は、グルンと寝返りをうち、渚ちゃんの方に、向き直った。すると、すぐそばに、クシャクシャな渚ちゃんの泣き顔が……。
「ごめんねえ。ごめんねえ。本当は、私が癒して上げなきゃいけなかったのにねえ、お兄ちゃんの事……。」
渚ちゃんは、和臣の胸に顔を埋めて、再び泣き始めた。その小さくて、愛らしい頭を、ソッと撫でてやると……。
「セクハラ!」
「何がだよ。」
「いい? いくら私が魅力的でも、私達は兄妹なんですからね。」
もしかして、この遣り取り、一晩中繰り返されるのか?
ウンザリとする和臣。
「いや、お前、本当に出てけ。」
「なんでよ。明日の任務に震えるお兄ちゃんを、可愛い妹の私が、癒して上げると言っているのに。」
どうして、そんな上から目線なんだ。
「ほら、お兄ちゃん。おいで……。」
窓から射し込む月明かりの中、半身を起こして、聖母の如く、両手を広げる渚ちゃん。
「行ったら、また、セクハラと言うつもりだろ。」
「バカだなあ。」
兄に対してバカとはなんだ、と思っていたら、渚ちゃんは、腰を少し浮かして、和臣の頭を、胸に押し付ける様に、両手で包み込んだ。
「ささやかな胸だな。膨らみが全然感じられない。」
「……うるさい。寝ろ。」
それでも、渚ちゃんの身体は、暖かで柔らかで。安心して、グッスリ眠れてしまったのは、和臣的には、一生の不覚だった。
目覚めた時「良い睡眠が取れたみたいだね、お兄ちゃん。」と、ドヤ顔で言って来た妹の顔を思い出すと、今でも腹が立つ。
という経緯を語ると、紅葉は、羨ましさのあまり、悶絶していた。