食べられないけど美味しそうなお肉
藤裏葉が、異世界への扉を閉めようとした時、一匹の黒い子猫が、猛スピードで近付いて来た。
「あっ、ダメよ。猫ちゃん!」
彼女の制止も間に合わず、猫はスルリと異空間に入り込み、そのまま扉は閉まった。
「私、忘れていたんです……。」
異世界の森では、若い魔族の女性が、泣きながら呟いていた。
「なんで。なんで、私だけ、前世の姿に戻るんですかぁ。」
今や、エロイーズとなった昴が、仲間達に訴えかけていたのだ。
「仕方ないでしょ。あんたは、神の祝福を受けてないんだから。」
「それなら、リリス様だって。」
「あらあら、私はドラゴンナイトだもの。特別製なのよ。」
なんだか、ちょっと自慢気だ。
「それより、お前……。」
和臣が、歩く度にプルプル揺れる白い乳房から、目を逸らしながら言った。
「そうなんですぅ。どうして、衣装も、このエッチな奴隷装束に戻っているんですかぁ。」
「知らないわよ。きっと、前世で死んだ時の服装になるんじゃないの?」
そう言って、紅葉は気が付いた。
「あれ? あんたは、私達が死んだ後、暴君エロイーズとして、恐怖の支配をしたのよね?」
「えっ? ええ……。」
「その格好で?」
「えっ……。」
どう見ても、奴隷という姿形だ。
「だ、だから……裸の王様だったのです。」
もう、意味がわかんねえよ。と、和臣は心中で突っ込んでいた。
「ところで、プリちゃん。随分、大人しいわね?」
プリ様は、左手を昴、右手をリリスに、繋いでもらいながら歩いていたが、時々、チラッと昴の方を見るだけで、会話に参加して来なかった。
「あっ、わかっちゃった。プリ様、昴のお胸に抱き付きたいんですね?」
「ちがうの。」
「またまた。知ってますよ。プリ様が、大きなお胸が、大好きな事くらい。」
「…………。」
「ほらほら。わーいって言って、抱き付いて良いんですよ?」
「わーい!」
プリ様は、即座に、腰を屈めていた昴の胸に、顔を埋めた。
『オッパイに負けた。五秒で負けた。』(和臣、紅葉、リリス)
エロイーズの豊満な胸にパフパフしているプリ様を、震えながら見ていたリリスは、突然、ブラウスの前をはだけて、プリ様の後頭部に押し付けた。
「あっ、何をしているんですか、リリス様ぁ。」
「プリちゃんは、お姉ちゃんのお胸の方が、好きなんだもんねー。」
「もががが、もがぁ。」
オッパイの海に溺れるプリ様。時ならぬ、オッパイカーニバルだ。
その様子を見ながら、和臣は、静かに鼻血を垂らしていた。
「何、興奮してるのよ。プリが羨ましいの? 和臣。」
「別に、俺は……。」
「私は羨ましい。私も二人のオッパイに挟まれたい。」(きっぱり)
爽やかに言い切る紅葉に、突っ込んだ方が良いのだろうか、と和臣は頭を抱えた。
魔界の森は、鬱蒼としていた。地表はシダ植物に覆われており、歩きにくい事、この上ない。大きな樹木も、裸子植物ばかりだ。
「前世では、何とも思わなかったが、恐竜時代は、こんな世界だったのだろうな……。」
和臣の独り言に、残りの皆は、顔を見合わせた。
「ふふふ、不吉な事言わないでよ、和臣。」
「何だよ? 恐竜なんか、出るわけないだ……ろ……。」
自分の言葉が終わらない内に、彼は目撃した。全長二メートルはあろうかという大トカゲが、群れをなして、迫って来ているのを……。
「コ、コドモ……。」
「コモドオオトカゲって言いたいの? 違うわよ。あれは、前世の魔国領によくいた、人喰いトカゲよー。」
和臣に紅葉が突っ込むのと同時に、トカゲ達が突進して来た。完全に後手に回ってしまったプリ様パーティ。
「わたちが くいとめゆの。みんな、にげゆの!」
プリ様カッコいい。男前のプリ様の台詞に、思わずポゥッとなる昴。
「何やってんのよ。こっち来なさい。」
紅葉に手を引かれて、辛うじて、昴は、トカゲの群れに押し潰されるのを回避した。
「あああ、ありがとうございます。紅葉さん。」
「とにかく、態勢を立て直さないと……。」
しかし、皆、各々にトカゲの相手をしながら、段々、散り散りになっていった。
「ぷりぷりきゅーてぃ ぜぶらさんだー!」
プリ様が、右手の人差し指を天高く突き出し、必殺プリプリキューティゼブラサンダーで、トカゲの群れを全滅させた時、周りには、もう、誰も残っていなかった。
『おいしそうなの……。』
プリ様は、しゃがみ込んで、プスプスと焼けているトカゲの肉を突いた。
『でも、たべられないの。しってゆの。』
魔界の動物は、大抵、体内に毒を持っており、人喰いトカゲも、例外ではなかった。だから、魔国領に入ると、食糧調達が、非常に難しくなるのだ。
これが、前世で、人間が魔国を攻めあぐんでいた一因であった。
食べられないけど美味しそうなお肉を後にして、プリ様は「さて、みんなを さがしに いくの。」と言いながら、裸子植物の森の中を歩いて行った。
完全に、はぐれてしまったな。と、和臣は辺りを見回した。
油断せず、慎重に歩を進めて行くと、この場に似つかわしくない、機械音が聞こえて来た。そこには、リリスの発射させた、結界ミサイルが突き刺さっていた。
通常、異世界化された場所に入ると、現世の物も、異世界の物に置き換わってしまう。このミサイルは、周囲に結界を張り巡らせ、そこだけを強制的に現世にする事で、自らも、ミサイルのままでいられるのだ。
『とは言っても、ミサイル内のお札に溜め込まれた霊力が続くまでだ。タイムリミットがあるのには、変わりない。』
ミサイルを横目に、更に奥に行こうと、和臣が歩き出した時、急に強烈な風が吹いた。
思わず両腕で顔を隠すと、腕の隙間から、人の姿が見えた。
こんな所に人がいるわけない。すると、英明の様に、迷い込んだ人間が、魔物と化したのか……。
用心深く、一歩後ろに飛び退いてから、腕をどかすと、目の前に、美しい女がいた。年の頃は、十七、八……。
一瞬、服が透けて見えているのかと、ちょっと胸を高鳴らせた思春期の和臣君だったが、そうではなかった。
この女、身体全体が、なんだか透けて見えるのだ……。
女は和臣が目に入らないかの如く、彼の前を通り過ぎ、結界ミサイルの前に立った。そして、手刀の形にした右腕を上げ……。
壊す気か!? 咄嗟に判断した和臣は、素早くアシナブレスレットを、魔法の杖に変えた。
「肝臓を啄ばむ炎!」
六つの火の玉が女に迫る。その時、女の形が崩れ、一陣の風が「肝臓を啄ばむ炎」を弾き飛ばした。
「私は戦場を吹き抜ける風。ウルスラグナ。」
「な……んだと……。」
風そのものが、敵の本体なのか!
理解した途端、和臣を敵と認識したウルスラグナは、彼に向かって猛烈に吹き荒れた。
堪らず、吹き飛ばされる和臣。地面に叩きつけられ、うつ伏せに横たわる彼の視界に、再び、人の形をとったウルスラグナの足元が見えた。
一方、昴は、紅葉に連れられて、トカゲの群れから、逃れていた。
「プーリーさーまー!!!」
こんな事になるのではないかと、危惧していた紅葉は、面倒くさいなあ、と思っていた。
「プリ様が、プリ様がいない。プリ様とはぐれちゃった。どうしよう。プリ様、プリ様ぁぁぁ。」
凄い取り乱しようだ。
「あんた、ちょっと落ち着きなさいよ。」
「どうして、紅葉さんは、そんなに落ち着いていられるんですか? お小さいプリ様が一人になって、今、どれだけ心細い思いをしているか……。」
一人で、奥多摩の奥の奥。空蝉山まで、ノコノコと行くような奴が、心細いわけないだろ。
と、紅葉は、胸の内で、突っ込んでいた。
「まあ、人の心配より、自分の心配をしなさいよ。」
「…………。そ、それ、どういう意味です?」
「忘れているようだけど、私は『アイラ』でもあるのよ。」
「…………。ままま、まさか。」
「その、まさかよ。」
ドサッと、紅葉は昴を押し倒した。
「ややや、止めて下さい。紅葉さん。私、まだ、十歳なんですよ。児童福祉法違反です。」
「ふふふ。誰も居ない、異世界の密林。女二人。何も起きない筈はなく……。」
「起きません。起きないんです。女同士は。」
危うし、昴。
「ちっ。なんか、特大級の邪魔者が現れたわね……。」
舌打ちしながら、紅葉は起き上がり、昴を庇うように立ち塞がった。
「出て来なさいよ。」
前方の大木に声をかけると、下半身が白馬になっている女が、木の陰から姿を見せた。
「私は戦場を駆け抜ける白馬。ウルスラグナ。」
そう言った次の瞬間、女の姿が消えた。いや、消えたのではなく、目にも止まらぬ速さで、突進して来ていたのだ。
紅葉は跳ね飛ばされ、地面に転がった。
「きゃあああ。紅葉さん!」
叫ぶ昴に、目を向けるウルスラグナ。
紅葉の魔の手が中断しても、昴のピンチは続行中であった。