ピカピカと光る勲章
「英明様〜。そっち、逆方向ですよ。」
車を降りて、歩き始めた英明の腕を、藤裏葉が引っ張った。
「お前は、俺が何処に行こうとしているか、知っているのか?」
「ホテル街でしょ? あっちの方ですよ。」
「何故、お前とホテル街に行かねばならないのだ。」
だあ〜って。と、彼女は、はにかんだ。
「こんなに可愛くて、肌丸出しの女の子を手に入れたバカ坊ちゃんが、考える事といったら、エッチしかないでしょ。」
「エッチな事などせん。というか、お前、今サラッと、俺を『バカ坊ちゃん』と言ったな?」
英明の反論には聞く耳持たず、藤裏葉は胸に手を当てて俯いた。
「私だって辛いんです。初体験を、主家のドラ息子に奪われるなんて……。でも、仕方ありません。美柱庵家にお仕えする者の運命なのですから……。」
「人聞きの悪い話をするな。どんな家だ。美柱庵家は。」
そこまで言って、英明はハタと気が付いた。
「初体験って……?! お前、処女なのか?」
ビッチのくせに。と、言いかけて、慌てて口を噤んだ。
「あああ。処女かどうかを、ネチっこく問い質すなんて。さすが、英明様。その責めだけで、いかされそうです。」
勝手に何処へでも行け。
埒があかないと見た英明は、一人でスタスタと歩き始めた。
「だからー、そっちは……。」
「俺が行こうとしているのは新宿御苑だ。」
藤裏葉が、胡乱な事を言い出す前に、英明は、先回りをして、答えた。
「どうして、御苑なんです?」
「考えてもみろ。これだけ人が多い新宿で、立ち入れない場所が出来れば、必ず騒ぎになる。マスコミも報道するだろう。」
「ふむふむ。そうスッね。」
「だが、報道どころか、未だに美柱庵の捜査網にも引っかかって来ない。」
「優秀な私が、子守をさせられている所為ですね。」
減らず口を叩く藤裏葉を、英明はちょっと睨んだが、無視して説明を続けた。
「この一角で、人が近寄らない所。それは、デング熱騒動で立ち入り禁止になっている新宿御苑だ。誰も行かないから、騒ぎにもならないんだ。」
そう言っている間に、新宿御苑に辿り着いた。
「ビンゴみたいですね。バカ坊ちゃんにしては鋭いです。」
一目見て、藤裏葉が、緊張した声を出した。
「早速、大将達に連絡を取ります。」
「待て、藤裏葉。俺が、何故、お供にお前をチョイスしたと思う?」
そう言われて、彼女はキョトンとした顔になったが、やがて、チューブトップを、少しずり下げながら答えた。
「この柔らかいオッパイに目が眩んで……。」
「美柱庵一の結界師だからだ。」
プルンと揺れる乳房から、目を逸らしつつ、英明は言った。
「頼む、藤裏葉。異世界となっている閉鎖空間に、穴を開けてくれ。銀座線の時も、お前が、あいつを、中に入れてやったのだろう?」
「ええっー。やですよ。二人で入るなんて、無謀過ぎます。応援が来てからにしましょうよ。」
「頼む。中には入らん。ただ、異世界とやらを、この目で見ておきたいのだ。」
両手を持って、かき口説いても、藤裏葉は渋い顔で、空を見上げるだけだった。それでも「頼む。頼む。」と詰め寄られ、とうとう、彼女も根負けした。
「見るだけですよ。入っちゃいけませんよ。」
くどい程念を押すと、意識の集中を始めた。
藤裏葉が、十代という若さで、十本槍の一員になれたのは、この類い稀なる、結界操作能力のお陰であった。花火大会の時も、彼女が居れば、客船フライングバードに張られた結界を、何とか出来た筈なのだ。
やがて、藤裏葉がかざした両手の先で、空間が少しづつ開き始め、中の異世界が見えて来た。
「も、もう良いですね? もう……限界……。」
充分大きく開いた時、藤裏葉は確認して来た。異世界への扉を開けるのは、彼女の能力をもってしても、数分が限度なのだ。
「ああ、充分だ。ごくろう、藤裏葉。」
英明は、七支聖剣をギュッと握り、異世界へと飛び込んだ。
「あっ、だめ……。」
止めようとした藤裏葉は、体力が尽き、扉を閉じてしまった。
英明は、一人、異世界に侵入して行った。
御三家聴聞委員会は、先程までの緊迫した雰囲気と打って変わって、和やかな空気に包まれていた。
叙勲されたのは、リリスだけにとどまらず、プリ様と昴もであった。幼女神聖同盟の異世界侵略を、二度も跳ね返した功績が認められたのだ。まあ、御三家から、それぞれ叙勲者を出して、バランスを取ろうとする思惑もあったのだが……。
プリ様は、ピカピカと光る勲章を胸に付け、自慢気に胡蝶蘭に見せた。
「偉いわー、プリちゃん。お母様、誇らしい。」
胡蝶蘭は、予想外の栄誉に与りオロオロしている昴と、プリ様を一緒に、腕の中に包み込んだ。
もっとも、二人には、役職だの、報酬だのは無い。将来的に、ここまでの地位を保証しますよ、という約束手形みたいなものだ。
一方、実質的に、プリ様パーティを、御三家の枠組みの中で、機能させているリリスには、組織内での地位や、権限や、報酬が決められていた。これで、少なくとも、人権を剥奪するなどという仕打ちを受ける心配は無くなったのだ。
「りりす、よかったの。」
トテトテと駆け寄り、自分のブラウスの裾を引っ張りながら、ニコニコとお祝いを述べるプリ様の愛らしさに、辛抱堪らなくなったリリスは、頬ずりをし、キスをして……。
「だめですぅ。プリ様ラッシュは、昴だけしか、しちゃダメなんですぅ。」
「あらあら、私は、プリちゃんにお礼をしているだけよ?」
奪い返しに来た昴を、煙に巻こうとするリリス。プリ様の頭上で、女の闘いが始まっていた。
「『龍騎士』就任おめでとう、天莉凜翠。」
突然、朝顔の鋭い声が響き、リリスの顔が、一気に強張った。
「唯一無二。将来に渡っても、貴女だけしか成り得ない役職ですね。」
「お、お母様……。」
返上させられるかもしれない。と、リリスは思った。さっきまでの誇らしい気持ちが、いっぺんに萎んでいった。
しかし、唐突に現れた朝顔は、それ以上は何も言わず、暫く、黙ってリリスを見詰めていた。
「新宿に異世界が出現したわ。」
ポツリと朝顔が言い、プリ様達の表情も引き締まった。
「私の推測では、恐らく、新宿御苑……。」
先程の英明の解析は、出がけに朝顔から授けられたものだった。
「わかりました、お義姉様。すぐに現場に急行します。昴ちゃん、和臣君と、紅葉ちゃんに、連絡を取って。」
プリ様や、議場に居た人達は、皆、慌ただしく出て行き、その場には、リリスと朝顔親娘だけになった。
「お母様、私も行って来ます。」
「…………。先に、英明が向かっています。恐らく、中に入ったでしょう……。」
その発言は衝撃的だった。中に入れば、存在を魔物と置き換えられる。朝顔くらいの地位になれば、当然、開示されている筈の情報だ。
「どうして? お母様。中に入るのが分かっていながら、英明さんを行かせたのですか?」
「無論です。藤裏葉を連れて行きましたからね。」
何故……? と、問い掛けるリリスから、朝顔は視線を外した。
「『龍騎士』などと言っても、貴女の存在に疑問を持つ人は、まだ御三家内に大勢います。特に、英明は、貴女を絶対に受け入れはしないでしょう。」
語り出した母親の胸の内を測りかねて、リリスは当惑した目付きになった。
「私は、私を力ずくで犯した龍を、決して許しはしない。しかし、貴女をこの世界に生み出さなければならない、と言った彼の心情は理解しています。」
私を……生み出さなければならなかった? リリスの頭が、疑問符で埋まった。
「貴女は前世でも、龍と人間のハーフだったのでしょう?」
「は、はい。」
「神に近い、特別な魂は、普通の人間の肉体には、宿せないと言っていたわ。」
龍は、この世界に潜む魔王の野望を阻止する為に、神の尖兵が必要なのだ、と朝顔に語ったらしい。
「魔王?」
「ちょっと考えれば、分かるでしょう? 光極天雛菊、今はオクか……。彼女は、魔王の魂を持つ者。」
「!」
朝顔は、ここで、娘の目を、真っ直ぐ見据えた。
「貴女は、下らない人間の事情に縛られて、行動を制限されてはならないのです。」
「お母様……。」
「助けられた。となれば、英明も貴女に頭が上がらなくなるでしょう。この機会に、あの子の首根っこを押さえなさい。」
「助けられないかもしれませんよ。時間切れになるかも……。」
「これは賭けです。多少のリスクは折り込み済みです。」
息子の命を、顔色ひとつ変えずに天秤にかける……。
「……鬼です。お母様は鬼……。」
「鬼でも修羅でも構いません。お前には、その覚悟はないのですか?」
広い会議場に、ただ二人。母と娘は睨み合って……。
娘は、自分の覚悟の半端さを悟り、臍を噛んだ。