リリスの凛とした顔
新宿の何処かで、異世界が発生している。
その一報は、諜報を担当する美柱庵家に伝えられた。その後、美柱庵十本槍を中心にして、詳細な情報集めが行われた。
「何が起こった? 藤裏葉。」
邸内が騒がしくなって来たのに気付いた英明は、十本槍の一人、最年少の十七歳の少女、藤裏葉を呼び止めた。
「あーら、英明様。何かしら? エッチな要望? 今、忙しいから、勘弁してね。」
「いや、何かあったのかと聞いているだけだが……。」
「まったまた。夏服の私の露出度の高さに、ムラッと来たんじゃないの?」
チューブトップに、ホットパンツという服装だ。確かに、若い男子には、刺激が強いかもしれない。
「違うと言っているだろう。何があったのか言え。でないと、殴るぞ。」
「ああ、英明様は、そっちの趣味があるんだ?」
ダメだ。こいつ、話が通じねえ……。
英明は、頭を抱えた。
「なるほど……。また、異世界が発生したと……。」
やっと、藤裏葉から話を聞き出した英明は「ふうむ。」と、腕を組んだ。
「よし、藤裏葉。お前は、これから、俺と行動しろ。」
「えっー。確かに、私は、エムの方だから、そういうプレイは嫌いじゃないけど、仕事中だからなあ……。」
「何の話をしているんだ。この、ビッチが!」
英明が怒鳴ると、藤裏葉は、ゾクゾクと身体を縮めた。
「ああ、英明様。それ、良い。もっと、私を口汚く罵って。」
お願いだから、人の話をちゃんと聞いて下さい。
英明は、泣きたくなるのを、必死に堪えた。
意味不明な戯言を垂れ流す藤裏葉を、引き摺る様にして、漸く、英明は、武器庫までやって来た。
「この刀箪笥の結界を破って欲しいのだ。」
桐製の箪笥を指差す英明。
「英明様〜。それは、美柱庵の宝剣、七支聖剣の入っている箪笥じゃないですかぁ。やばいですよぉ。」
「うるさい。俺は次期当主。持ち出すのに、何の不足があろうか?」
また、時代劇みたいな口調になっちゃって……。藤裏葉は思いながら、渋々、結界を解いた。
「七支聖剣」とは、美柱庵家最強武具の一つである。外見は七支刀を想像してもらえば良い。癖が無く、扱い易いので、初心者にも簡単に操作出来ます。が、モットーの剣であった。それをチョイスする辺り、英明も、多少は、己を理解しているらしい。
「良し。新宿に行くぞ。」
「ええっ。何しに?」
「決まっている。あいつに代わって、俺が異世界化を食い止めるのだ。」
「いやいやいや。天莉凜翠様の帰還を待った方が良いですよ。」
「ふん。戻って来たあいつは、もう、人間じゃない。人権剥奪の上、俺の家畜として、この家の地下牢で飼い殺す手筈を、整えておいたからな。」
自分の姉を家畜にする? 英明さん、パネエっす。
藤裏葉は、酷薄な表情を湛える英明の顔を、まざまざと見た。
家畜にして、何をする気なんだろう。焼印とか押すのかな? 押すよね? だって家畜だもん。わ、私にも、して欲しい。
身悶えする、藤裏葉。
「どうした、藤裏葉。急げ。」
「ああっ、英明様。想像するだけで、私もう……。」
「何を、どう、想像したんだ。」
廊下で、言い合いをしていると、不意に朝顔が現れた。
「どうしたのですか? 貴方達。藤裏葉、非常呼集中でしょ。」
「はあ、英明様が私に執着して、離してくれないんです。」
「おかしな言い方をするなー!」
「なら、言い直しまーす。英明様が、新宿の異世界に行こうとしているんでーす。」
この野郎。いきなり裏切りやがった。いや、元々、味方ではないが……。
英明は、ソッと、朝顔の顔を盗み見た。
「英明も、もうじき十二歳ですね……。良いでしょう。今日から藤裏葉を、貴方付きの直属の部下とします。新宿で存分に働いて来なさい。」
「お母様! 良いのですか?」
「美柱庵は天莉凜翠でもっているなどという、不名誉な風評を挽回するのです。美柱庵家次期当主として。」
朝顔の言葉に、感激の涙を流す英明。不満気な藤裏葉を引っ張って、彼は意気揚々と出立した。
その後ろ姿を、朝顔は、能面の如き表情で、見送っていた。
オクは焦っていた。ある程度脅し付けてから、説教をし、リリスに有利な結論を導き出すつもりだった。
そうすれば、助けてくれた自分に感激し「オク様大好きー。もう、メチャクチャにしてー。」と、リリスは靡く筈と計算していた。
それなのに、美味しいところを、全てプリ様に持って行かれてしまったのだ。
聴聞委員会のお歴々も、プリ様の言う事に頷き、かつ、仇敵である自分に対して、結束しつつあった。
その時、先程、リリスから人権を剥奪してしまえ、と主張した男が立ち直った。
「ええい。だらしのない。ガキ共に、良い様に振り回されおって。」
彼も、また、焦っていた。このまま、会議が流れて、リリスが復権を果たせば、英明からの指令を全う出来ない。美柱庵家次期当主の、不興を買うのは、御免だった。
「見ろ。誰の許しも無しに、封印を破り、鎖まで引き千切る凶暴さ。野放しになど出来るか。」
ラッキー! こいつ、ぶっ飛ばせば、まだ、リリスちゃんに見直してもらえる目があるじゃん。
オクは、男に向かって行った。
が、その男の前に、当のリリスが立ち塞がった。
「何をする気? オク。」
「あれれ。あなたの じんけんを はくだつ しろって いっている ちょうほんにんよ。なんで かばうの。」
プリ様も、そう、思っていた。助ける必要なんか無い、と。
「前に貴女には言ったわ。私は私を手離さない。どんな扱いを受けても、私は人の世を守る御三家の人間。どんな人であろうと、見捨てはしない!」
キッパリと、そう言い放った、リリスの凛とした顔を見て、プリ様は激しく心を揺り動かされた。
人を守る。それは、決して、綺麗事ではない。自分の頭に泥をかけて来る人間を、その泥ごと受け入れる。そういう決意なのだ。
幼いプリ様には、そこまで、明確な理解は出来なかったが、自分を貶めようとする男を、それでも庇うリリスの姿が、とても美しいものに思えた。
プリ様の頰を、感動の涙が、伝った。
「どどど、どうしたんですかぁ。プリ様ぁぁぁ。痛いんですか? 苦しいんですかぁ。」
プリ様の涙を見て、動揺した昴に抱き付かれながら、プリ様は胡蝶蘭を見上げた。
「わかったでちゅ、おかあたま……。」
「何が? プリちゃん。」
「おかあたまが おしえよう としてくれた こと……。」
「…………。」
「わたち、わかって なかったんでちゅ。なんにも わかって なかったんでちゅ。」
プリ様は、ポロポロと、涙を落とした。そんなプリ様を、胡蝶蘭は、引っ付いている昴ごと、抱き締めた。
一方、オクの表情も変化していた。目の前に立つリリスを、同情する様な、憐れむ様な、複雑な目で見ていた。幼女とは思えない、深みのある瞳の色だった。
「りりすちゃん……。よげん して おくわ。あなたは、これから、なんかいも にんげんに うらぎられる。なんかいも、なんかいもよ。」
「分かっているわ。今までだって、そうだった。」
オクは、溜息を吐いて、天井を見上げた。
「なんか、しらけちゃった。りりすちゃんを すくう、ないと きどりで きたんだけどね……。」
オクは背を向けて、出口に向かった。
「と、取り押さえろー。」
我に返った議長が叫び、十本槍の五人が、再び、踊り掛かったが、振り返りざま「ばあ〜か。」と、オクに投げ飛ばされた。
「わたしは これからも りりすちゃんを ゆうわく しつづける。せいぜい、かのじょを つなぎ とめて おくことね。」
そう言って、オクは消えた。
暫し、その場を、静寂が支配していたが、やがて、プリ様が拍手をし出した。それは、御三家の人間としての生き様を教えてくれたリリスへの、精一杯の賛辞のつもりだった。
そのプリ様に、つられる様にして、議場の皆んなも拍手を始めた。
「リリス様〜。すみません。私が間違ってましたぁぁぁ。」
リリスに庇われた男も、彼女の手を取って泣き出した。
その後の会議で、リリスは裁かれるどころか「龍騎士」という、彼女の為に創られた、栄誉ある称号を授けられた。