光る仮面
新宿近辺をパトロールしていた、美柱庵家ロイヤルガード隊長であり、美柱庵十本槍の一人である風間至誠は、路地裏から顔を出す、食人鬼の姿を見付けて、ギョッとした。
しかも、大通りから若い娘を、今、正に引きずり込んだところだったのだ。
『やばい!』
間に合わないかもしれない、と思いつつ、彼は現場へと急いだ。横断歩道を渡り、ビルとビルの隙間へ……。
そこで彼の見たものは、気絶している娘と、食人鬼の屍の前に佇む幼女だった。
「お前がやったのか?」
「ほかに だれが いると いうの?」
幼女は、真っ赤な瞳を、彼に向けた。食人鬼は、その間に、砂となって消えた。
「しっかり しなさいな、びちゅうあん。まだまだ、わいて でるわよ。」
幼女は、そう言って、ビルの屋上まで飛び上がり、行ってしまった。
「やれやれ。ふぁれぐちゃんの たのみ とはいえ、ほねが おれるわ。」
幼女はフルであった。異世界化を始める時に、通常空間に漏れ出て来てしまう、魔物の始末を頼まれたのだ。
犠牲者を出したくない、ファレグの配慮であった。
そう、ファレグの東京異世界化作戦が、始まったのだ。新宿御苑は、今や、この世界とは隔絶され、異世界となっていた。
東京異世界化作戦は、静かに始まっていたが、御三家は、未だ、事態を把握してなかった。ファレグの人払いが完璧だったのと、御三家首脳陣が、リリスの聴聞委員会に傾注していたからだ。
そして、その聴聞委員会は「会議は踊る。されど進まず。」状態であった。
元々、リリスに何か咎が有る訳では無く、彼女の力を恐れる一派が、大袈裟に騒ぎ立てているだけなので、話の落とし所が掴めなかった。
罰を与える事態でも無く、ならば野放しにするのか? というと、それもちょっと怖いというのが本音なのだ。
一方、そんな会議の流れには頓着せず、プリ様は、ただ一点を見詰めていた。
『おくが いゆの……。』
光極天関係者席のど真ん中に、オクが威張って座っているのだ。それなのに、会議場にいる人達は、誰も気付いていないみたいだった。
プリ様と昴が入室した時、子供を参加させる気かという非難の声が上がった。それを、規約を盾にしながら、姉の様に慕っているリリスを心配する、二人の気持ちを汲んで欲しい、と胡蝶蘭が皆を説き伏せたのだ。
そんな経緯を見ていたので、この場に子供が居るイレギュラーさは、プリ様も承知していた。だが、誰も、オクには注意を払っている様子が無い。
『みまちがえ かも しれないの。』
お目々をクシュクシュと擦って、そっーと見直すプリ様。しかし、やっぱり、そこにはオクが居た。というか、此方に手を振って来た。
「どうしたんですかぁ? プリ様ぁ。」
自分の膝に乗っけているプリ様の挙動不審な行動を見て、それさえも可愛らしくて仕方のない昴は、盛んにプリ様のオツムに頬ずりをしていた。
「お、おかあたま……。」
母親に知らせようとしたが「リリスから人権を剥奪すれば良いのでは。」などという、極端な意見が飛び出し、胡蝶蘭は、それどころではなかった。
「あ、あのね、おかあたま。」
「ちょっと静かにしててね、プリちゃん。大事なところなの。」
軽くいなされて、プリ様は、黙るしかなかった。
「元々、半分人間じゃないんだ。猿と人のハーフのオリバー君だって、人権は無かっただろ。」
オリバー君は、後に、完全にチンパンジーだったと証明されている。というか、オリバー君扱い……。
救いなのは、例えが古過ぎて、リリスには意味が分からなかった事だ。それでも、半分人間じゃないという言葉は、堪えたらしく、唇を噛んで俯いていた。
プリ様も、意味は全然理解出来なかったが、泣きそうなリリスの顔を見て、激昂して立ち上がった。
その時……。
「あっははは。おりばーくん だって。あなた いつの じだいの ひとよ?」
突如、幼い笑い声が響き、皆はギョッとして、声のした方を見た。そこには、椅子の上に立って、笑い転げている幼女が居た。
「オク!」
リリスが叫び、人々は、驚き慌てた。隣の席に座っていたオジさんは、椅子から転がり落ちた。
あの、光極天の暴虐の女王、雛菊の生まれ変わりと認識されている幼女、オクが、突然、何の前触れも無く現れたのだ。会議場は、恐慌状態に陥っていた。
「お前が、盟主オク!?」
警備にあたっていた、美柱庵十本槍の五人が、一斉にオクに踊り掛かった。
聴聞委員会には、御三家の当主までは出席しないが、それなりの、お偉方は来るので、警備には、トップクラスの戦闘員が付いている。今回も、美柱庵十本槍から、選りすぐりの五人が来ていた。
その五人が、手も無く、弾き飛ばされた。
「あれ? りりすちゃんが いらない ような はなしを していたから、さぞかし、いまの ひとたちは もさ ぞろい なんだろうと おもって いたのに……。」
オクの口元が、おかしげに緩んだ。
「むかし より、よわく なっていない? びちゅうあん じゅっぽんやり。」
オクの挑発に、会議場は騒然となった。
「わたしに きづけた のも、このなかで、ぷりちゃんだけ……。」
名前を出されて、プリ様は、室内灯の灯りを照り返す、オクの光る仮面を睨んだ。
「私が、その気になれば、お前達全員の首を刎ねる事も、造作無く出来たって訳よ。」
突然、大人の様な口調になり、その違和感が、皆の心に恐怖を植え付けた。
「そんな こと、させないのー!」
ただ一人、恐れなかったプリ様が、ミョルニルを振り上げたが、オクは素早く移動して、リリスの後ろに回った。
彼女を盾にされて、プリ様も攻撃を中断した。
「要らないなら、この子は貰うわ。あの龍神の攻撃力、こっちの戦力は倍になるでしょうね。」
フゥッと、オクは一息吐いた。
「こっちに いらっしゃい、りりすちゃん。おりばーくん よばわり まで されて、みかたを する ぎりは ないでしょ。」
そう言われて、リリスは考え込んだ。
『オリバー君って、誰?』
あまり、よろしくない例えであるのは、なんとなく感じていた。
「ちなみに、これが おりばーくん です。」
オクは、持っていたタブレットを操作して、画像を見せた。
「誰がオリバー君と同じですってぇぇぇ!!」
リリスは、先程発言した、美柱庵家のオジさんを、ギンと睨んだ。それだけで、立っていられなくなり、彼はへたり込んだ。
「しんい あがって いるわね。その ちから、わたしの ために、ぞんぶんに ふるって ちょうだい。」
「貴女の部下になんて……。」
怒りのボルテージが上がると、お札がリリスの能力を抑えられなくなり、焼き切れた。
「なる筈ないでしょー!」
グッと力を入れたら、身体中に巻き付いていた鎖が、粉々に千切れた。
あの細い身体の、何処にあんな力が……。
会議場にいる者達は、驚愕に目を見開いていた。腕の筋肉の断面積を鑑みても、出せる訳のない力だ。
『何? この力……。』
リリス自身も驚いていた。
「けんじゃのいしの ちからは、ぶったいを せいせい するだけじゃ ないのよ。」
命の水。飲めば寿命が伸びるという、若返りの水だ。賢者の石から、滲み出ると言われている。
「その みずの ちからを、あなたは えねるぎーに かえて いるのよ。すばらしい のうりょく だわ。ますます、ほしく なっちゃった。」
「ふざけゆな なのー!」
オクに向かって飛び込んだプリ様は、ミョルニルを振り下ろした。オクは避け、床に大穴が開いた。
「りりすは ゆうかん なの。どんな てきも おそれないの。その りりす にも こわいことが ひとつ あゆの。なんだか わかゆ?」
「…………。なに?」
プリ様の問いを、オクは聞き返した。
「ひとを きずつけゆ ことなの。りりすは やさしいから。だれよりも やさしいから。」
「…………。」
オクは、黙って、プリ様の言葉を聞いていた。
「そんな りりすを こわがっていゆの。みんな こわがって いゆの。そんなの おかしいの。みんな、ばかなのー!」
核心を突いた、プリ様の幼い叫びは、その場に居た人間、全員の心に染み渡っていった。
御三家聴聞委員会会議場は、水をうった様に、静まり返っていた。