ちょっと驚いた様に目を見張るリリスの顔
胡蝶蘭、紅葉、和臣の三人が、リビングで、お茶を飲んでいたら、さっき出て行ったプリ様と昴が戻って来た。
胡蝶蘭は、また「ばかぁ。」と言われるかもしれないと、身構えたが、プリ様は大人しく近寄って、座っている彼女の手を取った。その、小ちゃな御手手の感触が可愛らしくて、思わず抱き締めたくなるのを、グッと我慢する胡蝶蘭。
「ごめんなさいなの。おかあたま。」
「おおお、奥様。私も一緒に、あやあや、謝りますぅ。」
怖いなら、無理に謝らなくても良いのに。と、和臣と紅葉は思っていた。
胡蝶蘭は、何時ぞや、プリ様と昴とリリスが、姉妹の様に、お団子になって寝ていた姿を思い出していた。大切な姉に危害を加えられるなら、プリ様が激昂するのも、当たり前ではないか。例え、それが、権威の象徴、御三家聴聞委員会であろうとも……。
「ごめんね、プリちゃん。お母様も悪かったわ。叩いたりして。」
ボロボロと涙を零しながら、胡蝶蘭は大きく手を広げて、プリ様と昴を包み込んだ。
「一件落着かな……。」
「そうね。」
和臣と紅葉も、穏やかな笑みを浮かべ、和やかな雰囲気が漂った。
「プリちゃん。お母様の言った事、分かってくれた?」
「はいなの。おかあたま。」
「そう、良い子ね。」
胡蝶蘭は、プリ様の頰を両手でさすってやり、プリ様もキャッキャッと声を上げた。
「じゃあ、英明君とも、仲良く出来るかな?」
そう言われた途端、プリ様は露骨に嫌な顔をした。
「プリちゃん?」
「ひであきは べつなの。いやなの。」
「プーリーちゃーん。」
胡蝶蘭がプリ様のホッペを引っ張り、プリ様は半泣きで「いーやーなーのー。」と叫んだ。
繰り返しだ……。
昴、紅葉、和臣は、ガックリと肩を落とした。
全ての用意は整った。異世界化作戦は今日にでも、実行出来ると、城の謁見の間で、ファレグはオクに伝えた。
「でんぐねつで、ひとばらいが できたの?」
「いや、それだけだと、しょくいん までは おいだせなくて、てろの ひょうてきに されている とか、ほかの うわさも いろいろ、 ながしたよ。」
テロの標的……。意外と無茶苦茶やるわね。
オクは、ファレグの返事を聞きながら、思っていた。
「ふぁれぐちゃん。ひとつ おねがいが あるのだけれど……。」
「おねがい? めずらしいね。なんだい?」
「さくせんけっこうは わたしの していする にちじに おこなって くれない?」
ファレグは、フーンと、頷いた。
「ごさんけちょうもんいいんかい でも、あるのかい?」
「ななな、なぜそれを?!」
「きみが りゅうに してしまった こが、さばかれる のじゃないかい?」
ファレグの鋭い指摘に、汗ダクダクのオク。
「た、たすけて あげたいのよ。ほら、わたしの せきにんも ちょっとは あるし。ほんの ちょっと だけど。」
ちょっとどころか、全面的に責任があるだろう。
ファレグは、心中で突っ込みを入れていた。
「まあ、いいよ。きみにも おせわに なったしね。」
そう言って、出て行こうとするファレグを、オクは後ろから呼び止めた。
「ふぁれぐちゃん。ねんのため、さいど いっておくけど、あなたは ほかの こたち とは ちがう。りっかのいちようを うしなえば、きえる しか ないのよ。」
ファレグの現在の身体は、オクが彼女の本当の身体から採取した細胞を使って作った、謂わば、クローンの様なものだ。
その身体に、六花の一葉を使って、無理に魂をくっつけている状態なのだ。
「たましいは ほんたいに もどるのじゃ ないのかい?」
「もどるわ。でも、そのときの しょうげきに、あなたの ほんたいは たえられないわ。」
暫し、沈黙が、謁見の間を支配した。
「かくごの うえだよ。」
ファレグは、グッと拳を握り、右手の甲を見せた。
オクも、それ以上は、何も言わなかった。
「ぶうんを いのるわ。」
「ありがとう。」
二人は、真顔で、言葉を交わした。
御三家聴聞委員会の日、カルメンさんの運転する、リムジンに乗り込もうとした胡蝶蘭の目の前に、一番上等なお召し物に身を包んだプリ様が、昴を伴って、チョコナンと現れた。
「どうしたの? プリちゃん。一張羅を着て。」
「おかあたま。わたちも、ごさんけちょもん……。」
「御三家聴聞委員会です。プリ様。」
「その、ちょもんいいんかいに いくの。」
胡蝶蘭は頭を抱えた。自分の娘ながら、頑固な事この上なく、あくまで、リリスを守るという決意を貫き通すつもりなのだ。
「あのね、プリちゃん。子供は委員会に参加出来ないのよ。」
「うそでちゅ。ごさんけ ちょっけいは だいじょぶ なんでちゅ。わたちの ほうが、しかくが あるんでちゅ。おかあたま よりも。」
御三家本家直系の血筋の者は、誰であろうと、年齢性別に関係なく、委員会への参加資格を有する。
それは、確かに、御三家聴聞委員会の規約に明記してあった。
だからと言って、今迄、子供が委員会に参加した事は無い。まあ、当然と言えば当然だが。
プリ様が、本当に、出席するのならば、前代未聞の事態になるだろう。
『直系? 資格? 何で、プリちゃんが、そんなのを知っているの? 誰かが入れ知恵を……?』
と、そこまで思った時、昴と目が合った。彼女は、慌てて、目を逸らした。
「す〜ば〜る〜ちゃ〜ん。」
「あああっ。ごめんなさいですぅ。昨夜、寝る時に、プリ様が、何とかして御三家聴聞委員会に行けないかと言うものですから、つい……。」
「つい。じゃないでしょ〜。」
「あああん。ごめんなさい。ごめんなさいぃぃぃ。」
その胡蝶蘭と昴の間に、プリ様は割って入った。
「つれてってくだちゃい。おかあたま。」
真摯な瞳であった。胡蝶蘭は負けた。
甘い母親かもしれないが、ここで連れて行かず、後々まで、プリ様の胸に後悔の念を残してもいけない、と思ったのだ。
くれぐれも、大人しくしているのよ。
などと、くどい程言い聞かせて、プリ様に同行を許可した。
「あれ? 昴ちゃんも行くの?」
一緒にリムジンに乗ろうとする昴に、胡蝶蘭が声をかけた。
「酷いですぅ。私とプリ様は、一心同体なんですぅ。」
「でも、参加資格が……。」
「私も光極天の直系ですぅ。」
そう言われてみれば、そうだったわ。
胡蝶蘭は深い溜息を吐いた。
御三家聴聞委員会の会議場へは、まず都庁に入り、一般職員お断りのエレベーターに乗って、地下まで降りるのだ。
また、地下か……。と、プリ様と昴は思っていた。
会議場……というよりは、裁判所と言った方が正しかった。すでに入室していたリリスは、議場の真ん中にある、被告人席に立たされていた。
今日は、白い袖無しブラウスに、藍色のパンツを穿いていた。
ただし、後ろ手に鎖で縛り上げられ、身体中に、能力を封印する、お札が貼られていた。
プリ様は憤慨したが、昴には、その過剰なまでの縛が、周りの人の、リリスに対する恐れを、端的に現している様に思えた。
「ひどすぎゆの。こわして やゆの。」
「プリちゃん、お願いだから大人しくして。でなければ、今すぐ、帰ってもらうわよ。」
胡蝶蘭に言われて、唇を噛み締めながらも、プリ様は矛を収めた。
その時、プリ様の声が聞こえたのか、俯いていたリリスが、こちらを向いた。
ちょっと驚いた様に目を見張るリリスの顔。それを見て、プリ様は、泣きそうになった。あまりに痛ましくて、可哀想だった。
すると、逆に、リリスの方が「心配しなくて良いのよ。」とばかりに微笑んだ。
「強い子ね、リリスちゃん。こんな大変な時に、プリちゃんを思い遣って……。プリちゃんも、見習わなきゃね……。」
「わ、わかって いゆでちゅ。」
胡蝶蘭の言葉に、涙声で、プリ様は答えた。
議長が木槌を鳴らし、ついに、御三家聴聞委員会が開会された。
しかし、この時、皆は中央のリリスに注目していて、誰も気付いていなかった。光極天家に割り当てられた区画の、以前雛菊の使っていた座席に、仮面を付けた幼女が座っている事に……。