水に濡れた舞姫の太腿
芝公園多目的運動場の子供用プールは、監視員のマッチョなお兄さんが立ち塞がり、舞姫目当てのマニア達を追い払っていた。
「恐ろしい……。まるで、呪いの水着ね。」
プールサイドに座り、脚だけを水に浸している舞姫が、ボソッと、呟いた。
「へんな みずぎ きてる からだぜ。おねえちゃん。」
笑いながら、言い捨てて、プリ様や晶と水の掛け合いっこを始めた操の背中を、舞姫は、ちょっと、睨んだ。
『お前が、最初に、着せたんだろうがぁぁぁ。』
やり場の無い怒りを滾らせていると、昴が隣にやって来た。
「怖い顔してます、舞姫さん。」
そう、言われて、引きつった笑顔を作った。
「私に聞きたい事ありますよね?」
昴がニッコリ笑って訊ねると、舞姫は意外という表情になった。
「昴さんって、もっと、ホヤ〜としているっていうか、そんな感じかと……。」
「酷いですぅ。舞姫さん、私をバカだと思っているんですぅ。」
「い、いや。そんなつもりじゃ……。」
半泣きの昴を、舞姫は慌てて宥めた。
「私だって、恋する女の子なんですぅ。舞姫さんの気持ちくらい、わかりますぅ。」
恋って……。相手はプリちゃんなのかな?
舞姫は、漸く、プリ様と昴の関係性を理解し始めていた。
「うん……。じゃあ、正直に言うね。リリスさん、最近、道場に来なくて……。」
ああ、やっぱり。と、昴は思った。
「リリス様。忙しいみたいですよ。ええっと……、ほら、夏休みの宿題とか……。」
「でも、電話にも出ないんだよ?」
舞姫に、ちょっと潤んだ目を向けられて、今度は昴が慌てた。
『どどど、どうしよう。まさか、龍になった罰で、軟禁中なんて言えないし……。どうしよう、どうしよう。ああっ、プリ様〜。』
その時、昴の座っている真ん前の水面が浮き上がり、水中からプリ様が顔を出した。
「だいじょぶなの、まいきしゃん。」
ああっ、プリ様。私が困っていたから、助けに来てくれたんですね。なんて言って、誤魔化すんですか。(昴の心の声)
昴が両手を胸の前で合わせ、期待に満ちた顔で、プリ様のお姿を見ていると、プリ様は、スイッと身体を泳がせ、水に濡れた舞姫の太腿の辺りに近付いた。
「りりすは りゅうに なっちゃったの。それで おうちに とじこめられて いゆの。まいきしゃんを きらって いゆんじゃ ないの。」
プ、プリ様。そのまんまです。
思わず、心中で突っ込みを入れる昴。
『龍になった……。何かの比喩かしら……。』
全く意味が分からなかったが、自分を見上げて微笑むプリ様のお顔を見ていると、心配しなくて良いんだよ、という気持ちだけは伝わって来た。
「ありがと、プリちゃん!」
舞姫は、ドボンとプールに入って、プリ様のホッペを両手でさすった。それを見た昴は、プリ様を取り返そうと、焦って舞姫に続いた。
「まいきちゃんか……。」
昴と視覚共有をしていたオクは、舞姫の姿を見て、何か考えていた。
「そういえば、あのこは おおたく ざいじゅう なのよね……。」
此処、AT THE BACK OF THE NORTH WINDは太田区だ。ほとんど、ゼロカウントで、往き来が出来る。そう考えると、うってつけの人材に思えて来た。
『ひさしぶりに、まいきちゃんに あってこようかな……。』
フッと腰を浮かせかけた時、オクのいる私室のドアがノックされた。
『いけない。ふぁれぐちゃんを よんで いたんだった。』
どうぞ、と声を掛けたら、ファレグがひょっこりと顔を出した。
「めずらしいね。ししつの ほうに よびだす なんて。」
「きょうは とくべつな ようが あって……。」
微笑みながら、丸テーブルの椅子に誘った。
「じゅんび。ちゃくちゃくと すすんで いるみたいね。」
「おかげさまでね。」
話しながら、オクが掌をかざすと、空中から輝く物体が現れて、ファレグの目の前に来た。促されて、彼女が、それを手に取ると、輝きが治り、そこには、イノシシの形をした置物の様な物があった。
「なんだい? これは。」
「『うるすらぐな』。あなた せんようの しんきよ。ふぁれぐちゃん。」
ファレグはウルスラグナを手に取った。
「だれも まきこまない なら、あなたの つくる いせかい には、まものが いないでしょ? じゅうの ぶんしんが つくれる これは べんりよ。」
「…………。うるすらぐな……、ものすごい れいりょくを かんじる。いいのかい? もらって。」
「いいわ。そのかわり、かならず せいこう してね。」
満足気にウルスラグナを眺めるファレグを、オクはニコニコと見詰めていた。
「こんな しんきを きみは どこで てにいれたんだい?」
「うん。かみの くにを しゅっぽん するときに かみの ぶきこ から はいしゃく……。」
さりげなく聞かれて、スルッと本当の事を口走ってしまうオク。
「ししし、しらないわ。みちに おちて いたのよ。」
焦るオクの様子に、ファレグは、フッと口元を緩めた。
「ごめんよ。こまらせる つもりじゃ なかったんだ。つい、こうきしんで。わるい くせだ。」
オクが何者であろうと、もう、詮索するつもりはなかった。彼女が、今の身体をくれたから、ムラちゃんとも出会えた。そして、上手くやれば、ムラちゃんと共に歩める未来も、手に入れられるかもしれないのだ。オクには感謝しかなかった。
「うるすらぐな、ありがたく つかわせて もらうよ。」
ファレグは、それだけ言って、部屋を出て行った。オクは、閉まった扉を、少しの間、眺めていた。
「こらぁー! 操! プリ! 大人しくしなさい!!」
更衣室で、小競り合いを始めた二人を、舞姫は、ガッチリと捕まえていた。
「ふざけてないで、早く、着替えなさい。」
叱られても、狂騒状態になっている二人は、言う事をきかない。そんな彼女達を横目で見ながら、晶が溜息を吐いた。
「ふたりとも こども ねえ。」
しかも、大人ぶって、そんな台詞を吐く始末だ。だが、その台詞は劇的な効果を与えた。同年代からの子供扱いは「我こそが一番大人。」という自負を持つ幼女達にとって、沽券にかかわる問題なのだ。プリ様と操は、黙々と、お着替えを始めた。
お子様のお世話から、漸く、解放された舞姫は、自身も着替えようと、旧型スクール水着II型の肩布を外した時……。
突然、周囲の喧騒が消えた。不審に思って、辺りを見回すと、操も、プリ様も、誰も居なくなっていた。
「おひさしぶりね、まいきちゃん。」
ロッカーの陰から可愛らしい声がして、そちらを見ると、オクが顔を出していた。
「オクちゃん……?」
ベトールの家畜にされていた際、裸にされていた自分に着る物(旧型スクール水着II型)を与えてくれたりしたので、基本、舞姫は、オクに対して、それほどの悪感情は無かった。
しかし、最後に、リリスを捕まえる餌にされたりもしたので、全面的な好意も無かった。
今、唐突に現れたオクに、舞姫は警戒心を剥き出しにしていた。
「何の用?」
「わたしの あげた みずぎ。まだ、つかって くれて いたんだ?」
「ち、違う。これは……。」
言い返そうとした舞姫のお腹に、オクは、そっと掌を当てた。
「わたしの ものに なって。まいきちゃん。」
「何言って……。」
その時、お腹に、強い衝撃を受けて、舞姫は吹き飛んだ。
「だ、だれかー!」
誰もいない更衣室の床に仰向きに倒され、助けを呼ぶ舞姫。
「だれも こないわよ。ここは、この けーりゅけーおんの つくりだした ぎじくうかん だもの。」
オクは、倒れている舞姫の、脱ぎかけの旧型スクール水着II型を、ジックリと見詰めていた。咄嗟に胸を隠す舞姫。
「み、見ないで。」
「ふむ。きゅうがたすくーるみずぎにがた かあ……。」
ニヤッと笑ったオクが近付いて来て……。
気が付くと、着替え終わって、更衣室を出ていた。
あれ? 夢だったのかな? と、思った舞姫は、皆んなと食事をしに行った時点で、オクの事は忘れていた。