粉々に砕けた鎖
美柱庵家の地下施設にある道場で、リリスは英明と対峙していた。
「もう、足は良いの? 英明さん。」
「お姉様。お陰様で、何の不足も無い状態です。貴女のお仲間には、感謝しても、しきれませんよ。」
言葉とは裏腹に、憎々しげに唇を歪めた。
「で、今日は、道場で何をするのかしら?」
「稽古をつけてもらおうと思いまして。姉上に。」
「…………。私、ちょっと動き辛い格好なのだけれど……。」
「お似合いですよ。その、水色のワンピース。」
リリスは、半袖で膝丈のワンピースを、着ていた。確かに、運動をするには向いてない服装だが、問題はそんな処にはなかった。
「坊ちゃん、ちょっ〜と、卑怯なのでは……。」
立会人として連れて来られた、ロイヤルガードの隊長さんが、見兼ねて声をかけた。
リリスの両腕は、身体の前で、鎖で結び付けられていた。両足も鎖で繋がれている。
「ハンデだ。俺は小学生で、こいつは化け物なんだぞ。」
血の繋がりは半分とはいえ、実の姉を化け物呼ばわりか……。リリスは、フッーと溜息を吐いた。
「いいのよ、隊長さん。英明さんの、気の済むように、したら良いわ。」
リリスの台詞を聞いて、英明はニヤリと笑った。そして、徒手空拳の彼女の前で、竹刀の柄を握り締めた。訓練という名の、私刑をする気満々である。
「でも、英明さん……。」
竹刀を振りかぶった英明は、リリスに静かに語りかけられて、気勢を削がれた。
「なんだ?」
「この状態の私相手に負けたら……。」
リリスは頭を振って、前髪を払った。
「貴方、相当みっともないわよ?」
英明は竹刀を振りかぶったまま、動けなくなった。
負ける? 俺が? 何言ってんだ、こいつ。これだけ厳重に拘束しているのに……。
「うにゃあああああぁぁぁ!」
一瞬、たじろいだ英明に向かって、リリスは猫の鳴き声みたいな、高い声で鳴いた。驚いた英明は尻餅をつき、そのまま、道場の隅まで素早く後退した。
「あははははは。怖がり過ぎよ、英明さん。」
「くっそお! ふざけやがって!!」
激昂して、立ち上がった英明は、リリスに打ちかかるのかと思いきや……。
「お前、あいつを叩きのめせ。」
と、隊長さんに竹刀を渡した。
「えっ?! それは、ちょっと、出来ませんぜ。」
「何故出来ない。あいつは、我等御三家が誅する怨敵の眷属。そして、美柱庵次期当主の俺に害を為す仇敵だ。出来ぬ道理がないであろう。」
その喋り方。坊ちゃん、もしや時代劇のファンでは? と、隊長は思っていた。
「みっともないですよ、英明。貴方は負けたの。風間、足は治ったのだから、存分にしごいてあげなさい。」
突然、道場に、リリスと英明の母、朝顔が入って来た。しごいて良し、と言われた隊長さんは「イエッサー!」と一声上げると「ま、まだ心の準備が……。」と喚く英明を、ひょいと肩に乗せた。
「じゃあ、軽くランニング十キロ行きますか。」
「うぎゃあああ。止めて。死ぬ。死ぬからあ!!」
二人は大騒ぎで、道場から出て行った。
「…………。」
二人切りになっても、朝顔は何も言わず、目を合わそうともしなかった。きまり悪くなったリリスが、黙って立ち去ろうとしたところ、彼女は、漸く、口を開いた。
「胡蝶蘭さんが来ているわ、天莉凜翠。」
「叔母さまが?」
「符璃叢や、お友達も一緒よ。」
「会っても……良いのですか?」
遠慮がちに聞くリリスの問いには答えずに、朝顔はスタスタと歩き始めた。仕方なく、リリスも、その後に従った。
「りりすぅ!」
「プリちゃん!」
応接間に入ると、プリ様が飛びついて来た。二人はヒシと抱き合った。
「あーん。プリちゃん、会いたかったあ。プリちゃん、プリちゃん。」
さかんに頬ずりを繰り返すリリス。慌ててプリ様を奪い返そうとした昴は、彼女の拘束されている手足に気付き、ギョッとして、後ずさった。
「お義姉様……。」
余計な口出しはすまい、と思っていた胡蝶蘭も、思わず声を上げた。
「何ですか? 胡蝶蘭さん。」
「あれは、あんまりでは……。」
意を決して抗議しても、朝顔は、その能面の如き顔を崩しもしなかった。
「胡蝶蘭さん。貴女は神王院家当主の嫁。謂わば、当主代行とも言える立場ですよ。美柱庵家が咎人を拘束するのに、異を唱えるのは、神王院家の総意と受け取って良いのですね?」
「……いいえ。」
「では、黙ってなさい。軽々しく口を開いてはなりません。」
うっわ、キッツイおばちゃん……。
二人のやり取りを聞いていた、和臣と紅葉は、引いていた。
「とれたの。」
その時、粉々に砕けた鎖を手に持って、プリ様が呟いた。
「プププ、プリちゃん?! 壊しちゃったの?」
胡蝶蘭が青くなって訊ねると、プリ様は首を振った。
「しらないのぉ。さわってたら、こわれちゃったのぉ。」
そう言いつつ、今度は、床に座り込んでいるリリスの足枷に触った。果たして、足枷も、砂糖菓子の様に、簡単に砕け散った。
「あれぇ? これも、こわれちゃったのぉ。」
プリ様は、無邪気そのものといった表情で、朝顔を見上げた。口元はニコニコとしているが、目が笑っていない。朝顔も凍りついた視線を、プリ様に向けた。二人の間に火花が散った。
「ひぃぃぃ。お、奥様ぁ。」
「す、昴ちゃーん。」
怖がりの昴は、この緊迫感に耐え切れず、胡蝶蘭にしがみ付いていたが、胡蝶蘭とて、小姑の朝顔の怒りを買う恐怖に震え、昴にしがみ付き返していた。
「符璃叢、おいたが過ぎますよ。」
「しらないの。こわせゆわけ ないの。わたち みたいな こどもに。」
プリ様が、プリちゃんが、プリが、子供である事を武器にしている!
その場に居る全員が戦慄していた。
空蝉山への旅から帰って来たプリ様は、やはり、一味違っていた。こんな韜晦の仕方は、以前はしてなかった筈だ。
『ああっ。プリ様が、狡猾さを、身に付けてますぅ。あああっ。私も欺かれたいですぅ。プリ様ぁぁぁ。』
新しい切り口を見せるプリ様に、昴は、辛抱堪らず、すぐにでも抱き付きたい衝動に駆られていた。しかし、朝顔との諍いの中に割って入るのは恐ろしい。その板挟みの感情に煩悶していた。
「分かりました。良いでしょう。御三家聴聞委員会まで縛っておこうと思ってましたが、符璃叢に免じて、今日から縛は解除します。」
フッと緊張を解いて、朝顔が口にした。
「ありがとう、プリちゃん。お礼にギュッとして上げる。」
「きゃははは。やめゆの、りりす。くすぐったいの。」
リリスの豊かな胸に顔を押し付けられて、満更でもないプリ様。それを見た昴は、光の速さで、プリ様の背中に抱き付いた。
「ダメです。ダメですぅ。プリ様をギュッとするのは、昴だけなんですぅ。」
「あらあら。私は、暫く、プリちゃんと会えないのよ。ちょっとくらい、良いでしょう?」
そう言われると、昴も怯んだ。リリスは、ニッコリ笑うと、プリ様に頬ずりし、愛撫をし……。
『あれって、プリ様ラッシュだよな……。』
『焼け木杭に火が点いたみたいね……。』
和臣は頭を抱え、紅葉は『しめしめ。これで、渚ちゃんは私の物。』と、思っていた。
「お義姉様……。御三家聴聞委員会って、リリスちゃんを……。」
「こればかりは、しょうがないわね。禁忌の力を振るったのだから、あの子は、皆に釈明をせねばならないでしょう。」
「あの、雛菊叔母様が相手なんですよ。超常の力ぐらい使わないと……。」
「論点は、そこじゃないのよ。」
朝顔は、低い声で言った。
「天莉凜翠!」
プリ様に引っ付いていたリリスは、突然、母親に呼ばれて「はい。」と、立ち上がった。
「私が屈辱に耐えて、貴女を生んだのは、絶大なる龍の力を、我々人間の戦力とする為。それをコントロール出来ないのであれば、貴女など、無用の存在と知りなさい。」
「お義姉様! そんな言い方……。」
思わず異見する胡蝶蘭を、朝顔は手の動きで制した。
「せっかく来てくれたのだから、夕食くらいは御馳走しましょう。」
そして、そう言い捨て、部屋を出て行ってしまった。
朝顔が部屋を出ると、リリスはヘナヘナとへたり込み、顔をクシャクシャにした。肩を震わせて、泣くのを我慢している。
「おなき、りりす……。」
プリ様に頭を抱かれて、涙腺が決壊した。幼子の様に、顔を真っ赤にして、大声で泣いた。
そのリリスの頭を、プリ様は、何時迄も、優しく撫で続けていた。
謎の不定期連載「幼女スペースキャプテン プリムラちゃん」が完結しました。
突き抜けてバカな小説を書いてしまいました。
もし、良かったら、読んでみて下さい。