オレンジ色の灼熱の火球
神王院朝顔は、神王院家当主の長女として生まれ、その類い稀なる才能は、弟であり、次期当主の照彦(プリ様のお父様です)よりも抜きん出ている、というのは周知の事実であった。
しかし、彼女は、そんな周囲の評判に奢る事なく、弟である照彦を立て、日本を守護する御三家の一員として、矜持を持って、己の務めに励んで来た。
だから、暴れる龍の討伐を依頼された時、彼女は凛として返事をした。命を賭しても、退治いたしましょう、と。
だが、何千年も眠っていて、突如暴れ出した龍の狙いは、正に彼女の様に、高潔な志を秘め、高い戦闘能力を有する、健康で若い女性の肉体であったのだ。
龍の結界内に飛び込み、処女であった彼女が、破瓜の血を流しながら、ヨロヨロと出て来たのを見た時に、同行した者達は、中で何が起こったのかを察した。
龍は退けたが、朝顔は妊娠していた。
『そんな、お母様を、現美柱庵当主のお父様は、何も言わずに嫁として迎え、私も実の子同様に育てて下さった。』
むしろ、母である朝顔よりも、可愛がってくれた。母は表面的には、世間並みに世話をしてくれたが、時折、覚めた冷たい目で見ているのに、幼いリリスは気付いていた。
それは、自分が良い子でないから、母の期待に応えてないから。そう思った彼女は、物心ついた時より、日々の鍛錬を欠かさず、精進して来た。
いつか、母が認めてくれる。それを信じていた。
あの日が来るまでは。
それなりに幸せだった、幼年期の終わりは、唐突に訪れた。幼稚園生になった一つ年下の弟に、美柱庵の人間としての責務、心持ちの有り方を説いていた時、弟は憎々しげに「美柱庵の人間でもないくせに。」と吐き捨てたのだ。
どういう意味かと問い質したら、周りの大人達から聞いていた彼は、全てをぶちまけた。お前は半分化け物なのだ、と。
目の前が真っ白になり、気付いた時、その身は鎖で拘束されていた。屋敷の地下にある座敷牢で、何日かを過ごした。世話をしてくれる使用人達は、心底怯えた様子で接して来た。声をかけようものなら、心臓が飛び上がらんばかりに驚いて、逃げて行った。
それも無理はない。と、彼女は思った。鏡は無かったが、見える範囲で、自分の身体が変化しているのには、気付いていた。
『私は化け物だった……。その血の半分は、忌まわしい龍の血だったのだ。』
一月程した時、母がやって来た。座敷牢の中央にある、大きな柱に括り付けられ、立つことさえ許されていなかったリリスは、ホッとして母を見上げた。出してくれると思ったのだ。
しかし、母は拳を握り締めて、彼女を打ち始めた。
「どこまで、私に、恥をかかせるのか!」「美柱庵家の、大切な跡取りに、傷をつけて!」「死ね。死んでしまえ。死んで詫びろ。」
母の言葉は、拳より痛かった。
怒れる母の、断片的な台詞を繋ぎ合わせ、リリスは、正気を失った自分が龍人と化し、弟の足に生涯残る傷をつけた事、自分を止めるのに、美柱庵十本槍では足りず、光極天四天王、神王院八部衆まで動員された事を知った。
実子を傷付けられた父も、もはや、リリスの味方ではなかった。それどころか、齢五歳にして、御三家の全てを敵に回し、一歩も引けを取らない、その能力を、周囲のほとんどの人間が危険視していた。
成長し、手が付けられなくなる前に、処分しようという意見が大半を占める中、神王院の当時の当主、プリ様とリリスのお祖父様だけが反対した。
妥協案として、彼女は英国に送られた。留学という名の、国外追放であった。
『英国で、私はドラゴンを飼うのと、同じやり方で扱われた。』
変化した後、リリスは龍人の姿のままだった。尻尾が垂れ、手足は、鋭い爪のある龍そのものであった。顔は人間に近かったが、目は黒くなっていた。
可愛らしい子供服は剥ぎ取られ、常に手術着を着せられて、鎖の拘束具は付けられたままだった。人権など全く無視された、実験体としての生活だった。
それでも、英国の最先端のドラゴン研究のお陰で、二年経つ頃には、人の姿を取り戻していた。
更に、賢者の石を手に入れて、漸く万全と見做された。だから、帰国も許されたというのに……。
「じゃあ、けんじゃのいしが くだけちった から、りりすさんは りゅうに なったのだね。」
「そうみたいなの……。よほど、こわいめに あわされたの。かわいそう なの。」
ファレグとプリ様は、滞空し、火球を躱しながら話していた。
『さっき、おくが りゅうの せなかを ちょろちょろ してたな……。』
十中八九、オクがリリスに何かしたせいなんだろうな。と、ファレグは思っていた。
「むらちゃん、これを つかいなよ。」
ファレグは、オクの「賢者の石」を差し出した。
「だめなの、れい。せかいに みっつ しか ないの。きちょう なの。もらえないの。」
「いいんだ。これは もともと ぼくの ものじゃ ないし……。」
正当な持ち主が、この騒動の発端らしいし……。とは、言えなかった。
「ありがと れい……。」
プリ様は、有難く、賢者の石を受け取った。
「でも、これだけじゃ だめなの。おびえて いゆの、りりす。あんしん させなきゃ……。」
リリスは何が怖いんだろう。プリ様は、小ちゃな頭を捻らせながら考えた。
オクだろうか? 勿論、それもあるだろう。でも、彼女の常々の言動を思い起こすと……。
プリ様は、オレンジ色の灼熱の火球を、首を傾けるだけで避け、そのまま彼女を見続けた。黒い目からは、涙が止め処も無く、流れ続けていた。
『りりすは じぶんが こわいの。いちばん こわいの……。』
プリ様の目には、巨大な龍の姿が、蹲って泣いている、小さな少女に見えた。
『たすけて あげゆの……。りりす、かならず たすけて あげゆの。』
プリ様の目からも、涙が零れた。
狂気に彩られたリリスの瞳が、ふと、プリ様の姿を捉え、その瞬間、少し理性が戻った。恐れられ、蔑まれて生きて来たリリスの短い人生で、前世の仲間達と過ごした数ヶ月は、夢の様に楽しい日々であった。
『でも、そんな幸せも、もう、お終い。私は、そのうち、彼等まで傷付けてしまう……。』
リリスは覚悟を決め、プリ様に向かって叫んだ。
「プリちゃーん。私を殺して。今、私が、ほんのちょっと、人間としての心を残している間にー!」
リリスの言葉は念波に乗って、周り中の人間の耳に届いた。仲間達全ての元に……。
「リリス、早まらないで。」
「リリス、死ぬな。」
「アマリちゃん……。」
「リリス様……。諦めちゃ、ダメですぅ。」
オクとフルも、また、その声を聞いていた。
「さすがに、ちょっと、びちゅうあんの こむすめが かわいそう ですわね……。」
ジトッと、オクを見るフル。
「ええっ。わたしが わるいのぉ……。」
「わるいでしょ。」
手足を切り取ったのは、やり過ぎだったかな? あれで、なんか、絶望しちゃってたものね……。でも、お楽しみが終わったら「じゃーん。どっきり でしたあ。」と言って、くっ付けて上げるつもりだったし、早合点するリリスちゃんが悪いのよ。そうよ、私は悪くないわ。悪くないと思う。悪くない……よね……?
必死で自己正当化をするオクも、段々自信が無くなっていった。というか、悪いし。
「いやなのー!!」
その時、プリ様が大音声で怒鳴った。
「りりす! ぷりには かてないの。そんな りゅうの すがたに なったって。」
いや、あいつ何言い出してんの? 皆は、顔を真っ赤にして叫ぶプリ様を、思わず凝視していた。
「やっつけて やゆの。ぷりの ほうが つよいの。」
プリ様は、ミョルニルを振り上げ、龍の尻尾に方に、急降下した。
「くらえー。」
馬鹿止めろ。攻撃なんかしたら、またリリスが正気を失う……。
皆の思いを他所に、帯電したミョルニルの一撃は、龍の尻尾を粉々に打ち砕いた。
「アギャァァァァァ!!!」
一声、大きな鳴き声を上げたリリスは、完全に理性のタガが外れた様子で、プリ様の方を見た。
「くるの、りりす! しょうぶ なの。」
だから、何始めてくれてるの、お前。
皆が呆然と見守る中、プリ様とリリスの決戦の幕が、切って落とされた。
前回までのあらすじ。
お友達のアイちゃんは、符璃叢というのが、プリ様の事だと気付いてなかったのであった。
「とにかく、第三部分『大日本帝国海軍駆逐艦叢雲の叢』を読み返して下さい。」
泣きながら頼むと、アイちゃんは渋々スマホで読んでくれた。
そして、暫くして、顔を上げると……。
「うん、知ってた。」
何を?
「符璃叢はプリ様の事でしょ? 知ってたよ、そのくらい。」
「えっ、だって、さっき……。」
「だから、唐突に呼び方変えるのが良くないって事。あと、読者の為に、後書きで、プリ様呼び方一覧表くらい書きなさい。いつもの、くだらない身の上話よりは、よっぽど有用でしょ。」
「でも、でもぉ。」
「シャーラップ。サランラップ。(本当に、こう言いました。)言い訳は聞きません。」
……。アイちゃんほど読解力の無い方はいないと思いますが、一応、プリ様呼び方一覧を書いておきます。
符璃叢。プリ様。プリ。プリちゃん。むらちゃん。
一人称は「ぷり」から「わたち(私)」に移行中です。
ところで、次回投稿は少し空きます。また、九時まで残業地獄が一週間くらい続くのです。
秋は毎年忙しくて、死にそうです……。