玲の黒目
空蝉山の結界が破られたのは、オクもすぐに気が付いた。
そろそろ、自分が、本気で龍に対処しなければ、ならないかもしれない。しかし、それをすると、神々に居場所を察知されてしまう。そもそも、リリスちゃんを殺すなんて、勿体無くて出来ないわ。
そんな風に煩悶していた矢先であった。
龍神とは、ドラゴンという神性を持った魂が、地球上では恐竜の身体を借りて受肉し、顕現した存在である。荒ぶる性質で、戦闘能力は、下級の神など簡単に凌駕する。
しかし、父親から半端な器しか受け継いでないリリスは、ネアンデルタール人の肉体を持ち、神の力を存分にふるえる、饒速日命の敵ではないだろう。
加えて、饒速日命は慈悲深い性格だ。相手の命までは奪わないだろう。彼女が弱らせてくれた後、リリスちゃんを横から掻っ攫ってしまえば良い。
結界が解けた瞬間、そこまでの皮算用を、オクはしていた。
「どうして? どうして しょうてん して いって しまうの?」
完全な計算違いであった。饒速日命は、暴れるリリス龍に目もくれず、貴重なネアンデルタール人の身体まで捨てて、一目散に高次元の天界へと、帰り始めた。
『にせんねんも とじこめられて、さとごころが ついたのかしら?』
首を捻るオクは、ある可能性に行き着いた。
『! あったのか。げきりんと とらのおに。』
饒速日命が、人命救助を投げ出してまで、天界に戻らなければならない非常事態。それは、ゲキリンとトラノオの存在を、この世界で確認したからに他ならない。
『あいつら〜。どこまで よけいな まねを……。』
一瞬、二人に怒りの矛先を向けたオクだったが、すぐに首を振った。昴の命を大切に思う、彼女達の心中が、痛い程理解出来たからだ。
まあ、良い。彼等は、現生人類の肉体には、顕現出来ない。どうにかして、やって来るにしても、そんなにすぐには来られないだろう。
それまでに三つめの刀、シシクを鍛え上げてしまえば良い事だ。
キリッと、空を見上げるオク。
私、かっこ良いわ。などと思っていると、その目が、空を飛ぶ幼女を捉えた。
「あら、ぷりちゃん……。」
和臣達の元に降り立ったプリ様は、テキパキと指示を出していた。
「かずおみは かきゅうを げいげき。もみじは かじを けすの。むつらぼしは けっかいを はゆの。そこで、すばゆを まもゆの。」
はい、と昴を差し出され、六連星の目が輝いた。
「お、おね……昴ちゃん、無事だったのね〜。」
「た、食べないで下さーい。」
抱き付かれた昴は、怯えた目で、プリ様に助けを求めた。
「逃げなくても良いでしょ? お姉さんと仲良くしてよう。ねっ、昴ちゃん。」
六連星の豊満な胸に顔を埋められて、昴は半分涙目になっていた。
『ごめんなの、すばゆ……。』
プリ様は昴をチラッと見てから、空に飛び立とうとした。
「待ちなよ、プリ。いきなり戻って来て、説明もせずに、戦いに行くのかい?」
紅葉に呼び止められて、プリ様は立ち止まった。
「お前、あの龍の正体を知っているのか?」
和臣に聞かれて、辛そうに顔を歪めた。
「あれは……りりす なの……。」
やっぱりか……。薄々そう思っていても、衝撃が走った。和臣達も苦悶の表情を浮かべた。
「助けられるの?」
「……わからないの……。」
紅葉の質問に答えるプリ様。いつもと違って、歯切れが悪かった。それが、状況の難しさを物語っていた。
「わたち、いってくゆ。とにかく いってくゆ。」
プリ様は、メギンギョルズの羽を発光させて、悲壮な顔付きで、浮かび上がった。
「プ、プリ様!」
「なに? すばゆ。」
「ご、ご武運を……。」
昴は、両手を胸の前で合わせて、祈る様にプリ様に言葉をかけた。それだけでプリ様に自信が戻った。何とかなる。いや、何とかする。
プリ様は、昴に向かって右腕を突き出し、親指を立てると、ニッコリと笑った。
「いってくゆの、すばゆ。」
「はい! プリ様。」
美しき別れのシーンであった。遠ざかって行くプリ様を見送る昴……。
「いーやー。やっぱり、いや。プリ様と離れるなんて、いやー。ついて行きますぅ。プリ様、プリ様ー。」
いざ、離れてしまうと、錯乱状態に陥る昴。折角の美しいシーンが台無しであった。
プリ様が、和臣達に昴を託している間、ファレグとピッケちゃんは、一手に龍の猛攻を引き受けていた。
「れーいー。」
「おおっ、むらちゃん。すばるさんは、あんぜんな ところに おいて これたかい?」
「ちょうど、なかまが いたの。あずけて きたの。」
プリ様は、後顧の憂い無しという顔で、微笑んだ。
「ふふっ。それなら、あんしんだ。」
プリ様とファレグは、互いに見詰め合った。玲の黒目に光が宿り、プリ様は勇気が湧いて来た。
「いくの!」
「えんご する!」
言葉を交わさずとも、二人は各々の役割を心得ていた。一直線に、龍の眉間に居るリリスの元へ、飛んで行くプリ様。そのプリ様に襲いかかって来る火球を、玲は、特大の礫をぶつけて、相殺した。
「りりすぅー!」
リリスは、自分に向かって飛んで来る幼女を、ボンヤリと見ていた。
「プリ……ちゃ……ん?」
「りりす。もう、やめゆの。しょうきに もどゆの。」
「こな……いで……。ぷりちゃ……ん。こないでぇぇぇ!!!」
リリスは、両手で頭を掻き毟って、苦しんだ。
「あああ! ああああああ!!」
真っ黒な目から涙が零れ落ちた。
「見ないで! 私を見ないでぇぇ!」
リリスの口から火球が発射された。プリ様は、それを、ミョルニルで弾き飛ばした。
「おちつくの。りりす、おちつくの。」
「いや、いや。見られたくない。プリちゃんには、見られたくない。こんな、浅ましい姿を。汚れてしまった私をぅぅぅ。」
リリスの混乱に呼応して、龍の頭の角が帯電し、押し戻そうとするが如く、雷撃がプリ様に向かって放出された。
『きゃんせる できない!』
雷を消す事が出来ないと、一瞬で悟ったプリ様は、ミョルニルを突き出し、全てを受け止めた。
『みょゆにゆに ひびが……。』
雷は防いだが、次の瞬間、ミョルニルは砕け散った。
「くっ! みょぉぉぉゆぅぅにぃぃぃゆぅぅぅ。」
プリ様が呼ぶと、砕け散ったミョルニルは、再びスレッジハンマーの形に戻った。
『わたちに まよいが あゆから……。みょゆにゆが、ほんらいの ちからを だせないの……。』
プリ様は、奥歯をギリリッと、噛み締めた。
龍の顔の上、ほんの十メートル程の距離に、リリスは居るのに、近寄る事さえ出来ないでいるのだ。
「プリちゃん……。」
「りりす……?」
リリスは、零れ落ちる涙を、拭おうともせずに、プリ様を凝視していた。
「助けて……、プリちゃん。助けてぇ……。」
「りりすぅ。」
「あっあああ。あっー!!」
またもや、リリスが苦しみ出した。そして、再度、帯電する龍の角。
『みょるにる、わたちに ちからを かして……。』
プリ様は、ミョルニルの柄を、グッと握り締めた。
特大級の雷撃が、嵐となって、降り注いで来た。だが、プリ様は、一歩も退かなかった。
その時、霙の様に礫が雷にぶつかって行き、かなりの威力を削ぎ取られた雷撃を、プリ様はミョルニルで絡め取った。
「おかえしなのー。」
思いっ切り、ハンマーを振り下ろし、雷撃を、龍の角目掛けて、押し返した。今度は、角が、凄まじい電撃をくらって、砕け散った。
間髪入れず、リリスへと駆け出すプリ様。
プリ様は、小さな両腕をいっぱいに広げて、龍の眉間に居る、リリスの腰から上を、抱き締めた。
「やめゆの。もう、やめゆの。りりす。もう、だいじょぶなの。わたちが ついてゆの。」
「プリちゃん……。」
プリ様は、優しくリリスの頭を撫でて上げた。
「おちついた?」
「うん、うん。ありがとう、プリちゃん。」
二人は、暫し、抱き合っていたが、やがて、プリ様は、リリスの胸に手を当てた。
「りりすの おむね、やわらかなの。」
「まあ、プリちゃんったら。」
気遣う様に、ソフトに胸を触って来る、プリ様の様子に、相好を崩すリリス。
「どうすれば いいの? りりす。どうすれば、もとに もどゆの?」
「力の制御が出来れば……。賢者の石が砕け散ったから、力が抑えられないの。でも、プリちゃんのお陰で、大分落ち着いて来た……。」
リリスは涙を流しながらも、少し微笑んだ。正気に戻って来ている。これなら……。
「おちついた? りりすちゃん。」
その時、龍の蛇体を登って来たオクが、プリ様の後ろから、ひょっこり顔を出した。
「オークー!!!」
彼女を見たリリスは、激怒して、火球を、やたらめったらと吐き始め、それとリンクして、龍も火球を吐き始めた。辺りは、再び、地獄絵図だ。
「だいなし なの。おくの ばかー。」
「ええっ。わたしの せいなの〜?」
プリ様は、龍の頭から後退しながら、オクに毒づいた。
プリ様決死の努力も、オクの不用意な行動のせいで、全てが水泡と帰してしまったのだ。
この間、ちょうど、この小説の新しいお話を書き終えた時、お友達のアイちゃんが遊びに来ました。
書き上げたのなら読ませろ。添削してやる。と言う彼女に、嫌々ながら、読ませて上げたのですが、およそ、今迄生きて来た中で、一番信じられない一言を言われました。
「この符璃叢って人。時々、唐突に出て来るけど、誰?」
えっ? ええっ? えええっ? いやだ、何言ってるの、この人。
「ア、アイちゃん、最初から、読んでくれているんだよね? この小説。」
「失礼な。疑うの? ボランティアとはいえ、一応お友達やって上げているんだから、当然よ。」
ボランティアって何だよ。と、少し引っ掛かりましたが、その時は、それどころではなかったのでございます。
「あ、あの。あのぉ……。」
「前振りも、説明も無しに、いつもいきなり登場するんだもん。分かりにくいよ。字も読めないし。」
「だから……。そのぉ……。」
「そういう自己満足的ストーリー展開は良くないよ。読んでくれている人の事を考えなきゃ。」
「は、はあ……。すみません……。」
符璃叢が誰かも分からずに読んでて、この人ちゃんと読解出来ているのかしら。驚きのあまり、オカマになっちゃうわ。
それとも、本当に私の文章は分かりにくいのでしょうか。
もう、何が正義なのかも判別出来なくなった、秋の日の昼下がりなのでした。