愛しのエロイーズ
吊り上げられたエロイーズを追って目線を上げた。天井には何時の間にか蜘蛛の巣が張り巡らされ、今迄倒した魔物達も全部絡め取られていた。
「礼を言う……。」
蜘蛛女が喋った。妙に甲高い声だ。
「ゴブリン共を食料にするのは禁じられていた。でも死体なら構わんだろう。」
つまり、こいつが大人しくしていたのは、死体の山が出来上がるのを待っていたという訳か。しかし、今気になる言い方をした。「禁じられている。」誰に? それはこの銀座線ダンジョンを支配する大ボスではないのか? 和臣はカマを掛けてみた。
「禁じているのは新橋に居るボスか?」
「そ……。」
蜘蛛女は返事をしかけて、黙った。
あと一歩だったのに、と和臣は残念がった。
「きんじていゆのは、しんばしにいるボスでちゅか?」
「そうよ。」
続け様に同じ質問をされ、つい答えてしまった。
「ボスのじゃくてんはなんでちゅか?」
「答える訳ないでしょ、クソガキ!」
うーん、最初は強キャラっぽく、余裕綽々で話し掛けて来たのに、すでに地金が割れた感じだな。和臣は、こいつ大した事ないかも、と思い始めていた。
だが、それが甘い認識だとわかったのは、自分の足元が何時の間にか蜘蛛の糸に侵食されていると気付いた時だった。
「ほっほっほっ、やっとお気付き? もう貴方達は動けない。私に食べられるのを待つだけなのよ。」
和臣は慌ててプリ様と紅葉を見たが、二人とも同じ状態みたいだ。一歩も動けないどころか、糸は段々身体の上の方まで伸びて来ている。
「紅葉、大氷結だ。あれなら糸を全部凍らせて、たたき割れる。」
「何言ってるの? あんたバカなの? 大氷結はさっき使っちゃったでしょ。」
そうだよ、使ってたよ。っていうか、バカはお前だ。和臣は頭を抱えた。
「最初はこいつから食べるとするよ。私は美味しそうなものから一番に食べる主義でね。」
蜘蛛女の腕がグルグル巻きになっているエロイーズを手繰り寄せ、両手で抱えた。エロイーズは顔面蒼白、恐怖で口もきけない状態だ。助けて……、という感じでチラリとプリ様を見たが、またプイッと顔を背けた。
「あーもう、あんたも頑固ねえ。何をそんなに怒っているのよ。」
俺もお前に何でそんなにイライラしているのか聞きたいよ、とエロイーズに怒鳴っている紅葉を見て和臣は思った。
「どうして……。」
「何よ。はっきり言いなさい。」
エロイーズは泣きながらプリ様を見た。
「どうしてお母様の玉座にのりこむ時、私をおいていったの?」
そこか〜! プリ様は手をポンと打ちそうになって自重した。
「はあ? あんたを死なせたくなかったからに決まっているでしょ。実際、私達は全滅したんだし……。」
そこまで言って紅葉は思い当たった。
「あんたは生き残ったのよね。あの後、あの世界はどうなったの?」
聞かれてエロイーズは口籠った。
「あの後……。」
「あの後?」
「わ、私を王に迎えて、魔王軍奇跡の大反撃が始まったのよ。」
「ほう、それは凄いな。」
和臣&紅葉が言った。ほとんど信じていなかった。プリ様に至っては、最後の大技に巻き込まれて死ぬのを見ているだけに、与太話が始まったか、くらいの反応だった。
「何? 信じてないの? 私の国土はお母様よりも広くて、その支配は苛烈を極めたのよ。」
「ふーん。」(プリ様&和臣&紅葉)
「つまり、貴方達の戦いは全く無駄になったの。人間共は暴君ハバ……、もとい暴君エロイーズの名を呪いながら死んでいったのよ。」
何でこんなリアリティーの無い嘘を自慢気に言い散らかせるのだろう。
「で、具体的にはどんな酷い仕打ちをしたの?」
「えっ……。」
紅葉に聞かれて詰まった。
「えっとぉ……、そう、そうよ。お誕生日にケーキを食べるのを禁止したわ。」
「へーっ。」(プリ様&和臣&紅葉)
「後は、えーと、サーカスの観覧料を倍にしたし、夜は九時に寝るように決めたわ。」
魔族のくせに頭のどこにも悪魔的回路が付いてないのだな。三人は溜息を吐いた。
「どうしてこんな酷い事をしたかわかる?」
酷いとも思わないし、別に理由も聞きたくない。ていうか、嘘だし。
「トールが私に嘘を吐いたからよ。」
ああ、結局そこに戻って来るのね。
「あの初めての晩、トール言ったよね。どこに行くのも一緒だって。ずっと傍に居てくれるって。」
泣きじゃくりながら訴えかけて来るエロイーズを見ながら、プリ様は溜息を吐いた。トールはエロイーズも連れて行くつもりだったのだ。だが、アイラが彼女をいじめてパーティの歩みが止まった時、肩に背負っていた温もりがとても愛おしいものに感じられ「生きていて欲しい」と強く願ったのだ。
自分達が勝てば自分が迎えに行けば良いし、魔王が勝てば魔王が彼女を保護するだろう。どっちに転んでもエロイーズは助かるんだ。そう思ったら、肩から下ろしていた。
「エロイーズ! 約束する。今度こそ破らない。死ぬのも生きるのも一緒だ。」
あれ、プリが何だかはっきり話している。和臣と紅葉は耳を澄ませた。
「わたちがばかだったの。いっしょにいくべきだったの。」
気のせいか、と二人は思った。
エロイーズは涙をボタボタ零していた。
「約束だよぉ。」
「やくそくすゆ。」
良かった、良かった。と紅葉も貰い泣きしていた。
「あのぉ、そろそろ食べても良いかな?」
「うきゃあああ、忘れてた。」
蜘蛛女に話し掛けられて、エロイーズが悲鳴を上げた。
和臣はギリッと歯を食いしばった。彼にも紅葉と同じように「大火炎」という必殺技がある。だが、可燃性の良さそうな糸で天井や床が覆われているこの空間で使用すれば、全員が消し炭になるのは必至だろう。
あれ、詰んでんよ。和臣の思考は恐ろしい現実に突き当たった。やべえ、どうすんだ。彼の視線は知らずにプリ様に向かっていた。
集団の構成員は追い詰められるとリーダーを見てしまうという。気付けば紅葉もプリ様を見ている。
おいおい、しっかりしろ、俺。プリを頼って、どうするんだ。和臣は自らの頬を叩いた。しかし、どうしてもプリ様を見てしまう。
「あんたらには何も出来やしないさ。だって動けないんだからね。此処で私がこの女を美味しく頂くのを指を咥えて見ていな。」
蜘蛛女はちょっとイヤラシイ手つきでエロイーズのお腹を撫で、彼女はビクンと身体を震わせた。
その時、物凄い地鳴りがして、プリ様の半径一メールの範囲が陥没した。蜘蛛女が何かしたのでもないみたいだ。彼女も驚いている。
「うごけゆよ。」
陥没穴からピョンとプリ様が飛び出した。さしもの蜘蛛の糸も、陥没し、地割れまでしてはズタズタになっていた。
プリ様はスタスタと蜘蛛女の真下までいった。
「えよいーず、ぷいのなの。て、だすななの。」
幼女とは思えないほど、男前の台詞を吐いた。
「動けるから、何だっていうのさ。此処まで、あんたの短いお手手が届くっていうの?」
天井という安全圏から喚いた。
プリの跳躍力なら……、と和臣も思ったが、所詮は放物線運動である。蜘蛛女との接触は一瞬。しかも空中では有効な攻撃が出来るとも思えない。実際、今迄のプリ様の攻撃も位置エネルギーを使用したものだ。
「なめゆな。」
プリ様は右の拳を握り、蜘蛛女に向けて突き出した。
「何それ。何なの。お嬢ちゃん、何の遊びでちゅかあ?」
完全にバカにして煽って来るが、プリ様は動じる様子もなくニヤリと笑った。
「反重力ぱーんち。」
プリ様は天井に向かって自由落下して行った。蜘蛛女に拳が迫る。それと同時に彼女は自分の身体が天井に引っ張られるのを感じた。天井が地面になり、しかも重力が強くなっているのだ。
蜘蛛女はゾッとした。この強い重力下では幼女の拳とて立派な凶器だ。
パンチが蜘蛛女の頬に食い込んだ。そして容赦なく頭蓋骨を砕き、脳を抉って行く。
何でこんなに拳が硬いんだ。
それが彼女の最後の思考だった。蜘蛛女は脳漿を飛び散らしながら死んだ。
エロイーズには反重力は働いてなかったのか、蜘蛛女の絶命とともに身体が落ち始めた。それをプリ様は受け止め、短い手をいっぱいに伸ばしてお姫様だっこをしながら、地面にフワリと降り立った。
少し遅れて蜘蛛女の身体も落下して来た。蜘蛛の足は暫く痙攣していたが、やがて動かなくなった。
「ぐやたん。」
その死体に向けてプリ様が呟いた。
「グラッチェでしょ。っていうか何に感謝しているのよ。」
紅葉に訂正され、言い直した。
「ぐやっちぇ。」
勝利の味はどこかほろ苦かかった。
あなたがただ純粋に好き。例え同性でも、幼女でも。
このエロイーズ(=昴)の想いが、この小説のテーマです。
とか言ってみたりして。