黒鉄色のハンマー
プリ様の放った天羽々矢は、ファレグの結界をスルリと抜け、悪魔オクトパスの外装に当たると、吸い込まれる様に、細い穴を開けながら、その本体へと一直線に突き進んだ。
その一連の動きは、人に視認出来るものではなく、プリ様の手を離れた矢が、悪魔オクトパスの本体の頭部を貫くまでは、正に光の速度に匹敵する速さであった。
「ブリュリュリュリュリュー!」
不快な雑音を上げて、悪魔オクトパスの外装が弾け飛んだ。だが、本体は、まだ、死んではおらず、苦しさに身体を揺すりながらも、しぶとく御前様に触手を巻き付けていた。
『にぎはやひのみことと じいさんは いって いたけど、はだが しろくて おんなのこ みたいだな……。』
触手の隙間から、チラチラと見える饒速日命の肌を見ながら、ファレグは思っていた。
「おおっ。おおっ。御前様、なんとお労しい。プリよ〜。早う御前様を救ってやってくれ〜。」
ナガちゃんは胸の傷を押さえながら、ポロポロと涙を落とした。
「わたちに まかせゆの。たこ だけに〜。」
プリ様はミョルニルを眼前に突き出した。黒鉄色のハンマーが、ギラリと光った。
「たこなぐりに してやゆの。」
攻撃衝動を剥き出しにしたプリ様が、喜色に目を輝かせながら、ミョルニルで悪魔オクトパスの頭を滅多打ちにしだした。それは、もう、相手が可哀想になるくらい容赦無く。
「ブ、ブリュ。ブリュリュリュー。」
しかし、腐っても邪神。悪魔オクトパスも、悲鳴を上げつつも、踏ん張っている。
「もおおお。めんどう なの。」
ヌルヌルとして気持ち悪い、悪魔オクトパスを、直に触れたくなくて、ミョルニルで殴っていたプリ様だが、あまりの往生際の悪さに、素手による身体構造物の原子レベル破壊に切り替えた。
「げんしの ちりに なゆの。」
プリ様が殴り、悪魔オクトパスが再生する。その攻防を繰り返していたが、とうとう、そのうち、プリ様の破壊速度が、再生速度を追い抜き始めた。
「ブリュー!」
慌てる悪魔オクトパス。しかし、プリ様は拳を打ち込み続け、徐々にその身体は削られていった。
「何という無茶苦茶な奴じゃ。あの不死身の化物が、再生する前に破壊するとは……。」
呆れた様な、ナガちゃんの独り言が漏れる頃、悪魔オクトパスは塵になり、空中に四散してしまっていた。
「うわっ。まぶしいの〜。」
邪神が散り、御前様が姿を見せると思いきや、眩い光が辺りを満たし、皆は一斉に目を覆った。
「ご、御前様……。」
ナガちゃんが呟くと、段々、光は弱まっていった。次にプリ様達が目を開けた時、其処には、真っ白な肌をした金髪の美女が、夢から覚めたばかりの様な目で、周りを見回していた。
泣くハギトを、紅葉と和臣、六連星はあやしていて、リリスは、皆と少し距離をとっていた。
「あら、あなたの えものが、こりつ しつつ あるわよ。ちゃんす じゃない?」
「そうね。ふるちゃん、のわけで、りりすちゃんを ふきとばし ちゃって。」
やれやれと、大木の枝に座っていたフルは、着ていたオーバーオールのポケットから扇を取り出し、木の葉の落ちるが如く、ヒラヒラとリリスの目の前に降り立った。
「オフィエル?!」
突然、現れた幼女に、リリスは驚き、声を上げた。
「ざんねん。『ふる』よ。」
リリスの思考が現実に追い付かない間に、フルは、両手に持った扇を、舞う様な仕草で振り回した。
「のわけそうりゅう!」
野分双龍。光極天の分家が使う技ね。
リリスは、思ったと同時に、皆から引き離されて、森の奥の方に飛ばされて行った。
何事? 突然の突風に、和臣達は振り返った。そして、飛ばされるリリスを見て、追いかけようとした。
「いかないでぇ。ひとりは いやぁぁぁ。」
だが、泣き出したハギトの声の、あまりの甲高さに、耳を押さえて蹲った。
「何よ、これ。超音波なの?」
六連星が悲鳴を上げた。その時、周りの大木に皹がはいり、バキバキと、倒れ出した。
『やばい。』と思った時は遅く、和臣達は倒壊した木々の下敷きになっていた。
一方、飛ばされたリリスは、昼なお暗い、鬱蒼とした森の中で、身体を起こした。枝々の隙間から、所々に陽光が射し込んでいた。
「やっと、ふたりきりに なれたわね。りりすちゃん。」
自分が手を付いていた大樹の裏側から、耳慣れた声が聞こえて来て、リリスは「ひいっ。」と小さく叫んで、其処から飛び退いた。
そんな彼女の様子になど頓着せず、オクが、ゆっくりと、姿を現した。
「どうしたの? いつも みたいに、とびかかって こないの?」
「うっ、ううっ。」
リリスは、必死に、賢者の石で、剣を生成しようとしているのだが、出来なかった。指先も膝蓋も、みっともないくらいに震えていた。
「こわいの? わたしが。」
「…………。」
「ようやく きづいた? わたしと あなたの、こえようも ない、じつりょくの さに。」
「うっ……、うあああ。」
なんとか作った一本の剣を振りかざし、リリスは斬りかかった。震える足は、ヨタヨタと歩を刻み、剣先は覚束ない。とても、攻撃と言えるものではなかった。
オクは避けもせず、右の掌をリリスに向け「ふん。」と気合だけで、彼女の身体を突き飛ばした。
「あ……。ああっ……。」
「これが しんい。にんげん ごときに、あらがえる はずも ない ちからよ。」
「い、いやあああ。こないで。」
リリスは近付いてくるオクに、闇雲に剣を振り回した。しかし、次の瞬間には、剣は消え、五メートルは離れていたオクの顔が、吐息がかかりそうなほど、間近にあった。
「? ? ?」
「ふふっ、わけが わからないって かおね。」
咄嗟にバク転をして、距離をとるリリス。しかし、着地した途端、遠去かった筈のオクに、唇を奪われていた。
「んっ、んんん〜。」
「あっははは。むだよ、いくら にげても。だって、わたし、じかんを とめられるん だもの。」
時間を止める? あまりに法外な話に、リリスはその場にへたり込んだ。
オクは普段、神々達に気付かれないよう、自らの「神の力」は使わないようにしていた。しかし、この空蝉山周辺は、封じられている饒速日命の神気が溢れていて、少々使用しても、目立たないのだ。
その先は、もう勝負にならなかった。リリスは一方的に蹴飛ばされ、殴られ、仰向けに地面に転がった。その頭を、オクの足が踏みにじった。リリスの頰を涙が濡らした。
「くやしい? かなしい? こわい?」
微笑みを浮かべながら、オクが訊ねた。
「わたしに したがうなら、そんな くるしい おもいを しなくて いいのよ。」
「嫌! 絶対に嫌!」
「それなら しかたないわ。ちからづくで うばって あげる。」
バシュッと、視界が鮮血で染まった。暫くすると、焼け付く様な痛みが両手足に走り、自分の膝から下と、肘から先が、地面に転がるのを見た。
「あああっ。ああっ。」
「もう、こんなもの ひつよう ない でしょ。」
オクはリリスの前腕を拾って、その指先をちょっと舐めた。
「あなたの いばしょは、もう、わたしの べっどの うえだけ。わたしの なぐさみものの かちくが、あなたの これからの ゆいいつの そんざいいぎ。」
痛みに気が遠くなりながら、リリスは、傲慢なオクの台詞を、聞いていた。失ったのは手足だけではない。将来の希望も、人間の尊厳も奪われたのだ。
許せない。そんな事、許される筈もない。いくら、神に等しい力を持っているからといって、どうして彼女に、自分の全てを毟り取る権利があるのだ?
「さてと、では たのしませて もらうわ。この あいだの つづきね。」
抵抗する術を失くしたリリスは、迫って来るオクを、ただ見ているしか出来なかった。
結局、力なのだ。
弱いから、蹂躙されるのだ。力が欲しい。力が、力が……。
リリスの心が、純粋たる怒りに満たされた時、賢者の石が砕け散った。
コロス。オクヲ コロス……。
突如、四肢を失ったリリスの身体が浮かび上がり、馬乗りになろうとしていたオクが、転がり落ちた。
『なにが おこったの?』と、リリスを見たら、彼女の背中に大きな翼が生えた。その目は黒一色になり、裂けるのではないかと思うほど、顎を大きく下げた。口内には、太陽をも溶かす高温の火球が装填されていた。
『やばい。』
咄嗟に逃げようとしたオクを追尾して、リリスの頭が、グルンと、彼女の方を向いた。
き・え・ろ!!!
吐き出された火球は、オクの身体を包み込み、その後ろ、一キロにおよぶ森の巨木を、瞬時に焼き尽くした。
次も少し、更新期間が空くと思います。すみません。