真っ赤な血の塊
やったか?
濛々たる霧の中に目を凝らすと、アドバルーン程の大きさの頭をした蛸が、無数の触手を垂直に立てて、頭を地面から、二メートルくらい、浮かび上がらせている姿が、薄っすらと見えた。
『あれが あくまおくとぱすの ほんたい?』
プリ様が近寄ろうとして、二、三歩踏み出すと、空中に四散していた悪魔オクトパスの身体を構成する原子が、アッと言う間に収束し、元の形に戻った。
「あぶない! むらちゃん。」
復活するや否や、凄まじい勢いで、触手の雨がプリ様に降って来た。ファレグの礫の援護を受けて、プリ様は、なんとか、彼女とナガちゃんの元に後退した。
「うにゅ〜。きもちわゆいの がまんしたのに〜。」
予想外の再生速度だ。攻撃には防御でなく、再生する事で、耐性をつけているみたいだ。
「でも、ほんたいは みえたの。」
プリ様が、先程見たものを伝えると、ナガちゃんが叫んだ。
「その触手の中に、御前様は封じられているのじゃ。おおっ。おいたわしい。」
そうか。ということは、本体を避けつつならば、御前様を潰さずに、重力攻撃が使えるかもしれない。
ナガちゃんの言葉を聞いた、プリ様は、そう思った。
「ぐらびてぃぼーる!」
再び、飛び出して行ったプリ様は、触手攻撃を躱しながら、悪魔オクトパスに接近し、グラビティボールを数個投げ付けた。
プリ様の計算では、ほぼ水分で出来ている、悪魔オクトパスの外装を、超重力で吸い取ってしまうつもりだった。
しかし、グラビティボールは、悪魔オクトパスに触れた瞬間、消滅してしまった。
それを見て、プリ様は思い出していた。昨日のナガちゃんの話を。
神とは「時間」と「空間」と「力」に干渉出来る者。悪魔オクトパスも、また「邪神」という名の「神」なのだ。
「てづまり なの……。」
ファレグの所に戻って来たプリ様は、率直に今の状況を伝えた。
「何とか、考えんかい。光極天じゃろ。」
「わたちは じんのういん なの。」
ナガちゃんと、プリ様が言い争っていたら、ファレグがそれを制した。
「ちょっと だまって。なにか、きこえ ないかい?」
足元から、ゴゴゴッという、地鳴りの様な音がしていた。
「まずい!」
ファレグが、結界を張ろうとしたのも間に合わず、地表を突き破って、地中から、触手が一本飛び出して来た。
「うに〜!」
雷を纏わせたミョルニルで、即座に薙ぎ払ったが、一瞬間に合わず、触手の先端は、ナガちゃんの胸を突き刺していた。
ガハッと血を吐いて、跪くナガちゃん。その途端、悪魔オクトパスの動きが、明らかに早くなり、無数の触手が、プリ様達に襲いかかった。
プリ様達が戦っている、ちょうどその頃、リリス達も空蝉山に迫ろうとしていた。
「どういう事なの? 目の前に空蝉山らしき山が見えているのに、一向に近付いている様子がないじゃん。」
「さっきから、同じ所をグルグル回っているみたいだな……。」
紅葉と和臣の会話に、リリスも頷いていた。六連星は、三人が何を言っているのか、理解していなかった。
「ねえ、空蝉山らしき山って、何処に……?」
「何? あんた、あれ見えてないの?」
「えっ? い、いや。見えているわよ。」
「紅葉。多分、俺達くらいの能力が無いと、見るのさえ難しいんだよ。」
「いや、だから、見えているって……。」
「六連星には、まだ、早かったかしらね……。」
「アマリちゃんまで〜。私は見えてます。」
六連星が絶叫すると、近くの木陰で、誰かがビクッと怯える気配がした。
「そこに居るのは誰?」
「ふ、ふええ〜ん。」
リリスがキツメの声を出すと、大木の裏から、幼女が泣きながら出て来た。
こんな所に幼女? 全員が警戒態勢を取ると、その気配を察した幼女は、益々顔を強張らせた。
「ふ、ふえええ。ふえーん。ふえっ、ふえっ。ふえええええええん。」
その声たるや。爆撃でも始まったのかと思う程だ。
「あ、あらあら。泣かないで。誰か一緒じゃないの?」
リリスは、思わず警戒を解いて、駆け寄った。
「は、はぐえ、はぐれちゃったのぉ。ふえええ。おふぃえるちゃん、おくさま〜。」
オフィエルにオク! こいつ、やっぱり七大天使の一人か?
リリスは跳びのき、残りの三人は、再び戦闘態勢に入った。しかし、幼女は攻撃などして来ず、ひたすら泣きじゃくっているだけであった。
「……。えーと……。なんか、本当に、ただの迷子みたいだな……。」
「ほ、捕虜って事でいいのかな……。」
和臣と紅葉の台詞に、リリスは溜息を吐いた。
「お嬢ちゃん、お名前は?」
幼女に近付き、優しく頭を撫でて上げながら、リリスは尋ねた。
「ぐずっ。ふええ。い、いまは、はぎと……。」
ハギト……。やはり幼女神聖同盟七大天使で間違いないみたいだ。
「お姉ちゃんはリリスよ。もう、泣かないで、ハギトちゃん。」
「りりす? わたし、しってるよ。」
ハギトは、パッと顔を輝かせた。
「おくさまが、どれい にして、かおうと している かちく でしょ?」
「誰が家畜よ!」
怒鳴られて、一瞬笑顔を見せたハギトの表情が、また、見る見るうちに、曇っていった。
「ふ、ふ、ふ、ふえええええええん。おこった。かちくが おこった。こわいよぉぉぉ。ふえ〜ん。」
「家畜と言うなー。」
「お、落ち着けよ、リリス。」
激昂し、今にもハギトに手を上げそうなリリスを、和臣が抑えた。
「どうしたんだ? 昨日から。らしくないぞ。」
和臣の問い掛けには答えず、リリスは背を向けた。その肩先は、細かく、震えていた。
そんな、皆の様子を、オクとフルは近くの巨木の上から見下ろしていた。
「あのこ、べらべら、よけいな ことを はなして ますわよ。」
「いいのよ。どのみち はぎとちゃんに はらげい なんて できないもの。」
話しながら、オクはリリスの様子を、薄く笑みを浮かべながら見ていた。
『もう、よゆう なんか、かけらも ない みたいね。わたしへの きょうふで、あたまが いっぱいって、ところかしら。』
熟し切った果実が、もうじき、この手の中に落ちて来る。楽しみで笑いが止まらない、オクであった。
真っ赤な血の塊が、地面を赤く染めた。
「ナガちゃん!」「じいさん!」
「わ、わしは大丈夫じゃ。それより、結界をもっと厚く張れ。」
ナガちゃんは苦しい息をしながらも、二人に微笑んでみせた。玲は賢者の石を地面に置き、張っている結界を、更に強固にした。
結界の外では、悪魔オクトパスの猛攻が始まっていた。無数の触手が、目にも止まらない速さで、雨霰と降って来る。
「すごい はやさだ。」
「あ、あれでも、まだ、時間を遅くしている方なのだ……。」
ナガちゃんが、ゼエゼエと、荒い呼吸をしながら言った。
状況は最悪であった。プリ様の全ての技は封じられ、賢者の石は、結界を張るのに使用しているので、礫の攻撃も出来ない。このままでは、いずれ結界を破られて、触手に刺し殺されるのを待つしかない状況だ。
「すまんかったのぉ。幼いお前達を巻き込んでしまって……。」
「いや、じいさん。そうそうに あきらめないで。」
ナガちゃんとファレグが話していると、プリ様はスックと立ち上がって、悪魔オクトパスを睨んだ。
「むらちゃん……?」
ただならぬプリ様の佇まいに、ファレグは息を呑んだ。その間にも、プリ様は、ゆっくりと射の構えをとった。
「天羽々矢を使うつもりか? 無駄じゃ。本体を的確に射抜かねば、効果はないわい。」
ナガちゃんに言われても、プリ様は構えたまま、悪魔オクトパスを睨み続けていた。
「止めんか。出鱈目に射って、御前様に当たったりでもしたら……。」
「でたらめ じゃないの。」
言葉を押し出す様に、プリ様は静かに答えた。
「みえゆの。みゆの。ほんたいを かくじつに……。」
そうか!
ファレグは、空蝉山に入った日の、朝の出来事を思い出した。プリ様は、朝露に濡れた木の枝を構成する物質を、分子単位で把握して、水分子だけを抜き取った。それを応用すれば……。
そこまで考えて、ファレグは行き詰まった。
「でも、むらちゃん。あくまおくとぱすの がいそうと ほんたいは、おなじ ぶっしつで、こうせい されて いるんじゃないの?」
それでは、分子単位で見ても、区別はつかない。
「そうなの。でも、あくまおくとぱすと ごぜんさまは ちがうの……。」
プリ様は集中力を高め、魔法子の塊の見えない矢は、細く硬く、収斂されていった。
「やつは いゆの。ごぜんさまの あたまの うえに!」
プリ様は吼え、引き絞った矢を放った。
ちょっと、また、投稿期間が空きそうです。(段々、お仕事が忙しくなって来てまして……。)
代わりと言っては何ですが、謎の不定期連載「幼女スペースキャプテン プリムラちゃん」を、更新します。
良かったら、読んでみて下さい。