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線香花火

「立てるか?」


 いち早く回復した和臣は、紅葉や六連星を助け起こしていた。


「リリスも……。」


 最後に、離れた場所にいたリリスへ手を差し伸べると、顔面蒼白の彼女は、怯えた顔で、その手を払った。


「いやあああ。」


 リリスの悲鳴に、紅葉と六連星も、そちらを向いた。


「何? 和臣、あんたリリスに何かしたの?」

「い、いやいや。してないって。」


 怪訝な顔で見て来る紅葉に、和臣は、慌てて、手を振った。


「あっ……。ご、ごめんなさいね。ちょっと、動揺していたわ。私とした事が……。」


 今、リリスの胸中を占めているもの。それは、純然たる恐怖であった。


 オクが本気で自分を犯そうとし、それに対して、何らの抵抗も出来なかった。思い起こせば、前回、阿多護神社で戦った時も、為すすべも無く、唇を奪われていた。

 つまり、オクが、その気になれば、自分を蹂躙するなど、造作も無い事なのだ。


 そう思い至った時、全身を駆け巡る様な、不快な緊張感が走り回り、ジッとしてはいられない焦燥感に、リリスは苛まれた。


 クラウドフォートレスでの屈辱の一夜を経験しても、心を折られる事無く戦って来られたのは、いつか、雪辱を晴らしてやろうという希望を持っていたからだ。

 しかし、あまりにも違い過ぎる実力の差を見せ付けられて、リリスの心は絶望に染まりそうになっていた。


 雪辱を晴らすどころか、このままでは、オクのものにされるのは確実だ。

 あの幼女の形をした悪魔に、乙女の純潔も、戦士としての誇りも、人間としての矜持も、何もかもを奪い尽くされ、惨めな慰み者として、その足元に平伏す未来しか見えないのだ。


『力が……、力が欲しい。』


 逆境にあっても折れない心、それこそが真の強さ。

 そう、雲隠島で悟った筈なのに、執拗に恐怖を煽って来るオクの所為で、リリスは再び力を欲し始めていた。


『どんな逆境にだって耐えてみせる。でも、あいつの奴隷になるのだけは死んでも嫌。それくらいなら、穢れた血の、呪われた力を使う、化物にだって……。』


 リリスは胸腺の辺りにある、賢者の石を、ソッとなぞった。




 プリ様が爺さんの屋敷で、天羽々矢の修行を始めてから、二週間が経っていた。今日も朝から、プリ様は、弓道場で、ひたすら矢を射っており、その横で、ファレグと爺さんが、訓練を見守っていた。


「でも、にしゅうかんは ながすぎ じゃない?」


 ファレグがこぼすと、爺さんが顎髭を扱きながら答えた。


「大丈夫じゃ。此処は、時間の進み方が早くなっておる。外の世界では、まだ半日も経っておらんよ。」


 その時、プリ様の振り絞った腕が、天羽々矢を射った。矢は、厚さ一メートルはある、鋼鉄の的を、豆腐みたいに簡単に射抜いた。


「うぬ、いいじゃろう。明日は、御前様と対面じゃ。」


 爺さんの言葉に、プリ様は小躍りした。


「うわーい。やっと、たいくつな しゅぎょうが おわったの。」

「良し、良し。今日は、褒美に、ご馳走をたらふく食べさせてやるぞい。」


 ご馳走、と聞いて、ピッケちゃんも嬉しげに、プリ様の足元に纏わり着いて来た。その和やかな空気を破って、ファレグが声を上げた。


「いや、ちょっと まって。じかんの すすみかたが はやいって、どういうこと? じいさんは、じかんを あやつれる のかい?」

「当然じゃ。わしは『神』じゃぞ。」


 簡単に言うな〜。ファレグは頭を抱えた。


「玲よ。『神』とは、どんな存在だと思う?」


 急に真顔で問われて、ファレグは詰まった。


「うーんとね。ごちそう たべさせて くれゆの。」


 代わりに答えたプリ様に、爺さんは微笑んだ。


「まあ、それもあるがの。大雑把に言えば『時間』と『空間』と『力』に干渉出来る者だ。」


 また、とんでもない事を言い出した……。ファレグは、再び、頭を抱えた。


「干渉出来る度合いに応じて、ランクも変わって来るのじゃ。例えば、わしは進み方を遅くは出来るが、逆行させたりは出来ぬ。」


 逆行させられる奴が居るのか? 「神」の恐ろしさに、ファレグは戦慄した。


「じゃあ……。そもそも、この せかいの『じかん』『くうかん』『ちから』は、だれが つくったの?」

「その三つを創り出せる者と言えば、神の中でも、一握りじゃ。」

「なぜ? かみがみ(神々)は せかいを つくったの? その かみがみ(神々)は どこに いるの?」


 勢い込んで質問するファレグに、爺さんは、フッと、慈愛に満ちた表情を見せた。


「神々は遍く世界に遍在しておる。そして、世界は『命』の為に創られるのじゃ。」

「…………。」

「玲……。魂だけでも、肉体だけでも『命』は生きているとは言えぬ。それは、誰よりも、お前が、一番感じておるのではないか?」


 この爺さん、僕の事情に気付いている?

 そう思うと、もう何も聞けなかった。


 ファレグが考え込んでいると、袖を引かれる感触で、我に返った。見ると、プリ様が、ニコニコと、笑いかけていた。


「だいじょぶなの、れい。わたちが、ついてゆの。」

「む、むらちゃん……。」


 ファレグは、ヒシとプリ様に抱き付いた。そんな彼女の頭を、プリ様は優しく撫でて上げた。


「命有ればこそ、友情も生まれる……。さあ、飯にするかの。」

「うわーい。おじいたん、かれー(カレー)が いいの。」

「阿保か。もっと、良いもん、食わせてやるわ。」


 なんせ、明日は、確実に「奴」を葬ってくれねば困るからの……。

 爺さんは、悪い顔で、ニヤリと笑った。




 夕飯を食べ終えると、プリ様とファレグは一緒にお風呂に入り、上がると、二人でトランプをして遊んだ。

 ここ二週間、二人は常に一緒だったが、飽きるという事はなく、何もせず、ただ座っているだけでも、満たされた気分になった。


 助け合って死地を乗り越えて来た連帯感、というものもあったのだろうが、やはり、生来ウマが合う性質同士だったのだろう。その息の合い方には、親友と呼んでも差し支えない絆が感じられた。


「差し入れじゃ。この屋敷での最後の夜。楽しむが良い。」


 そう言って、爺さんが「徳用セット」と書かれた、大きな花火の袋をくれた。

 どっかのホームセンターで買って来た様な花火だな……。と、玲は思った。


 その「徳用セット花火」を持って、皆んなで夜の庭に行った。

 閉鎖空間である空蝉山の上空は、星空は見えず、漆黒の闇に、薄白い霞がかかったみたいな景色だ。


「れーいー。はやく、やゆの。」


 庭に飛び出たプリ様は、もう、期待で顔を輝かさんばかりにしていて、ピッケちゃんも興奮のあまり、翼を出して、飛び回っていた。


「おや? お前さんも、神獣か。」


 そのピッケちゃんの姿を見て、爺さんは呟いた。


「空蝉山近辺の生まれかの?」


 空蝉山の周辺では、魔物が生まれやすいと聞いていたが、それは、神獣の間違いだったのではないかと、爺さんの呟きを聞いて、ファレグは思っていた。

 おそらく、空蝉山から漏れ出す、二千年様の神気が、胎児に何らかの影響を及ぼすのだろう。


「れい、れい。やよう〜よ〜。」


 プリ様に急かされて、ファレグは思索を破られた。


 ごめん、ごめん。と、ファレグが近付いて来るのを見て、プリ様は据置型の花火に火を点けた。


「きゃ〜い。にげゆの〜。」


 導火線がシュルシュル音を立てるのを聞いて、プリ様は、はしゃぎながら、ファレグの所に駆け寄った。


『やっぱり、むらちゃんは こわいもの しらず だな。』


 三歳で、花火に火を点けられる子は、そんなに居ないのではないだろうか。


「きれい なの、れい。」

「うん……。」


 二人は、爺さんから貸与された浴衣の袖が、触れ合うくらい、くっつきながら、色とりどりの火花を散らす花火を、固唾を飲んで、見守っていた。


「むらちゃん、これも きれいだよ。」


 暫く色んな花火を楽しんだ後、ファレグが、手持ち花火を取り出した。


「……。じみ(地味) なの……。」

「まあ、そう いわず。」


 ファレグは、線香花火に火を点けて、プリ様に渡した。確かに派手さは無いが、小さな火花が爆ぜては消える有様に、知らず、プリ様も引き込まれていた。


「これは、これで……きれい なの……。」

「でしょ。」


 二人は座り込んで、爆ぜる花火を、黙って見詰めた。


「ああっ……。」


 おしまいに、火の玉がポツンと地面に落ちて……、線香花火の輝きは、深い闇へと消えてしまった。


「れい……。」

「うん……。さみしいね。」


 二人は、暫し、火の玉の落ちた土を眺めていた。



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