空っぽの寝袋
朝、ファレグが目を覚ますと、隣には、もぬけの殻になった空っぽの寝袋が置いてあった。
『まさか、むらちゃん ひとりで いってしまったんじゃ……。』
慌てて辺りを見回したが、やはりプリ様の姿は無かった。彼女は寝袋から出て、とにかく後を追わなくては、と立ち上がると、頭上から風切り音が聞こえて来た。
何だ? と思って上を見上げたら、プリ様が、川面に向かって、上空から急降下していた。
バシャ〜ン! と水のはねる音がして、水面を滑る様にして、河原に戻って来たプリ様の両手には、ピチピチと動くお魚が握られていた。
『あんな ふうにして、さかなを とっていたのか!』
正に予想外であり、規格外であった。釣竿も網も持っていないプリ様が、どうやって漁をしたのだろう、という疑問は昨日から抱いていたが、まさか、こんなやりかたをしていたとは、夢にも思っていなかったのだ。
「れ〜い〜。」
ファレグが起きているのに気付いたプリ様は、河岸で両手を持ち上げて、獲物を見せた。
ファレグは、彼女が自分を呼ぶ声が、何故か耳に心地良く、思わずニッコリと微笑んだ。
「また、おさかな やいて ほしいの。」
ファレグの作る焼き魚が、すっかり、お気に入りになったプリ様は、近寄るなり、そう、ねだった。見れば、いつの間にか、焚き火に使う枝も十分な量を集めて来ていた。
「おさかな くらい いくらでも やいて あげるけど……。」
ファレグは、枝を持ち上げて、少し首を振った。
「あさは えだが あさつゆに ぬれて、ちょっと ひが つきにくいんだ。じかんが かかると おもうよ。」
そう言われて、プリ様は、自分の集めた枝の山を見た。
「みずけが なくなれば いいの?」
「まあ、そうだけど……。」
そこでプリ様は、小ちゃな頭脳をフル回転させて、考えた。つまり、枝に染み込んでいる水分だけを、分離すれば良い訳だ。どうやって?
プリ様は枝を更に凝視した。
『おさかなが たべたい。おさかなが たべたい……。』
その一念で睨んでいると、突然、自分の周囲の空間を、今までとは違う認識で捉えられた。その新しい視界では、枝を構成する物質を、分子単位で把握出来た。
水分子だけを、魔法子で移動させ、抽出すれば良いんだ。
幼いプリ様は、決してその様に、理論的に結論付けたのではないが、まるで本能であるかの如く、すべき事は理解していた。
その全ては、焼き魚を早く食べたいという思いによって、引き出されたのだ。恐るべき食い意地であった。
「え〜い、なの。」
プリ様が右手を上げると、それにつられたみたいに、枝の中から水気という水気が、空中に浮かび上がり、無重力状態の様に丸い塊となって、宙に浮かんだ。
「む、むらちゃん……。きみ いったい なにを したの……。」
「すいぶん だけを とりだしたの。えだの なかから。」
そんな事が出来るものなのか……?
ファレグは少し考えて、激しく首を振った。魔法は、その働きかける対象を、正しく認識していなければ、上手く使えない。
プリ様みたいに、物質を分子単位で見るなど、誰にも出来はしないのだ。
「むらちゃん、きみって やつは……。」
ファレグは、我知らず、笑い出した。翡翠漁法といい、枝から水分だけを抜く乾かし方といい、あまりにも、ファレグの常識の範疇を超えていた。
こんな途轍もない子が居るんだ。
『おもしろき ことも なきよを おもしろく……か。こころもち しだいで、せかいの みえかたは、まったく ちがうものに なるんだな。』
一人で考え、厭世的になっていた、昨日までの自分が、とても愚かな存在に思えて来た。
世界は、確かに、自分の望まむ未来に到達したが、その世界にムラちゃんが居るのなら、それだけで生きる価値のある世界なのではないか?
ファレグの胸の中に、生きたい、という強い願いが疼き始めていた。
「なに わらっていゆの? れい、ばかに してゆでちょ。」
「ち、ちがうよ。むらちゃんが あんまりにも すごいことを するから……。」
頰を膨らませて睨んで来るプリ様に、ファレグは、慌てて、言い訳をした。
二人で楽しく朝食を済ませ、川の水で顔を洗った。
「のんじゃ だめだよ。きせいちゅうが いるかも しれない からね。」
「わかったの!」
山での出来事は何もかも、プリ様にとっては初めての体験ばかりで、自然と顔がほころんだ。
しかし、身支度を終えると、一気にキリリッと真顔になった。
「れい、おせわに なったの。ぷ……むらちゃんは いくの。」
また、反対されるかもしれないと考えて、神妙な顔つきになった。ファレグは、その様子を見て、フッと微笑んだ。
「むらちゃんの やろうと していること、もう、とめたり しないよ。」
「ほんと?」
プリ様の顔が安堵に緩んだ。
「でも、じょうけんが あります。」
右手の人差し指を立てて、軽く振った。
「ぼくを つれて いくこと。」
その言葉には、プリ様も、意表を突かれた。
「だめなの。あぶないの。」
「そんな あぶない ところに、むらちゃん だけで いかせられないよ。」
「でも、でも、れいは かんけい ないのに……。」
「かんけいは あるよ。」
そこで、ファレグはウィンクをした。
「ぼくらは ともだち。そうでしょ?」
「…………。」
陽だまりの様に明るい笑顔で言われると、プリ様も二の句が告げなかった。
「それにさ、ぼくは うつせみやまに ついては、むらちゃん よりも、くわしいと おもうよ。」
そこまで言われては、プリ様も頷くより他になかった。
「でも、あぶなくなったら、れいは にげて……。」
玲の心遣いが死ぬ程嬉しかった。だけど、彼女を危険に晒すのも嫌だった。そんな相反する思いに板挟みのプリ様は、絞り出す様に、それだけ言った。
「うん。じゃあ、いこうか。」
ファレグも、プリ様の言葉に頷いたが、内心では別の決心をしていた。
『むらちゃんが あぶなく なったら、ぼくが たすける。さいあくの じたいでも、むらちゃん だけは、かならず にがす。』
そんな想いを心に秘めて、満面の笑みを浮かべると、ファレグは先に立って歩き始めた。プリ様も、両の拳をギュッと握って、後について行った。
二人の幼女は、それぞれの決意を胸に、空蝉山へと向かうのであった。
「うぎゃあああ。きもちわるいの。」
獣道を進んでいるプリ様だったが、ふと足元を見ると、沢山の足を動かして、ウネウネと動く、見た事もない生物が目に入った。
プリ様の肩にいるピッケちゃんも、すくみ上がっていた。
「あしが おおすぎゆのぉ。」
プリ様半泣きであった。
「あははは。それは かんじで ひゃくのあし って かくんだ。むかで だよ。」
前を歩いていたファレグが、振り返って、説明した。
「れいは ものしりなの〜。かんじも しっていゆの?」
「うっ……。まあ、たしょうはね。」
多少どころではない。十七歳で意識を失うまでに、漢検一級を取っていた。
「ねえ『れい』って、どうかくの?」
「ぼくの なまえ? れいは これだよ。」
ファレグは木の枝で、地面に漢字を書いてみせた。「玲」
最近、何処かで見た様な気がする。プリ様は「玲」を見て、そう思った。
「むらちゃんは……。」とファレグが言いかけて、プリ様は話を遮った。
「れい……。むらちゃんは ほんとは『ぷりむら』って いうの。みんなは『ぷりちゃん』って よぶの。」
プリ様は、昨日、通報されそうになった事、だから咄嗟に、下の二文字「むら」を名乗った事を伝えた。
『まあ、たしかに。ぼくでも つうほう するよな……。』とファレグは思った。
「ん……。でも、もう、なれちゃったから、ぼくは『むらちゃん』と よぶよ。」
「そっか。なんか、とくべつっぽいの。ぷりも むらで いいの。」
二人は、顔を見合わせて、ニッコリ笑った。
『ぷりちゃんか……。ぷり?』
まさか、オフィエルの言っていた「プリ」か?
ハッとして、プリ様の顔を見詰めるファレグ。プリ様も懐っこい笑顔で見詰め返した。
『いやいや。ぷりって いうのは、ごつい きょかんの はずだ。むらちゃんの はずがない。』
ごつい巨漢などとは、オフィエルは一言も言ってないのだが、ファレグは先入観で、そう思い込んでしまっていた。
そんな遣り取りをしながら、二人と一匹は、ひたすら、空蝉山へと歩を進めていったのであった。
この小説のキャラクターを借りた短編「改造幼女プリムラちゃん!」を投稿してます。
良かったら、読んでみて下さい。




