トラノオ、かまってちゃんに呆れる
奴隷の契約を済ませると、広げられた二枚の翼の紋章が胸元に浮かび上がった。入れ墨のようにずっと描かれているのかと思ったが、暫くすると消えていた。
それから私はトールに担がれて塔を降りた。あれ程望んでいた世界に出るというのに、心は不安で押し潰されそうだった。
城の正面の広場に来ると、街の人達が皆集まり、城から財宝を積み出していた。投降した魔族は鎖で繋がれ、一箇所にかためられていた。
そこに居た一人の男がトールに気付き、声をかけた。
「おう、トール。その姉ちゃんは何だい?」
「カテリーナを追って行ったら、塔の上に居た。」
トールは私を肩から下ろした。足が震えて立っていられず、その場にへたり込んだ。
「こいつ、知っているぜ。俺達が苦役をさせられていた時、塔の上から見て笑ってやがったガキだ。」
その言葉に衝撃を受けた。微笑ましく眺めていた人々の営みは強制労働だったのだ。
「良く見りゃ上玉だ。高く売れるぜ。」
「まあ、その前に俺ら全員の相手をして貰うがな。」
毎日窓から眺め、見知っていた顔、そんな人達に下卑た目で見られていた。涙が出て止まらなかった。
「泣いても無駄なんだよ。」
「俺達が泣いて許しを請うた時、お前達魔族は情けをかけてくれたのか?」
怒り昂った人達に、今にも掴み掛かって来そうな勢いで罵倒された。私が憧れた世界。混ざりたいと願った世間。その何処にも居場所などなかった。私は毎日、塔の下にいる人達から、憎悪の目を向けられていたのだ。
来いよ、と手を伸ばして来た人の手を、トールが払い除けた。
「悪いな。こいつはもう俺が奴隷契約を済ませた。」
群衆がざわついた。
「あんたには感謝している。この街を魔王軍の支配から解放してくれたのだからな。だが勝手は困る。獲物は山分けの約束だ。」
「んー。だから俺の取り分はこいつだけで良い。他は要らない。それじゃあダメかい?」
街のリーダーらしき人への返答で、騒ぎは益々大きくなった。
「おいトール。よっぽどその娘にいかれちまったんだな?」
「おう! 見てみろよ。すげえ美形だぜ。夜が待ち遠しくてたまらないぜ。」
「ハッハッア、ちげえねえ。」
そんな会話が始まり、リーダーも仕方ないと肩を竦めた。私はなし崩し的にトールの物となった。
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「ああ! もしかして競りにかけられたかったとか。」
「高値狙いは前世からか……。」
「そんなんじゃないもん。高値で売られたいとか、どんな変態なのよ。」
現世の貴女ですが……。プリ様達三人は喉元まで出掛かった言葉を引っ込めた。どうやら、思い出した恨みとやらが強過ぎて、昴としての意識が一時的に封じ込められているらしい。
状況は膠着状態を迎えていた。ゴブリンやオークの数は大分減ったが、慎重になった彼等は迂闊に攻めては来ず、ジリジリと睨み合いが続いていた。蜘蛛女も相変わらず沈黙を守って動き無し。プリ様に突き付けられたトラノオは、徐々に切っ先が下がっていき、今やエロイーズはトラノオを杖代わりにしている始末。
宝の持ち腐れもいいとこだ。どれだけ体力が無いんだよ。と、プリ様は思っていた。そもそも前世でプリ様(=トール)がエロイーズを奴隷にしたのは、このトラノオと、もう一振りの刀ゲキリンが原因だ。殺すのは可哀想だが、野に放つのも危険過ぎる。苦肉の策だった。奴隷の持ち物は当然その主人の物となるので、トールは自分の管理下に置く事で二つの刀の力を制御したのだ。
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私に首輪が付けられた。トールの所有物である事を証明する為に、役所から支給される彼の名前が入った首輪を付けなければいけないのだ。首輪を持って来た人は、今迄、私達魔族がこの街の人間に強いていた制度だと言った。家畜も同じ扱いなのだと、付け足して言った。
トールに鎖を引かれて街を歩いていたら、通りを行く人達が皆、私を指差して愉快そうに笑った。見下していた人間の奴隷になった気分はどうだい? とわざわざ聞いて来る人もいた。いつかは歩いてみたいと思っていた道を、こんな惨めな思いで歩くとは思わなかった。向けられるのは嘲りと敵意に満ちた目だけ。人は大勢いるというのに、塔の中に居た時より私は孤独だった。
夜になって、勝利の祝宴が催された。私はトールの隣に座って、彼が取り分けてくれる食事を細々と食べていた。ほとんど晒し物だが、私はまだ良い方だった。売られてお金に換えられる魔族達は、戦利品として会場の真ん中に設えられた台の上に立たせられていた。男も女も服は剥ぎ取られていた。
酔った男達が私を指差し、こいつも台に載せろ、と騒ぎ出した。奴隷のくせにそんなドレスを着ているのは生意気だ、とも言った。怖くて声も出せずに震えていたら、トールの腕が肩に回されていた。
「この後、このドレスを引きちぎるのが楽しみなんだ。それに俺の奴隷の裸は誰にも見せたくないしな。」
「やあだ。トールってば、変態。独占欲強い。えい、こうしてやるぅ〜。」
小柄な少女がトールの頬を引っ張った。綺麗な栗色の髪をしている。
「飲み過ぎるなよ、アイラ。」
「な~に言ってるの。色ボケ無欲のあんたと違って、私は今戦利品を貰ってホクホクなのよ〜。見て、このロッド。」
「アイラちゃんは欲だけで生きているものねぇ。」
「オッス、クレオ姐さん。お褒めに預かり光栄です。」
アイラがどんちゃん騒ぎを始めたので、先程の男達も、もう私に固執しなかった。
「その子、どうするつもりなの? 本当に慰み者にするつもりじゃないんでしょ?」
「するよ。クレオは知っているだろ? 夜の俺のケダモノぶり。」
「まあ、おほほ。セクハラかしら? トールさん。」
トールとクレオが冗談を言い合っている隣で、イサキオスだけは射るような視線で私を睨んでいた。
「俺はまだ、そいつは殺すべきだと思っている。」
「まあ、物騒ね。イサキオスちゃんは何故そう思うの?」
「何故って、そいつは……。」
そのイサキオスの言葉を遮るように「クレオ。」とトールが話し掛けた。
「こいつの換えの服を用意して欲しいんだ。頼むよ。」
「あらあら、本当にドレスを引きちぎる気なのね〜。」
クレオは笑いながら、良いわと頷いた。
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事態に進展があった。トラノオが消えたのだ。おそらく、戦闘もなく、エロイーズに杖代わりにされる境遇に腹を立てたのだと思われる。体重のほとんどをかけているタイミングで消えて転ばせるという、悪意に満ちた消え方をしたので間違いないだろう。
エロイーズはその場にペタンと女の子座りをしていたが、相変わらず、プリ様(=トール)を睨んでいた。わざとらしく頬を膨らませて、恨みがましく上目遣いで見ている。プリ様はトテトテと彼女に近付き「なんで、おこっていゆの? ぷい、よくわかんないの。」とか「ごきげんなおそ、えよいーず。」とか、頭を撫でながら話し掛けている。エロイーズはプイと横を向いて無視しているが、たまにチラチラと横目でプリ様の様子を伺っていた。
それを遠目で見ていた紅葉と和臣は思い出して来ていた。彼等はともに高校一年生、まだ誕生日を迎えてないので十五歳だ。現世での十五年分の記憶があるので、ふたりにとっては、前世はそれ以前の過去という感覚になる。だから、失念していた。エロイーズが非常に面倒くさい女だという事実を。
こういう光景は前世で時々見ていた。髪型を変えたのに気付いてくれないだとか、話し掛けたのに生返事だったとか、ど〜でも良いだろという事で一々拗ねるのだ。
そうすると、今のプリ様みたいに、トールがまた馬鹿正直に御機嫌を取る。それが嬉しくて益々拗ねてみせる。また御機嫌を取る。拗ねる。以下エンドレスループ。
「あんた、良い加減にしなさいよ。」
紅葉(=アイラ)が一番苛々するのが、こういうタイプの女だった。前世では朝御飯の時にこれをやられて、大爆発した記憶がある。今もそのテンションになっていた。
紅葉は右手に全ての力を集めると「大氷結!」と叫び、手刀を振った。すると残っていた十匹くらいのゴブリンとオークは全て凍結して死んだ。一度使うと、六時間は使用不能な紅葉の必殺技だ。
『あれは蜘蛛女との戦いまで温存しておいて欲しかったなー。』
和臣はエロイーズに向かって行く紅葉の背中を見ながら思った。
過去パートがちょっと鬱気味ですが「日本人よ、これがかまってちゃんだ。」という人格が形成される過程なのでご理解下さい。