青い封筒
昴前世返り問題は、結局、有効な打開策の見出せないまま、皆は神王院家のリビングで、お茶を飲んでいた。
「でも、困ったわ。私、明日から少し忙しいのよ。」
リリスが頰に手を当てて、溜息を吐きながら言うと、すかさず紅葉が胡蝶蘭に耳打ちした。
「ほら……ね? ああやって、さり気無く、この問題からフェードアウトするつもりなのよ。恋敵が苦しむのは、むしろ、望むところなんだわ。」
「あらあら、紅葉ちゃん。人聞きの悪い。現世の私は、プリちゃんに恋心なんて、抱いてないわよ?」
リリスは微笑みながら言っているが、目が笑っていない。紅葉は愛想笑いをして誤魔化した。
「そ、そうよね。現世の貴女には、オクという立派な愛人がいるものね。」
「……。冗談でも止めてくれるかしら。あいつの厭らしい手触りの感覚が蘇って来て、肌が総毛立つから……。」
オクの名が出ると余裕が無くなるのか、身体をプルプルと震わせて、怒りのオーラを立ち昇らせていた。
紅葉は更に言い繕おうとして、口を開きかけたが、リリス以外の全員が頭を振って、黙っているように示唆した。失言に失言を重ねる結果になるのは自明の理だったからだ。
紅葉は口に手を当てて、言葉を飲み込んだ。
「と、ところで、何で忙しいの? リリスちゃん。」
胡蝶蘭が、場の空気を変えようと、話題を振った。
「雲隠島での経験を元にした、新型の結界装置を開発させていたんですが、その試作が出来たのです。」
珍しく、リリスがちょっと自慢気に言った。
「ミサイル技術や、結界装置の技術。既存の技術の複合で、割合簡単に作れたのですが、細かい最終調整は、私が見なくてはいけなくて……。」
なんか物騒な単語が出ているぞ、と和臣は思っていた。
「でも、昴ちゃん。その奴隷装束の呪いを解除する方法は、暇を見ながら研究してみるわ。」
「リ、リリス様……。」
思いがけないリリスの言葉に涙する昴。その様子を見た紅葉は、素早く胡蝶蘭に耳打ちした。
「ほうらね。ああやって恋敵を懐柔して、油断させるのよ。リリスもクレオ同様の策士だわ。」
「紅葉ちゃん……? 私に何か、不満があるのかしら?」
「い、いや……。あんたとプリがくっ付いてくれれば、渚ちゃんとエロイーズ(の身体)は私のモノかなと……。」
利己主義を極め尽くした紅葉の言葉に、プリ様パーティの全員が白い目を向けた。胡蝶蘭は今一つ事情が飲み込めず、キョトンとしていた。
その緊迫した空気を破るように、ピッケちゃんが翼をパタパタとはためかして、リビングに入って来た。
「ぴっけちゃん、おいで。」
手を差し伸べたプリ様の腕に、ピッケちゃんは大人しく収まった。
「どこ いってたの? ぴっけちゃん。」
頭を撫でて上げているうちに、ピッケちゃんが何かを咥えているのに気が付いた。取り上げてみたら、青い封筒だった。
「『まいすいーと はーと りりすちゃんへ』って、かいて あるの。」
差し出された封筒を見て、リリスは血相を変えた。
「除菌よ。除菌。除菌した後、一万度の炎で、灰も残らぬよう焼き尽くすのよ。」
恐らく多分、オクからの手紙なのだろう。
「い、一応、読むだけ読んでみたら?」
胡蝶蘭がプリ様の手から、代わりに封筒を受け取った。
「触ってはダメです、叔母様。手が穢れますよ。」
凄い嫌い方だなあ、と胡蝶蘭は苦笑いをしながら封を切った。
「ああ、リリスちゃん。私の小鳥。
今、貴女は何をしているのかしら?
思い出すのは、貴女の可愛い調べ。
私の指で爪弾かれた貴女が漏らす、魅惑の吐息。
瞼に焼き付く、生まれたままの貴女の姿。
可愛らしくも、誇らし気に上を向く、貴女の胸の稜線。
ああ、もう一度、この掌に溢れるばかりに包み込みたい……。」
「叔母様、戯言の部分は端折って、本題らしき文はありませんか?」
リリスが顔を真っ赤にして、胡蝶蘭の朗読を遮った。
「プ、プリちゃん。今の文章はオクの妄想なのよ。私、可愛い調べなんて漏らしてない……。」
そこまで言って、色んな事がフラッシュバックして来たのか、怒りに拳を握り締めた。
「お〜く〜。あいつ、殺す。絶対、殺すぅぅぅ。」
沈着冷静なリリスの取り乱す様子を見て、これ以上は読まない方が良いなと判断した胡蝶蘭は、取り敢えず、ざっと目を通してみた。
「なんか……、延々とリリスちゃんとの秘事が書き連ねてあるだけみたいよ……。」
「秘事なんかありません。」
とうとう、これといった内容も無いまま、便箋五枚分のポエムは終わってしまった。
「単なるラブレターかしら?」
「悪質な嫌がらせだわ。」
小首を傾げる胡蝶蘭から、リリスは手紙を取り上げた。
「浄化よ。和臣ちゃん、燃やしておしまい。」
ライター代りにされているな、と思いながら、和臣は手紙に向かって火を放った。すると、燃え盛る手紙はリリスの手を離れて宙に浮かび、その炎が文字となった。
「追伸。
昴ちゃんの奴隷装束の呪いを解く魔法は、すでにリリスちゃんにインストールしてあります。」
リリスはそれを読んで、アッと、思い至った。花火大会の時に、お役立ち魔法もいくつかインストールしたと、オクが言っていたのだ。
凝視していると、炎は更に文字を形成していった。
「起動方法は、皆んなの前で、リリスちゃんがにこやかに『手紙に書いてあった事は全部本当。オク様大好き。また、いじめて欲しいな♡』と言えば、すぐに使用出来ます。」
そこまで、文字が出ると、炎は消えてしまった。
「昴ちゃん。呪いを解く方法は、暇を見て研究しておくから。」
リリスは、暫く、文字の浮かんでいた虚空を眺めていたが、やがて、全く表情の無い顔でそう言うと、部屋を出て行こうとした。
「ちょっ、ちょっ、ちょっと待って下さーい。呪いを解く魔法は、すでにリリス様にインストールされているって……。」
「知らないわ。何の事かしら? きっと夢でも見たのね、昴ちゃん。」
必死に取り縋る昴と、無かった事にしようとしているリリス。
「ほら、コチョちゃん。やっぱり、恋敵には厳しいわ。助ける気なんて、皆無なのよ。」
「恋敵じゃないって言ってるでしょ。和臣ちゃん、紅葉ちゃんも燃やしておしまい。」
胡蝶蘭に耳打ちする紅葉を指差して、リリスが言った。取り乱しているなあ、と和臣は思った。
そこに、プリ様がチョコチョコと近付いて、リリスのスカートの裾をチョンと引っ張った。
「りりすぅ。すばゆ こまって いゆの。どうしても だめ?」
プリ様につぶらな瞳で見上げられると、リリスも激しく動揺した。
しかし、あの起動のワードは……。
「ああっ、もう! 」
観念したリリスは、しゃがみ込んでプリ様をギュッと抱くと「手紙に書いてあった事は全部本当。オク様大好き。また、いじめて欲しいな!」と叫んだ。しかし、自分の中で、魔法が起動した手応えは無かった。
「起動しないじゃない。オクの嘘吐き、詐欺師!」
「リ、リリスちゃん? 辛いとは思うのだけれど『にこやかに』言わないとダメなんじゃ……。」
胡蝶蘭が気の毒そうに言った。
「えええーん。プリちゃーん。私、私……。」
「ご、ごめんなの……。すばゆの ために……。」
抱き付いて泣きじゃくるリリスの頭を、プリ様は懸命に撫で続けた。
『リリスが可愛い……。』
和臣と、紅葉と、胡蝶蘭は、以外な一面を見て、少し萌えていた。
昴は、さすがにプリ様を取り上げるわけにもいかず、自重していた。
「手紙に書いてあった事は全部本当。オク様大好き。また、いじめて欲しいな♡」
暫く泣いていたリリスは、意を決して、キーワードを唱えた。ニッコリと、引き攣った笑みを浮かべて。
その瞬間、彼女の内部で、歯車が噛み合った様な、確かな感触があった。
「プリちゃーん。今日も泊めて。ご飯食べさせて。身体も洗って。甘えさせて。プリちゃん、プリちゃーん。」
「よ、よしよし なの。りりすは あかちゃんなの。ぷりが おせわして あげゆの。」
幼児退行する程の、精神的打撃を受けたリリスの尊い犠牲によって、昴は痴女の汚名を免れたのであった。




