エロイーズ、トールと出会う。
私は物心ついた時から、高い塔の上に閉じ込められていた。
住んでいる部屋は、子供部屋としては広過ぎるくらいだったが、広大な世界との繋がりを断たれた代償としては、牢獄にも劣る兎小屋と言えた。
雨の日以外、毎日、壁に設けられた、たった一つの大きな窓を開けて外を眺めていた。
空想するのが好きだった。眼下に広がる街。行き交う人々。
「あれは赤ちゃん。あれは猫さん……。」
人の営みを見るのが好きだった。一生懸命汗を流して働いている人達がいると、嬉しくて口元が綻んだ。あの人達の中に混ざりたいと思った。
世の中を知識としては知っていたが、この手に触れた事は一度もなかった。知識を授けてくれるのは人ではなく、どこからともなく聞こえて来る無機質な声と、魔法で現れる書物であった。お腹が空けば食事が現れ、サイズが合わなくなればお洋服が現れた。
充分以上の世話をうけながら、何一つ満たされない日々。年に一度「五歳になりました。」「八歳になりました。」と告げられる度に季節が一回りしたのだと気付く年月。孤独の中で、降るように時間だけが積もっていった。
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「おい、冗談止めろ、昴! プリに突き付けた刀を下ろせ。」
「って、あれトラノオじゃん。」
和臣と紅葉は動揺していた。自分達が魔物と戦っている間に、なんだか事態が急展開しているのだ。敵はまだ大勢居て、とても二人の所には行けない。加えて、和臣は蜘蛛女の動向が気になっていた。俯いたまま、これ程の騒ぎにも微動だにしていない。何かを企んでいるみたいで不気味だった。
「昴……? 私はエロイーズよ。忘れちゃった? あんた達、姿は変わっているけど、アイラとイサキオスでしょ。」
エロイーズに戻っている! と歓喜している暇はなかった。もうこっちでも良いや、とばかりに、紅葉に殺到して来る敵の方が多いので、さばくのに大変な労力を割いていた。何せ、隙あらばオッパイを揉もうとしたり、お尻を触ろうとして来るのだ。痴漢の軍団に押し寄せられているのと変わらない。
「昴だった記憶がスッパリ抜けているみたい。」
「そのくせ、俺達が誰かはわかるんだな。」
エロイーズはトラノオを構えたままだったが、その切っ先が細かく震えて来た。体力が皆無なので、重さに腕の筋肉がプルプルしていた。
「良い様ね、トール。唯一の取り柄の筋肉も失くし、そんな可愛いらしい姿を晒して。さすがに今の貴方なら私でも勝てるわ。」
こいつも俺を「筋肉だけ」と思ってやがったのか。プリ様はちょっとお冠だった。
「澄ましてないで、何か言いなさいよ。私、貴方への恨み、忘れてなんてないんだから!」
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ある日、窓の外で異変が起こった。街の彼方此方に火の手が上がっていた。いつも、お魚やお野菜やお肉を売っていた小父さんや小母さんが、手に手に武器を持って、この城に押し寄せて来ている。その先頭にいるのは、遠目からでも大きいとわかる立派な体格の若い男だった。頑強な城門が、男のハンマーの一振りで、紙同然に破られた。城内で鬨の声が上がり、私は怖くてベッドの上に蹲って震えていた。
突然、壁の一角が崩れた。考えてみれば、この部屋には扉という物がなかった。モウモウとした土埃の向こうから銀色の甲冑を纏った背の高い女性が現れた。兜は被っておらず、そのお顔は自分にそっくりだと思った。
「エロイーズ、私はお前の姉だ。魔王の五番目の娘、カテリーナだ。早速だが、あれを寄越せ。この戦況をひっくり返すにはあの二振りの刀しかない。」
姉と名乗った女性は深手を負っていて、すでに息も絶え絶えだ。びっくりして口もきけないでいる私の様子に苛立ち、彼女は剣を抜いた。
「時間が無いのだ。逆らうのならば、お前を殺す。」
私が初めて他者から受け取った感情は、激しい怒りと殺意だった。喉元に剣先が当てられた。何も出来ず、ベッドの上にへたり込んでいた。頬を涙が伝うのがわかった。
「自分を殺そうという者を前にして、泣くしか出来んとは。どうして、お母様はこんな腑抜けの出来損ないにトラノオとゲキリンを託したのだ?」
カテリーナは剣を握る手にグッと力を込めた。
「もう良い。お前は殺す。その後で刀は回収させて貰う。」
「ひっ……。」
死を目前にして、私の瞳にはカテリーナの後ろ、彼女のやって来た世界が映った。遂に行く事の出来なかった憧れの……。
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「お姉さん殺したの恨んでたの? でも、あんた、その人に殺されかかってたんでしょ?」
「そんな事、恨んでないもん。命助けて貰ったようなものだし。」
あっ、違うんだ。俺もてっきりそうだと思っていた。でも、それなら恨みって何だ? もう、思い当たる節は無いけど……。プリ様は首を捻った。
「何? そのキョトンとした可愛い顔は。まさか、わからないんじゃないでしょうね。いくら愛らしくたって、そんなの許さないんだから。」
何かちょっと昴が混じっているな、と紅葉と和臣は思った。
「もう、良い加減にして。」
ブラウス越しにブラのホックを外そうとしていたオークを、お前は中学生か、と言いながら抹殺した後、紅葉は叫んだ。
「結局、逆恨みなんでしょ。トールは貴女に酷い仕打ちなんて何もしなかったじゃない。」
辺りがシンと静まり返った。空気を読まずにソッと太腿に手を這わそうとしていたゴブリンは、その場で紅葉に頭蓋骨を割られて死んだ。
「嫌がる貴女の服を嬉々として剝ぎ取ったり、泣き喚く貴女の身体中を触りまくったり。土下座までする貴女の哀願を嘲笑って、人前ではとても言えない行為に及んだり。そんな事しなかった筈よ。」
紅葉は堂々と胸を張って言った。
「それをしたのは全部私なんだから。トールを恨むのは筋違いよ。」
何だよ、その潔さは。プリ様と和臣は頭を抱えた。
「うるさい。茶化すな。私とトールの問題よ。」
「何? その口のきき方。」
「あっ、いえ。私とトールさんの間の話しですので、茶化さないで頂けますか?」
紅葉に凄まれると、口調が改まった。悲しき奴隷の習性であった。
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私はギュッと目を瞑った。覚悟なんて何もなかった。理不尽な死を強制的に受け入れさせられた。だが、数秒経っても生きていた。怖々目を開いたら、カテリーナは頭から血を流して床に転がっていた。そこには、さっき皆を率いていた大きな男の人が、血塗れのハンマーを持って立っていた。
助かったとは思えなかった。逃げなければと思うのに足が思うように動かない。「あっ、ああっ。」と声を出し、我ながら無様にベッドから転がり落ちた。
「こいつ、どうする?」
大男の後ろから部屋に入って来た、もう一人の男が言った。彼は大分小さいが、人間の男としては標準的なサイズなのだろうか?
「こんな綺麗な部屋で、良い服を着て暮らしていたのか。頭に来るな。」
大男は彼の言葉を聞きながら、部屋を観察するみたいに見回していた。
「そうとも思えんな。この部屋はまるで監獄だ。」
逃げなければ……。二人が話している隙に、這って部屋から出ようとしたが、小さい方の男に蹴飛ばされ、窓のある側の壁際に叩き付けられた。
「乱暴するなよ、イサキオス。」
「お前は甘いんだよ、トール。こいつは魔族だ。可愛らしい外見に惑わされるな。」
私は背中とお腹の痛みで気が遠くなりかけていた。その時、頭の中で誰かの声が聞こえてきた。聞いた事もない声が。
『この男の前で、トールの前で抜くのです。二つの刀を。トラノオとゲキリンを……。』
声に導かれるように、私は腕を左右に広げ、叫んだ。
「トラノオ! ゲキリン!」
両手にズッシリとした重みを感じた。
「本性を現しやがった。」
「待て、イサキオス。迂闊に近寄るな。こいつは……。」
男達の様子を見て、不思議に思った私は自分の握っている物を見た。
「何? 何なの、これは。怖い~。」
二振りの刀だった。怯えて手を離すと刀は消えた。男達は呆気にとられた顔で私を見ていたが、トールと呼ばれた男はやがて大声で笑い出した。
「くっくっくっ、見たか? イサキオス。こいつは自分の持っている武器の凄さがわかってないんだ。俺は今一瞬、死を覚悟したのにな……。」
トールは床に座り込んでいる私に近付き、右手で顎を摘んだ。
「死にたくないか?」
「ああ、ひぃっ……。」
「はっきり答えろ。生きていたいか?」
「は、はひぃ。死にたくないですぅ。」
返事を聞いた彼は私のドレスの襟口を少し破りずり下げた。肩と胸の半分が露出した。
「死にたくないのなら、俺の奴隷になれ。これから儀式を行うが、お前自身も奴隷となる事を受け入れなければ契約が成立しない。いいな?」
「は、はいぃ。」
奴隷なんて嫌だったけれど、この状況では逆らえよう筈もなかった。私はこの屈辱の契約を受け入れた。
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「あっ、そこか。そもそも奴隷化が不満だったのか。」
「まあ、余程のマゾでもない限り嫌だろうな。」
先程から、和臣は紅葉に群がる敵を適当にチョイスしながら葬っていた。せめて女の子に殺されたいと願う彼等には鬼のような所業であった。
奴隷の契約は本来ならば全裸で行うのですが、トールさんの教育的配慮で、胸元がはだけるだけになっています。
トールさんはそういう気遣いの出来るナイスガイなのですが、一緒にいたイサキオスさんは、ちょっとガッカリだったようです。