海面に立つ幼女
本田幸介さん(仮名)は、今、ウキウキだった。有名私立大に通う彼は、親のコネで一部上場企業への就職も決まり、サークルで知り合った彼女、幸江さんとの仲も上々。卒業と同時に結婚しようか、という話まであるのだ。
今日も天気は日本晴れ、父親から借りた高級ヨットは、滑る様に真夏の海を進んでいた。
船首の辺りでは、セクシーなビキニを着た恋人の恵美さんが、気持ち良さそうに、風を受けている。
その様子を、舌舐めずりをしながら、幸介さん(仮名)は眺めていた。
あれ? 彼女の名前は幸江さんでは……、そう思ったお子ちゃまの君。本田幸介さん(仮名)くらいのスペックだと、彼女、恋人、愛人、ガールフレンド、エッチな事をするフレンド等々、実に様々な使い分けが出来るのである。
「恵美、綺麗だよ。」
さあ、口説き開始だぜ。
恵美さんは身持ちの堅い人で、実はまだキスもしていない。
だが、此処は二人きりの大海原だ。泣こうが、喚こうが、邪魔など入らん。いざとなったら無理にでも……。
何にもしないよ。と言って恵美さんをヨットに乗せておきながら、何かする気満々の幸介さん(仮名)。
男とはこんなものです。世のお嬢様方、くれぐれも御用心の程を……。
そして、辺り一帯に響き渡る恵美さんの悲鳴。しかし、悲しいかな。聞いている人など、誰も居る筈がなかった。
「どうして? 幸介さん(仮名)。何もしないって言ったのに。」
「約束なんて、お前みたいなお人好しを、騙す為にするんだよ。」
すっかり悪の本性を現してしまった幸介さん(仮名)。危うし、恵美さん。彼の「エッチな事をするフレンド」にされてしまうのか?
「いやがって いるんだから、やめて あげなよ。」
不意に子供の声がした。こんな沖合に子供……?
不思議に思った幸介さん(仮名)が、恵美さんに馬乗りになった状態のまま辺りを見回すと、船の外、光が照り返す海面に、一人の幼女が立っていた。
海面に……幼女が立っている……?
「うぎゃあああ。お化け、お化け、お化けぇぇぇ。」
幸介さん(仮名)は、飛ぶ様に舵輪に走り寄ると、更に沖合へと舵を切った。
何故、陸に向かわないのかというと、まだエッチな行為を諦めてなかったからだ。
幼女は彼の行動の意図するものを読み取って、やれやれと、溜息を吐いた。
「こりない ひとだなあ。」
彼女は右手をスッと上げた。精神を集中している。と、目には見えないが、強力な念の塊が放たれ、ヨットは粉々に砕け散った。
「ヨットがぁぁぁ。親父の大切にしているヨットがぁぁぁ。」
今は残骸となったヨットの木片に掴まり、頭まで水を被りながら喚いていた。
彼の父親は厳しい人間なので、貸したヨットが全壊したなどと聞いたら、どれだけ怒るか想像もつかない。最悪、斡旋してもらった就職先の取り消しも有り得る。
幼女は、同じく木片にしがみ付いていた恵美さんを抱き上げ、お姫様抱っこもどきをした。「もどき」と付くのは、手が短すぎて、ちゃんと抱っこになってないからだ。
そして、そのまま、陸地に向かってスッーと海面を滑り始めた。
「ま、待ってくれ。俺も連れて行ってくれ。泳げないんだよう。」
「ぼくは おねえさんを かかえるので、せいいっぱい だよ。」
幼女は困った顔で返答した。
「そんな女より俺を助けろ。金か? 金なら、いくらでもやるぞ。」
幼女だから、五百円玉でも大喜びだろう、と幸介さん(仮名)はタカをくくっていた。
「酷い。そんな男性だったのね。」
黙って聞いていた恵美さんが、堪り兼ねたかの如く叫んだ。
「この件は記事にさせて頂きますからね。」
ヤバい。恵美さんは大学の新聞部に所属しているんだった。その新聞は、同じ大学に通う、本命彼女の幸江さんも、当然読む筈で……。いや、それどころか、愛人やエッチな事をするフレンド達の目にも留まって、修羅場は必至だ。
「嘘。止めて。ごめんなさい。ごめんなさい。土下座でもなんでもします。記事にだけは……。」
涙と鼻水を流しながら、みっともなく頭を下げる幸介さん(仮名)。だが、恵美さんはプイッと横を向いた切り、彼の言葉は聞いてなかった。
「あの〜。あと、このへん さめが でるから、きをつけてね。」
幼女が気の毒そうに言った途端、近付いて来る鮫らしき背ビレがいくつか……。
「うぎゃあああ。嘘だろ、鮫えええ。止めて、助けて。止めて、助けてぇぇぇ。」
幸介さん(仮名)は、木片に掴まったまま足をバタつかせて、全速力で逃げて行った。その後をついて行く、鮫の集団。
「なんだ。けっこう、およげるんだ。」
幼女は、オリンピック強化選手並みの速度で泳いで行く幸介さん(仮名)を見て、安心した声を出した。火事場の馬鹿力というやつであろう。
「だいじょうぶ? おねえさん。」
幼女が気遣って声を掛けると、恵美さんは潤んだ瞳で、彼女を見返した。
「お陰で助かりました。あの……、せめてお名前を……。」
「れ……、いや、ふぁれぐ だよ。」
ファレグさん……。素敵なお名前。外国の方かしら。
恵美さんのハートは、美少年みたいな美幼女、ファレグに完全に奪われていた。
『やれやれ。きょうかすーつに つかわれていた けんじゃのいしを さがしに きたら、とんだ ことに まきこまれちゃったな。』
美幼女ファレグは、抱き付いて来る恵美さんを陸地に運びながら、思っていた。
本田幸介さん(仮名)が、鮫にお尻を齧られそうになりながらも必死で逃げていた、ちょうどその頃、港区にある神王院家地下居住区のリビングでは、深刻な母娘の話し合いの場がもたれていた。
「戦うプリちゃんを、私は初めて見ましたが、なんというか……、その……。」
胡蝶蘭は言葉を濁した。あまりに好戦的、かつ凶暴とは、さすがに幼い娘に向かっては言えなかった。
「お、おかあたま……。」
テーブルを挟んで、胡蝶蘭の対面のソファーに座っているプリ様も、発言をしようとして、言い淀んだ。
楽しかった……。暴れ回るとスッキリした気分になった。
とは、言える筈もなかった。
特に、今回みたいに、生身でないロボット相手だと、遠慮なく破壊行為が出来るのが、滅茶滅茶快感だったなどという本音は、口が裂けても言えなかった。
「うふふふぅ。プリ様、また御髪が伸びましたね。今度、昴が編んであげましょうか? ああっ、それにしても良い匂い。プリ様、お日様の匂いですぅ。んっー。プリ様、プリ様。」
プリ様は、正確にはソファーに座っているのではなく、ソファーに座っている昴の膝の上に座っていた。そして、その昴は、空気も読まずにプリ様の御髪を指で梳いたり、匂いを嗅いだり、愛撫を繰り返したりして、緊張感を台無しにしていた。
「お、叔母様。でも、戦うのを怖がったり、躊躇したりする性格よりは良いのでは? これからの幼女神聖同盟との戦闘を考えると……。」
プリ様達の隣に座っているリリスが擁護した。親族会議みたいなものなので、今日は和臣と紅葉は参加していない。
「躊躇が無さ過ぎです。」
お母様がポロリと本音を漏らして、プリ様はショックを受けた。
「プリ様ぁ。フィッシュボーンなんて、どうですか? 編み上げて、後ろでまとめるんです。戦いの邪魔にもなりませんよ。」
昴はプリ様の御髪を盛んに弄っては、ウットリとした表情を見せた。どうすれば、プリ様が一番可愛いく見えるかを想像しているみたいだ。
胡蝶蘭の危惧は、自分の中に流れる光極天家の血であった。それは、脈々と、プリ様の中へも引き継がれているものだ。
「あの人みたいになるのかしら……。」
その好戦的性格は、叔母の雛菊を想起させるものであったのだ。
「その、雛菊って、どういう人なんです?」
リリスが雛菊という名前を出しただけで、胡蝶蘭の顔は真っ青になった。
「私が生まれる前に亡くなっているから……、直接は知らないんだけど……。」
昴を産んで、すぐに雛菊は死んだのだ。
「光極天家では、その名は絶対にタブー。お父様から聞いた話だと……。」
「話だと?」
「悪魔そのものだったと……。」
その時、プリ様の髪を弄っていた昴が、ふと顔を上げた。
「誰です? 雛菊さんって?」
昴には、オクの事も、雛菊の事も知らせてはいない。聞いたら、混乱どころではないからだ。
「だだだ、誰でもないのよ。仕事関係の人。」
胡蝶蘭は慌てて言い繕い、プリ様とリリスは愛想笑いで誤魔化した。
それで、雛菊の話は、一旦中止となった。
イケメンエリートなんて、皆んな酷い目に会えば良いんだ……。くっくっくっ。
ああ、すみません。つい、心の声を漏らしていたみたいですね。
お見苦しいところを、失礼いたしました。
「本田幸介さん」も「雛菊」と同じく、私のお気に入りのキャラ名で、私の別のお話でも悪役として酷い目に会ってます……。
……ええと、このお話はフィクションであり、実在の人物、団体とは一切関係がありません。
唐突に何が言いたいかといいますと、全国の本田幸介さん、ごめんなさい。
ちゃんと助かりましたから。鮫に食べられたりしてませんから。
ただちょっと、この後、凄い修羅場が待ってますけど、フィクションですから。




