悪魔の為せる業
豪華客船フライングバードは、尊治の指示で、横浜大桟橋に寄港しようとしていた。
強化スーツや蟹型ロボの攻撃で、その航行能力が失われる前に、接岸だけはしておこうという考えだ。
もっとも、結界を何とかしない限り、船から降りる事は、誰も出来ない。
「結界師達は何をしているのです。」
尊治の横で、清江が苛立った声を上げた。
「伯母様、落ち着いて下さい。彼等とて、必死なのです。」
そう言われても、清江はブツブツと罵りの言葉を発していた。
実際、オクによって書き換えられた呪術は、御三家の優秀な結界師をもってしても、お手上げの状態だった。
その完璧さは、神の御技に近く、人の手に負えるものではなかったのである。
「ぜったい たべちゃ だめなの。」
プリ様は、涎を垂らさんばかりに見詰めているオクに「くろいいなづま」を手渡した。
『まって。わたしが せっとく すれば、ちょこがしを あげなくても、ぴっけちゃんは めを さますのでは ないかしら。そうよ。あれだけ かわいがって あげたのだもの。わたしの こえなら、ぴっけちゃんに とどく はずよ。』
オクの頭の中には、ピッケちゃんとの楽しい日々が、浮かんでいた。
後ろ足を掴まれて持ち上げられ「ニャニャニャー。」と虚しく前足で空を切るピッケちゃん。
真夏日に炎天下の中に駐車してある車のボンネットに載せられ「ウギャニャオーン。」と激しくステップを踏むピッケちゃん。
シッポに付けられた洗濯バサミを取ろうと、狂った様にブレイクダンスをするピッケちゃん。
『あんなに いっぱい あそんであげた わたしを、わすれる わけないわ。そして くろいいなづまは わたしの ものに……。』
どうして、そう思えるのかは分からないが、オクは絶対の自信を持って、強化スーツの前に立ち塞がった。
「ぴっけちゃん! わたしの こえが きこえる? わたしよ。おくよ。」
「せっとく ですか? たわけた ことを。」
推進コイルがオクに向かって敷かれた。
『ここで、ひるんだら だめよ。よびつづけるのよ。ぴっけちゃんの こころに ひびくまで……。』
迫り来る強化スーツをものともせずに、オクはピッケちゃんに訴えかけた。
「ぴっけちゃーん。」
バコン!
鈍い音がして、バリアーごとオクは跳ね飛ばされた。
『あきらめない! なんかいでも よびつづける。』
「ぴっけちゃん……。」
バコン!
「ぴっけ……。」
バコン!!
「ぴっ……。」
バコン! バコン!! バココン!!!
「どうしてぇ。なんで、めざめないの? ぴっけちゃん。」
オクは甲板に蹲って、悲痛な声を上げた。
「ねえ、おく。ひょっとして、きらわれて いゆんじゃないの? ぴっけちゃんに。」
プリ様はしゃがみ込み、オクのホッペを突いた。
「そんな はずないわ。いつも なかよく あそんで いるのよ。」
「とにかく、これを つかうの。」
ヒョイと黒い稲妻を取り上げて封を切り、今度はプリ様が強化スーツの前に立った。
「ねこさーん! これ、あげゆの。」
コックピット内のオフィエルは、それを見て哄笑した。
「ばかな ぷり ですわ。ぴっけちゃんは その ちゅうすうしんけい までも、ましんに かんぜんな しはいを うけて いるのです。」
正にマッドサイエンティスト。生命の尊厳を嘲笑うその姿勢は、悪魔の為せる業であった。
「さあ、おもいしらせて やりなさい。『こころ』などという ふたしかな ものを しんじる おろかものどもに!」
ポチッと押されるボタン。敷かれる推進コイル。危うし、プリ様。
だが、プリ様は一歩も引かずに、黒い稲妻をグイッと前に差し出した。
『くろいいなづまが まけゆ わけないの。せかいいち おいしい おかしなの。しゅしょうさんの たましいが こもっていゆの。』
篭っている訳はないと思うが、プリ様は黒い稲妻の力を、闇雲に信じていた。それが若さというものだ。
「しねえ! ですわ。ぷり!!」
オフィエルがレバーを前に倒した時、彼女の足元、強化スーツ下腹部の生体脳ユニットの辺りで「ウニャニャニャー。」という鳴声が上がった。
その途端、プリ様に向かって敷かれていた推進コイルが消えた。
「あいの しょうり だわ。」
オクが両の掌を胸の前で組んで、感激の声を出したが、どう考えても、食欲の勝利だと思われ……。
「なんて、くいいじの はった こなの。」
オフィエルは、ピッケちゃんの点滴の、鎮静剤の量を増やしたが、野性の勘で目の前に恐ろしく美味しいお菓子が有ると感じている、ピッケちゃんには通用しなかった。
逆に、絶対に黒い稲妻に食い付いてやろうという、堅い決意をしたピッケちゃんの意志の力に、強化スーツ全体の制御が乱される結果となった。
「なっ、なんとか……。つばさ だけでも……。」
抗うピッケちゃんの脳を騙し騙し、賢者の石のコントロールに使い、どうにか翼を作るオフィエル。
「くっ、もはや これまで。せいたいのうゆにっと ぱーじ。」
ガコン、と音を立て、少し浮き上がった強化スーツの下部から、ニャーニャー鳴く部品が一つ排除された。
「ぴっけちゃーん!」
オクが呼ぶと、ユニットの蓋を蹴破り、凄まじい勢いでピッケちゃんが飛び出して来た。そして、手を差し伸べるオクをスルリと躱し、プリ様の持つ黒い稲妻に、一直線に向かって行った。
『そうぞう してたのと ちがうの。』
プリ様は、自分の身体を必死に昇って来る、ピッケちゃんを見ながら思った。思い描いていたよりも全然小さい。大人なら、掌に載っけられる程だ。濃い藍色のフサフサな体毛に、ピンと立った耳。黄色いお目々がアクセントになっていた。
「かわいいの。いっぱい おたべ なの。」
黒い稲妻にむしゃぶりつくピッケちゃんに、プリ様は目を細めながら言った。
「ぷりちゃん、ぴっけちゃんは まかいのらねこ だから ちょこがしが たべられるのよ。ふつうの ねこちゃんに あげては だめよ。」
「わかって いゆの。」
オクが神妙なツラで説教をして来たので、ムッとするプリ様。
「ごめんね。いのちは とても たいせつな ものだから つい おせっかいを……。」
なんだ、こいつまともな処もあるんだ。と、プリ様は思いかけた。
「いのちはね、だれの ものでもない、わたしの ものなの。わたしが あいしたり、かわいがったり、りょうじょく したり して、たのしむ ものなの。ほかの だれが、きずつけても、うばっても、いけないのよ。」
うん、やっぱりクズだ、こいつ。わかっていた筈なのに、ほんのちょっとでも見直した自分に、プリ様は腹を立てた。
ピッケちゃんは、黒い稲妻を食い尽くすと、お口の周りをペロリと舐め、そのままプリ様の肩に行って、座り込んだ。
「ぴっけちゃん。おなかが くちくなったのなら、わたしの ところに もどって おいで。」
差し出されたオクの手に、ピッケちゃんは総毛を逆立てて「ウニャウニャウニャーン!」と唸り、猫パンチを繰り出した。
「おく……、やっぱり きらわれて いゆの。ぴっけちゃん、いじめたんでしょ?」
「ひどいわ。いつも あそんで あげているのに。ぴっけちゃん といい、りりすちゃん といい、どうして、わたしを きらうの?」
陵辱したリリスさえも「遊んで上げている」にカウントしているあたり、ピッケちゃんへの扱いも、推して知るべしだな、とプリ様は思った。
『あれっ。ところで おふぃえるは……?』
プリ様が見回すと、強化スーツは宙に舞い上がっていた。
チャンス。あの位置ならグラビティウォールが使える。
プリ様も浮き上がろうとした時、数は大分減っていたけれど、船中にいた蟹ロボ達が集まって来た。
「さいごの しゅだん、がったい ですわ。」
外部スピーカーから、オフィエルの声が響いた。
『がったい〜!!』
漢のロマン、合体に、女の子だけど、目を輝かせるプリ様。
だが、喜んでいる場合ではない。大ピンチだ。
ピッケちゃんへの「かわいがり」の数々。
炎天下の車のボンネットというのは、昔、猫を熱した鉄板の上に置いて三味線を弾き、踊りを覚えさせた、というお話を元にしています。
昔の人は残酷ですね。
後の二つは……、おぞましい事に、前に行った「クソ兄貴にされて一番腹が立った事」アンケートのボツネタが元になっているのです。
両親不在のある日。香織さん(仮名)は、自室に侵入して来た兄に、必死の抵抗も虚しく、ポニーテールの先っぽ、手が届くか届かないかという微妙な場所に、大きな目玉クリップを山程付けられてしまったそうです。
別に喧嘩をしていたわけでもなく、静かな日常の中で、その暴虐の嵐は突然吹き荒れたという事です。
その後「取ってよ〜。」と泣き喚く妹を嘲笑い、あまつさえ「その方が可愛いよ。」と言ってのけたのです。
もちろん、帰って来た両親に、兄はボコボコにされましたが、その遊びを気に入ったらしい彼は、隙を見ては妹のポニーテールに洗濯バサミを付けたり、ビニール紐で結んだりしたのです。
自分では取れないので、その度兄に泣きつくのですが、それは彼の嗜虐心を満たすばかりでした。
正に「悪魔の為せる業」。酷い話です。