光極天昴、神王院符璃叢と出会う。
昴の話は続いていたが、紅葉は正直飽きていた。昴の語る辛気臭い過去は、全く彼女の趣味にはそぐわなかった。
だが、自分から聞いた手前、あからさまに興味のない態度も取れず、時々相槌を打ってはいたが、半分以上は聞いていなかった。
さて、次のオークションまで後二週間と迫っていた。昴は朱鷺さんの指導を受けながら高値を目指していた。林檎を頭の上に載せ、落とさずに歩く訓練。ロウソクの火を揺らさずに歌う訓練。油で濡れた柱を昇る訓練。朱鷺さんは厳しかったが、やり遂げた後は、必ず優しく頭を撫でてくれた。
朱鷺さんの他にも友達が出来た。やはり、父親の事業の失敗でオークションにかけられる真由美さん、大勢いる兄弟達の学資になる為にやって来た潤さんだ。この二人はライバルで、どちらが高く売れるか競っていたが、無二の親友でもあった。
「来たばかりの頃は喧嘩ばかりしていたのさ。それがいつの間にか仲良くなって、若い者は良いねえ。」
皆で昼食を囲んでいる時、朱鷺さんが昴に教えてくれた。
「いやだなあ、朱鷺さん。今でも私達は張り合っていますよ。」
「そうっすよ。今度のオークション、絶対負けねえぜ。」
二人はそう言った後、フッと互いに微笑み合い、肩を組んで笑った。彼女達はそのまま競売品訓練所に向かった。その背中を見ながら、朱鷺さんは寂しげに呟いた。
「でもね、此処でどんなに仲良くなっても、競りが終われば二度と会う事はない。だってお前達は競売品なんだもの。散り散りに売られて行くのさ。仲良くなれば、それだけ別れも辛いものさ……。」
朱鷺さんは、自分の人生を通り過ぎて行った者達を思い出したのか、静かに落涙した。
「あのさ、もうちょっと短くならないの? 朱鷺さんとかいらないからさ。」
「酷いですぅ。朱鷺さんは私の恩人ですよ。あの人が居なければ、私は一日たりとも、あのオークション会場競売品控え室には居られませんでした。」
ふぅ、紅葉は溜息を吐いた。なんだか、昴は結構頑固だ。どうしてプリとの関係を聞いたりしたんだろうか。数分前の自分を呪いたい気分だった。
「じゃあ、せめて真由美さんとか、潤さんのくだりは手短かに頼むよ。」
「……わかりました。」
昴は不服そうな顔で頷いた。
オークションは無事終わった。
真由美さんはマグロ漁船に、潤さんはアフリカのダイヤモンド鉱山に引き取られて行った。
「ああ、やっぱ男ばっかの所よね。そこで来る日も来る日も……。悲惨だわ。」
「そうでもないですよ。この間、経済誌の年収一億円以上稼ぐ女性特集で、腕利き漁師とダイヤモンドハンターとして紹介されていましたから。」
「…………。」
その日売れ残ったのは昴だけだった。トボトボと控え室に戻ったら、朱鷺さんが驚いた顔で迎えてくれた。
「あ、あんた、売れ残っちまったのかい?」
「はい。支配人さんが最低落札価格を高く設定し過ぎてしまって……。」
「ああ、何て事だろうねぇ。」
「でも、次のオークションまで朱鷺さんと一緒に居られるから、ちょっと嬉しいかな。」
昴がそう言うと、朱鷺さんは彼女の細い身体を抱き締めて泣いた。
「馬鹿な子だね。次なんて無いんだよ。売れ残った子は遠い外国のソーセージ工場に送られてしまうんだ。」
えッ?! 昴は顔面蒼白になった。しかも明日には貨物船に載せられ、出荷されてしまうらしい。
遠い外国で親方に鞭で叩かれながらソーセージを作る日々。想像すると、涙がポロポロと零れて止まらなくなった。
「なんか、ドンドン悲惨になっていくわね。」
「ソーセージ工場ってさ、それ従業員としてではなく、もしかして原材料にされるのでは……。」
「止めて、和臣。何でそんなグロい発想が出来るの?」
「かずおみ、ぐよいの。」
「そこまでは考えてませんでした。」
昴は今更のようにゾッとして、自分の身体を抱いた。
「お饂飩でも食べに行くかい?」
泣いている昴の頭を撫でてやりながら、朱鷺さんは言った。
此処で出される食事は、硬いパンと粗末なスープだけだ。送られる先でも大差はないだろう。いや、もっと酷くなるかもしれない。最後に人間らしい食事をさせてやる。それが朱鷺さんに出来る精一杯の優しさだった。
昴が彼女に手を引かれ、ゲートを出ようとしたら、警備員さんに見咎められた。
「逃げやしないよ。支配人の許可も貰ってある。この子は、その、アレなのさ。」
売れ残った子の顔は警備員さんも覚えていた。ああ、と気の毒げに返事をして、黙って通してくれた。連れられて行ったのは、オークション会場近くの、隠れた名店といった店構えの、老舗の饂飩屋であった。
久々に食べるお饂飩は美味しかった。もう二度と食べられないかもしれないと思うと泣けて来た。涙を流しながら啜った。朱鷺さんは「たんとお食べ。」と優しい顔で微笑み、自分の分も分けてくれた。
そこに若い夫婦が赤ちゃんを連れて入店して来た。若夫婦が昴達のテーブルを通過する時、奥さんの抱いている赤ちゃんが「ダァ、ダァ〜。」と手を伸ばし、昴の持っていた丼を掴み、ひっくり返した。
昴は頭からお饂飩を被った。幸い、もう冷めていたので、火傷はしなかったが、正に泣きっ面に蜂だった。
「その赤ちゃんがプリだったのね。はい、わかったわ。おしまい、おしまい。」
「紅葉さん、飽きてませんか?」
「本当、お前勝手だよな。自分で話し振っといて。」
「もみじ、かってなの。」
三連発で非難を喰らって、さすがの紅葉も少し怯んだ。どうぞ、というように手をかざし、続きを促した。
「あなた、見て。プリちゃんが笑っているわ。」
奥様が驚いた表情をしていた。
「赤ん坊は笑うもんさね。珍しいかい?」
「珍しいんです。うちのプリちゃんは生まれてから一度も笑った事がないんです。」
プリ様は奥様の腕から落ちてしまいそうな程はしゃぎ回り、頭からお饂飩と汁を垂らしている昴に手を伸ばし、笑った。
「ああ、ごめんなさいね。こんなになっちゃって。」
奥様は旦那様にプリ様を預け、ハンカチで昴の顔を拭った。
「どこの子かしら、良かったらこれからお家に来てくれない? 着替えを用意するわ。」
「い、いや……、あのぉ……。」
昴は言い淀んだ。名門、光極天家の名を口にするのは憚られた。あまりにも惨めだった。
「それと……、良かったら、時々プリちゃんと遊んで上げてくれないかな?」
「そいつは無理さ。その子は競売品でね。」
「きょ……、競売品?」
「明日には貨物船で外国に売られて行くのさ。」
朱鷺さんは金回りの良さそうな若夫婦に、わざと昴の哀れな境遇を語って聞かせた。案の定、奥様の顔には同情心が溢れて来た。
「あなた、家で引き取って上げましょうよ。きっと、プリちゃんの良い遊び相手になってくれるわ。」
「オッケー、おいくら万円?」
無茶苦茶軽いな、と朱鷺さんは思った。人選誤ったかも、とも思ったが、もう、この最後のチャンスに賭けるしかないのも確かだった。
「に、二億円……。」
言われた若夫婦はポカンと口を開けていた。ああ、やっぱり高過ぎたかと後悔したが、あのプライドの高い支配人が、自分の設定した最低落札価格より安く売るとは思えなかった。安く売るくらいならソーセージ工場に送ってしまえ、という困った性格なのだ。
「な、なーんだ。そんなものなんだ。」
「人一人買うんだから、もっと高いと思ったわよね。」
「二億くらいなら車に積んであるかな。」
二人でそんな会話をした後、奥様は満面に笑みを湛えて、昴に近寄った。
「もう、心配しなくて良いのよ。貴女は今日から我が神王院家の子。これからはプリちゃんのお世話係りをお願いね。」
良かったねえ、と昴の頭に朱鷺さんの手が載せられた。昴は安心して、気を失った。
「つまり、プリ様は私の命の恩人なのです。」
話を締めくくった後、和臣の背に乗っているプリ様のホッペを「うふふ、うふふ、うふふー。」と突いていた。プリ様は短い手を猫の子のように振り回し、応戦していた。
一方、紅葉と和臣は頭を抱えていた。
「要するに奴隷として買われて来たのよね?」
「生まれ変わっても奴隷か……。」
「違います。プリ様のお世話係りです。」
「そりゃ、世間体が悪くて、奴隷とは言えんわ。」
ワイワイ騒ぎつつも、四人は再び銀座へ向かって歩を進め始めた。
暫く歩いて、また遅れ始めた昴が頭を押さえながら呟いた。
「プリ様は恩人。でも前世では恨みもある……。何なのだろう、この記憶は……。」
暗闇の中で昴の目が光った。
わかって貰える人にはわかって貰えると思うのですが、やっぱり薄幸の美少女といえば、腸詰工場で働いているものだと思うんです。
本当は実際にソーセージ工場に送られて云々という展開も考えていたのですが、長くなり過ぎる上に、昴がプリ様に出会えないまま人生を終えてしまって、あれ、という事にもなりかねないので、断念しました。