序章 ~全てが終わり、全てが始まる~
黒光りする鉱物で出来た、太い柱が立ち並ぶ廊下を、勇者トール達はひた走っていた。此処は魔城の最終地点。遠くに見える大きな扉の向こうに魔王が居るのだ。
「ちょっと広過ぎ。普段、魔王しか使わない廊下なんでしょ? 此処だけで私の育った神殿より大きいじゃん。」
栗色の髪をした小柄な少女、アイラ・アン・アンビーが口を尖らせた。
「お母様の権勢がそれだけ凄いという証拠よ。いっ、今謝るなら許してあげるわ。」
2メートルはある偉丈夫、トールの左肩に抱えられていた銀髪の女の子が若干怯えた様子で言った。他のパーティメンバーは皆、衣服にそれなりの装備を付けているが、この子だけは胸と股間が辛うじて隠されているぐらいの、紐状の皮で出来た衣装に首輪という、ほとんど全裸に近い格好をしていた。
「インセズキ・キーゲツアモン。」
「ウギャアァアアァァァ。」
アイラが一言呪文を唱えると、銀髪の女の子は身体を仰け反らせて悶絶した。胸の辺りに薄っらと広げられた二枚の翼の模様が浮かび上がる。奴隷の刻印であった。
「奴隷を虐めるなよ、アイラ。」
悲鳴を聞いたイサキオス・ミキリソが振り返った。先頭を走っていた彼が立ち止まったので、自然と全員がその場に立ち止まった。メンバーは全部で五人だ。皆、若い。最年長のトールでさえ、まだ二十二歳だ。
「生意気なんだもん。大体、何でこいつだけトールに担がれて楽してんの。」
「仕方ないだろう。運動神経も体力も持久力も皆無だから、首輪に鎖付けて引っ張っていると、何時の間にか引き摺り廻してしまっているんだよ。」
アイラの不満に、トールが低い落ち着いた声で答えた。
「この前もエロちゃん、擦り傷だらけになっていたものね。」
殿を務めていたクレオ・ラ・フィーロが鷹揚に微笑んだ。彼女の言葉に、皆がその時の様子を思い出して、笑った。
「笑うな。それとエロちゃんって呼ぶな。」
トールの肩の上で少女が身をくねらせた。
「はい? 何、その口のききかた?」
「わ、笑わないで下さい。あと、私の名前はエロイーズです…...。」
アイラに凄まれて、消え入りそうな声で訂正した。
「よし、エロイーズ。お前とは此処までだ。」
トールはそっと肩から彼女を下ろしてやった。着地の瞬間、可愛いお尻がプルンと揺れた。
「色々世話になったな。戦いの巻き添えをくわないよう、出来るだけ遠くに離れていろ。」
エロイーズは何も言わず、惚けた顔でトールを見上げていた。
「世話をしたのはこっちの方でしょ。道案内も出来ない。むしろ迷子になる。弱ちっくて戦力にもならない。」
「でもぉ。私、エロちゃんに繕い物してもらったりしたわよ。」
「そうだな。料理も中々だった。」
アイラの駄目出しに、クレオとイサキオスが擁護した。
「ほら、行け。」
トールに背中を押されても、立ち去り難く動けないでいる。
「わ、私がお母様に取り成して上げても良いのよ。」
微笑んだまま首を振られ、その申し出は拒絶された。
「あなた達皆殺されちゃうわ。お母様強いんだから。」
その言葉を発した時には、皆は前に歩き出していた。
「ばかぁ。こんなに心配して上げているのにぃ。」
誰も振り向かず、右手をヒラヒラと振った。
「ふーんだ。お母様に殺されちゃえ。トールのデベソ。」
エロイーズが遠ざかりながら叫んだ。それを聞いてイサキオスが苦笑しながらトールを突いた。
「お前デベソだったっけ?」
「まったく、ガキかよ。あっ、ガキか。」
二人は顔を見合わせ、笑った。男達が笑っている後ろで、アイラがボソッと「シオンザ・キーゲツアモン。」と呟き、それと同時に後方から「痛いぃぃぃ。指がぁぁぁ。」という悲鳴が響き渡った。
「あの声がもう聞けなくなると思ったら、ちょっと寂しいかも。」
クスクスと笑っているアイラにクレオがハンカチを差し出した。
「涙、お拭きなさいな。」
「泣いてない。」
「エロちゃんが仲間になった時、アイラちゃん嬉しそうだったものね。同じ年頃のお友達が出来たって。」
友達? というよりは玩具だろ。と男二人は思ったが、あえて口には出さなかった。
「仲間じゃないでしょ。奴隷でしょ。あいつは魔族で魔王の娘なの。征服するか、されるか、その二択しかないんだ。馴れ合ったりなんかするもんか。」
アイラは溢れる涙を拭いて、ついでに溢れる鼻水も拭った。クレオは「はい、はい。」と頭を撫でてやりながら「ハンカチは返さなくても良いわよ。」と付け足した。
そんなやり取りをしているうちに、四人は大扉まで辿り着いた。とうとう此処まで来たのだ。全員の胸中に沸き起こる苦しかった戦いの日々の思い出。いよいよ決戦だ。
「ぶち破るぞ。」
トールが利き腕に巻いたメギンギョルズを締め直し、ヤールングレイプルを右手に嵌めた。その右手にはミョルニルがしっかり握られている。いずれもトールが神トールよりその名を授かった際に、一緒に贈られた品々だ。
唸るミョルニル。扉が吹き飛ぶ。踏み入ると、其処は恐ろしく天井の高い空間だった。床の彼方此方から大きな水晶が生えていて、壁も同じ素材のタイルで出来ている。その全てが輝きを放っていて眩しい程だ。部屋の中央には階段ピラミッド状にせり上がった場所が有り、その一番上に魔王は居た。
魔王は座っていた椅子から立ち上がり、階の辺りまで歩み寄ると、下に居るトール達を睥睨した。エロイーズと同じ銀髪が腰まで伸びている。表情は冷たいが、怜悧な面立ちは完璧な美を湛えていた。頭の左右に一本ずつ長い角が天に向かって聳えていたが、それさえも彼女の美しさを際立たせるアクセントになっていた。
「君達さあ。部屋に入る時にはノックをしてから入ろうって、人生の何処かで習わなかった? 作法教室とか、幼稚園の砂場とか……。」
「俺達の国にいきなり火矢を射掛けた貴様に礼儀云々を言われる覚えはないな。」
予想外にフレンドリーな口調にたじろぎながらも、トールは一歩前に出て言い返した。大抵こういう遣り取りの後に戦闘が始まる。グッと緊張が高まった。だが、魔王はうんざりした顔で此方を見ているだけだった。
「そんな事はどうでも良いのよ。」
良いのか? というか自分で言い出した話だろ? 全員ツッコミたくてウズウズした。
「で、貴方がシシ……じゃない、トールなの?」
「魔王に名を覚えられているとは光栄だな。そう、我こそは神トールよりその名を授かりし……。」
名乗りを上げようとしたら、手で制せられた。
「ああ、そういう暑苦しいの良いから。それで、貴女でも貴女でもなく、貴方がトールなのね?」
魔王はアイラを指差し、次にクレオを指差し、最後にトールを指差した。ハブられたイサキオスが少し寂しそうだった。
「……………………。」
皆は魔王の出方を待ったが、彼女は黙ってトールを見詰めているだけだった。絶望、落胆、失望、あまりよろしくない色々な感情が表情に現れていた。
「報告では聞いていたけど……。」
ポツリと呟いた後、頭を掻き毟りだした。
「ああぁぁぁ、もうぅぅぅ。何なの? 何なの、あの筋肉の塊は。可愛くない。ゼンッ然可愛くないわ。何処をどう間違えたら、あんな筋肉の化物になるの? しかもトールだって。筋肉に筋肉の神様を掛け合わせて筋肉の二乗になっているじゃないの。」
えらい言われ方だ、とトールは思った。自分の存在価値を完全に否定されている。なんかもう泣きそうだった。いや、それこそが魔王の狙いなのかも。恐るべき心理戦だ。などと考えていたが、彼女は本当に取り乱しているだけで、何らの攻撃も仕掛けて来なかった。
一頻り喚き散らした後、諦めた様子で右手をピンと上げた。人指し指を立て、ツツッと虚空に大きな円を描く。すると、青い火花をスパークさせながら、そこにスイッチが出現した。
「もう良いわ。やり直しよ。これはこの全宇宙を一点に巻き戻し、消滅させるスイッチよ。」
唐突で、しかもスケールの大き過ぎる展開に誰もが焦った。
「待て!」
「いーや、待ちません。押すね。」
最後の手段を使うしかないのか? ふと仲間達を振り返ると、皆はわかっているとばかりに頷いた。
「魔王、俺達とともに滅べ。」
トールが叫けぶと、足元に黒い穴が開き、周りの物が其処に引き摺り込まれ始めた。トールの奥の手だが、離れた場所に居る魔王を確実に仕留めるには力を全開放するしかない。それは自分や魔王だけではなく、仲間達の命まで奪う事を意味していた。
『結局こうなってしまったか……。』
宇宙を消滅させるとまで言われては躊躇出来なかった。
『エロイーズだけでも逃がしてやれて良かった。』
そう思ったのに、ふと入口の方に目をむけたら、心配そうに中を覗いているエロイーズの顔が見えた。
『あー。バッカだなぁ。逃げろって言ったのに。』
しかし、もう間に合わなかった。黒い穴は魔王城全てを飲み込み、消えた。城跡には大きな穴が開いているばかりだった。皆は人類を守った勇者トールとその仲間達に感謝を捧げ、その穴は永く聖地とされた。ありがとう。安らかに眠れ。何者にも邪魔される事なく。そう人々は願い、祈りは代々親から子へと受け継がれた。
これで勇者トールの話は終わった……、筈だったんだ、……けどね?
幼女で検索して辿り着いた人がいたらごめんなさい。
次章からは、ちゃんと主人公は幼女です。なるべく可愛らしく描くよう努力します。
筋肉で辿り着いた人、もう筋肉は出ません。
出ませんが、なるべく読んでやって下さい。