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食事の後、華穂様の入浴、就寝の準備を終え、華穂様の部屋を辞したのは22時を過ぎた頃だった。
そのまま自室には向かわず、裕一郎様の書斎に向かう。
扉をノックした私を裕一郎様は、笑顔で迎えてくださった。
「待っていたよ。今日の華穂の様子はどうだったかな。」
「まだ初日ということもあり大分お疲れのようでした。今まで華穂様が暮らして来られた環境とは全く違いますので、馴染むまでにはまだ時間がかかるかと思われます。」
「そうか・・・。なるべく華穂の負担が少なくなるよう取り計らってくれ。」
そう言った裕一郎様は、少し考えるような素振りをされた後、再度口を開かれた。
「・・・・・・率直な意見が聞きたい。君から見た華穂は、君が仕えるに値する人間か?」
裕一郎様の質問に私は迷わず頷く。
「はい。まだ1日しかお仕えしておりませんが、お話しさせていただいた印象から、華穂様は素直で優しくとても芯の強い方だと感じました。
今はまだ戸惑いの方が大きいようですが、ご自分の目標を見つけられれば大きく成長されると思います。
微力ながら私はその手助けをしていければと考えております。」
本当のことをいうと、まだ今日話した印象でそう感じたわけではない。
ただ私は華穂様の姿を見た瞬間に心で感じた。
『私は華穂様を支えるためにこの世界《ゲームの中》に来たんだ』
もしかしたらこれはゲームの強制力というものかもしれない。
幼い頃から執事に憧れ、その職に着いたのも本当は自分の意志ではなかったのかもしれない。
しかし、そんなことはどうでもいい。
念願の執事となり、心の底から使えたいと思える主人がいることは、執事にとって望外の喜びだ。
あるかどうかわからないことに悩むよりも、今は全力で突き進む時だ。
「私は華穂様の執事として裕一郎様に選んでいただいたことを、心より感謝しております。」
そう言って深く礼をする私の姿に、裕一郎様は満足そうに頷かれた。
その後、幾つか明日からの華穂様の予定を確認して報告が終わる。
部屋を辞する前に聞いておかなければならないことがある。私は意を決して口を開いた。
「失礼を承知でお伺いしたいことがございます。・・・私の主人は華穂様と裕一郎様、どちらでしょうか?」
私の質問に裕一郎様は軽く目を見張った後、考え込むように目を閉じられた。
しばらく経って開けられた瞳には、少し寂しそうな色が漂っていた。
「・・・・・君の主人は華穂だ。命の危険さえなければ、可能な限りあの子の意思を尊重する。ただ、可愛い娘の様子の報告は欲しいところだね。」
「かしこまりました。私は全力を賭して華穂様にお仕えいたします。」
そう返事をして、私は裕一郎様の前を辞した。
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ベッドの上にドサリと身体を投げ出す。
程よいスプリングと上質なシーツの感触が心地良い。
その感触に癒されながら今後のことを考える。
ゲーム『マイスウィートレディ』の通りに進むのであれば、華穂様に訪れる可能性のあるエンディング≪未来≫は15種類。
まずは大団円エンドといわれる攻略対象全員に愛されるゲーム内では最高難度のエンディング。いわゆる逆ハーレムエンド。
次にノーマルエンド。これは立派なレディにはなるが、攻略対象の誰とも恋に落ちないエンディング。
バッドエンドはレディにもなれず攻略対象も落とせずにいると迎える政略結婚エンディング。(しかも結婚相手はでっぷり太った成金の性格の悪い最悪の男)
この3つは特定の相手が決まらないエンディングだ。
この他に6人の攻略対象者それぞれに、ハッピーエンドとバッドエンドが準備されていおり、トータル15種類だ。
---------------『・・・・・君の主人は華穂だ。』
裕一郎様の言葉。それは高良田家の意向よりも、華穂様の意向が優先されることを意味する。
上流階級の社会は今でも階級意識の強い人間が多い。
裕一郎様から聞いたわけではないが、ゲームの通りならば華穂様が母一人子一人で暮らす原因になったのも、裕一郎様のご両親が猛反対されたからだ。
華穂様のお母様、夏美様はいわゆる中流家庭。ごくごく一般的な家庭で育った方だ。
大学で裕一郎様と恋に落ち華穂様を授かったが、結婚への裕一郎様のご両親の酷い反対に心を痛められ、華穂様をお腹に宿したまま裕一郎様の前から姿を消し、身を引いた。
それは『会社を継いだ時には、自分の会社に関わる人全員が笑顔になれるような会社にしたい』と語る裕一郎様の夢を途絶えさせないため。
夏美様は華穂様に父親の名前や職業は伝えなかったが、裕一郎様と二人で写った写真を見せて『理由があって会えないけれど、今もお父さんは自分たちのことを愛してくれている』と話して育てたため、華穂様は顔しか知らないけれどお父さん大好きな子に育つ。・・・・という設定だったはずだ。
裕一郎様の境遇から、高良田家が優先されることはないだろうと思ってはいたが、確証が得られてホッとする。
攻略対象者全員が生まれた時からセレブというわけではない。
華穂様の交際相手が、高良田家のために家格や職種、コネなどがある者に限定されてしまった場合、華穂様を泣かせることになるかもしれなかった。
人の心は自由にはならない。お膳立てなどで有利不利な状況を作ることはできるが、誰と恋に落ちるかは華穂様にしかわからない。
裕一郎様と夏美様のように引き裂かれるのを見たくはない。
それを踏まえて、今後のことを考える。
ゲーム内で最高の大団円エンド・・・・はありえない。
あれはゲームだからいいのであって、現実になれば修羅場だ。
たとえゲームの中であっても今の自分にとっては現実。エンディングが終わっても現実は続いて行く。
最終的に華穂様は誰か選ばなければならないし、選ぶまでの過程で起きそうな事件が怖い。
最悪の政略結婚エンドは、多少スパルタでも華穂様を鍛え上げれば回避できる。
それさえしておけば少なくともノーマルエンドには持っていける。
攻略対象者エンディングに関しては、現時点で考えてもしょうがない。
華穂様が誰を好きになるかわからない以上どうしようもない。
私にできるのは、目を皿のようにして華穂様が対象者たちと起こすイベントを見逃さないことくらいだ。
ゲームのようにパラメーターが見えるわけではないので、起こるイベントを見逃さず、進捗状況やパラメーター予想をするしかない。
そう、これは華穂様のために必要な業務だ。
けっして、けっして、自分があのゲームのイベントシーンを見たいからではない!!
・・・・・のだが、そもそもどこまで手を出していいものか。
オープニングからエンディングまで何度も繰り返し思い出してみるが、立ち絵はもちろんイベントスチルの端っこ、声だけの文字表示すら見つからない。
私ゲームにいなかった。
制作費削減で、裏設定はあるけどモブ過ぎて作品出演がなかったのか、はたまたまるっと存在自体しなかったのか。
自分の行動で、華穂様のエンディングにどれだけ影響が出るのだろうか。
ノーマルエンドにする分に関しては、プラスの影響しか考えられないが、攻略対象者エンドに関してはどう転ぶかわからない。
私が行動することで、ゲーム内のバランスが崩れるのか。
それとも、もともとのゲームの結末自体が私の行動込みで迎えたエンディングなのか。
考えても答えの出ない問題を、悶々と悩んでいるうちに夜はとっぷり更けていった。