23
「唯さ〜ん、空太から怒られた〜〜〜!!」
と華穂様に泣きつかれたのは3日前のことだ。
平日はレッスン、週末は施設に行ったり裕一郎様と出かけたりという慌ただしい日々を送っていたら、いつの間にか空太と会った日から3週間も過ぎてしまっていた。
痺れを切らした空太から『いったいいつになったら食べに来るんだよ!』と怒られたらしい。
ということで、今日は華穂様とふたりでランチに来ていた。
空太の勤める店、銀鱗軒は昭和初期から続く老舗洋食店だ。
テレビでも何度も紹介されたことのある人気店で、
店の前にはいつも行列ができている。
長時間並びたくはないので11時オープンの15分前に店に着くようにする。
店についた時にはすでに8組ほど並んでいた。
「良かった。なんとか座れそうだね。」
外から見る店構えは古くて重厚だ。
中も綺麗ではあるがオーナーの歴史ある姿を見せたいとの意向で昔の店そのままであまり広くはないようだ。
華穂様によると12〜15卓前後らしい。
そんな話を華穂様から聞いているとオープン時間になった。
次々と先に待っていた客が店内に入っていく。
空太のためにもできれば華穂様が空太の勇姿を見ることができるカウンター席に座りたいところだが、私たちが入るまで空いているだろうか。
「いらっしゃいませ。カウンターとテーブルどちらがよろしいですか?」
良かった。まだ空いていたようだ。
先に待っていた客の中に若い女性のグループがいなかったからかもしれない。
カウンター席に案内してもらうとすぐに厨房内の空太の姿が見えた。
揚げ物をしているようで色を見ながら、時折箸でひっくり返している。
じっと見ていたら空太はこちらに気づいたようでニカッとこちらを見て笑った。
華穂様はそれに手を振って返事をする。
ウェイターが水を持ってきてくれた時に、一緒に注文もしてしまう。
食べるのはもちろんこの間話していたオムライスだ。
スープ、サラダ、ドリンクがついたセットで2800円。
たしかに普段のランチにはちょっと贅沢なお値段だ。
「空太ってあんな感じで仕事してるんだね。初めて見た。」
「何度も来たことがあるのでは?」
「来たことはあるんだけど、いつもカウンター埋まっててテーブル席だったから、料理を持ってきてくれる所しか見てないの。」
空太は料理人なので基本厨房なのだが、知り合いが来ていることに気づいた時は、厨房をちょっと出て配膳してくれるらしい。
「お父さんの仕事関係のところについていっても思うけど、みんな一生懸命仕事してるよね。
隼人くんも一弥も普段はあんな感じだけど、仕事中はすっごく真剣だった。
わたし、ちょっと情けなくなってきちゃった。」
まゆをへの字にしたまま笑ってみせる華穂様。
高良田邸に来るまでもちろん華穂様も仕事をしていた。
華穂様の性格ならばその仕事も一生懸命やっていたはずだ。
しかし仕事先が自分が暮らしている養護施設では『社会に出て頑張っている』という実感が湧かなかったのかもしれない。
「そうですか?私には華穂様も一生懸命に見えますが。
たしかに今、華穂様は仕事をして給料をもらっているわけではありませんが、こちらがお願いしたことをしっかり勉強して衣食住保障をしているような状態です。
考え方を変えれば、ちょっと変わった住み込みの仕事みたいなものです。
施設でお仕事されていた時も、意識して手を抜いていたりされたんですか?
私はもちろん施設でお仕事をされている華穂様を見たことはありませんが、今の空太様と同じように一生懸命お仕事をされていたんだと思います。
山中先生ならば、もし仕事に真剣に取り組んでいない職員がいれば注意されるのでは?」
「・・・・・そうだね。
急に置いてかれたような気分になっちゃったのかも。
空太が見たこともないような顔してるから。」
「俺がなんだって?」
後ろからかけられた声に華穂様がびくりとする。
「そ、空太・・・」
「お待たせいたしました。先にスープとサラダからお召し上がりください。」
空太がことりと私たちの前にスープとサラダを置いてくれる。
「で、俺がどうした?」
「な、なんでもないよ!仕事忙しいんでしょ。わたしたちも食べるのに集中したいから早く戻りなよっ。」
ちょっと赤い顔をして華穂様は空太の肩をぐいっと押し、その場から離れさせようとする。
「うわっ、おい止めろ。わかった、戻るから。
唯さん、メインはもう少々お待ちください。」
何が何だかわからないといった表情で退場させられる空太。
ちょっと可哀想だが華穂様の表情を見る限り、ちょっと空太を見る目が変わりかけているのだとしたら、それは彼にとっては嬉しいことだろう。
サラダもスープもシンプルだがとても美味しいものだった。
濃厚な甘みの強いコーンスープにすりおろし玉ねぎのドレッシングがかかったサラダ。
どちらもサイドメニューではあるが、1から店内で作っているのがわかる丁寧な仕事の一品だ。
サラダに舌鼓を打っていると空太がオムライスを持ってきてくれた。
デミグラスソースの海に浮かぶ丸いバターライスの島。海の上ではミルクが波のように模様を作っている。
島の上には大きな黄金色のオムレツが横たわってぷるぷるしている。
空太が横一文字にスパッとナイフを入れると、オムレツは一気に広がってバターライスを覆い隠した。
「お待たせしました。銀鱗軒特製オムレツです。卵が柔らかいうちにお召し上がりください。」
ちょっと自慢気な顔の空太が可愛い。
スプーンでトロトロのたまごがこぼれないように慎重にスプーンですくって口に運ぶ。
しっかりとした深みのあるデミグラスソースの味はたまごが合わさることによりクリーミーでなめらかなものになる。
その後にバターの風味と玉ねぎの甘みが広がり、ソースやたまごと口の中で合わさっていく。
絶妙なハーモニーだ。
華穂様と空太が私の反応を固唾をのんで見守っているのがわかる。
「とても美味しいです。
華穂様のおっしゃる通りたまごがふわふわトロトロで、デミグラスソースと合わさるとまた一段と味が深くなって嚙みしめるたびに旨味が広がっていきます。
何度も食べに来たくなる味ですね。」
「でしょー!
いろんなメニューがあるから他にも食べたいんだけど、ここにくるとどうしてもオムライス頼んじゃうんだよね。」
まるで自分が褒められたようにはしゃぐ華穂様を空太が嬉しそうに見ている。
「ありがとうございます。
ほら、華穂も早く食えよ。」
スプーンに山盛りにもって大きな口でオムライスを食べる華穂様は幸せそうだ。
「やっぱりいつ食べてもおいし〜。
空太がオムライス作れるようになってて良かった。
やっぱり『空太が作った』って自慢したいもん。」
「前は仕方ないだろ。オムライスはそれなりに経験積まないとやらせてもらえねぇんだから。」
「昔は『自分が作ったわけじゃない』とか言って、厨房から出てきてくれなかったもんね〜。」
「いったいいつの話してんだ。」
「そのうちサラダを持ってきてくれるようになって、メインも少しずつ増えていったみたいだけど、空太自分がなんのメニュー担当してるか教えてくれないから、空太がどれ作ってるか感でメニュー選ぶしかなくって、空太が出てこないと山中先生がっかりしてたんですよ。」
「お前は俺は作ったかどうか気にせず、毎回オムライスだったけどな。」
「う・・・、だって美味しいんだもん!」
「お前昔から食いしん坊だもんな。
それじゃ俺戻るから。ごゆっくりどーぞ。」
メインを堪能した後、空太がサービスしてくれたプリンを食べながら空太の話題を楽しみ、お腹も心も一杯になって店を後にした。




