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夕食をたいらげた後もちびりちびりと酒を呑んでいた流はふらりと立ち上がると寝室に消えていった。
寝るのかな?と思い、酒器を片付けているとカチャリと音を立てて扉が開いた。
見てみると、先ほどとは違う格好の流がいた。
薄いクリーム色のダボっとしたリネンのシャツにいつもより少し淡いグレーのリネンのパンツ。
ゆるい感じがいかにも部屋着といった風だ。
「俺は少し仕事を片付けてくる。」
「かしこまりました。お飲み物はいかがなさいますか?」
「濃い目のコーヒーを頼む。」
「では、後ほどお持ちいたします。」
書斎に向かう流を見送ってから寝室に入り、脱ぎ捨てられたバスローブを回収して洗濯機に入れる。
自分の夕食の準備をしながら、タイミングを見計らってコーヒーを持っていく。
コンコンッ
ノックをしたが返事がない。
そっと扉を開けるとピシッと姿勢良く机に向かっている背中が見えた。
・・・・・・・・ちょっと驚ろかしたくなってしまう。やらないけれど。
そっと近寄り邪魔にならないところにコーヒーを置く、それでもまだ気づかない。
この集中力もまた彼が一流である証なのかもしれない。
私はそのまま気づかれずに書斎から出た。
夕食を食べ、食器を洗い、夜食の準備をする。
あの集中力だったら夜食にすら気がつかないかもしれないが、その場合は明日の朝食にアレンジすればいいだけだ。
持ち込んだ材料の残りとにらめっこしてメニューを決める。
夜食で重いものはやめたほうがいい。食べてくれなかった場合でもアレンジしやすい具材が多めの野菜スープにすることにした。
具材を切り味付けをして煮込む。
煮込んでいる間に今日使用した靴とコートの手入れをする。
靴は埃を落とし、磨き、脱臭のための備長炭を詰めておく。
コートも埃を落とし、汚れていないかチェックをする。
そこまで終われば今思いつく仕事は終わりだ。
流の仕事がまだまだかかりそうなのをこっそり覗いてチェックして、私も入浴することにする。
さすがにいくらマンションの1フロア全て流の家だと言っても、いくつもバスルームがあるわけではない。
申し訳ないが同じバスルームを使わせてもらうことになる。
・・・・・何度見てもすごいなぁ。
家探しの時も、お風呂洗いをした時も見ていたので分かってはいたが、何度見ても広い。
バスタブは5人くらい一緒に入れるんじゃないだろうかという大きさで、バスタブから上の高さの側面はパノラマのガラス張り。
この時間だと夜景が綺麗に見える。
先日流の出費で泊まったホテルを思い出すくらい高級感溢れている。
これが日常なんて贅沢だ。
湯船にアロマオイルを数滴垂らすと一気に花の香りが広がった。
・・・・・住む世界が違うなぁ。
一時の贅沢を楽しみながらしみじみとそれを感じる。
華穂様や流が暮らすセレブの世界はそこで働く私であっても近いようで遠い。
触れられる距離にあるのに間には分厚い透明の壁があって、けして触れることはできないのだ。
空太は大丈夫だろうか。
ゲームでの空太ルートのバッドエンド理由がそれだ。
令嬢になった華穂様と身分の違いを感じて、自分の力で幸せにすることはできないと華穂様に何も告げずに去ってしまう。
今、ゲームとは違い空太を高良田邸で働かせていることは吉と出るのか凶と出るのか。
つらい恋なんて見たくないし、したくない。
暗い思考に陥りそうになるのを、頭からお湯をかぶってシャットアウトした。
お風呂から上がって新しいシャツに着替える。
髪を乾かし化粧を終えると時刻は11時半になっていた。
夜食を持っていくのに丁度いい時間帯だ。
コンコンッ
「入れ。」
今度は返事があった。
「どうした?」
扉を開けると椅子ごとこちらを振り返っている流と目が合った。
「夜食と新しいコーヒーをお持ちしました。」
「そういえば小腹が空いたな。貰おう。」
流の方に近寄って、机の上にスープとコーヒーを置く。
「甘い香りがする・・・・・・」
?
スープはコンソメ味だから甘くはないはずだが・・・・。
「香水を変えたか?」
あ、私の話。
「いえ、今は何もつけておりませんが・・・・。」
「俺がやったものを使えと言ってあっただろう。」
「先ほど入浴しましたので、それまでは使っておりました。
あぁ、甘い香りはきっと入浴で使ったアロマオイルですね。」
「アロマオイル・・・。そういえば今日の風呂は爽やかな香りがしたな。」
「流様が私に選んでくださった香りに近いものを入れておきました。リフレッシュできるかと思いまして。」
香りには好みがある。
流が私に選んでくれた香りに近いものであれば、少なくとも嫌いな香りではないはずだと思い使ってみた。
「執事というのはそんなに細かいところまで仕事があるのか。」
なんだかちょっと呆れられている気がする。
「執事の仕事は主人に快適に過ごしていただくことですから、どこまでが仕事ということはございません。」
自分の出来得る全てを駆使して主人に尽くす、それが仕事だ。終わりはない。
「解せんな。
お前ほどの能力があれば自分の力でなんでもできるだろう。
裏方に徹してお前はそれで満足なのか?」
・・・・・・・・・そう言われてもおかしくはない職業だとは思っている。
自分の力で企業規模をどんどん広げていく流からすれば、理解できないことだろう。
「他の執事はともかく、私はちょっと変わっているのでしょうね。
私は主人が幸せでいてくださればそれが一番の幸せなのです。」
たとえその結果お側を離れることになっても。
「ならば、今は俺の幸せがお前の幸せか?」
その言葉にくすりと笑う。
「そうですね。5日間流様が幸せでいてくだされば私も幸せです。」
たった5日で何が幸せかとも思うが、流が快適だと思ってくれればそれは私の幸せになるのだろう。




