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エレベーターが動く音に気づき、その前で待つ。
流からは30分ほど前に『帰る』というメッセージがきていた。
小さな音を立てて開いたドアに向かい頭を下げる。
「おかえりなさいませ。」
頭を上げると、ちょっと驚いたような表情の流と目があった。
そのままふっと微笑む。
「あぁ、戻った。」
バッグを預かろうと手を出すと、今度はキョトンとした顔をする。
コロコロ変わる表情が先程から忙しそうだ。
「バッグとコートをお預かりします。」
「あ、あぁ。」
バッグを受け取ると、後ろに回って流のトレードマークであるダークグレーのコートを脱がす。
「お食事と入浴の準備が整っております。いかがなさいますか?」
「では、先に風呂に入る。」
「かしこまりました。バッグは私が開けても大丈夫でしょうか?」
「あぁ、問題ない。」
「ありがとうございます。それではごゆっくりとおくつろぎくださいませ。」
浴室に向かう流に礼をし、私はバッグとコートを片付けに移動する。
コートはエレベーターのすぐそばにあるシューズクローゼットにあるコートかけに。
バッグは書斎に持って行き中身を整理して、持ち帰った書類を分類し机の上に置く。
結構な量の書類だ。夕食とは別に夜食も準備した方がいいかもしれない。
今の時刻は19時。多忙な流が帰ってくるにはずいぶん早い時間だ。
おそらく私を気遣って早く帰ってきてくれたのだろう。
流も裕一郎様にように使用人から慕われる主人になれそうだ。
片付けを終わらせ夕食の仕上げに入る。
冷たいものの盛り付けは終わり、あとは熱いものを流が風呂から上がってから盛り付けるだけだ。
ちょうど流が出てきた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
うわぁ・・・・・・・。
自分で準備したからわかっていたが、それでも目が離せなくなる。
しっとりと濡れた髪に、白く柔らかな生地の間からちらりと覗く厚い胸元。
バスローブ姿の流!!!
なんだか華穂様より先に見てしまって申し訳ない気分になる。
いや、華穂様は空太に決めたんだから流のバスローブ姿のを見ることはないんだけど。
ゲームの印象が強いためか、つい攻略対象者は全員華穂様の為にいるような錯覚をしてしまう。
固まっていた視線を無理やりはずして手を洗う。
「お食事を始めさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「あぁ、頼む。」
流が座った席の前に料理を並べていく。
「和食か。」
「和食といえるほどのものでは。家庭料理にございます。」
本日の献立は、ほうれん草のおひたし、きのこの炊き込みご飯、肉じゃが、巣ごもり卵、ネギと薄揚げの味噌汁、フルーツだ。
学校で仕込まれたといっても料理長や空太と比べられるようなものではないし、料理など主人に専属の料理人がいたため学校を出てからほとんどしていない。
流のところで仕事をすることが決まって、慌てて練習を始めたくらいだ。
無理に背伸びをしてプロの真似をするくらいならば、自分が慣れ親しんだ味をきちんと形にした方がいい。
幸い料理は嫌いではないので、学生時代まで作っていた味はすぐに作れるようになった。
「美味いな。お前は料理もできるのか。」
流は洗練された綺麗な仕草で、次々と料理にはしを伸ばして行く。
「出来るというほどのものでは。ごく普通の家庭の味です。流様にはあまり馴染みがないかもしれませんが・・・・・・・。」
流の家も高良田の歴史には及ばないがそこそこ歴史のある大きな家だ。
明治時代に紡績業で大成功を収め、そこから次々に新しい事業に手を出し一族経営で今に続く巨大企業に成長した。
ここは流ひとりなので通いのお手伝いさんだけなのだろうが、槙嶋家本邸には高良田邸と変わらない使用人がいるはずだ。もちろん料理人も。
流はそんなプロの味を食べて育ったはずなので、こういうものは珍しいかもしれない。
「お前は食べないのか?」
「私は使用人です。主人と一緒に食事をするわけには参りません。」
「? 桜井の所では一緒に食事をしていただろう??」
「さすがに外食で注文もせずにそばに控えているわけには参りませんので。」
何も頼まず主人の後ろに立って控えているなど、目立って仕方ないし店にも迷惑だ。
車で待つという方法もあるが、華穂様の性格上、それでは落ち着いて食事ができない。
「それよりも、お酒はいかがなさいますか?」
流の家にはワインセラーがあった。
ワインだけでなくそこには日本酒、焼酎等もあり、それぞれ適温でしっかり保管されていた。
ゲームでは出て来なかったが、流はかなりの酒好きらしい。
「そうだな・・・。【月虹】をぬる燗で。」
「かしこまりました。準備してまいります。」
ワインセラーからとってきた酒を温めながらほっと息をつく。
流は気に入ってくれたようだ。
主人に料理など作ったことがないから実はちょっと緊張していた。
環境が変わる度に新しく勉強すべきことがある。
今回はお礼という形で流に仕えているが、返すだけでなく得るものも沢山ありそうだった。




