7 小姓は開き直ります。
「うぅ……メリットって、メリットってなんですか……大したことなければ暴れますよ……」
「お前が暴れたところで僕もフレディも何の苦労もなく押さえられるけどね」
「じゃあなんでそんな無能な僕をそんな御大層なもんに選んだんですか!?」
小首を捻ったグレン様はうーんとしばらく悩む気配を見せた。
「えー気分?」
「殴らせろ!!」
不敬?こちとら気分で命握られたんだよ!この悪魔に!もう怖いものなんかあるもんか!
じたばたする僕を後ろから羽交い絞めにされたのは殿下だった。
「まぁ待て待て。エル、落ち着かないか。別にグレンは気分で選んだんじゃない。こいつがこういう人をおちょくったような話し方をするのはいつものことだろう?」
「確かにおちょくってない時の方が少ないですが」
「エル、あとでお仕置き」
「嫌です!」
グレン様を睨みつけて唸り始めた僕に殿下が苦笑する。
「聞け、エル。小姓契約というのは今言った通り、小姓側の命を主が握ることになる。しかしその分、主側にもそれ相応の負担がかかるものなのだ。そういう意味でも相手は厳選して選ばれる。まずは性格が合わなければならん」
「僕とグレン様の性格という意味での相性は特に際立って最悪だと思われますっ!」
「いやいや、そんなことはないぞ。むしろ逆だ。これまでグレンにそこまで食ってかかれるものはいなかった。グレンの魔力の量は現王族を越える、いわゆる先祖返りというやつでな。はっきり言って異常だ。そして保有する魔力が高い者ほどそれに惹かれ、同時にそれに怯える。これまでグレンの従者をしていた者たちはことごとくこれでやられてな。その点、お前は魔力に魅せられることも怯えることもなくグレンに懲りもせずに突っかかっているだろう?」
それはつまり僕がへぼい男爵家出身で、それからこれまでグレン様の周りにいた方々が欲望に弱いかまたはチキンだったから条件を満たした、と、そういうことか。
「それにだ。お前はそう見えて機転は利くし、頭も器量も悪いわけではない」
そう見えて、と言っている時点で僕のこと貶してますよね、殿下?
「なにより動物に異様に好かれやすい。これまで私は何人も宮廷獣医師を見ているが、お前ほど動物たちに好かれ、厚意とやらをかけてもらえる存在は知らないぞ。それはおそらく魔力とは違う、なにかお前の――体質というか、性格というかよく分からんが、かなり稀有な才能であることには間違いない」
「そうでしょうか……」
「それに加えてまだ15歳にして動物の治療に関してはずば抜けている。それだけお前には宮廷獣医師としての適性があるということだ。お前は使えないやつなどではない。アインを助けてもらった私が認めよう」
「………おだてたって何も出ませんよ」
「だろうねー。今のお前を絞っても果汁は出ずにカスだけ残りそう」
「グレン!お前も混ぜっ返すのはやめろ。話が進まん。……小姓となるからにはある程度の武術、剣術、魔法ができなければならないが、それもギリギリ、本当に最低レベルだが基準は満たしている程度だとイアンとグレンから聞いている。この三月、よく耐えたな」
「殿下……」
優しいお兄ちゃんのように頭を撫でて下さる殿下に涙腺が緩む。
この人が悪いわけじゃないもんね、悪いのはみんなみんなこっちの鬼畜悪魔だもんね。
「殿下だけです、褒めてくださったのは…これであの拷問としか思えないグレン様の用事をこなしてきた自分も慰められます」
「………私はグレンの魔法特訓とイアンの剣術と武術の訓練のことを指していたのだが……グレン、お前一体何をさせていたんだ?」
「んー?ちょっくら使いっ走り?」
「魔獣や猛獣がうじゃうじゃする森の奥に一人で行かせたり、どう考えても馬で往復十六日はかかる道を一日で行って帰ってこいと言ったりするのは子供のお使いでは済ませられません!」
「グレン……」
「だぁって。僕だって身を切るわけだよ?低能なやつに僕の力を分けるなんて、そんなことしたくないじゃん」
殿下に呆れた顔で見られたグレン様は腹立たしそうに髪をかき上げて言った。
「手駒よりも信頼できる部下はずっと欲しかったけど、これまで見たどいつもこいつもほんっとに使えないやつばっかり。僕の従者になって三日ともったやつはいなかった」
そりゃあんな特殊な目の覚まさせ方をしなきゃいけない時点で大体無理だよ。
多分火の玉が追って来るところらへんでギブアップする。
「けどお前は最初の四分の一月を僕を罵りながらも耐えきったからね、変り種だと思って目を付けた僕は正しいんじゃないかと思ったんだ。それで、三月もつならその根性くらいは評価してやろうくらいに思ってた。そしたら無理言っても歯ぁ食いしばってやり遂げてきてさ、僕に認めさせたやつなんて、フレディたちを除けば、魔力も武術も剣術も大したことないはずのお前くらい。この僕にも耐えられるんだから、相当変わり者でしょ?見逃す手はないよ」
グレン様のルビー色の瞳がまっすぐに僕に向く。
一方の僕は、「そうか、ドS性癖は自覚済みだったのか。びっくり!是非反省して治してほしい!」なんて思考をそらされてしまった。あまりに驚愕の新事実だったもので。
「じ、じゃあグレン様は虎の親が子を谷に突き落とすようなお気持ちで僕に仕事を……?」
「どれだけやらせても僕に勘弁してくださいって泣きついてこないから命令しただけのものも少し、結構、いや九割あったけど」
「ほとんどじゃないですか!?」
「でもまぁ、その根性も、ギリギリだけど能力も、僕が認めるに足りると思ったからこそ、今回この話を僕の方からフレディに持ちだしたんだ。ダメだと思ったら途中で解雇してやるつもりだった。今日お前の前であんなに外部秘匿性の高い話をした時点でお前の逃げ道がないことくらい気づきなよ」
うわあぁ!本当にさっさと匙投げておけばよかったよ!
とはいえ、いくらこの鬼畜悪魔でも、この王家の秘密とやらを最初の時点で話さないでいたってことは僕のことを一応、ほんのちょこっと、小さじ1杯分くらいは考えていたみたいだし。もう泣いたって何したってって戻れないわけだし。
「……メリットについて話してください」
ふてくされながらも先を促すと、殿下も頷いて先を話して下さる。
「お前には、グレンの魔力が分け与えられる。それに伴ってお前の魔力総量が上がるんだ」
「魔力総量が」
生まれつき固定、絶対に変わらないのが常識の魔力総量が上がると言われれば確かにこれが王家の秘密とされてきた理由も分かる。この国では魔力の大きさは爵位の上下にも関わるくらい重視されているからね。
「それから、お前には特別な地位が与えられる」
「地位?男爵が子爵になる、とかですか?」
「いや。それは変わらん。アッシュリートン家自体は変わらんのだ。だが、お前、エルドレッド・アッシュリートンの地位がグレンの小姓、という特別のものになる」
「……それ、特別なんでしょうか?」
「嫌そうな顔をするな。お前の身分は変わらんが、お前を傷つけることはそれすなわち、グレンに剣を向けたのと同等の扱いとなるのだ。グレンは侯爵家。侯爵家嫡男に刃を向けることが何を意味するか分かるだろう?」
なるほど。グレン様の小姓と言われたら少なくとも僕には何の価値も見いだせない、それどころか投げ出していいならドブの中に投げ捨ててやりたくなるけれど、きちんと説明されればそれは大きい効能だと分かる。
貴族と平民の身分間の違い、というものも大きいが、貴族内の爵位の違いでの取り扱いの差異も大きい。特に地位の下の者が上の者に危害を加えようとすることは、重大犯罪とされる。
不条理なようでも、それが身分というものだ。
「あぁ、メグもお前のおかげで他の上位貴族の養子となりやすくなり、多少私のところに迎え安くなるだろう」
「姉はアッシュリートン家から渡しませんよ?」
「できるものならやってみろ。この点は断じて譲らん」
王子殿下の命とあらば貴族は逆らえない。だからこそ王子が愚行を犯せばそれがそのまま王家への不信、ひいては貴族や平民たちの不満につながる。それをきちんと弁えている殿下は普段思慮深いお方だ…と聞いていたけれど、大丈夫だろうか。
「僕の姉様であることに変わりがないならいいですけど。姉の心を得なければ意味ありませんよね?」
「もちろんだ。できれば養子縁組の件も了承を得てからにしたい、と思っている」
殿下は姉様ぞっこんラブだもんなぁ。
どうにも殿下がこれを一番の目的にして今回のグレン様の提案を了承された気がして、疑わしい目つきで見てしまう。不遜が過ぎるので言葉には出さないが。
グレン様には不遜じゃないかって?いいんです、詐欺師の鬼畜悪魔にはそれくらいで十分です。いたっ!またつねってきた!もう!これくらい毒づいてもいいじゃないか。
殿下としても僕の目つきに思い当たるところはあるらしく、ごほん、と軽く咳ばらいをしてから続けた。
「あともう一つ。これはもしかしたらお前には一番興味のあることかもしれんが…宮廷従事職への就職可能性が格段に上がる」
「やりますっ!」
「早いな……。身元が確かで信頼がおけるから、というのが理由なのだが…それにしてもだろう。魔力量よりも身分よりもそれに反応するか」
「えぇもちろん。どうせ命握られるわけですし?それだったら僕の一番の夢に近づけないと意味がありませんので」
「しかし、小姓というのも一つの職業なのだぞ?小姓は執事、従者としての役割もあるが、裏では偵察、時には暗殺などもやっていたというのが昔からの話だ。兼職は可能だが、それは体力的にはかなり厳しい。それでも諦めないのか?」
十五歳という成人年齢にも達していない僕に、他に夢があることも知りつつこんな大職を押し付けようとしているのか、グレン様は。はは、今度こそ脳の血管が切れそう。
でも、それで諦めるのなら僕が今回グレン様の小姓を引き受けた根底の理由すら覆されてしまう。根性だけはこの鬼にも認められるくらいだ。やってやろうじゃないか。
僕が黙って頷くと、殿下は暫し目を瞑る。
「……そうか。まぁ何を目的にしようと、いずれもお前には必然的に起こることだ。いいのだな?」
「拒否権はないと先ほど言われたばかりです。さぁ、やるならさっさとやりましょう」
僕が開き直ったのを見て、暫く黙っていたグレン様が顔を上げ、に、と不吉に笑った。
怖くてやっぱりやめますと一瞬で手のひらを返したくなった。