お礼おまけその1 勘違いでもいい【バレンタインデー】
バレンタイン、ホワイトデー(に近い習慣)での二人。
書くつもりは全くなかったのですが、ここのところ色々ございまして、支えて下さった読者様方にどうしても感謝の意を表したく書かせていただきました。
時期としては、はしわたしその2と3のちょうど間。
バレンタイン版は、活動報告に載せていたものを若干加筆してほぼそのまま転載。語り手は殿下です。
ホワイトデー版は、初公開で、語り手はエル。
本編への転載は、内容が恋愛メインなのですることにしました。ジャンル恋愛は詐欺じゃない……んです、多分。
半月遅れ、半月早いイベントをお楽しみいただけると幸いです。
イアンとグレンとの一日の稽古を終え二人と一緒に自室に戻る途中、少し背の低い見慣れた灰色の頭の少年――実際は少女だ――が、一筋立った髪の毛をひょこひょこ揺らしながら上位貴族寮の廊下を走っていく背中が見えた。
「あれはエルだな。どうやら急いでいるようだが何かあったのか?」
イアンが首を捻り、私が呼びかけようと口を開くその前に、隣を歩いていた私のもう一人の幼馴染が、先ほどまでのつまらなそうな表情を一変させ、獲物を見つけた肉食獣のような顔でにたりと笑ったかと思うと先にその名を呼んだ。
「エル」
呼ばれた当人たるエルは、わざと作られた猫なで声にぎこちなく立ち止まると、こちらを振り返っておざなりな礼をする。
「……あ、グレン様。イアン様もご一緒で。殿下の訓練のお時間だったんですよね。お疲れ様です」
武術、剣術や実践式の魔法の訓練の時、大抵の生徒は動きやすい訓練着に替えるのだが、私の場合そういうことはしない。
イアンもグレンも
「動きやすい服で動けるのは当たり前だ」
「いつもの恰好の時に動けなくて無様に死ぬとか、考えただけで情けなさ過ぎて涙が出るよね」
と口をそろえる通り、「本番」はいついかなる時に起こるかも分からないからだ。
そういうわけで、私を含め二人ともいつも通りの学生服だが、グレンの身の回りの世話をしているエルは、グレンの一部の予定を把握「させられて」いる。
「今日もイアン様は手厳しかったんですか?」
「あぁ、まぁな。こう言っているが、どうだ、イアン?」
「手加減しても意味ないだろう?」
「そうですね、イアン様らしい。……らしいという意味では、手加減という言葉すらご存知ないグレン様も、今日もとっても嫌らしくてねちっこいご本人の性格そのままの訓練をなさったんでしょうね」
エルの言葉に、エルの主人であるグレンはきらりと楽し気にルビー色の瞳を輝かせると、エルの一筋立った髪の毛をがしりと掴んだ。そして女性を口説くような優しい笑みを浮かべ、正反対に全く温度を感じさせない目で続ける。
「お前は僕に喧嘩を売らないとおしゃべりできないようだね。僕にそんな口を利くなんて、きっとこの頭は語彙力が足りなくてスカスカなんだろうな。もう、一種病気の域じゃない?」
グレンにこんな目を向けられれば普通の人間なら怯えるのが一般的だ。
が、髪を掴まれたままのエルは、そのまん丸の青い瞳を挑戦的に輝かせながら作った笑顔でグレンを見上げる。
「そんな、滅相もございません。僕はいつでもグレン様に敬意を払っておりますし、この口は僕のグレン様への最大限の敬意を示しながら平常運転中です。病気という意味では、グレン様の方がドSで鬼畜っていう不治の病を患っていらっしゃいますよ」
「同情と哀れみの目をありがとう。お前の言う通り、僕は定期的に何かを苛めてないと気が収まらないんだ。そして僕はそんな衝動を解消するための手ごろなペットを飼っていてね」
「だから僕はペットじゃないって何度申し上げたら――いたたたたたたたっ!髪っ!そこだけ引っ張らないでください!そこだけ抜けてハゲになったらどうしてくださるんです!?」
「えー?目の前で左右に揺れる鬱陶しい髪がなくなって僕の視界がすっきりする。ついでに痛みでお前の頭もすっきりするんじゃない?」
「ハゲに悩まされてもやもやしますっ!」
エルがグレンを挑発したお仕置きを食らって悲鳴を上げているが、この主従はこれがお互いの挨拶のようなものなので放っておく。
それにしても、この学園にいて私を初め、イアンにもグレンにも畏まらない生徒はこの子くらいのものだが、それでも不思議と苛立ちが起こらないのは、この子の持つ憎めない雰囲気のせいだろうか。それともその目が愛しいメグと瓜二つだからだろうか。
ここまでバカ正じ――ごほん、素直な存在は私の周りでは珍しい。
今では、ずけずけと物怖じせずに発言するこの子の存在が私にとっても癒しとなっているし、堅物のイアンですら何も言わないほどには慣れたようだ。
「どうした、ピギー。あいつらなら気にしなくていいぞ。あれがいつもの光景だからな」
「ぴー……」
エルの近くで甘えるように飛んでいた幼獣の翼竜は、生まれてすぐにグレンに物理的にどちらが上位か叩き込まれて以来グレンを恐れているらしく、いつの間にかもう一人の親であるイアンの肩に留まってぶるぶる震えている。
一方、エルの友人であるというネズミの魔獣の方は慣れた光景なのか、廊下の上で優雅に丸まると、後ろ足で耳を掻いてからくあーっとのんびりと欠伸をしている。
「それはそうと、エルはどうしてこんなところに?」
私が問いかけると、ようやく解放された頭頂部を撫でて髪の存在を確認していたエルがまん丸の目をさまよわせた。
「えー……グレン様が殿下との訓練をされるということを存じ上げておりましたので、お召し替えの準備をしてきた帰りでございます」
「それなら部屋でいつも待ってるでしょ。どーせ僕が呼び出すんだから。なんで帰る必要があるの?」
「あ――う――そ、そうだ!自室に忘れ物をいたしましてですね」
「へぇ?いつも身一つなのに何を忘れるの?頭の中身?残念ながらそれはどこにも落ちてないと思うけど」
途端にエルのコバルトブルーの円らな瞳が泳ぎ、手持ち無沙汰に指を組み、いつになくまっすぐに立たずに足を何度も組み直す。――ここまで嘘をつくのが下手な人間も珍しい。
そのド下手な嘘を貫き通そうとする小姓は――本人はさりげなくなのだろうが――幾度となく逃亡しようとしては、嘘にならない程度の虚言とだまくらかしで言質を取ることを最も得意とする主人に言葉のみならず体も絡み取られ、逃亡失敗を余儀なくされている。
「僕に喧嘩を売られるのはグレン様とて同じだと思うんですけど……」
「僕の場合は教育的指導だよ。上司に歯向かう部下と一緒にしてもらっちゃ困る」
「教育?教育って確か、人を成長させるためのものですよね?グレン様が僕にされることの9割は教育じゃなくて八つ当たり……あ、こらっ、チコ、ダメ!それダメだってば!あああああ!」
震える翼竜の赤ん坊を宥めるイアンはさておき、私と一緒に主従のじゃれ合いを生暖かく見守っていたネズミの魔獣が、しびれを切らしたようにエルの上着のポケットに潜り込む。そしてなにやら紙に包まれたものを引っ張りだして、器用に前脚で掴むと、グレンの手に押し付けた。
「チコの裏切り者――!」
「きゅーい」
エルに泣きつかれたネズミの魔獣は尻尾を軽く振ると、グレンに壁に縫い止められているエルの手の届く範囲から逃げ、私の足元に避難した。
前々から思っているが、このネズミ、私が知るどの魔獣よりも知能が高い気がしてならない。
「で、この物体は何?そのネズミが僕に渡したってことは、さしずめ、これはお前が僕に渡す予定のものだったんでしょ?」
普段ネズミの魔獣に触れることすらないくせに存外素直に紙袋を受け取ったグレンが片眉を上げてエルを見ると、エルはぶぅと頬を膨らませていじけたように答えた。
「……中身をご覧になれば分かる通り、焼き菓子でございますよ。ちなみに、毒は入っておりませんので、暗殺目的はありません。ご安心ください」
「毒入りだとは言ってない。お前が僕に怨みをはらす目的で何かするなら、この世のものとは思えないくらいまずいものを僕に食べさせるくらいでしょ。もっと言えば、お前はそういう陰険なやり方よりも、寝ている僕に何か仕掛ける方をとるし」
「よくお分かりで」
「そういうやつじゃなきゃ僕はお前を傍に置かない」
「寝ている人間にいたずらすることは、滅茶苦茶まずいものを食べさせるのと同じくらい陰険だと思うのは俺だけか……?ピギー」
「ぴ?」
どうでもいいところで真剣に悩むイアンをしり目に、二人は、会話もとい、主人から小姓への尋問を続けていく。
「それで?一体どういう目的でこれを?」
「……この前ナタリアから手紙が来たんですよ」
「は?」
「僕は知らなかったんですけど、プリシラ様ご生誕の皇国では、半月ほど前に特別な日があったとか。それで、ちょっと遅れちゃいましたけどグレン様に贈り物をしようと思ったんです」
「……え?」
グレンが驚いたように目を丸くし、本当に珍しいことにそのまま表情が固まった。
が、エルは気恥ずかしいのか、顔を背けているので、グレンの様子に気づかないまま早口で続ける。
「なにせ僕は貧乏で高級なものを買う余裕がないですからね。グレン様のお気に召すような物なんて到底手が届きません。ですから、動物さんたちとちょっと協力して食堂のおばちゃんを懐柔して食堂の隅と材料を使わせてもらって作りました。……僕、これでも一応料理はできるんですよ?僕の家の料理人はメイサーおじさん一人ですし、その方が病で倒れたときは僕か姉様が代わりに作っていたくらいですから!ただっ、そういう時はお菓子なんていう高級なものは作りませんからっ、これについてはあんまり味に自信なくて、グレン様みたいに舌の肥えた方には合わないだろうと思いまして。どーせものすごく笑われるか、目の前で木っ端みじんにされるだろうって思って、やっぱりお渡しするのをやめようという結論に至ったんです。それをチコが――!」
異国の文化は、その国の価値観や宗教を学ぶ重要な一要素となるから、当然、私やイアン、そしてグレンは「その習慣」を知っている。
義姉上から話を聞いたのだろう、私のところにもこの前、メグから贈り物が届いたところだ。大事過ぎて使えない香油が執務机に飾られている。
それはさておき。あの習慣は……
「エル……?お前、その習慣がなんだか分かって言っているのか?」
目を見開いたまま固まるグレンの横で、何事にも動じないと有名な端正な顔に若干脂汗を浮かべたイアンが、エルに尋ねると、エルは不思議そうに首を傾げた。
「『厚意』を示す日なのでしょう?『厚意』を抱く相手に贈り物をする日だから、是非グレン様に何か贈り物をしなさいって、ナタリアからの手紙に書いてましたよ?僕はむしろいただく側なんじゃないかって思ったんですけど、まぁなんだかんだお世話になっているようないないような気がするので、一応。……なにかおかしかったですか?」
そういうことか。彼女はエルの性別も知っているからな。そして女性特有の察しの良さでグレンにも何か感づいたか。そのあたり、女性は本当に侮れんな。
メグの侍女をする、メグとエルの幼馴染でもあるらしい、いたずら好きで察しのよさそうな男爵令嬢の顔を思いだし、笑いをかみ殺す。
「エル、その『こうい』は――」
「まぁまぁ、イアン。いいじゃないか」
「しかしおそらくエルはかんちが――ぶっ」
「きゅっ!」
エルの性別とナタリア嬢のたくらみとグレンの隠された本音を知らず、律儀に訂正しようとしたイアンの顔に、ネズミの魔獣の強烈な尻尾での襲撃が決まった。
思わぬ襲撃に鼻を押さえたイアンが
「なんだ。一体なぜだ、なぜ俺は殴られた」
と呟く隣でネズミは自慢げに胸を張って翼竜の赤ん坊に何かを教えている。
イアンが、なんだかんだ子供と小動物に優しい男で、動物に決して虐待まがいを行わないことをきちんと見極めているあたり、このネズミも侮れん。
エルの周りは一癖も二癖もあるものばかりだな。
「と、いうわけでして。僕としては最終的にはお贈りしないことに決めたものなのですよ。処分しておくので、それを返していただけると――」
「……一度僕の手に渡ったら僕のものだ」
「はい?」
「僕、一度手に入れたものを他人に奪われるのって、大っ嫌いなんだよね」
硬直状態が解けたグレンが、軽く笑って紙袋をエルから遠ざける。
「えぇ!?お召し上がりになるんですか!?消毒はしましたし、清めの魔法を厳重にかけたとはいえ、それ、僕の手垢にまみれてますけど!」
「いいんじゃない?別に用途は食べることに限られていないし」
「まさか……!消し炭にするとか、粉々にして僕の身代わりに使うとか……!」
「あぁ、お前にしてはいい案だね。採用しよっか。……それよりお前、僕が命じていた薬草の採取は終わってるの?」
途端に真っ青になったエルは、瞬時に紙袋の存在を頭から吹っ飛ばしたらしく、勢いよくグレンの腕の伸びる射程範囲から逃げ出た。
仕事でミスしたときのお仕置きの危険から身体を守ることが、最優先課題として脳内を制圧したようだ。
「いいいいい今からやってまいりますっ!チコ、ピギー、行くよー!」
有無を言わせぬ猛ダッシュでその場から離れたグレンの小姓は、あっという間に廊下の端まで走り去って姿を消した。
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自室に戻って湯あみを終えた後、すぐにグレンの部屋に向かった。
部屋に入ると、グレンの方は湯あみ後のさっぱりとした香りと色香を漂わせながら、ソファに横たわって足を組み、気もそぞろにエルお手製の焼き菓子の入った紙袋を放り投げては掴みを繰り返していた。
なんとも子供らしい、素直になれない気持ちの表し方だと苦笑してから声をかける。
「今回はナタリア嬢にしてやられたな」
「……彼女が隅に置けないのは分かったよ。どうせ、『好意』を『厚意』と誤解させるように書いたんだろうし。確信犯だよね」
「復讐などするなよ?彼女は『普通の』女性だ。エルとは違う」
「しないさ。大事な主のお妃様の一番の味方になりそうな侍女に危害なんて加えない」
「彼女の性格を推測するに、お前に渡した後を見計らってエルに『本当の意味』を伝えて楽しんでいそうだな」
「奇遇だね、僕もそんな気がする」
ぱしっといい音を立てて空中で掴まれたそれの半分を、グレンの指が紙袋から取り出した。
無造作に扱われているようでその実、それは全く欠けてはいない。
まるで、その作り主に対する扱い方そのもののように。
手の中のそれをじっと見つめるグレンの横顔は、どんなに童顔で美少年顔でも、一人の男としての顔だ。
誤解によるものだから、あの子の「好意」によるものではない贈り物。
そのことに、グレンががっかりしているのか、それともそれでも嬉しいと思っているのか。
さすがにそこまでは見せてくれない。
「それは食べ物だぞ」
「……知ってるよ」
暫し迷ったように構えられた後、上品に運ばれ、けれど貴族らしくなくそのまま白い歯を立てられたそれは、さくりといい音を立ててその口に消える。
そしてグレンが一言呟いた。
「素朴すぎてびっくりする」
「本人そのものじゃないか。よかったな」
「……あんた、最近調子乗り過ぎ」
軽く私を睨んだ彼の耳が微かに赤いことは、友人のよしみで見なかったことにしてやろう。