はしわたしその2 喧嘩するほど仲がいいって本当ですか?(5/5)
語り手はエル
ピギーが孵って三月ほど経ち、グレン様がお仕事のために王城に戻ると聞いて僕も王城に来ることになった。
こちらに着いて次の日の昨日はてんてこまいだった。
宮廷獣医師の方々にもみくちゃにされ怖がったピギーが僕の服に隠れて出てこないせいで僕の服が危うく剥かれそうになったし。僕の方は質問攻めで夜まで解放されなかったし。
特に、宮廷獣医師の皆さんに預けて、僕が部屋に戻るという名目でもう一人のお世話に行こうとしたら今生の別れのような悲痛な声で啼いて騒音被害を出した時はどうしようかと冷や汗をかいた。
結局どうしたかって?
最終的には、騒音を聞きつけてやってきて泣き止まないピギーを見たグレン様が
「それ以上その甲高い声を響かせたら焼き鳥にしてやる。ミディアムでもレアでもなく、丸焦げだ。」
と言いながら炎で焦がした。
「ぴぎゃ―――――っ!!!」
「なななんてことするんです!!」
「はい啼いたー。しつけ行きー。」
「宣言する前に実行するなんて酷いでしょう!」
「上下関係はさっさと叩き込むべきだ。僕の方が上ってことをその骨の髄まで叩き込まないと。」
「それを言うなら『骨の髄まで染み込ませる』です!骨ぶっ叩いたら折れます!」
「ぽっきりと再起不能にするくらいでちょうどいいんじゃない?」
「お願いですので他人を育てる地位に就かないでください!」
その場の宮廷獣医師の方々がすぐに治療したし、魔獣特有の尋常ならざる回復力で大事には至らなかったけれど、火力はかなりあった。
ご主人様のしつけという名の外道な仕打ちのおかげで、ようやく泣き止んだのは確かだけど、幼子を燃やすとか。ピギーは生まれて三月の赤ちゃんなんだよ?ピギーが人なら虐待もいいところだよ!罪悪感とかないのかな!?
あ、常日頃あの方が僕にしていることも立派な虐待でした。罪悪感とかあるわけないわ。
ちなみに、そのピギーは今日、騎士様方にお披露目の日なので、今はイアン様と一緒にいる。
ヘロヘロになって自室に戻ったところで、殿下と姉様が喧嘩したらしいという話をグレン様から聞き、僕がどれだけ脱力したか想像してもらえるだろうか?
いや、姉様はああ見えてかなり頑固だし、意地っ張りだ。殿下は姉様にべた惚れだけど、たまに物が見えなくなるし、グレン様とは比ぶべくもないけれど我儘なところもあるから喧嘩くらいありうると思っていた。
それでも「このタイミングかよ!」と思わず叫びたくなった。
詳しい事情は知らないけれど、殿下も悪いことをしたと思っていたらしい。ばっさりと切られ、わずかに結べるほどしかない長さの髪で、お部屋でしょんぼりしておられた。
特に、姉様の侍女をしているナタリアからの伝言を聞いてからは、より一層そわそわとしてため息を何度もついていたから、
「ため息ついたら幸せが逃げますよー」
と耳元で囁いたら、
「不吉なことを言うな……!メグに嫌われたら……!ようやく、ようやくだと言うのに!いや私が悪かったのは分かっているのだが……!」
とどんよりした目のままで首を絞められそうになった。
殿下の中では「幸せ=姉様と仲良くすること」だと分かったので、割に合わないけれど、寛容な僕は許して差し上げることにした。
あれだけ機嫌の悪い殿下に近づいた僕が悪いっちゃ悪いんだけど。
それでもって次の日に当たる今日、一刻も早く姉様と和解しなければと焦る殿下の命令を受けてお茶会中の姉様を呼び出しに行ったらなんとも不快なものを見てしまった。
大好きな姉様が一番気にしている弱点を姑息にも狙った上、普段お菓子を食べられない僕の前で、食べ物を踏みつける…だと…!?
赤い首輪で僕と認識されたのも気に食わない!許さんぞ!
というわけで、ゲームをすることになったのだけど、よくよく思い出してみれば僕はこういう盤遊戯に強くない。それどころか、圧倒的に弱い。
戦略を考えるのはグレン様とか、イアン様とか、殿下とか、同年代ならリッツとかの頭のいい人のやることだ。僕のような下っ端のやることじゃない、と思ってる。
幸いにして勝負には勝てたけれど、結局謝ってもらえなかったしなぁ。お酒も度が強すぎて味が飛んでるくらいのものだからあまり美味しくなかった。舌が痺れるくらいってどんなだ。
厄日ってやつなのかな。……あ、最近万年厄日じゃないか。
唯一良かったと思えることは、お菓子をもらえたことだ。
最初にジュリア嬢(貴族名鑑を覚えるときに貴族の方々の名前をたたき込まれたのが生きた!)からいただいたお菓子は、クッキーよりバターっぽさがないさっぱりしたものだった。ご褒美としてもらったのは、そのクッキーもどきを二枚重ねて、間にクリームを挟んだもの。
僕にはなんとも魅力的過ぎるおやつだ。
「エルドレッド様、素敵でしたわ。相手を油断させての見事なご勝利。」
「えぇ、本当に!」
一緒に来ていたチコがさりげなく僕のポケットから出て、地面で踏みつぶされているクッキーもどきの欠片を美味しそうに食べているのを見て、さっきから唾が湧いてたまらない僕がチコに続いて「いただきまーす!」をしようとしたところで、ジュリア様他のご令嬢に言われて思い出した。
いけない、いけない。物をもらったらお礼の気持ちを示す。これが常識だよね。
「ジュリア様。お礼を申し上げ損ねて申し訳ございません。美味しいお菓子をいただき、ありがとうございます。」
貴族男子として、身分上のご令嬢に敬意を払いつつお礼を言うんだから、と、僕はジュリア様の手を取って軽く唇をつけた。
アッシュリートン家には手本になりうるまともな貴族男子がいないので、ひとまず身近なたらし野郎を参考にしてみたんだから、こういうのは初めてだけど間違ってないはず!
そう思って自信満々で顔を上げると、ジュリア様の顔が真っ赤になっていた。
……えぇ!?怒ってる!?
「あ、あの、何か僕間違ったことを……」
「いえっ、そんなことありませんわっ!」
いやいや、涙目で言われてもあんまり参考にならないですって!泣くほど嫌だったの!?
あ、そうか、僕だってグレン様にセクハラされたら嫌だもんね。失敗してしまった!
慌てて謝ろうにも一気に他のご令嬢方に囲まれてそれどころではなくなってしまった。女の子は団結力の強い生き物だとナタリアが前に言っていた。きっと一人が虐められた復讐をするつもりなんだ……!女の子怖い!!僕も一応女だけど!
「エルドレッド様はおいくつですの?」
「え、えと……今年十六ですが…?」
「なんですって!?」
「ご結婚のご予定は!?」
「あ、ありませんが…。」
なぜだかどんどん詰め寄られている。え、何この尋問!個人情報を丸裸にされたら僕一発アウトなんですが!それを狙ってます!?
「先ほどの試合お見事でしたわ。あんなことが直ぐに思いつくなんてさすが、次期第二王子妃様の弟君ですわね。」
「い、いえあれは、常に僕を見下しているどこかの誰かを負かそうと、ない頭を捻って必死で考えていた策でして…!それに元は父に昔やられたゲームだったので……。」
「まぁ!男爵が。それで、その本命のお相手には勝てましたの?」
「いえ、か、勝てる見込みがないので今のところ実行には移せていません。」
「そのお相手はどなたですの?」
「あぁーそれは言わずと知れた僕の身近なたらし」
「何の話をしているの、エル?僕も混ぜてよ。」
僕の首に、少し高い位置から宮廷魔術師の黒い袖に隠れた腕が軽くかけられ、何か…いや誰かが覆いかぶさるように背中にくっついた。そして耳元で楽しくて仕方ないという声音で囁いてくる。
周りのご令嬢が僕の後ろを見てきゃああ!と黄色い声を上げていなくても、どなたが僕の背後に立っているのか分かるから後ろを振り返りたくない。絶対に。
「エル、どうして固まってるの?」
お嬢さん、お嬢さん!魔王のささやきが聞こえないの?
魔王が僕をつかんでくるよ!魔王が僕を苦しめる!
触れられるまで気づかせないとか相変わらず恐ろしい気配の殺し方だよ、この世界に魔王なんてものがいたらあんたが筆頭になれるって!
「へ、平常運転でございます。お菓子を食べようと思っていたので。物を食べながら走ったり逆立ちしたりする理由はないでしょう?」
「お前ならそういう奇行もやりかねないなーって。どれどれ。……ん、美味しいね。」
グレン様は右腕を僕の首にかけたまま、利き手で僕の右手首を拘束し、口元に持っていくと、さくっと軽い音を立ててから満足そうにぺろりと赤い舌で唇を舐めて間近で僕に微笑みかけた。
……さく?
目を手に戻せば、疑いようもなく僕のお菓子は半分と少しになっていた。
「あああああああああああああ!!ぼぼぼぼぼ僕のっ!!僕のっ貴重なお菓子っむごっ!!」
「ね、美味しいよね?エル?」
いつでも首を腕で圧迫できるような位置のまま、にこにこと笑いながらそう問いかけて来る。口いっぱいに入れられたサブレとの相乗効果で窒息寸前の僕は、息も絶え絶えで首を縦に振るしかない。
「ジュリア嬢。マーガレット様に召し上がっていただくことはできなくなりましたけど、僕のお墨付き……と、あとこいつの味覚で代わりになれないでしょうか?」
「いえいえいえいえっ!!ももも、もちろんっ、ああああ、ありがとうございますぅ!!」
悪魔がにこりと可愛らしく微笑んだせいで、ジュリア嬢は頬を真っ赤に染めてこくこくと高速で頷いている。そんなにしたら首痛めちゃうよ!
この計画たらしの外面大魔王め!!
「エル、聞こえてるよ?」
「何も申し上げておりませんが?」
「以心伝心。考えていることくらい分かるよ。僕とお前の仲でしょ?」
甘く笑ってるけど、単に僕の心の中読んでるだけじゃねーか!!
現に今ご令嬢方に気付かれない程度に僕の背中つねっていますし?
「グ、グレン様……お伺いしたいことが、あるのですが……よろしいでしょうか?」
「はい、なんでしょう?」
ご令嬢方は静かに僕たちのやり取りを見ていたのに、突如、お一人が意を決したようにグレン様に声をかけられた。
「あ、あの……グレン様と、エルドレッド様、は…そ、そういう……」
「そういう、とは?」
「その。ご成人になりあそばされたグレン様に、未だに御婚約者様がいらっしゃらないのは、もしかして……その。グレン様とエルドレッド様が……ゆ、許されない……」
「許されない?」
「……こ、恋をされているんじゃ、と……!」
その言葉を聞いて、グレン様ははっとしたように一度視線を彷徨わせてから、僕の首にかけていた腕でより僕を引寄せた。
そして、言うべきか迷う……かのようにしばらく間を取ってから、少し上目遣いで、言った。
「……このことは、ご内密にお願いできますか?その、僕も彼も一応世間体がありますから……。」
言ってくれやがった。
しかも、わざわざ頬を軽く染めて。わざとらしく「しっ」と言うように左手人差し指を唇につけて!
その恰好が異様に似合うせいで誰もが内容にツッコめていないじゃないか!
「何もばれてない」というのに!!
「……これが許されない恋であることは分かっています。……でも、できれば、心優しいお美しい皆さまには応援していただきたいと思うのは、僕の我儘でしょうか?」
「きゃああああああ!!!」
「いやああああ!」
「や、やっぱりなのね……!」
「では先程の賭けは身を切られて……!なんといじらしいんでしょう、エルドレッド様は……!」
「お約束、いたしますわ!!ここだけのお話として!」
「違和感ないですぅ……!」
「いや違和感しかなっぐうううう!」
何が恋だ!今この時も僕が何も言えないように首をぎゅうぎゅう絞めつけてるくせに!!
そのくせ、なに初恋しちゃった女の子みたいに頬染めてんだよこの野郎!その演技力と周到さは役者以上だよ馬鹿主!
全力で暴れてなんとか手を外し、はぁはぁと息を荒げてからようやく言う。
「ぼっ、僕とあなた様の間には仲も何も、上司部下、主と小姓……いや、下僕の関係しかないはずですが!」
「そんなに恥ずかしがらなくてもいいんだよ、エル。ばれたものはばれたんだし。……そっか。エルは主人想いだから、僕の名誉を守ろうとしてくれているんだね。」
お前が僕の名誉に泥を塗りまくってるんだろうがぁ!!
と言う暇すら与えずに、グレン様は優しい笑顔で僕に歩み寄ると頭のてっぺんに軽く唇をつけてから、甘く優しく微笑まれた。
「大丈夫、いつかきっとみんな分かってくれるよ。二人で頑張ろう。」
何を頑張るんだ!?
とすぐに言えない!お酒で痺れた舌が心底恨めしい!
その瞬間、お茶会の会場は歓声と悲鳴とに包まれた。
「違う……違うんです…!」
全身に悪寒が広がる僕と対照的に熱が上がったのだろうご令嬢方はもう、僕の弱弱しい否定の声など聞いてすらいなかった。
僕の名誉はこの日この時、粉みじんになった。
そう、「部下でありながら男のご主人様と道ならぬ恋に落ちた背徳的な男の子」というレッテルによって。
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「はい、大成功ー。」
「ありえないありえないありえない!!」
「現実を受け入れることは大事だよ、エル。」
「誰のせいの現実ですかこの野郎!!いくら小姓だからって人前でやっていいこととやっちゃいけないことがあるんですよ!ここまで名誉を傷だらけにされるようなことを僕はしましたか!?えぇ!?」
ご令嬢方の前から強制的に移動させられた先で、僕が涙ながらにその胸倉を掴み上げて叫んでも、グレン様はどこ吹く風だった。
それどころか面倒そうな顔でしっしっと僕を追い払う。
「うるさいなぁ。目に見えないものを心配するより、目に見えるものを心配した方がいいんじゃない?」
「……どういう意味です?」
「僕の行動に無駄があるとでも?」
「無駄な行動ばかりをとられ過ぎて逆に何があったか覚えていません。」
「ヒントをあげようか。僕が最後にしたことだよ。」
最後?
最後ってなんだ……と、考えて、僕は頭に手をあてた。
「まさか……髪になにか……」
心当たりに思い至らせた僕が蒼ざめると、グレン様は心底楽しそうにくつくつと笑った。
「『いつまでもあると思うな艶と量』って言うでしょ?」
「言いませんよ!!」
グレン様の笑顔の深さに比例して僕の確信も深まる。
かけられたのはおそらく、脱毛の呪い。
それは、主に医師や獣医師が治療部位の視野を確保するために使うあまり一般的でない術で、毛根を残したまま、毛を痛みなく抜き去るという効果を発生させる。
時間が経てばまた再び生えてくることが唯一の救いになるが、嫌がらせの悪質度で言えばかなり高いと医療関係者は密かに噂している。
このままだと僕は頭頂部だけが焦土となった見事な爆心地ハゲとなる!
若ハゲにもほどがあると後ろ指を指されるのだ、きっと。
「最っ低だ!!僕、これでも女の子なのに!」
「なら少しは女の子らしくしてほしいものだね。」
「女の子らしくってなんです!?」
矢も楯もたまらず解呪の魔法を編んでいると、グレン様は僕にずずいっと顔を寄せた。
「僕にときめくとか?せめて頬を赤くするとかくらいしなよ。」
「脱毛の呪いをかけてくる男にときめけと。そんな特殊な好みの女の子は少数派でしょうね。」
「僕、それをかけたなんて一言も言ってないけど?」
「は?」
「僕がお前を本気でハゲにしたいなら頭を火であぶって毛根を死滅させるね。」
「……ほお?つまり、あなた様は一度でも女の子にハゲの恐怖を味あわせた、と……。そしてそれを見てせせら笑っていたと……。」
「お前が本気で泣きそうな顔って最高だよ、ほんと。僕が見てきた中でも最上級だ。」
愛らしい笑顔から一転、にやりと地獄の底に人を引きずり落とそうとする悪魔の笑顔を見せた、その最悪のご主人様の顔に叫ぶ。
「このっ、最低鬼畜ドS野郎っ!!!」
ついでに述べておくと。
この一連の喧嘩騒動のあと、メグ姉様と髪が短くなった殿下は人目もはばからず甘い空気を醸し出すようになり、イアン様がそのたびに吐きそうな青い顔をするようになった。
僕とグレン様が試食したサブレはと言えば、「背徳の間接キス」という名前で売り出されることになり、平民の皆さんだけでなく、なぜだか貴族のご令嬢にも大好評なのだという。
隠す気ないでしょ!!みなさん!
おしまい。
お付き合いいただきどうもありがとうございました!
BGMはシューベルトの「魔王」でどうぞ。




