はしわたしその1 お年玉をあげる・後編
殿下視点
しばらく待ったところでグレンとイアンが窓から帰ってきた。
「首尾は?」
「襲撃者は全員捕まえて身元も割らせたぞ。部下に運ばせた。」
「ご苦労だった。ありがとう。…それで、襲撃者がという限定にも意味があると考えるのは合っているか?」
「正しいね。あの毛色の違う気配出してたのを見つけたから追いかけたんだけど巻かれた。……そのせいでイアンにまで負けるとか、くそっ。」
グレンが苦り切った顔をしている。
「すまん、フレディ。その人物はグレンに任せていたから俺はよく見ていないんだ。それほどであれば俺も向かうべきだったのに逃がすとは失態だった。」
「いや、構わん。グレンが逃がすとなれば手練れだ。深追いするべきじゃないだろう。」
それでも失敗に口惜しそうな表情をする二人をどうやって宥めようか考えていたところで隣の部屋から歓声が上がった。
どたどたっと騒々しい音を響かせながらこっちに駆け寄ってきた少年は、気まずい空気をぶち壊しにして興奮を隠しきれずに私たちに近寄ると急ききって話しだす。
「グレン様、イアン様ご無事で何よりですそれでこれは?!どなたかに偽物をつかまされたおかげで余計に感じる、この生命力はなんですか?!」
「お前は空気を読むという技術をまだ身に付けていないのかな?」
「グレン様とイアン様の実力を信用しているからこそですよ!そんなことよりこれですっ!これはっ!?」
エルの手には、肌色地にごま斑のついた固い殻に包まれた両手に抱える程度の大きさの卵がある。
それを見たイアンがエルから卵を受け取ってから、珍しくにやっと人の悪い笑みを浮かべてグレンを見やった。
「グレン、約束は約束だよな?俺の勝ちだ。」
途端に眉間に深い皺を寄せて、青筋を立てたグレンを見てもイアンのにやにやは収まらない。
なんだかんだこの二人はお互い対等で仲がいい。
この顔のグレンを見ても特攻できるのはエルとイアンくらいしかいないと私は知っている。
「グレン様?」
「……それがお前への本当のお年玉。」
「言葉が少なすぎて全然意味が分かりません。」
「それは孵化直前の翼竜の有精卵。騎士団は隊員に従魔契約を結ばせて魔獣を隊に入れることが多いけど、隊に従魔契約を結ばずに魔獣を従えられないかが実験的に行われることになった。鳥は刷り込みで親を認定するから、それが翼竜にあてはまるか、契約なしでどこまで従うかを測る。今回イアンの隊が実験的に引き受けることになったんだ。」
「んん?それでどうして僕へのお年玉に繋がるんです?」
エルが首を捻ったのを見て大きくため息をついたグレンが言い直す。
「イアンが最初に顔を合わせるところに居合わせてお前も顔を見せろ。それで生まれた翼竜の生育と観察をお前に任せることになったんだ。……宮廷獣医師試験必須の論文はそれにすればいいでしょ。」
実際、この実験は国家をかけてのものだ。
魔獣は子供が生まれにくい性質があるから、卵や幼獣はほとんど手に入らない。
加えて希少な子供を親が放すはずもなく、例え従魔契約を結んでいても出産前の親獣には近づけない。
今回は、他の隊の従魔契約済の親がたまたま戦闘で死亡してしまい、卵がみなしごになったという偶然の産物だ。
当然、幼獣の生育は宮廷獣医師や魔獣研究部がやりたいと申し出ていたのだが、それをこのグレンが権力やら裏からの物騒な「お願い」やらを使って権利をもぎ取ってエルに与えたのだ。
そこまで苦労して用意したお年玉があるというのに、その前にその努力を台無しにするような嫌がらせをしていたとは。
顛末を察した私とイアンが呆れた理由も分かるだろう。
そしてイアンはこのつくづく不器用な友人のために退路を塞いだのだろう。
「え……それって、魔獣が生まれて来るところを見せていただく超希少体験ができるにとどまらずその子を育てるという大役をいただけるとそういうことですか…?」
「何度言えばわかるの?やっぱりお前、頭すっからかんだよね。そんなに喜ぶことじゃないんだよ、これ。それを死なせたらお前の宮廷獣医師への道は厳しくなるっていうリスクもある。それからもしそれのせいで他の仕事がおろそかになるようなら遠慮なく取り上げ」
グレンの言葉はそこで途切れた。
「ありがとうございますっ!ありがとうございますっ!グレン様っ!!最高の贈り物ですっ!!あーもうっ!本当、最高です!!大好きです、ご主人様っ!」
天から降ってきた幸運に興奮で我を忘れているんだろう、頬を紅潮させ、きらきらと目を輝かせて満面の笑顔でグレンを見上げたエルが、そのままグレンの胸元にいきなり飛び込んだからだ。
ぎゅうと抱きついてすりすりと頬を寄せている様子は甘える猫そっくりで、見えない尻尾をぶんぶん振っているだろう様子は犬のようだと冷静に観察した。
それから横を見て、自分の目を疑った。
まじまじと見ては悪いと思いつつも、会ってからおよそ8年で初めて見るその表情を何度も見返してしまう。
呆気に取られてルビー色の瞳を見開いてその灰色の頭を見降ろし、状況を理解してから一気に目元を赤く染める。口をぱくぱくと動かすも、得意の毒舌が麻痺したかのように機能不全に陥り、一言も発せられない。そして隠せない表情を歯がゆく思っているのか、歯をぐっと噛みしめてから手を持ち上げて前髪をぐしゃっと掴んで一瞬俯く。それでも動悸が収まらない自分の状態に気づいて余計に恥ずかしくなったのか、ちっと舌打ちしてそっぽを向くも、白い頬と耳も分かりやすく真っ赤になっている。
そのグレンの様子にイアンすらが仰天して、後輩たちにポーカーフェイスと呼ばれる、滅多に外では変わらない表情を崩す。
「んな、ぐれ……え、エル…お前も、なんで」
「自分の言葉に責任を持とうと思って、スライディングで飛び込んでみましたっ!!あーもう、ほんと、素敵すぎますよっ!!グレン様、ありがとうごさいますっ!!そうだ!こうしちゃいられない、もうすぐ生まれそうだと思ったんです、イアン様、準備をしないといけませんよ!」
「いやしかしグレンの様子がどうも……なにか」
「イアン、行ってこい。」
私に命令され、引っ張られたイアンがエルと一緒に隣の部屋に姿を消した後、私とグレンだけになった部屋をしばらく沈黙が包む。
「……お心づかいどうも。」
「幸いなことに一番隠したい相手は気づいてないぞ。」
「それはよかった。」
ふらふらと窓の柵に行って両膝を抱えて座り顔を隠す様子と、くぐもったふて腐れ切った声音に笑いをかみ殺すのが大変だった。
「可愛いじゃないか、グレン。」
「……それはどっちが。」
「どっちも、だな。」
「ああはいそうですか。笑ったら暫く仕事をボイコットしてやる。」
素直になれないひねくれた友人はこんな時にどこまでも幼くなるらしい。
照れて赤くなるところまでは見たことがあったのだが、ここまでの反応は初めてのことだ。そのおかげで徐々に積もっていた疑問がとうとう尋ねられるくらいに浮上した。
「笑わんさ。……なぁグレン。」
「なに」
「……あの子は、エルは、本当に男か?」
そう問えば、グレンはまだ少し赤い顔を上げた。
「どうしてそう問う?」
「16歳にしては線が細すぎる。全く訓練をしない者ならいざ知らず、お前とイアンに鍛えられているのにあれは少しおかしい。第二性徴を迎えたにしては体に厚みがない。痩せているせいで誤魔化せているだけだろう?」
「体質じゃない?」
「普通16の男が18の男に抱きつくだろうか?」
「あれの頭の中身は5歳児だ。永遠のね。」
エルの行動、表情、言動を全て見ていると、少年であると言ってもおかしくはない。それでも辻褄が合わず疑問に感じたことはこれまでにいくらかあった。
「……まぁお前がいいのならいいのだがな。」
「僕はあれが男でも女でも関係ない。あれが僕の小姓ってことに変わりはないからね。」
「……しかしもし女だとしたら、学園への詐称をしていることになるな?」
「そんなものはなんとでも。」
即座に返事をするという失敗を犯したのは、動揺している今だからこそだろう。
そうか、グレンは了承済みなのか。
あの子の宮廷獣医師への思い入れを考えれば、男子でいる理由は察しが付く。
最初から騙されていたことへの怒りはなく、自然とあぁそうなのかと受け入れられた。
グレンの様子を鑑みるに察せられるグレンの「彼女」への感情が道ならぬものでなくて少しだけほっとしたくらいか。
「イアンは全く、微塵も気づいてないだろうな……。」
「今、僕は一言も肯定してないけど?」
「私からあの子への扱いを変える気はないぞ。今更だからな。男として指導してしまった後から扱いを変えれば不自然になるだろうしな。」
「…フレディって本当にこういう時に誤魔化せないよね。まぁそんなとこも気に入ってるけどさ。」
「それが原因なのか?お前が『彼女』にお前の過去や仕事を話さないのは。」
「どういう意味?」
頬に上っていた朱が引き、グレンの目が鋭くなった。
「公私混同をやめろと言っている。あの子が『使えない子供』ではないことくらい分かってるだろう?お前が言わないのなら、私が話すぞ。」
「……僕にあえて言わなくてもあんたから話せばよかったんじゃない?」
「あの子がお前の許可を取れと。できればお前の口から語ってほしいのだろう。」
グレンは考え込むように片足を下ろして、そう。と呟く。
「さっきの毛色の違う監視者の話なんだけど。」
「?あぁ。」
「追えなかったって言ったでしょ?」
「珍しいことにな。」
「あれ、妨害されたからなんだ。充血した白目をむいた、明らかに操られているだろう統制のとれた獣たちに。」
「…白目の獣?……それはまさか…。」
「動物使い、だろうね。」
グレンがぼそりと呟く。
「その獣たちはどうした?」
「最初は邪魔してきて、仕方ないから捕えて調べようと思ったら証拠を残さないように命じられていたんだろうけど、共食いを始めた。最終的には全部殺した。」
「……そうか。」
動物使いに呪われた獣たちの解呪ができるのは優秀な獣医師だけだ。グレンがどうしようもなかったのは仕方ない。とはいえグレンからすれば気分が悪いのだろう。
動物使いがただの偶然でこれほど近くにいるなどありえない。
「……これ以上、エルを遠ざけるのは馬鹿げてるって僕だって分かってる。」
「あの子がこれを知ったら傷つくだろうな。」
動物を人間の意のままに操り、道具として扱う人間の存在に接させることは。
「仕方ない。あれは僕の小姓だから。……話だけど、僕からタイミングを見て話すから。それでいい?」
「あぁ。任せる。」
グレンは立ちあがると、遠くを眺めた。
窓の外を眺める横顔に浮かぶ表情は読み取れない。
ただ。
他人に興味を持たずに過ごしてきた友人が、人生で初めて見つけた大事な存在を、魔力過多という障害を軽減するための道具として使うよう命じることは、今の私にはできなかった。
その話題の人物は、主の心を知る由もなく、満面の笑顔で飛び込んできた。
「グレン様―!殿下!生まれたんですよっ!!!名前はピギーです!」
「……その名前の由来は何?」
「鳴き声が『ピギー』なんで、これに決まりました。」
「見事に知性とセンスの欠片も感じられない命名だね。」
「そんなこと言って!僕は知りませんよ?グレン様。名付け親は僕じゃなくて、イアン様ですから。」
「どっちもありうると思ってたから驚きはないよ。僕がイアンを怖いとでも?そんなことより、さっき僕にスライディングして来たってことはエル、お前、僕のことを地獄の穴だって言ったってことだよね?」
「げ…!ちょっと前の言葉までねちっこく掘り返してくるだと…!?」
「その幼獣ぼっしゅ」
「神様、天使様、グレン様!申し訳ございませんっ!地獄だなんてとんでもございませんでした、えぇ僕が悪うございました!そ、それより、幼獣はこれから30ミニ以内に、飛ぶ練習をするんですよ!!!これは僕も初めて見るんです!ほら、早くいらしてください!」
「この距離で無駄な体力を使う意味が僕には全く分からない。」
「こんなの気分ですよ!ほらほら、早く行きましょう!」
そう言ってエルはグレンの手首を掴むとにこにこと笑顔を浮かべながら跳び跳ねるようにして引っ張っていく。
「殿下もお早く!かっわいいんですから!ほら!!」
「今向かう。そんなに急かすな。」
どんなに暗い道があろうと、この子ならば、明るく照らす。
影を生きると言った友人にとって、小姓となるあの子が光になればいいと思った過去の自分を思いだし、それがあまりにしっくりくる表現だったことに思わず苦笑した私は、二人の背を見送ってから、ゆっくりと隣室に向かった。
おしまい。
ヨンサム「エル、俺のこと忘れてね?」




