出来心小話 酔っ払いには要注意・前編
いっぱい励ましのお言葉をいただきありがとうございます。丁寧に拝見しております。これはお礼を兼ねて、私がどうしても書きたくなって作ってしまったもの。
完結話すぐ後のころの、エル視点の話です。よろしければどうぞ。
小姓になって5月ほどが経ったある日の夜。
僕はご主人様の御付きとして王都である晩餐会に出席していた。
この晩餐会は、国王陛下、第一王子、宰相様、各局局長、魔術師団の各団長、騎士団各団長が集って国の施策を決めるための規模の大きいもの。国の今後を決める施策を練るということもあり、所要時間が長いせいで食事をとりつつ行われる実質的な会議だ。
宰相補佐のグレン様だけでなく、第二王子である殿下と一つの騎士団の団長を務めるイアン様もいらっしゃるが、お三方とも未成年なので発言の機会は少ない。
内部の貧民層を危険視する声、外国の動向を報告する声、予算に文句をつける声。
それぞれの局や隊の思惑、権力争いの入り混じるどろどろした政治の世界。
外部秘匿性のとっても高い重要な会議なので、小市民の僕など是非とも室外に放置していただきたかったのだけど、「小姓」という特別な身分のせいで僕は会議の始まった時からず――――っと室内窓際で待機させられている。
小姓は主と一体となりその手足となる存在。
主の知るべき情報を的確に把握しておく方がいい時もある。だからその主人が出席した方がいいと判断したら出席できる、というありがたいご配慮によるものだ。
学園の一般学生が知っておくべき普通の政治学ですら平均点ギリギリ(毎回赤点すれすれの国教学や歴史学に比べたら辛うじて上)の僕にはありがた迷惑以外の何物でもない。
難しすぎて分からないのにただひたすら長い会議、しかし気を抜いたらご主人様のお仕置きどころではない本当の罰が下される。
そんな極度の緊張状態の中での立ちっぱなしでおよそ2刻分が経った。
最初は直立不動の見本のような姿勢で立っていたが、そのうちすっかり足が痺れてしまい、それぞれの片足に体重をかけてそれを誤魔化す。これで乗り切ったのが約1刻半分。
それでも耐えられなくて、わずかに片足を浮かして軽く足を振ったり、こっそりと足首捻り運動をして耐える。これが残りの半刻分。
学園で悪いことをした生徒ですら、立たされる時間は半刻だというのに。僕は常日頃から学園で罰則を受けているのよりも酷い罰を受けていることになる。
言わずもがな、時間外労働分無給。
目の前には高級なワインや度の高いお酒や豪華な食事が並び、お肉の焼けるいい香りが鼻をくすぐるのに、例の如く、ご飯はお預け。
これはなんの拷問だろう。日ごろの行いが悪いのか?
僕、そんなに悪いことをしましたか!?
そりゃ、ちょっと筆記試験の出来が悪いものもありますけど、毎日学生として学ぶべきことを学んで、ご主人様のために汗水たらして働いて、それでこの仕打ちってあんまりじゃあありませんか?
労働担当部局というものの立ち上げをここで発言できたらどんなにいいだろう。
大体、こんなに難しい議論が僕になど全く理解できないことくらい、日ごろ「お前の脳みそはスポンジのようだね。抜群に吸収力の悪い使い古しのやつ」などと笑顔で貶してくるご主人様が一番よく分かっているはずだ。
使えない僕になどに任せる仕事もないだろうし、もし万が一やらせたいことがあるなら単にやるべきことを事務的に指示してくれる方がよっぽど効率がいい。
だから今回だって、行く必要がないと思う、ということは言ってみたのだ。だが。
「グレン様、そんな大きな会議を見学させていただいても僕に理解できる気は微塵もいたしません。学園に待機させていただきたいです」
「確かにお前、顔の小ささに比例して脳みそも極小だもんね。最近は殴ったらからんからん、って音が聞こえる気がするんだ」
「いえいえ、それはきっと空耳です。そうでなければグレン様の耳掃除が必要なはずです。最近掃除されてますか?もしあれでしたら僕、耳かき持ってきますけど」
と言ったところ、同行が決まった。
本当のことを言ったまでなのに。
虚ろな目でひたすら遠くのテーブルの上のお料理を見つめる。
お肉がじわっと焼けていて、パンが香ばしそう。目を凝らせば湯気すら見えそうだ。あのソースなんて、どの木の実を使って作ってるんだろう……。
あぁ今宮廷薬剤師局長の飲んだあのお酒、ものすごく甘いいい匂いのするお酒だ……いいなぁ……。
食べたい食べたい食べたい食べたい………飲みたい飲みたい飲みたい……。
「……本日の会議はここで終わりとする」
僕がお料理に熱い視線を送っていた時、国王陛下のありがたいお言葉が聞こえて、はっとして姿勢を正す。
局長や団長が城内の部屋に戻るために立ちあがり、お付きの従者たちが開いたドアから中にわらわらと入ってきてご主人様のところに向かう。
僕も行かなきゃ。
足を踏み出して、長時間の立ちっぱなしでしびれきった足がもつれた。
「うわっ!」
そのまま顔面をぶつけても柔らかい絨毯の上だ!日ごろぶつけられる鉄板のことを思えば痛くはないはずだ!
と一人覚悟を決めていたのだけど、僕の体は絨毯にぶつかる前に風に包まれて元の姿勢に戻された。
「まともに立つことも出来なくなったの?いよいよ使い道がないね」
皮肉を込めてせせら笑ったその声の主は紛れもなく。
「助けて下さってありがとうございます、ご主人様。小姓想いのご主人様が分かりもしない会議に連れてきて下さり、二刻分立ちっぱなしにしてくださったおかげで自慢の足も棒になってしまったようです」
「元々棒切れみたいな足をそこまで自慢できるやつを初めて見たよ」
「ははは、これもどこかのご主人様が絶食させてくださるおかげですよ、僕には『体重を落とすのは大変』という世の女性の悩みが一切ございません。心から感謝申し上げます」
「そっか、ここまで我慢したお前にここの残り物をやろうと思ってたけど、いらないってことだね?」
「要ります!!」
あっという間に白旗を揚げると、呆れたような目でこちらを見て来る。
「残り物でいいとか……お前は残飯処理の豚かなにか?いや、豚にしては食べるところがないけど」
「豚さんをバカにしてはいけません!ちょっと雑食なだけで彼らはとってもきれい好きなんです!それにですね、あのお肉やお魚は、動物たちが食物連鎖の元、貴い命を犠牲にして人間の食べ物になってくれたものです。残すなんて言語道断!命に失礼じゃありませんか!」
僕がこぶしを握って熱弁をふるおうとするのを、分かった分かった、という様子で止めるグレン様。
「僕、今、植物育成担当局長と、食物管理担当局長に呼ばれててお前と遊んでやる時間がないんだ。ひとまずフレディの部屋に行きなよ。僕とイアンはそこで打ち合わせすることが多いから、お前が行っても怒られないだろうしね。あ、間違ってもここのものを勝手にくすねていくっていう卑しいことはしないで。使用人が持っていくから」
「しませんよ!!」
「さっきまでのお前の目ならやりかねなかった」
僕にそれ以上文句を言わせないように、ご主人様は僕の頭を軽く叩いてさっさと出ていってしまったので、仕方なく一人で殿下の部屋に向かう。
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殿下の部屋をノックして名乗り、「入れ」の言葉で入ると、美しい翡翠色の瞳がこちらに向けられる。
「失礼いたします」
「エル、疲れたろう?グレンと話はしてある。料理が来るまで私に付き合え」
殿下はお酒の瓶を持ち上げる。
あのお酒はとても値の張る…我が領では一年に一回手に入ったらいいかな?というくらいの代物だ。殿下はそれを惜しげもなく大きなグラスに注いで、僕に渡してくださった。
「わーいい香り。いただきます!!」
なみなみと注がれた果実酒をごきゅごきゅと一気に飲み干すと、殿下はなぜかぽかん、と口を開け、せっかく整ったお顔を残念なくらい崩している。
「……まさかこれは殿下のもので、お毒見をしろ、と、そういう意味でしたか……?」
それなら飲み干した僕は大馬鹿者だ。
もしこれがグレン様だったら即刻窓から落とされているはず。
「いや、違う。この高い酒を一気に飲めるとは思わなくてな」
「ああああああ!!そうですよね!?このお酒、ものすごくお高いですよね!?ぼ、僕、もっと味わって飲むべきだった……!なんともったいないことを……!!」
「違う。値段ではない。大体これはたくさん飲みたいときに飲む安い酒だろう?」
そう仰って瓶を軽く振られた殿下には全く嫌味がないので、心からそう思っていらっしゃるようだ。
経済格差を感じた。
平民の生活についてはよく調べていらっしゃる殿下だが、貧乏末端貴族のひもじい生活はきっと盲点になっているんだろうな…これでも一応貴族だから別にいいけど……。
「これは度数が高いことで有名な果実酒だろう?エル、お前は酒が飲めるのか?」
「はい。学園に入る前から飲まされていますから。父が好きで、学園に入ってから自分が飲んでいたのが酒だったのだと知ったくらいです」
「12の時にはもう飲んでいた、だと……?!これをか……!」
「それは我が家には高いのでもっと安いものですが、度数は同じくらいでした」
この国は10を越えれば酒は飲んでも構わない。だから別に違法でもなんでもない。
が、15くらいから飲むのが一般的で、父様の感覚が狂っているだけの話だ。
殿下はご自分の分と、再度僕の分を注いで下さり、しみじみと仰る。
「エルは酒に強いのか?」
「えぇ、それほど酔ったことはありませんね。このくらいの度数のものを一度に瓶3本空けたときにようやくふわふわしたかどうか、くらいです」
「私もかなりいける口だと思っていたが…それは相当だな……」
「いえいえ、僕など父に比べれば可愛いものです。父は樽で飲んでもけろりとしております」
兄の存在を言うわけにはいかないので伏せるが、兄様も父様と同じくらいいける。
「樽……だと……!?……ちなみに、メグは?」
「姉様は……ご自分で知った方が楽しいのではありませんか?」
「それもそうだな。今度誘ってみよう」
殿下が姉様の姿を想ったのか、はにかむように微笑まれる。
実際のところ、姉様は我が家では最も弱い、いわゆる「普通に飲める」一般人レベル。
お酒を飲んで白い頬が朱に染まっている姿は色っぽく、それでいて女でも見惚れるほど愛らしいから、きっと殿下がご覧になったら悩殺されるだろう。
婚約者だからいいかな、という妹の可愛いいたずら心だ。
結婚前に間違いが起こらないことだけは祈っておく。
「そういえば、イアン様は他の騎士団長の方々と一緒にいらっしゃるのですか?」
「……いや。この部屋にいるぞ」
殿下が酒のグラスを手に持ったまま、片手で奥の方を指さす。
確かに指さす方では物音と、ひたすら水を流す音が聞こえる――気がする。
「……イアン様って……もしかしてあの顔で、あのお姿で……全く……」
「飲めないんだ。食事会で出るワイン数杯で半刻分は不浄場行きだな。晩餐会の後ではいつもああなる」
「イアン様は騎士のお仕事のために酒断ちされているって学園では有名で、騎士志望のヨンサム辺りは崇拝しているんですが……」
「言わないでやってくれ。あいつの名誉のために」
うわぁ!精悍で硬派なイアン様は単に下戸なだけだった!
むっつりすけべといい、下戸といい、イアン様って見た目との差が激しすぎる。
だから殿下は僕を酒のお供に呼ばれたのかと納得しながら、運ばれてきた料理とお酒を思うがままにいただく。
あぁ、美味しい。僕の胃袋が歓喜に咽いでいる!
「そういえば殿下、グレン様はどうなんですか?お酒、弱いんですか?」
「どうだと思う?」
小半刻分ほど、恐れ多くも殿下と二人で歓談し、美味しいご飯に満足した頃、そういえば、と思い尋ねてみると、殿下はにや、といたずらっぽく口角をあげられた。
片手のグラスといい、そのお顔といい、こちらはイアン様と違い、見事に決まっていらっしゃる。
日頃は甘いマスクで優し気な殿下のその姿を見たら、違う意味でのギャップ萌えでご令嬢方が悲鳴を上げるだろう。
「うーん。弱い感じには見えないです。先ほども晩餐会の後、普通でしたし、これまでもお酒を飲まれて帰って来られた時も気持ち悪そうにしていらっしゃらなかったですし。これまで特に変わった様子はありませんでしたよ」
「あぁ、そうだろうな。あいつは常に気を張って酔わないようにしているからな」
ちょうどその時、バタン、とドアが開く音がした。
それは奥から若干蒼ざめたイアン様がご不浄場から出てきた音と、それから出入り口のドアが開いてグレン様が入ってきた音だった。
「イアン、大丈夫か?」
「……あぁ……うぷ」
「イアン様、それは全然大丈夫だとは言いません!!戻ってください!あ、お水を飲んでからの方がいいので、これを!!」
僕が急いで水をグラスに汲み、イアン様に渡すとイアン様はそれを煽るように飲んでから口を押さえて奥に戻っていった。
「あーイアンはまたなんだね……」
「あぁ。……グレン、お前ももう部屋に戻れ。エル、連れて行けるか?」
「え?グレン様はふつ――おわっ酒臭っ!!」
その場で余裕そうにイアン様を見送っていたグレン様がいきなりふらついたので慌てて支える。
僕の肩に腕をかけて支えても、顔が地面を向いたままのグレン様。
どう見てもぐでんぐでんに酔っぱらっている。
その姿を見て、殿下はため息をつかれた。
「やはりか……」
「やはり、とは?」
「グレンは元々お前のような上戸ではない。普通程度なら大丈夫なんだが、それほど強くはないのだ」
「でもグレン様なら手八丁口八丁で自分より他人に飲ませるのではありませんか?」
「いつもはな。しかし今日はあの晩餐会の後、植物育成担当局長と、食物管理担当局長と飲んでいたのだろう?あの二人は名産の、度の恐ろしく高い酒を勧めて来る上、自分たちもお前並に強いから、そのペースで同じように飲まされる。加えて、グレンは周りに弱みを握られないように無理に隠すものだから、最中は全く酔っていないように見せるのだ」
ああ…こんなところで無駄な意地っ張りが……
「そのせいで、こうやって私やイアンなど、安心できるところに来た時にいきなり酔いが回ってぶっ倒れる。……おかげさまで私はいつも晩餐会の後に友人二人の快方に回る羽目になってな」
「我が主が申し訳ございません……」
「なに、今回はそれを見越してお前を連れてきたんだろう。介抱を頼んだ」
「はい、もちろんでございます」
僕がわざわざ王都まで連れてこられた理由に納得した。
まぁ立ちっぱなしの刑にはあったけど、美味しいお酒とお料理が食べられたし、いっちょ働きますか!
グレン様の腕を肩にかけ、支えたままドアに向かう。
「エル」
「はい?なんでございましょう?」
「……いや、いい。頑張れよ」
美しい顔に浮かべられた、複雑などこか生暖かい笑顔と、激励の言葉に背中を押され、僕はグレン様を連れて殿下の部屋を出た。




