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小姓で勘弁してください・連載版  作者: わんわんこ
第一章 出会い~婚約解消編(15歳)
46/67

完結お礼小話 その時が来るまで・前編

完結記念に作ったものです。よろしければどうぞ。

 出会いは父親に連れられて行った、伯爵家の夜会だった。


 その伯爵家主催の夜会だった気がするが、確か、伯爵の普段暮らしている大きなお屋敷ではなくて、領地の外れ、公爵領のすぐ傍の療養地で開かれた夜会だった、と思うがよく覚えてない。

 ごちゃごちゃと狭いところに集まった大人同士が話をしてぐるぐる回るだけの夜会なんてつまらない。

 そう思って退屈まぎれに会場を抜け出し、許可なく伯爵家の庭を散策していた時に、俺は天使に会った。


 蜂蜜ブロンドのウェーブがかった髪、幼いぷっくりとした白い頬に月の光が反射する。

 こんな夜にたった一人で供もつけずに石段に座った幼い少女は、庭で赤い花の花びらに小さな白い手を伸ばし、それに触れて微笑む。

 邪なものの一切ない、清純な光景。


 なんて、綺麗なんだろう。

 光景に見惚れるなんて初めてだった。


「あの……」

「!」


 呼びかけて向けられたその目の色は暗闇のせいで分からない。

 ただカールした長い睫に縁どられた形のいい円らな瞳が俺を映したのが分かって、どうしようもなく嬉しかった。


「あの…名前、なんて言うんだ?」


 俺が聞いたら、その口が小さく動いた。


「名を尋ねる時は自分から、と教わりましたわ」


 透き通るような高い声は物語に出て来る妖精のようなのに、その子の言葉はいやに大人びていた。


「ごめん。俺、オズヴェル・アッシュリートンと言います。今日は夜会に父さんが招かれてて、退屈で、ここに」

「そうなんですか、お客様なんですね。はじめまして。私はアデラ・マーシャルと申します」

「マーシャル?この伯爵家のご令嬢?」


 こっくりと頷く少女は、夜の闇に消えていってしまいそうなくらい儚く、美しい。

 この伯爵家の令嬢だと自己紹介されても、神秘的な雰囲気を纏う目の前の少女が俺と同じ人間であるということが信じられない。

 彼女が風と一緒にどこかに行ってしまわないように矢継ぎ早に言葉を続ける。


「どうしてこんなところに?君も夜会を抜け出してきたの?」

「…いいえ。私は、いないものとして扱われるべき存在なので、今日も夜会は欠席させていただいております」


 その言葉の意味が俺には分からなかったが、俺はどうにもこうにもその言葉に不安をかきたてられて、その子の手を咄嗟に掴む。するとその子…アデラはびっくりしたように目を丸くし、小さな口をわずかに開けた。

 爵位がずっと格下の俺が伯爵家のご令嬢の腕を許可なく掴むなんて本当は許されない。だが、ただその子がいなくなったら困る、という気持ちで出た行動は功を奏したらしい。

 ようやく人間の女の子らしい顔が見られてほっとした。

 天使じゃなくて人間の女の子なんだったら、そんな畏まらなくていいか。

 と気を切り替えて余所行きの堅苦しい言葉遣いをやめ、普通の口調で話してみる。


「驚かせてごめん。アデラが退屈してんだったら、俺が遊び相手になろうか?一人でいるのよりは楽しいかも」

「ありがとうございます。でも退屈などしておりませんの」

「な。そんなに畏まってて疲れない?俺、そういうの苦手」

「これが普通の話し方だと教わりましたわ」

「でも窮屈だろ、そんなん。俺、多分アデラとそんなに歳変わんねーし。俺にはそんな言葉、使わないでいーぜ?」

「でも……外の方、それも男の方と話をするのですから……」

「言葉に男も女も関係ねーよ。そりゃちょっとは違うだろうけど、言葉遣いを改めなきゃいけないほどの違いなんてないだろ?特に俺なんて母さんにもよく怒られるし、ちょっと魔法の勉強やめて外で自然勉強してたら父さんに拳骨食らうしで、そんな御大層なもんじゃねーもん」

「自然勉強、とは?聞いたことがございません」

「ん?木登りとか、かけっことか、あ、動物たちと触れ合うのもなかなか楽しいんだぜ?あいつら色んな性格のやつらがいて、色々特技があるから」

「た、例えばどんなことを?」

「んーリスだったら、ほっぺこーんなに膨らまして、食えるもん全部そのほお袋にいれてまだ俺のお菓子狙うし、鳥だったら俺のこと突っついて怒ると笑うようにピロロロって鳴くし、サルだったらたまに俺の顔真似とかするぜ?」

「ほ、他にはどんなことをしますの?」


 身振り手振りを交えて話すと、段々と話に夢中になってきたのか、外用の顔を崩さなかったアデラが目を輝かせ始めた。

 もっともっと、というように小さな手を握りしめ、白い頬を紅潮させて、こちらに身を乗り出してくる。

 普通の人間の女の子っぽい無邪気な反応がものすごく可愛くて、俺はこの場限りで彼女に会えなくなるのは寂しいなと思った。


「よしっ、アデラ!お前を今度、俺の秘密基地に連れてってやるよ!」

「秘密基地……!それは一体……!?あ、あぁ!私ったらはしたない声をあげてしまって恥ずかしい!」

「なんで?いーじゃん。思ったことそのまま言ってこーぜ?な?そろそろ時間っぽいし、俺多分父さんに探されてるからもう行くけど……そうだ、今度鳥で手紙送ってやる!ここからそう遠くない場所だし、絶対、約束な!」


 俺が小指を立てると、不思議そうにこてん、と首を傾けて俺の手を真似る。

 その立てた小指に自分の小指を絡めると、まだ短くてふわふわした女の子の手の温かさが直に伝わった。


「これは何かのおまじないですの?」

「そうそう、こうして小指絡めて、ほら、約束!これ破ったら、神様から罰が下るんだ。父さんにそう習った」

「えぇ!?神からの罰、ですって!?」

「そうそう。だから俺は絶対、約束守るから。手紙送るし、秘密基地にも連れてってやる!じゃ、またなアデラ!!」


 そう言って俺はその場を去った。



 それが始まり。


 俺が7歳、アデラが5歳の時だった。



 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



「アデラ、好きだ!」

「オズヴェル、おはよう」


 今日もアデラはにっこりと天使のように微笑む。


「アデラ…好きはおはようの代わりじゃないんだけどよ……」

「だって会うたびに一番最初に言うのだもの。オズヴェルも飽きないなと思ったのよ」


 秘密基地にアデラを初めて連れて来てから12年が経った。


 俺はアデラとの約束通り、鳥で手紙をやり取りし、打ち解けてきた辺りで伯爵家の目を盗んでアデラをちょくちょく外に連れ出すようになった。街で平民の悪友どもに紹介してみたり(自慢したかっただけなのだが、彼女の美しさに周りが手を出そうとしてコテンパンにやっつけた)、買い食いというものを教えてみたり(最初はかなり抵抗していたが、庶民の子供の大好物の甘い黒糖パンにほだされたようだ)、海を見せてやったり、森に連れていったり、動物たちを呼んでみたり。

 俺に丁寧語を使わないことと引き換えにいろんなところに連れて行くたび、アデラの仮面のような形ばかりの笑みは崩れ、心のままに、驚き、喜んだ。そして俺への言葉も飾った言葉ではない本心からのものに変わっていった。


 秘密基地というのはある公爵家で嫁き遅れと言われている四十代の令嬢の庭だ。

 植物が大好きな人らしく、様々な種類の草や木を生やしまくるので森のように鬱蒼と生い茂っている。だから庭と言っても外から覗かれにくい。

 当初は勝手に忍び込んでおり、叩き出されていたのだが、貴族のバカなガキどもが平民の子供を苛めているところを助けた姿を見られた10歳の時以来、いるのを見ても文句を言われなくなった。

 それどころか、もう少し経ってからはたまにパイやクッキーをご馳走してくれるようになってくれた。

 だが俺は入り浸るようになったのは令嬢のお菓子のためだけじゃない。



「今日もオズヴェルの告白は失敗のようだな」

「懲りないのですね、オズヴェルは」

「うっせーな。笑うな、殿下!それにミルカ!」

「殿下と呼ぶな。エーヴェと呼べと言っているだろう?」



 エーヴェ…エーヴェルトはこの国の第一王子つまり王太子で、俺より3つ下の16歳だ。そしてミルカは公爵令嬢。ミルカがこの庭の持ち主の姪っこらしく、よくここに遊びに来ている。そのせいで男爵家という貴族最下位の俺が王太子と友人という奇妙な状態になっている。その時から王城以外では敬語で話すなと言われている。

 まぁ、俺はもともと身分なんてどうでもいいと思っている方だし、話をするうちに慣れてしまったが、アデラは今でも恐れ多いとエーヴェには敬語だ。ミルカの方はアデラより1つ年下のせいか、親友のように仲良くしている。


「オズヴェルは馬鹿じゃないのに、どうしてだかアデラのことになると突き抜けたお馬鹿になるものね」

「なんだと。お前だってお転婆侯爵令嬢として有名じゃないか、レイフィー!」


 俺が叫んだ先にいるのは、もう一組の友人、レイフィー・アルコットとその執事のギルバード。

 かの有名なアルコット侯爵家のご令嬢にも関わらず、お転婆として社交会では有名な美少女だ。

 俺の言葉に、その女は、直毛のトパーズ色の長い髪を手でさらっと払い、可愛らしい顔立ちのせいで余計に際立つ生意気さでつん、とそっぽを向く。


「やーね、どっかの恋愛単細胞と一緒にしないでくれる?」

「おいギル、この口の悪さでいいのか、この女!侯爵令嬢ってもっと淑やかじゃねーのかよ!」


 俺がその生意気お嬢様付きの黒髪の執事に怒ると、彼は丁寧に腰を折り俺に礼をしてから深くため息をついた。


「私もお嬢様には常日頃申し上げておりますが、こればかりは。どうにも私の言葉には耳にシャッターをつけるという特異な技を身に付けなさったようなので」

「ギルがいけないのよ、いつも文句ばかり言うのだもの」

「ですがお嬢様。旦那様もそろそろおかんむりのようですよ。私の言葉で聞けないようであれば私をお嬢様付きの執事から外すと仰っていましたから」

「それはだめ!!!!そんなの絶対だめ!あなたは私から離れちゃだめなんだから」

「幼いころからお傍付をさせていただいている私が文句ばかり申し上げないですむようなご令嬢になっていただければ、きっと旦那様のお怒りも冷めましょう」

「むぅ」

「お嬢様。どうか、アデラ様やミルカ様のような淑やかさを身に着けてくださいませ」

「な、なによっ!アデラやミルカの方が魅力的って言うわけ?」


 親友とはいえ他の令嬢の名を出されたせいで、途端に柳眉を跳ね上げ執事に迫るレイフィー。

 自分より身長も高く、年齢も上の男の胸倉を掴み上げようとして、冷静な執事に押さえられている。


「そんなことは一言も申しておりません」

「ひどい……私が一番だって言ってくれたのに……」

「落ち着いてくださいませ、お嬢様。お嬢様は私の命よりも貴い方で、わが身よりも何よりもお嬢様の御身が大切でございますよ」

「じゃあどうしてそういうこと言うのよ…。そりゃアデラやミルカはいい子だけど、私は私でいいでしょう?」

「お嬢様ももう17歳になられました。ご縁談もたくさんあられます。あともうわずかでご結婚されるような御身なのですよ?」

「縁談?そんなものどうだっていいわよ」

「よくありません。王家からのもございますし、お嬢様のこれからの一生を左右する問題でございます」

「えぇ!?エーヴェも出したの!?」

「すまない。戦争はもうほとんど終わりを迎えているが、どうもマグワイア侯爵家の動きが怪しい。おそらく牽制と、ミルカとのことを漏らさないようにするためだ。確かアデラのところにも行っておったろう?」

「来ましたわ、殿下。でも私は」

「お前に結婚するつもりがないことは知っている。私は近々ミルカとの婚約を発表するつもりだから安心しろ」


 そう言ってエーヴェ王太子はミルカの肩を抱き、ミルカはぽっと頬を染めた。


「お前らは同い年で小さい頃からずっと一緒だったんだもんなぁ。マグワイアなんかに邪魔されないうちにさっさと結婚しちまえよ」

「私とミルカのことは父上も認めているから大丈夫だろう。だがオズヴェル、お前は平気なのか?」

「俺?俺はしがない男爵家の身だから問題ねーよ」

「そんなことないだろう?お前はもう成人しているし、文官として王家に勤める身だ。魔術師と兼任でない文官がどれだけ優秀かは周知の事実だ。お前の爵位が上がることはそう遠い未来ではないだろう。そんなお前に縁談がいっていないはずがない」

「とは言われても……。俺は昔っからアデラしか考えてねーし」


 そう言ってちら、と視線をアデラに送るが、アデラは困ったような顔をするだけだ。



 俺の初恋はアデラ。

 彼女の外見的な美しさゆえの一目惚れが始まりだったんだろうと後から思う。でもそれだけじゃない、彼女の芯の強さも、内面の美しさも何もかもに惹かれた。無邪気に笑う姿や、驚いてきょとん、とする姿、街で見た理不尽なこの世の中に憤る姿。そのすべてが魅力的だった。

 いくら夜会に出席しようが彼女以外は目に入らない。彼女以外ありえない。そう、確信している。

 自分の想いを自覚してから俺はただひたすらアデラにアピールし、ことある事に口説き、最近では告白を挨拶とされるくらい空しいことになっているが、アデラはそれでも「俺の条件では」首を縦に振らない。


 アデラが俺を好いていない、というわけじゃない。

 俺の最初の告白は俺が15、アデラが13の時だったはずだ。

 彼女はとても驚くと同時に泣いた。頬を染め、目を潤ませ、俺が好きかの問いにはい、と答えた。泣いたのは嬉しすぎたせいだと返して来て可愛くて俺が悶えた。両想いだという自覚はある。

 でも最初、アデラは決して俺との結婚に同意しなかった。

 それが彼女の持つ特異で残酷な宿命のせいだと知って、俺は文官になることを決めた。

 彼女と身分が釣り合わないこともあったし、彼女の障害を取り除き、彼女と生きていくための方法を知るためには王家の図書を自由に閲覧する権限が欲しかったから。

 ただそれだけのために俺は文官になった。


「でもアデラは伯爵家、オズヴェルは男爵家。身分差がありますもの。かなり厳しいですわ」

「うむ…。私にもう少し力があればな」

「殿下のせいではありませんわ。ご自分を責めないでくださいまし」

「アデラ、すまないな。身分など関係なく公式に結婚を認める社会を作りたいと思っているのだが、今の私ではいかんせん力不足だ」

「これからすればいいのですわ、エーヴェ。私も協力いたしますから」


 ミルカがエーヴェを慰めるように肩をそっと叩く。

 ミルカも、レイフィーも、ギルも、アデラの「障害」とあの契約については知らない。

 王子であるエーヴェは、俺が身分の違いに困っているわけではないことを知りながら、あえてそれを伏せている。俺は自分で調べ尽くしたうえでエーヴェに真実を聞きだしたが、これを漏えいしたことがばれると、エーヴェの王太子としての価値に傷がつくので、俺は知ったことを墓場まで持っていくつもりだ。


「ちょっと、そこの恋愛へっぴり腰(ヘタレ)。こっちに来なさい」

「おい、お転婆娘。お前今ヘタレって言ったか?」

「事実じゃないの。いいから来なさいって」


 引きずられて皆の視界から外れる木の陰まで行くと、レイフィーはその燃えるような赤い瞳でこっちを睨みつけて来る。


「あんた、いつまでじれじれだらだらやっているつもり?アデラはあんたのこと好きなのよ!?どうして結婚しないわけ?」

「うっせぇな!お前には分かんねぇ大人の事情ってもんがあるんだよ!」

「なに、身分とか気にしちゃってるの?あんたが?男爵家のくせに侯爵家の私に汚い口の利き方するあんたが?」

「ちげーよ!アデラがどうしても了承してくれねーんだよ!」

「それは知ってるわよ。でもアデラはあんたのことが間違いなく好きなんだから!本人自覚しているか知らないけど、あんたへの縁談の話がお茶会で出るたびにアデラがどれだけ暗い顔をしているか!」

「分かってる!でも……そう簡単じゃねーんだよ、これは」


 実際、かなり厳しい状況になってきているのは知っている。

 アデラは伯爵令嬢で、あれだけ美人だから縁談は多く来ている。それでも本人が絶対に結婚しないと言っているせいで親である当主とはもめにもめている状態だ。彼女の障害を知っており、無理にでも嫁がせることをしていないだけ当主としてはましな方だろうとは思うが。

 一方の俺にも確かにそれなりの縁談が来ていて、それをうまい理由をつけて断るのが難しくなってきている。特に相手が格上の地位の令嬢だと、アッシュリートンの立場上、断りにくい。

 特にこの前、アデラでない伯爵家のご令嬢から来たものは正直断れないものだ。普通貴族位が対等な相手を選ぶはずなのに、どうやら俺がご令嬢本人に気に入られてしまったらしく、お断りしたことを華麗に無視された。迷惑なことに、親も末娘のわがままを聞いてやろうとしているらしく、男爵家の俺との結婚を進めようとしている。そのせいで「待っている」状態とされており、その待たせている状態だけでもその令嬢の実家(伯爵家)からはかなりの圧力がかけられている。


 俺は焦ってアデラに事情を説明し、再び結婚を頼み込んだ。

 長年にわたる説得のおかげか、はたまた今回の窮状のせいか、アデラは「あの契約」を結ばなければ結婚してもいいと、とうとう言ってくれた。

 しかし事実を知って以来駆けずり回ってやっと見つけたアデラが生き残る唯一の方法をすることも一緒に、と俺が譲らないでいるせいで、これには断じて了承しないアデラの手をいまだ取れていない。あの契約をしなければアデラが長生きできないと知っているからどうしても動けない。ようやく、結婚には説得できたのに、だ。

 だから表面上、アデラは首を横に振り続けている。

 俺にはアデラ以外の女性と生きていくことはできない。

 アデラもあのままだと一人で生きて一人で死ぬつもりだ。

 そんなことはさせない、させるものか。


 悩む俺を見たレイフィーは両手をその細い腰に当て、ふぅっと大きくため息をついた。


「まぁあんたがそれだけ真剣に悩むなら大変な事情があるんだろうけど、さっさとしなさいよね。状況くらいは分かってるんでしょ?」

「あぁ」

「………あんたがやってくれないとこっちも困るのよ」

「ギルのことか?」

「そう。あんたたちと違って貴族爵位どころの騒ぎじゃないのよ、こっちは。平民と上位貴族。身分が違いすぎるわ。それに加えてあのお父様よ。お父様に私の気持ちがばれたら、お父様はきっとギルを殺してでも引き離させるでしょうね」

「ギルは知ってんのかよ、お前の気持ち」

「……多分。でもあえて触れてこない」

「お前の場合、身分も全然違うし、歳だって7歳差だもんな」

「そうよ!年齢だけでもギルは絶対身を引こうとするのに、身分まであるのよ。障害だらけなのはこっちなのよ」


 重苦しくため息をついたレイフィーは、それでも顔を上げるとその燃え盛る炎のように真っ赤な力強い瞳で俺を見て、はっきりと言った。


「でも関係ないわ。私はギル以外の男と結婚するつもりはない。いばらの道でもなんでもどんと来いよ」

「でも手段は駆け落ちくらいしかないんじゃねーの?」

「そりゃそうよ。私とギルの結婚を認めるくらいだったら、お父様はその場で爵位をドブに捨てて平民と一緒に満面の笑顔でフォークダンスをするでしょうね」


 あの、上位貴族であることに誰よりも誇りを持つ厳めしい顔の男性が、爵位を捨て平民の踊りを平民と一緒にやるなんて、太陽が天から落ちるくらいありえない。想像して笑うことすらできないくらいだ。


「でもやるわ。私、好きでもない男に嫁ぐほど大人しくもなければ、好きな人が目の前にいるのに気持ちを我慢して体を他人に委ねられるほど酔狂でもないの。お父様からは逃げきってみせるし、ギルは私が守る。身分なんて馬鹿馬鹿しいものに囚われるなんて、ありえないのよ」

「エーヴェは幸いにしてそういう身分格差に疑問を持っているやつだから将来的には変わるかもしれないぜ?」

「エーヴェが即位するのにどれだけかかると思ってるの?私を嫁き遅れどころかしわくちゃのおばあさんにするつもり?それにエーヴェだけでできるとも思わないわ。この国ではそれは『異端』の思想よ。この国が乱れた状態で将来の王様がそんなことをいきなり言い始めたら、どさくさに紛れて殺されちゃうわよ」

「……お前ってバカじゃねーんだよなぁ。突き抜けてるだけで。」

「普段文官やってる優秀な人間のくせに好きな女一人ものにできない男に言われたくないわよ。オズヴェル」


 相変わらずの口の悪さで俺をなじった後、レイフィーははっきり言った。


「私、近いうちに決行するわ」

「本気かよ……!」

「えぇ。先に動いてくれたらカモフラージュになってくれて万々歳。私たちが死ぬ可能性が低くなるからありがたいけど、あんたたちを待ってる時間もないから」


 レイフィーは燃えるような情熱溢れる女。

 こいつが、小さい頃から一緒にいるギルにどれだけの愛情を持っているかは、俺たちが一番知っているのだから、冗談でもなんでもないことは分かっているし、行動力は誰よりもある。きっとギルは拉致されてでも連れて行かれるだろう。

 そして俺の予想にすぎないが、苦悩を経ても、ギルの本心はそれに逆らえないだろう。あいつが男ならば。


「それでね、お願いがあるの。王子のエーヴェにはお願いできないことだから、あんたに頼んでおく」

「なんなんだよ?俺だって駆け落ちの手助けはできねーぞ?」

「分かってるわよ、それは一人でやってみせるわ。じゃなくて、その後のこと」

「その後?」

「駆け落ちしたとしても、お父様が私を諦めるとは思えない。自分の名誉のために地獄の果てまで追いかけ続けるでしょう。私もどこまででも逃げ切る気でいるけれど…でももし万が一、万が一私が捕まったら」


 一呼吸置いてレイフィーは言った。


「ギルと私の子供をお願い」

「おまっ……!ギルの子供が!?」

「ちょっと、邪推はやめて。違うわよ、今はいない。でも私は彼の子供を産むわ。絶対に。その子を守ってあげて」

「…おいおい。それ重責すぎだろ…あの侯爵様に見つかった後にってか?」

「えぇ。そうよ。きっとギルは殺されそうになるし、私の子供も、危ない」

「無茶言うなよ。エーヴェはその頃には国王陛下だろ。そっちに頼めねーのか、それ」

「それこそダメよ。彼は既に背負う物が大きすぎる。ミルカも賢い子だけど、あの子たちの立場を悪くするわけにはいかないわ」

「俺はいいってか…。」

「お願い、あんたにしか頼めないの。私の命を懸けてのお願いよ」


 この女は冗談と本気の使い方を間違える女じゃないから、命懸けなのは本当だ。

 もう出会って5年以上になる友人に命を懸けてまでそう頼まれたら、俺とて無下にはできない。


「…仕方ねぇなぁ。分かったよ。だけどあんま期待すんな」

「やった!頼りにしてるわよ、オズヴェル!」

「だが駆け落ちは待て」

「………」

「んな睨むな!火を消せ、火を!!木に燃え移るだろ!!駆け落ちすんなとは言ってねぇだろ!!」

「え?どういう」

「俺が先に動く。アデラを伯爵家から奪い取る。…その直後に動け。いいな?そうじゃないと成功率2割のところが0になるぞ。あの侯爵様はそんな楽な相手じゃねーだろ」


 俺の言葉に、レイフィーはその(中身を知らなければ)可愛い目をまん丸にして俺を見てから、令嬢らしくなくにっといたずらっぽく笑った。




 その日が、俺がレイフィーとギルを見た最後の日だった。


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