43 兄と少年と妹
世の中には冗談で言っていいことと悪いことがある。
が、目の前の少年は冗談だとさえ思っていないようだった。
「内乱を起こす――ということですか。」
戦慄く唇を動かして尋ねれば、少年はいともあっさり肯定する。
「そうなるかもしれませんね。でもそんなに大事ではありませんよ。魔力絶対主義、貴族絶対主義、男尊女卑――そういったこの国に巣くう病巣を取り除くだけです。いわば治療ですよ。ご存知の通り、魔力は遺伝式。それも普通は弱い方に合わせられます。そうなると必然、魔力など、今後数百年経つうちにどんどん弱くなり、最後には消えてなくなるでしょうね。そんなものにすがる必要がありますか?」
「それは数百年先……あるいはもっとずっと先の話では?」
「まぁ、魔力が全員からなくなるのはそう近い未来ではないでしょう。しかし、現実的な問題があるのですよ。確かに魔法は便利で、かつ絶大な威力を持ちます。しかし、戦闘レベルで使いこなせる人数はそう多くない。ましてやこの国は男にしか攻撃魔法を教えませんからね。大勢の平民を兵として鍛えれば十分押し切れるでしょう。他の二国はそれを見越して既に魔力だけに依存することを止め、平民の強化、武装を始めています。その平民が使えるような強力な武器の開発も着実に進めている。今のうちにこの国も変わらないと、いずれ他の国に食いつぶされるでしょうね。そしてこれはもっと近い未来でしょう。遅くとも今生まれた赤ん坊が子供になる頃には確実に」
その通りだ。
今彼が述べたことはこの国の憂いるべき事実であり、かつそれがこの国を弱体化させていること、そして他の国が戦闘の準備を着実に始めていることは外を見てきた俺が一番よく知っている。
でも今少年が言った「病気」の根本は、この国の「神が愛した印である魔力を信仰する」宗教にある。何でもないことのように言っているが、宗教をなくすことができるはずがない。事実、父さんも国王陛下もそれを目指しているが、達成できていないのが現状だ。
大体、目の前のこの少年は、その恩恵を一番に享受できる者じゃないか、なぜそれを覆す?
「失礼ですが、あなたがそれをしようとする理由が分かりません。あなたは俺の知る限り一番の、若手きっての天才魔術師でしょう。なぜ自分に有利なものを壊そうとするんです?」
「あぁ、確かに僕は自然の摂理に外れて魔力が多く生まれた存在です。でも摂理に反する者はすぐに淘汰される。それが自然ってもんですよ」
少年が淡く笑う。
その姿に、俺の頭には「佳人薄命」という言葉が浮かんだ。目の前にいるのは俺より年上の男なのに、その言葉が不思議と合う。
しっくり、よりももっと、その言葉をそのまま現実にしたような儚さを纏った少年は、されどその空気などなかったかのように続ける。
「まぁそれで、マーガレット嬢にはその火付け役になっていただきたいな、と思いまして。彼女の思想は今の体制を真っ向から批判する主張ですし、彼女ならそれをきちんと理論立てて、かつ不穏なことも出さずに貴族どもに説明できるでしょう。加えて第二王子の婚約発表であればみなが注目しますし、起爆剤には好都合です。彼女を騙したつもりはありませんが、これを聞くべきでもありませんので、男爵が彼女を出したのは正解だったと思います」
少年が「夕食はソテーにしよう」と言うのと全く同じ口調で戦争やら政治の計画やらを語るのを黙って聞いていた父さんが唐突に口を開いた。
「エルも駒、なのかい?」
耳を疑った。なぜここにエルが出てきた?あいつは今、何の関係もないはずなのに。
そんな俺の内心が顔にそれが出ていたらしく、父さんが俺の方を見て補足した。
「エルはグレン殿の小姓になったのだよ」
「なっ!?小姓!?いつ!?」
「正式なものはちょうど今から四分の一月ほど前だ。私の情報ではだが。正しいかね?」
「耳がお早いですね」
「そんな……!」
俺が据わっていた椅子から思わず身を乗り出すのを気にせず少年は優雅に紅茶を飲む。
小姓契約。それの「本当の意味」が何か、俺は知っている。
「その様子だと、男爵もユージーン殿もご存知なのですね、それの本当の意味を。お怒りになりますか?勝手に娘、又は妹の命を握られたと知って」
「そりゃそう――」
「いや。そもそも私はあの子が君と何らかの係わりを持つことは想定していた。小姓になるとは想定外だったがね」
「ご冗談を」
先ほどから何度衝撃を受けているだろう。頭がガンガンして視界が揺らぐ。
聞かされた事実も、平然としている父さんの姿も、現実のものだとは思えない。
「と、父さんが一番小姓がどういうものか分かってんだろ……!?エルは一生こいつの道具にされたってことだぞ!どうやった!かっさらったのか!?脅したのか!?どうしてあいつを!!」
「落ち着きなさい、ユージーン。エルを彼の元に送ったのは、私だ」
いきりたつ俺をその声だけで父さんが引き留めた。
え?今父さんはなんて言った?
「私から彼と係わりを持つように仕向けたのだ。グレン殿にメグとの縁談を申し込み、エルにグレン殿の素行調査を命じたのは私だ。どちらかが何らかの係わりを持って彼のためになるだろうと思ってな」
「なっ!?なんで!だって確かこいつは……!」
「ユージーン。立場を弁えなさい。お前は頭は回るが、身内のこととなると冷静さを欠くから未熟者なのだ。彼を知っているからこそだよ。これは友人である彼の両親との約束を果たせていない私の償いなのだ」
「……娘に父親の尻拭いをさせてるってことかよ……!」
怒りで拳が震えるのを止められない。奥歯を噛みしめて、父さんを、そして目の前の綺麗な少年を殴りたい気持ちを抑える。
「そういうことになるかもしれん。だが決して彼への同情からしたことではない。約束を果たすため、そしてエルのためにやった」
「……エルのため?」
「――あの子はまだまだ色々なものが足りない。光るものは持つが、磨かねばただの石。グレン殿はあの子を磨いてくれるだろうという私の計算も入っている」
「……なるほど。やっぱり、僕はまんまとあなたの手のひらで踊らされていたということですか」
ふふふ、と黒く笑う少年に、父さんは堂々と言い放った。
「あぁ、そうだ。君の両親との約束を果たせずに無駄に父君を殺させてしまったことへの贖罪のために娘たちを送った。あの子たちはそれぞれ人を惹きつけるものを持つ。別に女性としてでなくても君に役立つ存在になるだろうと思った。同時に君は見かけよりずっと他人に優しく、自分に厳しい。要ると思えば使えるようになる程度まで守り育てるだろう、要らないと思えば丁重に返してくるだろう、そう思った。そして、君がこれを聞いて怒るだろうことへの謝罪として今回の話を受けた。どうだね、これでおあいこだろう?」
「だからすんなりと受けられた、と。確かにイーブンだ。僕が怒る筋合いはないことになりますね」
まるで盤上でゲームをするように二人は話す。
なんで。どうしてそんなことができるんだ。
これは何より大事な家族が絡むことだろ、父さん!!
大事な、一番守りたいと思っている姉さんと妹のことだろ!?
「何もこいつの下に送らなくてよかっただろ!!こいつが裏でやっていることを父さんだって当然知っているだろ?!そこに引き込ませてエルまで穢させるつもりなのかよ!?」
目の前の少年が裏で何人の邪魔者を「処分」してきたか、俺は情報として知っている。
それはこれまではただの「情報」だった。だから何も思わず淡々と頭の中に入れておくべき事実として考えていた。
でもそれに身内が関係しているとなったら話は違う。
その血塗られた手で俺の大事な妹に触れているのか?
その穢れた血を、妹は受け入れさせられたのか?
そう考えた途端、体中の血液が沸騰するくらいの怒りを我慢できなくなる。
「だったら……だったら俺が解放してやる!お前が先に死ねば、あいつは解放されるんだから!」
「ふぅん、知ってるんだ」
「知ってるさ!だから死ねよ!妹のために!」
「それは異国の暗器か。君は僕と同類ってわけだね」
「お前と一緒にするな。俺は『本業』じゃない!」
俺がすばやく移動して首元に突き付けたクナイを見ても少年は淡々と述べるだけ。動揺の欠片もない。
ただ口調だけが僕を格下と見る言い方に変わった。
「ユージーン、引きなさい」
「父さん、止めないでくれ!!」
「それ以上進むとお前が死ぬぞ。よく見てみなさい」
「え……、んな!?」
そんな素振りは一切なかったはずなのに、よくよく目を凝らせば、俺の目の前には細く固い金属の糸が張られているのが見えた。糸は部屋の明かりを反射して不気味に光る。そこに塗られているのは、おそらく――
「惜しいなぁ。一発で逝ける毒を仕掛けておいたんだけど」
少年がそう言った途端、糸は火を出してぼろぼろと崩れた。
「お前、もしかして今まで自分自身で手を下してたのか?」
「あぁ、そこは知らなかったんだ?人の手なんか借りないよ。自分が一番信用できるからね」
くすくす、と可愛く笑ってから、少年はぞっとするほど酷薄な笑みを俺に向けた。
「僕が魔法しかできないと思ったら大間違いだ。君じゃまだまだ僕には力不足だよ。身の程を知るといい」
形のいい薄い唇にうっすらと浮かべられた笑みが、俺の恐怖をかき立て黙らせる。
国外を出歩くうえで一番大切な本能の危機察知反応がびりびりと危険を知らせる。
「グレン殿。そこまでにしておいてくれ。その子はその子でエルが大事なのだよ。あの子のために生き方を変えたくらいにね。だからこそ答えてほしい。あの子は君にとって駒なのかい?」
「いいえ。彼女は駒にはなりえません。駒というのはある程度予測した動きをしてくれる者が成りえます。僕は正常な頭脳をした人間でないと予測できませんから」
「いちいち腹の立つ言い方をしてくれるよな…!じゃあなんでエルを小姓なんかにしたんだよ!?あいつ、あんま頭良くない…というか面倒になると『まぁいっか。』で終わらせる能天気女だし、武術や剣術だってできねーし、魔力も魔法も大したことないだろ?」
「腹が立つのは事実だからでしょ。君自身今エルが出来ないって言ったし。小姓にした理由?うーん、それは僕の寿命のため、かな。ほら、僕、人よりちょっと魔力多いしね」
「……あいつを魔力の容器にするためかよ……!」
静かに微笑む少年を視線だけで殺せるなら今すぐ殺したい。と俺は思った
でも父さんは違った。
「違うだろう、グレン殿。いや、グレン君。君はそういう子じゃない」
「どういう根拠で仰ってるんです?」
「それが目的なら契約後すぐにでも入れるはずだよ。だが君はエルに魔力を入れられるのに、未だにしていないようだからね。それにそれだけが理由なら別の者でもいいだろう?エルじゃない、もっと使える人間を小姓として置いておけばいいだけだ。使えない人間を置けば置くほど、君が不自由に、不利になるだけなのに、それをしなかった。その理由はなんだい?」
「さすがにあなたは誤魔化せませんか。本当はエルの持つ力とその性質が特殊ですから、この国から出したくないんですよ」
苦笑してそう言う少年。
この男――もうエルの価値に気づいてるのか?もしかして、過去のことも?
俺が戦慄した一方で、父さんの方が小さく微笑を浮かべてまた首を横に振る。
「それも違うだろう?さしずめ第二王子にそう言われたのかい?あの子にはその『潜在価値』はあるが、今の段階では到底ない。そしてそれだけが理由ならわざわざ君という優秀な人間が主人になる必要もない。隠さないでほしいんだがね、あの子の親としては」
父さんの言葉の後に、少年が急に黙りこんで小さく俯き、そして唐突にバチン!と大きな音が鳴った。