42 兄と少年とその舞台裏
視点は今まで話だけの彼。時期が少し遡ります。
俺はそいつが来た時、一年ぶりの帰郷で父さんの執務室にいた。
他国や地方に出歩いてる俺と、いつも外の交渉で屋敷にいない父さんが珍しく同じ場に集ったことで姉さんは嬉しそうだ。その姉さんが楽し気にお茶の準備をしていた時、執事の爺さんに来客を伝えられた。
俺と姉さんが部屋を出ようとしたら父さんに「来たみたいだな。メグ、ユージーン、お前たちも同席しなさい」と言われ、俺たちはその場にとどまることになった。
部屋に通されたのは、俺とそう変わらない年頃に見える美少年だった。
国外を回って老若男女、美醜様々な人間を見てきた俺が一瞬で最高値、と判断できるくらい整った顔の美少年は、確か俺の記憶ではこの国の侯爵家、アルコット家の息子だったはずだ。
「家族歓談中のところお邪魔いたします、アッシュリートン男爵。お久しぶりですね、マーガレット嬢。そして、お初にお目にかかります、ユージーン殿。僕はグレン・アルコットです。以後どうぞよしなに」
「俺のことをご存知で?」
「えぇ。『彼女』が身代わりに学園にいるということも知っています」
どうやら性別詐称のことを知っているらしい。こいつは油断ならないな、と俺があたりをつけて少しだけ目を眇めると、少年は俺を見てにこりと笑って、姉さんが出したお茶に口をつけてから口を開いた。
「では早速ですが、時間がもったいないので今日来た本題に入らせていただいていいでしょうか?」
「構いませんよ、グレン殿」
「そこにいらっしゃるマーガレット嬢に、一時的にマグワイア家に入っていただきたいのです」
その言葉に俺はティーカップを落としかけ、姉さんは目を見開いている。
「どういうことかご説明願えますかな?」
「はい。マーガレット嬢が我が主、フレデリック第二王子殿下から求婚されていることは既にご存知ですか?」
「えぇ。この前殿下直々に危険を承知でお忍びでいらっしゃって臣下である私めに直接頭を下げられましたからな」
「我が主は、今回のマーガレット嬢との婚約のことを本気で成し遂げる気です。そのためには19代国王陛下のされた約束をどうにかしなければいけません。現実的なのは爵位を落とすことですが、あと一歩のところでマグワイアの弟君が囚われているため間に合うか怪しいところです。そしてもう一つの条件、これは殿下に僕が止められているので、僕はあくまでマーガレット嬢のご意思に従う、としか」
そこで意思を確認するかのようにちらり、と視線を自分に向ける少年に答えるように姉さんは口を動かした。
「あ、姉は――」
「声が出ないことは存じていますので平気です。マーガレット嬢はなんと?」
「第二の条件を成就させたいと。殿下に気持ちを伝えたい、と申しております」
姉さんは殿下の隣に立つつもりだ。そしてそれに反対する気は俺にも父さんにもない。
確かに実際に婚約者になった後の城内での差別は厳しいだろう。姉さんは身分においても、そして魔法が使えないという意味でも、声が出ないという意味でも、多くの難癖つけられる点を持っている。きっと多くの苦労が待っているだろう。
でも姉さんはそれも全て考えて、分かった上で俺と父さんに殿下への気持ちを述べ、結婚を許してほしいと言ってきた。
元々俺は、姉さんがそれを乗り越えられるだけの精神的強さをもった女性だと思っているし、これまで苦労して来た姉さんには想う相手と一緒になって女性として幸せになってもらいたいと思っている。
それに加えて、相手が「王家の人間である」ことは、姉さんにとってはとても都合がいい。
姉さんの持つ「魔力過多」の障害は、遺伝する。しかし、これは「本来の器よりも大きな魔力を持つこと」に由来して起こるものだ。
王家の人間の器は、この国の人間の中で一番大きい器で、しかもなぜか王家だけは「弱い方に器が合わされる」という一般的原則から外れる。
つまり、姉さんがもし殿下と結婚して、子供が生まれた場合、その子は王家の器を持つことになる。そうなれば、姉さんのような障害を負うことはない。
だから俺や父さんは姉さんから話を聞いた時、むしろ内心万々歳だったのだ。
姉さんの望む相手が誰になるか見当もつかなかったため、この「障害の遺伝」という事実を姉さんは知らない。姉さんが結婚するときまでは、その辛さを知ってほしくないと望んだ父さんが伝えていないからだ。そしてそれはこのまま伏せられるのだろう。
「そうですか。では夜会に入る手段を考えましょう。それはそれほど難しいことではないので、またおいおい僕から連絡いたしましょう。その上で、なのですが。僕は、結構用心深い性格なので、第一の条件、第二の条件だけでは安心できないんですよね。それで今回の話を持ってきたのです」
話が飛んだことで首を傾げる姉さんに少年は続ける。
「条件が成就できなかった場合でも、マーガレット嬢が殿下と結婚する方法はあります」
「!」
「簡単なことです、条件が成就できないのなら『マグワイアの令嬢と結婚する』という約束そのものを『マーガレット嬢主体で』果たせればいい。そのためにはマーガレット嬢にマグワイア家に一時的とはいえ、入っていただかなくてはならないのです」
念には念を、ということか。
父さんはふぅむ、と考えてから先を促す。
「しかし、マグワイアがメグを養子にいれることはないでしょうな」
「ええ。それはもちろん、現当主はそうでしょうね。ですが、今人質にとられているマグワイアの末の弟のヨシュア殿は違います。彼の『養子』になっていただこうと思っております」
「……なるほど。現当主を引きずり下ろしてその子を当主にする、ということですか。そしてさしずめ私は一時的な後見人、そしてこの問題が片付き次第、私がその子の本当の『養親』となって、その子をアッシュリートンに入れろ、とそんなところですかな」
「話が早くて助かります」
「……いいでしょう。呑みましょう。ただし、ユージーンが学園で生活しているという暗示を全校生徒にかけること、ユージーンの卒業証明を取ることを条件になら」
「それくらい、大したことありません。お受けいたします」
父さんは一人で納得し、直ぐに了承した。その父を見て満足そうに紅茶に口をつける少年。
いや、学園を詐称すれば退学になりかねないし、そもそも学園全員に暗示なんておいそれとできるものではない。それをこともなげに了承するとは。よっぽど成功させる自信があるのだろう。
この少年、さすがに天才魔術師と呼ばれているだけあるな。
「メグ、いいかい?」
姉さんの方は最初驚いていたが、父さんの質問に対してしっかりと頷いた。
私のためにありがとうございます、とその口が言っている。
と、少年のルビー色の瞳がこちらに向いた。
「ユージーン殿はこの話に異議はないのですか?弟君ができるということですが」
「別にありませんよ。父さんがここまであっさり頷いたのには驚きましたが、ヨシュア殿のことは知ってましたし、姉さんが殿下から求婚されたことや今の状況を見ればそれが合理的です。一番大変な当主と姉さんが反対しないのであれば特に俺に否やはありません」
俺は学園なんてくだらない生ぬるい水に浸かっていない。あんなところで学ぶよりもこの目で他国の動きを見て、国内の内情を把握し、経済や商業、そして溢れる政治的情報と裏の世界を知る方がよほど勉強になるからだ。身を守る術だって実地の方が身につくに決まっている。
父も俺がそれだけのことが成しうることを見抜いて俺の願いを聞き入れてくれた。父に連れられて初めて「外に」出たのが十歳のとき。一人で回るようになってからはまだ三年だが、小姓契約の本当の意味も、そして目の前の人物の個人情報も分かる程度には情報網を広げることができるようになった。
それと一緒に、何がこの場で一番いい手段なのか、効率的なのかを考える癖もついた。
この話を受けることで俺には何らのデメリットもないし、姉さんは目的を果たせる。反対する必要はない。
俺の返事に、少年は目を軽く見開き、それからくくっと喉の奥で笑った。
「あぁ、君は頭のよく回るタイプか。エルとは正反対のタイプなんだね」
唐突に変わった口調と妹の愛称が出てきたことに俺が面喰っている間に、少年は姉さんに書類に署名させてから言った。
「マーガレット嬢、この話は『誰にも』他言しないようにしてください。貴女には、皆の前で『自分がいかに殿下の妃にふさわしいか』を演説し、周りを納得させていただきたい。何を言っているのか、というお顔ですね。ご説明します。貴女は殿下の目指すものをご存知ですね?そして、殿下の考え方と同じ考えや思想を持っていらっしゃる。そうですね?」
頷く姉さんを見て、少年は続けた。
「貴女は男爵令嬢であり、魔法が使えなければ、声も出ない。そんな貴女は、今回19代国王陛下の約束を果たして、晴れて婚約者になれたとしても、きっと多くの苦労をされるでしょう。貴族たちの影での囁き、王城内の嫌がらせ、ひいては暗殺もありえます。もちろん、殿下が貴女の身を守るために精一杯動かれますし、僕やイアンを初め騎士たちも動くでしょう。それでも、それを完全に押さえることはできません。ではどうするか、守られているだけの弱い女と思われなければいいのです。貴女の聡明さを周りに認めさせて、殿下の妃たるにふさわしい素質を明らかにしていただくことが、貴族たちを黙らせる一つの道に繋がります。ご理解いただけましたか?」
「あの、いいですか」
「何でしょうか、ユージーン殿」
「よくよく考えれば、約束を達成させるという場合だって、末の弟君がいないと話にならないでしょう?俺の知っている限り、彼は見つかっていないはずです」
「あぁ、ご心配なさらず。末の弟君はまだ見つかっていませんが、必ず見つけてくれますよ。僕の優秀な友人と…可愛いペットが。彼らなら絶対に見つけて来るでしょう。ですからその点はお任せください」
そう言ってなぜか少年はくすり、と笑った。
「あともう一点、演説も何も、姉さんは声が出ませんが、それはどうするおつもりですか?」
「それについても対策はしてあります。当日、僕が作った、心の声を音声として発する魔法薬をマーガレット嬢にお渡しします。それを使ってください。マーガレット嬢、いかがでしょうか?」
少年の言葉を聞いた姉さんが再びしっかりと頷いたのを見て、少年は笑みを深めた。
「メグ、昔から言っているが、私はお前たちの選択を応援する。お前の決意が固いことはもう、こないだ聞かせてもらった。精一杯やりなさい。ここからはグレン殿と私とユージーンだけにしてくれるかい?」
父さんの言葉に姉さんが頷いて部屋を出ていく。姉さんも察しのいい人だからここから先が「自分に聞かれたくない話」だと分かり、かつそれに対して無駄に突っ込もうとはしない。
これが俺の無鉄砲な双子の妹などだときっと気になって気になって仕方ない、と言う顔で名残惜しそうに駄々をこねるだろうな。
姉さんが出ていってから、父さんがさて、と言うように一息置き、そして口調を変えた。
「今回のことだが、君はメグを駒にした、という理解でいいかい?」
駒?
「いえいえ、僕はただ大切な主の願いと、そして決意を固められたマーガレット嬢の想いを叶えて差し上げたい一心ですよ」
「君とは腹を割って話したいのだ」
「腹を割るも何も。申し上げたとおりです」
「じゃあ訊こう。君の作戦で言えばメグは演説するのだったね。確かにあの子は賢いから、上位の貴族どもを論破できるだろう。それは障害あるあの子の聡明さを貴族や王家へアピールするいい機会になるだろう。特に第一王子殿下は他人の評価にシビアな方だと聞いているからね、彼に認められてメグを守ってもらういい策でもある。……だが、それはリスクもある」
「リスク、と言うと?」
「あの子の思想は国教を批判し、今の国の根底を覆すものだ。人は自分の持つ価値観をそう簡単には変えられないものだよ。例えあの子の言ったことが正しいかもしれないと思う貴族がいたとしてもそれに納得できるとは限らん。反発するものはもっと多かろう。教会側からは危険分子として把握されるだろうしね。悪くすると暗殺のリスクも高くなるだろう。それをわざわざ皆の前で言わせる、それに意味がないと思うかね?」
「どういう意味でしょうか?」
少年は口元に薄く笑みを浮かべて父さんの返事を待っている。
父さんを試すかのように。
「君は、メグにそれを言わせて、この国を変えようとしているのだろう?」
「……ふふふっははは!」
その途端、少年は声に出して大笑いしてから、喜色満面になった。
子供が大好きなお菓子をもらったかのような可愛らしい笑顔なのに、俺はそれにうすら寒い物を感じた。
「いいですね!さすがアッシュリートン男爵。どうしてこんな田舎に引きこもっていらっしゃるのか」
「生憎表舞台は嫌いでね。こちらの方が動きやすいのだよ」
「確かにあそこに立っていると窮屈で仕方ないです」
「君はご両親の意思を継いだのだね」
「…あぁ、ご存知なのでしたね、僕の本当の両親を」
「一番の友人だったよ。君のご両親も。そして陛下夫妻も。植物が大好きで優秀な育成師だったのに女性であるというだけで宮廷植物育成師の道を断たれた公爵家のご婦人の庭に忍び込んでは身分など無視して遊ぶ仲だった……昔の話だがね」
父さんが一瞬遠い目をするのを冷静に見た少年は冷めた口調で言った。
「確かに僕の考えは皆さんの目標を継いでいるかもしれませんね。でも僕はフレディにこの話を聞いてからそれに共感している一人ですから、両親の影響は受けていませんよ。そして今はフレディのため…そして自分のために動いているまでです」
「ようやく腹を割ってくれたね」
「隠してもお見通しの方に隠す意味はありません。……お父君と弟君の前で言うのは失礼でしょうが、マーガレット嬢には駒になっていただく」
「……聞いていていい気はしないのですが、駒、とは?」
駒、とは聞き捨てならない。
俺が尋ねると、少年はよく聞いてくれた、と言わんばかりに暗い笑みを見せた。
「僕たちは……僕は、これからこの国をひっくり返します」




