38 小姓は話についていくので精一杯です。
「ハリエット様。お訊きしたいことがございます。ハリエット様は、結婚とはなんだとお思いですか?」
「は?結婚は結婚ですわ。親族関係を広げ、子供を作り、血を絶やさないようにするもの。なにか違いまして?」
「私は違うと思うのです」
当然だろうと言わんばかりのハリエット様を、姉様ははっきりと否定した。
「もしただ親族関係を広げたいのであれば、養子になるでも、義兄弟になるでも構いません。子供は神からいただくものではございませんから、なにも結婚する必要はございません。それでも、皆さま結婚なさいます。貴族も平民もそこに違いはございません。ではなぜ結婚するか。平民の皆様に訊きましたら、皆様悩みもせずに教えてくださいました。見えない気持ちの絆を形にするためだと。なぜ生きていくのか、その理由こそが家族だと。愛する者と共に生き、愛する者との間の子供を守り、幸せに生きていく、それが人生を豊かにするものだと、そう教わりました」
「それは下々の者の話でしてよ?貴族たる以上、そんな理想論ではいられませんわ。特に王族の皆様はこの国のために血を絶やしてはなりませんわ。そんなことも分かっていらっしゃらないなんて。これだから不勉強な者は恥ずかしいですわ」
ハリエット様が姉様の言葉を一笑すると、姉様は予想していたかのように続けた。
「そうですわね。王家や貴族は違うときっとここにいらっしゃる方々全員が仰るでしょう。ではお尋ねいたします。貴族の皆様が平民の皆様と違うのはなぜですか?」
今度は周りの上位貴族たちも話に加わる。
「私たちには魔力がある!魔力があるから他の者とは違って特別なんだ!」
「魔力がある、というのは特別なことなのですか?見た目がよい、学問ができる、絵画が誰よりも上手く描ける、剣に優れている……。これらは特別ではありませんか?」
「当たり前だ!」
「どうしてでしょうか?」
「魔力があるのは特別だと神が認めているではないか!」
「国教によればそうですわね。ですが神が愛した証拠が魔力だなどと、誰が言ったのでしょう?神が仰ったのでしょうか?その神の言葉を聞いた方がいらっしゃるのでしょうか?」
「そ、それは……国教の教えがそうだろう!?」
「確かに国教ではそうですわね。ですがだからと言って盲目的に信じてよいのでしょうか?それが本当か、その考え方に疑問を持つ方はいらっしゃらないのですか?現に他国の宗教はそう言ってないのです。どちらが正しいか比べた方は?」
「く、比べようが何だろうが、我が国が一番優れている!だから我が国の宗教こそが最も優れているんだ!」
「大体、信仰を比べようなどという発想が間違っているだろう!」
「そうだ!それこそ神への不敬ではないか!!」
「神とは信じるもの、神の教えである国教は疑いなく従うものだろう!」
「そうですか、そこまで仰るのならば、ひとまず国教が正しいといたしましょう。」
攻め立てられたことを気にしないように、姉様はふわり、と笑顔を浮かべた。
「そんな信心深い皆様は、国教が貴族に何を求めているか、骨の髄まで沁みて覚えておられると思います。不勉強な私めに教えていただけないでしょうか?魔力という特別の力を与えられ、神に愛された貴族は、愛されなかった平民の皆様に何をすべきと、国教は教えておりますか?」
その問いに、先ほどまで「宗教を疑う異端児」として姉様を攻め立てていた貴族たちがしん、と静まりかえった。
唯一、壁際に寄りかかった黒髪の騎士から低い声でぼそり、と答えが返った。
「貴族は平民を守れと、確かそう言っていたな」
「お答えありがとうございます、イアン・ジェフィールド様」
イアン様は姉様に呼ばれた後に僕と目を合わせ、小さく横に首を振った。
首を横に?――弟君は見つからなかったということか。
となれば姉様の演説がどれだけ貴族の方々を説得できるかにかかっている。
「学園を卒業され、国の仕事を果たしておられる皆様は、きっと誰しもが胸に刻まれている教えであると私も思います。ではここにいらっしゃる上位貴族の皆様は、平民の皆様のために身を削ったことはおありですか?」
「く、国のために働くことが…平民のためにもなっておろう!?」
「皆様は領主として領民を抱えていらっしゃると思いますが、その方々から感謝の言葉を受け取ったことはございますか?領民の意見を月に一度は直接聞く機会を作ることが王家によって定められていたはずですから、全く領民との関わりを持たないなんて、そんなことはできません。その話を聞いて、何か直接改善されたことは?」
「なっ、そんなこと……!」
「する必要がないと仰ることはできないはずです。神に愛された貴族は平民のためにこそ動くべきという教えに従うのであれば。ですが、日ごろ社交界で皆さまがお話になることに、平民の皆様の生活を憂いる発言があったのでしょうか。私のような貧乏下位貴族では豪華なお茶会や社交界に出られも致しませんから存じ上げませんが、たくさんのお金をかけて開かれるお茶会の影で、何人の貧しい平民の皆様が今日の食べ物にも困ってひもじい思いをしているか、考えた方はいらっしゃるのでしょうか。…貴族として爵位をいただいた以上、一番に考えるべきは領民です。それができないのであれば、貴族として特別である必要などない、と私は思うのです」
貴族が国教に執着するのは、国教こそが貴族が特別だと認める原典だから。
国教はこの国の歴史に残る、最も根深いものでこれをひっくり返すことはなかなか難しい。だから貴族たちはそこに安住した。
しかし、貴族たちは国教を伝家の宝刀として使っていく過程で、「平民を愛すること」を条件にしているという大事な部分を過失で、あるいは故意に落としたのだ。間違った理解がぬかるんだ泥のようにしみわたり、それを見直しもしなかったせいで「宗教があるから特別なのだ」と平民を搾取することに何の疑問も持たなかった。
でも姉様は今、国教自体が今の貴族にとっては諸刃の剣になると示した。
と、そんなところだろうか。
僕の頭では姉様やグレン様のように理屈を捏ねることができないから、こうやって聞いてついていくので精一杯だ。
逆に言えば僕でもここまでは分かるのだから、分からないと上位貴族の皆様は学園平均値の僕よりも劣っていることになりますよー。
もちろん、姉様の話じゃなければ僕は途中でお休みの世界に旅立っていただろうからついていくも何もなくなるのだけど。
「今の話から、神の教えを守っていらっしゃらない貴族の皆様方は特別の地位にある前提を欠くことになります。では話を戻しますが、貴族の皆さまが平民の皆様と同じ立場にあるとして、はたして結婚の意味に違いをもたせる必要があるでしょうか?貴族の女性が当主の命令に従って貴族の親族関係を広げるのは、最終的には平民のためだからこそ意味があるのです。根本が崩れた以上、貴族であることは、平民の皆様が言うような結婚の本質、想いを形にすること、これを妨げる事由にはなりえないと思います。そうであるならば、貴族の女性であっても、好きな方に想いを告げ、想いを通わせてよいと私は思ったのです。ですから、私もこの場を借りて、申し上げさせていただきたいのです。殿下」
姉様は貴族全員を見渡していた目を殿下に合わせた。コバルトブルーの瞳と翡翠色の瞳が交錯する。殿下が狂おしく姉様を見つめ、姉様が口を開こうとしたとき、声が遮った。
「お待ちなさい!そ、そういう理屈なら私だってそうよ!私だってフレディを愛しているわ!」
ハリエット様は目に涙を溜めて、姉様を睨みつける。先ほどの高飛車な様子が消え、単に好きな男性を取られそうになって怒る女性の姿がそこにあった。
きっとハリエット様は本当に殿下のことを想っているんだろう。
なら姉様はどうするんだろう。
「はい、ハリエット様。私もハリエット様も同じお気持ちですね。それではここからは、正々堂々、どちらが『王家の妃』として正しいか、比べていただきましょう。嘘は一切なしです、神に誓って。よろしいですか?」
「か、構わないわ!」
姉様が優しく微笑む。でもそれは対等な立場に立ったライバルへの、姉様の絶対負けないと決めているときの笑顔だ。僕にだけだろうけれど、それが分かる。
姉様が梃子でも動かないと決めたときの笑顔は、綺麗でいて、とても強いから。
「ハリエット様は、殿下の何を愛していらっしゃるのですか?」
「そ、それはっ!全部よ!」
「殿下個人を愛していらっしゃるのですね?」
「えぇ!」
「ご容姿も、お人柄も、持っていらっしゃる素質も、全て、とそういうことですわね?」
「そうよ!」
「では不敬ながらも仮定の話をさせていただきます。もし殿下が何らかの事情で平民であられたら、ハリエット様はそれでもついていかれますか?」
「あ、当たり前じゃない!」
「では、平民の生活がどのようなものかお教えいただけますか?」
「は……?そんなの知らないわよ!」
「今のように、誰かに服を着せてもらうことも、体を洗ってもらうこともございません。美味しい食べ物も勝手には出てきません。お茶会もなければ、美しいドレスもないでしょう。朝早く起きて、汚いものを自分の手で洗って、または動物から恵みをもらって、それを自ら調理して。そして夜寝るまでは同じ平民の方とたくさんの話をし、時には怒られ、時には理不尽なこともされながら、それでもお金という生活の糧を得るために働きます。そして夜はへとへとになって、眠るのです。手は水仕事でぼろぼろになりますし、重いものを運べば腰は痛みます。それでも愛しい人と共に生きる、ただそれだけを一番の支えにして、毎日忙しく生きていく。これが平民の皆さんの生活の一例です。かの方々はこれが普通です。どうですか?同じことはできますか?これを『苦しみ』と感じるのではありませんか?」
「うっ、あ、あなただって……!」
「私は貧乏な男爵家ですので、今も同じようなことをしておりますから。水仕事はしておりませんが、動物の世話はしておりますし、平民の皆さんを手伝って畑仕事もいたしますの。ですからこれらを苦痛に感じることはありません。『当たり前』だと思っております。」
「……か、仮定だろうがなんであろうが、フレディが平民になるなど、そのような話は世界がひっくり返ってもありえないことですわ。フレディは王子殿下。それが前提。そのようなお話など意味のないモノですわ!卑しい生活をしていることを自慢しないでちょうだい!」
姉様に言葉を封じられたハリエット様が、ギッと姉様を睨みつけ、糾弾すると、姉様は今度も落ち着いて続ける。
「では次に王家に入ることを考えてみましょう。王家に入っても、今までハリエット様が過ごされてきた好き放題の生活はできなくなります」
「は!?だって、王家は貴族の上で……!」
「えぇ、貴族を束ね、お子様を生んで、血を繋ぐ。その通りでございます。ですがそれだけでもございません。この国の外には他二国もありますし、流民の方もたくさんいます。国に危険を及ぼす魔獣や盗賊もたくさんいるでしょう。それらとどう接し、どう国民の皆様を守るとお思いですか?外国とこれらの交渉をし、国内の制度を整え、国を育てていく。それが王家の方々のなされていることです」
「そ、それは男性がやることでしょう!?」
「いいえ。ではなぜ現王妃様が国王陛下と共に臣下の皆様と接見をされているのですか?外国との交渉事に国王陛下と一緒に行かれるのですか?なぜプリシラ様が言葉も文化も異なるこの国にいらしているのですか?プリシラ様がライオネル殿下と共に母国であるアッセンブリ―皇国との交渉をされるのですか?王家の女性の方が後宮で日がな一日お茶を召し上がり歓談して過ごしていらっしゃるとでもお思いですか?」
「ぐ……」
「王家に入るとはそのようなことだと、婚約者第一候補であるハリエット様はご存知であったはずです。どうしてその覚悟なく、殿下の妻になどなれましょうか。先ほど私自身で申し上げたことを少し訂正いたしましょう。気持ちは大事です、女性が想う相手と気持ちを交わすことが自由にできる社会であればいいと私は思います。ですが、それはそのお相手の方と同じ重荷を負うことを理解し、共に辛酸をなめる覚悟で申し上げるべきです。それが女性のあるべき覚悟だと、私は考えました。それを踏まえて、私は今一度申し上げたいのです」
今度こそ、姉様は殿下にその真っ青な美しい瞳を向けた。
そして、美しく、嫣然と、微笑んだ。
「フレデリック第二王子殿下。私は貴方様のことを心よりお慕い申し上げております。どうか、貴方様の背負うものを私にも負わせてください。貴方と共に生きることを、私にお許しくださいませ」
姉様が殿下の前で臣下の礼を取った。




