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小姓で勘弁してください・連載版  作者: わんわんこ
第一章 出会い~婚約解消編(15歳)
36/67

36 小姓は事態を見守ります。

 グレン様の控室で過ごし、とうとう時刻になった。


「ナタリア、僕が伝達魔法を飛ばしたらよろしく」

「まっかせときなさい!大船に乗った気分で20ミニ()待つといいわ!本場の舞台設定はエル、あなたに。そしてなにより今回の件の成功するかどうかは姉様の肩にそれぞれかかっているの。気合を入れて頑張ってきてね!」


 ナタリアの言葉に僕と姉様が力強く頷いて、部屋を出て会場へ向かう。会場が見えてきたあたりで止まり、小姓である僕のすぐ後ろに続く給仕姿の姉様に最後の激励をかける。


「姉様。これはグレン様から先ほど預かった丸薬なんだ。思っていることが音声として出るんだって。でも持続時間は20ミニ()だから気を付けて。会場に着いたら僕が個人的に『姉様』と呼びかけることができなくなると思うし、夜会のホールは舞台というよりは戦場だけど、王子様(ヒーロー)の登場までは僕が姉様専属のナイトだよ。僕がいるってことを忘れないでね」


 姉様の顔は見ずに前を向いたままそう言えば、姉様が頷いて手に丸薬を握りしめた気配がした。


 よし、行こう。


 僕が夜会の会場の護衛に声をかけ、その扉は開いた。





 会場(戦場)は優雅な音楽と煌びやかな光に溢れた場所だった。

 いたるところに魔法で生み出された光が灯り、煌々と場内を照らす。一体いくらかけているんだろうと聞きたくなる色とりどりのドレスと、黒いタキシードの山が、敷き詰められたふっかふかの絨毯の上で歩き回り、踊る。がやがやとまではいかないまでも人の話す声が一つの音楽のようにざわめきとなって僕の耳に入る。

 部屋の隅の立派な大理石の机の上にはたくさんの美味しそうなお料理とお酒が並び、立食できるようになっているのだが、さすがの僕も今は胃に物を入れられない。きっと食べたら今日の目的を全て投げ出して不浄場(トイレ)に行く羽目になる。


 本日の主役であるフレデリック王子殿下は壇上に座った王太妃殿下と話をされている。そのお隣が空席であるところを見ると、国王陛下はまだいらしていないらしい。

 国王陛下の傍近くの席には、殿下とよく似た黄金色の髪に、紫色の瞳の美丈夫と、そのお隣に胡桃色の髪に桃色の瞳の美女がいらっしゃる。おそらくあの方々こそが、この国の第一王子、ライオネル殿下と、そのお妃様のプリシラ様だろう。

 王家の方々をこうやって拝見するのは初めてだけど、あの方々の前でこの夜会をこれからぶち壊しにすると考えたら僕の胃痛がより強くなった。



 その僕はさりげなく距離をとりつつ姉様を窺っている。

 あたりの貴族様は当然僕より爵位は上だし、僕は小姓の立場なので、使用人よりはやや上くらいの位置合いだろうと把握している。だから近くに貴族のご令嬢や紳士のみなさまが通りかかるたび、手を胸に当て、15度を意識してお辞儀をして通り過ぎながら姉様を追う。

 姉様はカモフラージュのために飲み物とお盆を持ち、貴族様の間を縫うように歩いている。

 使用人には大抵「その飲み物をちょうだい」くらいがせいぜいで、返事を求める者はあまりいないので、特に姉様の口が利けないことは問題になっていない。



 しかし、不幸にして、姉様の容貌は、使用人にしては美しすぎ、そしてその立ち居振舞いは、使用人にはあり得ないほどの淑女らしさだった。

 通りかかるたびに多くの主に紳士の皆様に飲み物を頼まれ、姉様は小さく微笑んで飲み物を渡す。使用人だから声をかけるのは恥ずかしい、という見栄のおかげで姉様が大っぴらに口説かれることはないけれど、予定よりも早く多くの男性の目を集めていた。

 紳士方の目が集まれば、自然、ご令嬢方も何かしら?という様子でその視線の先を追う。

 その波は次第に広がって、本日の現主役兼近い未来の敵対者であるハリエット・マグワイア様も「何があったの?」というように辺りを見渡し始めた。

 殿下は、王太妃殿下との話を終えた後は、ハリエット嬢の隣で微笑んで貴族の方々の挨拶を受けておられたのだが、視線の先を追って、はっとしたように一瞬表情を固められた。


 殿下は姉様が今日ここに忍び込む計画のことなど当然知らない。

 知ったら絶対止めるから説得が面倒、とグレン様が教えないでいたそうだ。面倒くさがりのご主人様らしい。

 おそらく今頃殿下は内心、仰天し、姉様になぜ、と問い詰めたい気持ちを抑え、これを計画したグレン様と止めなかった僕を何度も罵倒し続けているのだろうが、それらをおくびにも出さず、何食わぬ顔をして挨拶を続けられる。


 よし!さすがに頭は回るよね。よかったぁ、ここで何も考えずに飛び出していくようなアホ王子じゃなくて!


 と僕も一時はほっとした。


 しかし、女心というのは時にいつもは聡明な人物を変えてしまうものらしい。

 殿下と一瞬だけ結んだ視線が、殿下からさりげなく外されたことに、姉様の方が存外ショックを受けたようで、分かりやすく顔が固まった。軽く苦し気に眉根を寄せ悩まし気にため息をつき、伏せられた睫には、小さな滴の粒がついている、ように僕には見えた。


 そして姉様探知犬のような殿下は、その姉様の寂しそうな様子をきちんと把握してしまわれた。

 一度でも姉様を傷つけてしまったことが気になり始めたのか、今度は一瞬どころではなく、ちらりちらりと視線を姉様に送られるようになる。


 ここまでくると、女の勘は当然のように異常事態に気付いた。

 ハリエット様は、周りに「ちょっといいかしら」と告げて、高いヒールを難なく履きこなし、上位貴族らしく最低限の優雅さを保って、それでも苛立ちを隠しきれない歩調で姉様の元に一直線に歩いていった。

 そして姉様の前に立って言った。


「あなたは誰なの?」


 ハリエット様に前に立たれた姉様は言葉を発しない。今は使い時でないと分かっている丸薬はまだ飲んでいないようだ。

 何も物申さない使用人に、ハリエット様の怒りのボルテージは上がっていく。


「答えなさい。あなたは何者?フレディとはどういう関係?」

「………」


 それでも答えずじっと自分を見つめる姉様を見て、ハリエット様の泣きぼくろのある色気のある白い頬に朱が上り、赤い唇が悔し気に噛みしめられ、少し細めの二重の瞳がすっと眇められる。眉間に皺が寄っていないのは、美肌体操の賜物か、それとも貴族社会で面の皮が厚くなっただけなのか、僕には判断はつかない。

 ただ分かるのは、今ハリエット様は大層お怒りだということだけだ。

 それもそのはず。彼女は侯爵令嬢。蝶よ花よと育てられ、欲しいものは何でも与えられてきた。相手に無視されることなど考えもしていない。

 そんな彼女が常日頃見下している使用人ごときに歯向かわれたら、その怒りは容易に頂点に達する。


「あなたは誰、と訊いたのよ。それとも答えられないのかしら?」


 それに対して頷く姉様。

 姉様が頷いたのは「単に物理的に声が出ないから答えられない」からなのだろうが、ハリエット様は「お前などに答えてやる義理はない」と受け取ったらしい。


「いい度胸をしていること。私を誰か分かっての無礼なのでしょうね?」

「………」

「最近、フレディの態度が前にもまして冷たいと思っていたけれど、こういうわけだったのね。」

「………」


 目の前の一方がひたすら責めなじり、一方が静かで表情すら落ち着いているという妙な戦いに目を奪われつつも、僕はナタリアにそっと伝達魔法を飛ばした。


「あなたは平民?貴族位もあるかもしれないけれど、所詮下の位でしょう?」

「ハリエット嬢、そこまでにしておけ。使用人にそこまで構う必要はないだろう?」


 やってきた殿下がハリエット様を止められるが、ハリエット様の一度高ぶった怒りは、姉様を貶めるまで鎮火しないのか、止めようとされた殿下の腕をぴしゃりと持っていた扇で叩いた。


「フレディは黙っていらして。そもそもあなたのふしだらさが問題の原因でしょう?」


 その途端、殿下が仮面を被ったように無表情になる。

 殿下は別にハリエット様と正式に婚約していたわけでもなければ、恋愛禁止だったわけでもない。条件は殿下の恋愛を認めていたからだ。元々ハリエット様のことを好きであったわけではない殿下から見れば、これは不貞でもなければ浮気でもない。

 それどころか姉様に対しては見事に純情一本で攻めていた。

 行ったのは手紙のやり取り、会ったのは二度だけ、それも護衛と身内()友人(イアン様グレン様)後輩(ヨンサム)付き。

 口説くのも精一杯。気持ちを届けてなんとか両想いになりたくて、弟にすら子供っぽく嫉妬する。一緒にいられた時間を名残惜しんで別れの挨拶が長くなる。

 そんな初々しいやりとりを何も知らない彼女に「ふしだら」と言われ、殿下もさすがに気分を害されたらしい。


 あぁ、怒っていらっしゃる……!殿下も怒ると怖い人だ……!激情するタイプよりもこういうタイプの方が怖いというのは知っている。

 ちなみにグレン様は本気で怒ると笑うタイプだ。一番恐ろしいタイプだと認識している。


「平民か下位貴族風情の下賤な女が王家の者を誘惑した、とそういうわけね。そしてこの顔とその体に惹かれたフレディが過ちを犯した、と。そういうことね。ふふふっ、朴念仁だと思っていたけれど、フレディも性欲は一人前にあるものだと気づいてほっとしたわ。だってこれからそれは私の大事な役割なのだもの。でも遊びはお終い」


 殿下の怒りに気付かないハリエット様は顔を歪めて笑った。

 どうやら怒りが頂点で殿下のことを王家の皆様の前で愚弄していることに気付かないらしい。余裕のありそうな言葉の割に悔し紛れな様子を隠せていないことからも、彼女が直情的なところがあることが僕にすら分かる。

 向こうの方から慌てた様子のマグワイア当主と見られる肥ったおじさんが走ってこようとしているが、この見世物に集まった貴族の方々の壁で通れない。そしてハリエット様が言った。


「そこに土下座して私の靴をなめなさい。そうしたらこれまでの私への無礼は全部水に流して忘れてあげる。寛大な私に感謝なさい」


 高みから見下ろすかのようにそう言い放ったハリエット様を、正面から見た姉様は、はっきりと首を横に振って、そして、殿下に向けて微笑んだ。

 私は大丈夫です、とそういうように。


 その途端に、ハリエット様の堪忍袋の緒は切れた。

 ハリエット様の扇が高く振り上げられる。


「……っ!!この期に及んでも自分の立場が分からないのなら分からせてさしあげるわ!」

「やめろハリエット嬢!」


 殿下の制止も今一歩間に合わず。


 バシン!


 という肉が殴られる音が、しん、と静まり返った会場に響いた。

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