35 小姓は託されました。
決意を固めたところで、女三人で作戦会議に入る。
「理想を抱えるだけじゃ現実の問題は解決しないから、早速姉様がどうやって夜会に忍び込むかを話したいんだけど……」
「それに関しては問題ないわ」
ナタリアが即座に僕の言葉を遮って自信満々に胸を張った。
なかなか発育のよろしいお胸でいらっしゃる。肋骨の上にわずかな筋肉と皮だけしかない僕が隣にいると、いい比較対象になって高さが測れそうだ。もしナタリアに伸び率の賭けを申し出られたら、僕は胸ではなくて身長で賭ける。たった一歳しか違わないのにこの差はなんだろう。
う、羨ましくなんかない!僕はこの、男子と間違えられる胸のおかげで学園での男装生活を二年間もつつがなく終えられているんだから!
なんとも関係ない部分に思考を飛ばしていた僕にナタリアが続ける。
「私がエルから話を聞いて何もしなかったとでも思っているの?超特急でメグ姉様が夜会に忍び込むための作戦を考えたわ」
「えぇ!?あの時点ではまだ姉様の気持ちなんて分からなかったのに?!」
「もう、エルはほんっとに鈍いんだから!メグ姉様のお気持ちなんて最初にメグ姉様からお手紙もらったときから固まっているに決まってるわ!決意がここまで遅れたのは単に周りの事情のせいだなんて一目瞭然じゃない」
「そ、そんなものなのかな……。よく分からないや……」
僕のつぶやきに、ナタリアは眉を寄せてため息をついた。
「これはエルの時は大変ね……」
「どういう意味?」
「そのままよ。それより今はメグ姉様のことでしょ。時間がいくらあっても足りなくて、授業時間まで考えてついに思い付いたの。メグ姉様が給仕係として王城に忍び込めばいいのよ」
「給仕係?」
「王家の夜会とはいえ、今回は第二王子殿下の婚約発表という大規模なもの。給仕係が足りなくて公募しているくらいなのよ。そこに紛れ込むの」
「確かに忍び込むことはできるけど、それだけじゃ姉様は辺境伯以上の方たちが集まるところで給仕服で演説することになってしまうよね?」
「えぇ。もちろん、こんなに美しくて魅力的なメグ姉様にそんなみっともない舞台は用意できないわ。だったら途中でドレスに着替えればいいの」
「待ってよ、ナタリア。着替えるってそんなに簡単じゃないんでしょ?ドレスを着るのにも、お化粧をするのにも、髪を整えるのにも時間がかかるよ」
「ふふふ、そこよ!今エルが挙げた中で一番表に出るせいで時間がかかるのは何だと思う?」
「……うーん、一番隠せないものっていうと……お化粧?」
「正解!これに時間がかかるのはどうしようもない。でもそこはこの15年以上の付き合いの私がメグ姉様のお美しさを最高に惹き立てるお化粧を最短時間で行う術を化粧専門のメイドと特訓したの。最初にある程度施しておけば残りは5ミニでやれるくらいまでにはなったわよ」
なんと。ナタリアは昔から手先の器用な女の子だったけれど、まさかそこまでとは……!
それにしても、身の回りの世話をやってもらう立場の男爵令嬢がそんな腕を磨いてご両親に怒られなかったのだろうか。
「それから髪についてなのだけど、メグ姉様のこの蜂蜜のような輝くブロンドは前面に押し出すべき。だから編み込みよりも流した方がいいわ。そうすると、給仕係の状態では固め剤やピン無しで纏めておいて、1本の櫛を抜けば流れるようにさえすればいいんじゃないかって思うの」
「じゃあ服は?ドレスって確か、コルセットとかそういうのなかったっけ?」
僕は5歳以降男装なので、実はコルセットやらなにやら、女性用の服を身に着けたことはない。
大層締め付けて痛いらしいという不評しか聞いたことがないので、聞くたびに「男で――じゃない、男装でよかった」と思ってしまう。
そんな外見男、中身も男になりつつある僕の質問にナタリアは得意げにふふっと笑った。
「服って布の集まりでしょう?集めるのは大変だけど、取るのは簡単にできるはず。そこで考えたの。あるリボンを引けば簡単に脱げる給仕服は作れないかしらって。ここはハットレル御用達の信用のおけるお店に頼んで、ハットレル家メイドたちも総出で全員で頭を捻ったところよ。そしてそれがやっと昨日出来上がったところ。予め下にコルセットを着けた状態で給仕服を上に着て、着替えるときにリボンを引っ張って一瞬で給仕服だけ脱げば、あとはドレスを着るだけになるわ」
用意周到具合に頭が上がらない。僕が姉様のことを伝えたときにそこまで考え、そしてそれを実行に移していたところが彼女の強みだ。ユージーンの未来の妻は恐ろしい。
「待った!そういえばドレスはどうするの?王家の夜会で着られるような高級ドレスなんてうちは持ってない、よね……?」
『大丈夫よ、エル。グレン様がね、届けてくださったの』
「え!?グレン様が?!」
『えぇ、こんなこともあろうかと、って頼んでくださっていたそうなの。サイズだけあとから微調整してもらって、昨日直したものを届けていただいているわ。エルの礼服もこちらに届けてくださっているのよ』
確かに。あの、他人の嫌がることが大好きで、人への嫌がらせにかけては天下一品のグレン様が二重三重に罠を張っていないはずがない。殿下には言わないと言っていたけれど、最初から第二の条件のこともある程度想定していたに違いない。
我が主のいやらしさへの信頼感は抜群だ。これぞ、主従の証。
「じゃあ問題は解決、だね?」
「それがそうでもないのよ」
先ほどまでの自信に満ち溢れた姿はどこへやら、ナタリアはしょんぼりとそこで肩を落とした。
「そこまで計画して服まで作ったのに何が問題なの?」
「時間。移動も含めてどうしたって全部で20ミニはかかってしまうわ。その時間をどうやって取ろうかって、そこだけがどうしても思いつかなくて……」
それを聞いた僕は自分のまっ平らな胸をとん、と叩いた。
障害物がなくて直に肋骨と胸骨に響いた。
「分かった。ナタリア、そこは僕に任せて。当日は給仕係に扮した姉様の傍で腹話術をするつもりだし、何とか機会を作るよ」
「機会を作るって……。大丈夫なの?」
「大丈夫じゃないことも乗り越えられるような鍛えられ方をご主人様にされているからなんとかなるよ」
僕が自信を持って頷くと、「さすがグレン様ね」と実体を分かっていないナタリアが明るい声を出し、姉様が微笑んだ。
本当は、「大丈夫じゃないことも大丈夫にしないと、単にその後の僕の体が大丈夫じゃないことになるから、死ぬ気でなんとかする」というだけの話なのだけど、あえて言わないでおいた。
それからは、女だとばれないか肝を冷やすこともなくゆったりとお風呂に浸かり、仮眠を取って夕方まで備えた。それまで幾度も窓の外を見て、イアン様から弟君を見つけたという連絡が来ないか待っていたのだけど、待てど暮らせどそのような連絡はついに来なかった。
「エル、似合うわ!かっこいい!!」
「そうかな……ありがとう」
夕刻。グレン様に作っていただいた礼服姿の僕と、お手製給仕服に身を包んだ姉様、同じく小間使いの衣装のナタリアと一緒に王城まで馬車で向かう。
「いよいよ、なんだね……。姉様、大丈夫?」
『平気よ。エルの方が緊張して強張っているように見えるわ。大丈夫?お腹痛くない?ご不浄場行かなくていいの?』
「姉様、僕はもう15歳だからね。年齢を10歳引かなくて平気」
大体姉様は一度開き直ってしまうと誰よりも強いお方だから今更震えるも何もない。でも僕は善良で平凡な一市民だから、これからたくさんの人たちの前で舞台狂わせをすることを思えば知らず、武者震い…どころか痙攣してしまう。
とはいえお腹が痛いからと言ってやめられるものではないので、首を横に振る。大体今痛いのは胃であって、腸ではない。不浄場に行って収まるものじゃあ絶対にない。
「だーいじょうぶよ、エル。計画に抜かりないわ。あとはその場の運次第ね」
ナタリアもそんな僕を見てあっけらかんと言って笑った。
アッシュリートン家の女性、及び入る予定の女性の精神は鋼の如し。
僕?僕は男子も同然なので、ふにゃふにゃです。
王城では僕がグレン様の小姓であることを伝え、グレン様からもらっている紋章入りの手紙を見せれば、「御付きの二人」と一緒に入ることは簡単に認められた。
そのまま殿下のご友人であるグレン様に特別に与えられた控室に行くと、高級なタキシードを完璧に着こなす麗しきご主人様が立っていた。
さすがは世を騒がせる美少年貴公子。
さらりとした直毛のトパーズ色の髪は整えられ、襟元に添えられた指は繊細で細く、美しい。
その大人っぽい出でたちのせいで普段のまだ少年とも間違われる可愛らしいお顔になんとも言えない色気が加わっており、ユージーン一筋のナタリアが思わずほう、とため息をついたのが聞こえた。
ドアが開いた音に気付いたグレン様は燃え盛る炎のように真っ赤な丸い瞳を細めて微笑むと、優雅に歩み寄って姉様とナタリアの手に小さく口づける。
「今夜はこれほどお美しいご令嬢方にお会いできて光栄です。先日はきちんとしたご挨拶もできないまま帰ることになってしまい、申し訳ありません、マーガレット嬢。そしてお初にお目にかかります、ナタリア・ハットレル男爵令嬢。以後お見知りおきを」
「なんて素敵な殿方なんでしょう!世の令嬢方が一挙手一投足に注目しているという噂が噂ではないとこの目で確かめられて光栄ですわ、グレン・アルコット様」
「ぶふっ!――あ、笑ってごめんなさい、グレン様。あまりに気持ち悪――いえ見慣れなくて。えー姉様は、先日は大変お世話になりました、そして今日も多大なご迷惑おかけいたしますことをお許しください、と申し上げております」
「いえいえ、僕の方こそお礼を申し上げなくてはいけないくらいですからこれまでのことはお気になさらず。お二人はどうぞ時間までごゆるりとここでおくつろぎください。僕は可愛い小姓と少々話がございますので。おいで、エル」
最後の「おいでエル」だけ温度を感じさせない声音だったなんて、なんと器用なお方なんだろう!
精一杯抵抗する僕をいとも簡単に引きずって続き間の部屋にまで連れて行ったグレン様は、姉様たちに向けていた笑顔のままで僕に振り返った。
「さて。四分の一月ぶりに会った大切なご主人様の行動を見るや噴出した僕の可愛い小姓は、まず僕に述べるべきことがないかな?」
「えーっと、中身が真っ黒の外面紳士のグレン様はご令嬢方を口説かれるときにいつもああしていらっしゃるんだなぁと感動して、今後夜会に出る時のため、小姓としてその手腕を是非とも身に着けたいと思いましたうぎゃあああうううう!いたいいたいいたい―――!」
「なるほど、僕とこういうスキンシップが取りたいと態度で示してくれたんだね。短い時間だけどご期待に添えるよう僕も頑張るよ」
「おやめくださいっ!頭を拳骨で力いっぱいぐりぐりするのは女子には許されないと思いますっ!!」
「お前が女として扱ってもらいたいなんて知らなかった。じゃあ早速今日この夜会できちんと紹介しなきゃいけないね。僕の小姓は可愛い『女の子』だと」
「ごめんなさいすみません僕が悪うございました!!」
「時間がないときに手間取らせないでほしいな」
「ならそういうお仕置きは後で良かったんじゃないですか…?」
「何言ってるの?こんな生ぬるいものでお仕置きが済んだと思ったら大間違いだよ」
「え……?」
「それはさておき、今は本当に時間がない。僕にはこれから行かなきゃいけないところがあるんだ。だから夜会の会場には遅れていく。イアンもまだ着いていないし、フレディは当然上座にいるからお前程度など近づけない。つまりお前一人でマーガレット嬢の傍を守らなきゃいけないんだ、分かってる?」
「はい。重々承知しております」
僕が真面目に頷くと、グレン様は僕の手に丸薬を押し付けた。
「これは?」
「思っていることを音声にできる僕が開発した魔法薬。効果は20ミニ。人体に問題はない。姉君に渡せ。今言ったことすら忘れそうなら今頭に掘るようにして刻みつけてやるからちゃんと言え」
「僕は髪の毛で文字を書きたくはありません!一部剃り上げるのも絶対に嫌です」
「何言ってるの、髪だったら刻むって言わないでしょ。刻むのは『肉』っていうのが定番だよ?」
「そんな定番初めて聞きましたよ!大丈夫です、しっかり入りました。でもなぜわざわざ?」
「演説を翻訳してもらうなんて、周りへの説得力が半減するでしょ?彼女には周りを制する圧倒的なオーラがある。もてるものは全て効果的に使わないともったいない」
そのままグレン様は部屋の扉に向かったので、慌てて小姓である僕が開ける。
「エル」
部屋を出る直前に止まったグレン様のルビー色の瞳が僕を射抜いた。
「僕の顔に泥を塗るようなことをしたら許さない」
「はい」
「逆に言えば、僕の顔に泥を塗らなければ何をしてもいい」
「は?」
「あの腐った貴族どもの顔に泥を塗りたくって来い。貴族のご婦人どもの化粧の如く、盛大に」
全くこの人は。憎まれ口をたたかないとやっていけないのかな。
まぁ、慣れたけどね。
「はい!」
僕が大きく頷くと、グレン様は小さく口角を上げて、僕の頭をぐしゃっと撫でてから足早に出ていった。




