33 小姓は王都へ向かいます。
おばあさんの体を支えながらイアン様たちと一緒に森を抜け、平地に出たところで一息つくことになった。もう既に太陽は頭上に輝いており、間もなく昼になろうかという時刻だ。
「すみません、昼になってしまいました。結局僕のために貴重なお仕事時間をいただいてしまいましたよね」
「ここんところ訓練もしていなかったし、いい訓練代わりだったぜ、なぁ!」
「あぁ!これから張り切って期限ギリギリまで探そうじゃねーか!」
「そっすね!短期集中の方がうまく行くってのは定番っすからね!」
「諦めが悪いのがイアン隊長の班の特長だしな!」
騎士様方が伸びをしている横で水を飲んでいると、イアン様が僕に言った。
「エル。お前は今から王都に向かった方がいい」
「嫌です。僕のせいで騎士様方の貴重なお時間が無くなったんです。おばあさんを送ってから僕も戻ってきて最後までお手伝いします。夜通し駆ければ夜会には間に合いますから」
「ダメだ。俺たちは日頃からこれくらいの日程はこなせるくらいの訓練をしているが、お前は違う。それ以上無理をしたら後に響く」
「まだやれます!見てください、しっかり立っているじゃないですか!だから僕にも……!」
僕の言葉を遮るようにイアン様が突然剣を抜いたかと思うと、それは次の瞬間に僕の首元に突き付けられていた。
「反応速度が落ちている。俺との稽古の時にはこの程度の速さの抜刀には対応していたはずだ。今のお前は精神力で疲れを誤魔化しているだけだ。グレンの看病をしていたと言っていただろう。ここに来る前、そしてここに来てから寝不足状態が継続しているということだ。それに加えてここ数日は一日中駆けまわる生活。昨日は数人がかりでやるような診療までしている。お前は限界だ」
「そ、そんなこと――」
「現状を見極め行動するのも一つの能力だ、エル。ここは一番の舞台じゃないだろう。お前が本当に行くべきところはどこだ?」
「そっちは僕のご主人様がやってくださいます。僕がやることなどありません。それなら微力でもこちらのお手伝いをした方が有効な人材分配だと思います」
「はぁ。これほど頑固者だとはな。もっと素直で可愛いかと思ったが見誤った……いや、最初からわりと生意気で失礼なことを言っていたか。そうでなければあのグレンの小姓などやれないことを考えれば道理だが――」
呆れた顔を一変させ、イアン様は低い美声で脅すように僕に命じた。
「ならば言い方を変えよう。王都へ向かえ。これは命令だ、エル」
「僕はイアン様の部下ではありません。僕に命令できるのはグレン様だけです」
「そのグレンからお前の体調を見て行き過ぎのときに止めるように言われている」
「そんなはずありません!グレン様は『死んでも結果を残せ。使えないやつはそのままくたばればいいよ。』と平気で仰るお方ですよ?」
「確かに他のやつらにはそうだな。でもお前には違う。予めこのメモも受け取っている。見ろ」
そう言ってイアン様が見せてきた紙には『もやしのくせに無茶したがる僕のペットの世話をよろしく。頭に血が上って周りを見られなくなってたら、元々大したこと詰め込まれてないスカスカの頭を殴って気絶させてでも馬に括りつけて送り返して。五体満足だったらいいから。無駄に抵抗したらこれを見せて』と書かれていた。
言い回しが疑いようもなくグレン様そのままだ。
「だから僕はペットじゃないって何度言ったら分かるんだろうあの方は!」
「最初に突っ込むのはそこなのか?」
「あと、頭もスカスカではありません!これでも専門特化科目は優秀なんです!」
「殴っていいと書かれているところはいいのか……」
「あの方は予告なくそれくらいしますから。書いてあるだけ良心的だと思われます。」
「そうか………そんなものか……」
その時だった。
ぴぃーっと声がして、ばさばさっと一羽の青い鳥が僕の腕に舞い降りる。
その子はこの辺りでは見かけられない種類で、アッシュリートンの近くにしか生息していない子だ。
その鳥さんは僕を見て嬉しそうに嘴を摺り寄せると、脚をくいっと出してきた。
「これは……」
脚には、小さい竹筒が二つついている。急いでそれを開けて、鳥さんの首を撫でてやりながらその内容に目を通した。
「申し訳ありません、イアン様。訂正します。僕に王都でやるべき仕事ができたみたいです」
「グレンから――ではないな。マーガレット嬢からか」
「はい。姉が王都に乗り込むと言ってます。もう出発したそうです」
「なに!?」
「僕たちの方が間に合わなかった時のためだと思うのですが」
これを姉様が僕に送ってきたということは姉様が「決意」を固めたということだ。
殿下への気持ちを認め、殿下の隣に立つために姉様ご自身が動くと決めたということ。
「なるほど。こちらの進捗が思ったほどでないことを誰かから聞いたのかもしれないな」
「グレン様ですか!」
「おそらく犯人はやつだろうが…あいつのせいでお前の姉君が動かされたのか?」
「……いえ。違いますね。グレン様に話を伺ったみたいですが、姉自身が訊いたようで…姉が自ら動こうとしています。僕、姉のところに行かないと」
「あぁ、それでいい」
イアン様がにこりと笑って僕の頭を撫でた。
「僕、ほとんど何もお役に立てなくてすみません」
「そんなことはないようだぞ。エル、周りを見てみろ」
「え?」
手紙から顔を上げると、そこにはものすごい光景が広がっていた。
見渡す木々には鳥たちがたくさん留まっていて、そのあたりの草むらからは僕たちのことを見ている小動物たちがいっぱい顔を出していて、森の方からは中型の動物がこちらを窺っていて、川付近からは昨日のワニさんとその仲間たちが半分身を乗り出していた。
距離をとってこっちを見ている動物たちの中から一匹、のそのそ、と動く影があった。
森から進み出たそのカメレオンさんが僕の前までやってきて、れろん、と僕のズボンを嘗める。
それを見たチコが僕から跳び降りて、何やら身振り手振りを踏まえてきゅうきゅう鳴いており、それをカメレオンさんがじっと見ている。
チコが動きを止めると、カメレオンさんは僕に背を向けてのそのそと動物たちの中央まで出ていって、のったりとした動きで一度僕を振り返った。
「え……あの、カメレオンさん……?」
カメレオンさんがそのままワニさんのところまで行って前で止まり、小動物たちの前に行って少し止まり、そしてその森のところまで戻っていって少し止まる。
すると動物たちは一斉に動き始めた。
あるものは飛び立ち、あるものは川に潜っていき、あるものは走っていく。
その様子に呆気に取られていると、チコが「きゅうっ!」と楽しそうに僕の頬を前脚で叩いた。
「イアン様、協力、して、くれる、みたい、です……」
「そのようだな。俺でも分かったぞ」
「僕、僕の気持ち……」
「あぁ、伝わった。伝わったぞ」
その普通ではありえない異様な光景に、ずっと胸にあったちくちくした痛みが消えていくような心地がする。同時に意図せず僕の視界も白くぼんやりと曇った。
「……うぅっ……うえぇ……」
「なーくーなー!エル坊、ここで泣いたらカッコ悪いだろう!?」
「そうだぞ、エル坊。男はここで決めるもんさ」
そんなこと言われても。僕は女だもん。
イアン様がそんな僕を優しく撫でてくださった後に、号令がかかった。
「よし、俺たちもどう頑張ってもあと半日だ。ギリギリまで探し尽くすぞ」
「はっ!!」
「エル。厩にいる元気のある馬を連れて行け」
「はいっ!あの、チコは置いていきます。この子がいればきっと動物たちとの意思疎通をしてくれますし、賢い子なのできっとイアン様のお手伝いもできるでしょうし……」
「それは助かるが、いいのか?」
「チコ、いい?」
「きゅう」
チコが僕をぺしんと尻尾で叩いて了承の意を示してから再び地面に跳び降りてイアン様の傍に駆け寄った。
僕以外の人間の体に安易に乗ることはないけれど、それでも人間に協力してくれる魔獣のチコの存在は大きい。
「坊」
涙でぐしょぐしょの顔を拭いていると、おばあさんが声をかけてきた。
「おばあさん、すみません。お送りできないです」
「いいさ。私はどうせしばらく休業さね。ゆっくり歩いて帰ればいい。それにさっき森の奥にしか生えていない必要な薬草もついでに採れた。この体であそこまで行くのはなかなか億劫だからねぇ。往路で楽できたからよしとしてやろうよ。坊、王都に行く前に、名前くらい言っていきな」
「そうでした、自己紹介がまだでした。僕、エルドレッド・アッシュリートンと申します」
言った途端、お婆さんは目を見開き、かっかっか!と大笑いした。
「アッシュリートンかね!そうかい、あの変わり者の無鉄砲坊やの子供かい、お前さん。そりゃあ面白いわけだ。かかかっ!こりゃあいい気味だよ。なるほどなるほど。坊がそういう子なのもそれなら納得さぁね」
「と、父様、何かしたんですか?」
「いやいやこれは昔話よ。さ、お行き。詳しくは分からんが、お前はすぐに王都に行かなきゃならんのだろ?また落ち着いたら遊びに来んさい」
「はい!!」
急いで準備を終えて厩に向かい、我こそは!と意気込んでいる馬の背に飛び乗ると、馬は分かっているように駆けだした。
『可愛いエレイン お仕事で忙しくしているあなたにこのような手紙をいきなり送ってごめんなさい。エレイン、私は心を決め、グレン様にお手紙差し上げ、今の状況をお訊きしました。条件のことは私も知ってます。一番目の条件が難しいのなら、二番目を採るまでです。エレイン、あなたには迷惑をかけてしまうかもしれないけれど、姉のわがままを許してください。私は王都に向かいます。どうか、体に気を付けて。 マーガレット』
『エル メグ姉様の決意の手紙は行ったかしら?私が慌てて帰ったところでメグ姉様がたったお一人で出かける準備をしてて焦ったわ!あなたに事情を聞いていなかったら動転していたところよ。今、一緒に王都の私の家の別邸に向かっています。私じゃ夜会まではついていけないけれど、エルがこちらに着くのはギリギリになるってことだったから、それまでは私がメグ姉様を守っているわ。だから心配しないで?王都に着いたら私宛に連絡を頂戴。一人で頑張ろうとしないことよ!未来の義姉に頼りなさいね! ナタリア』
手紙の内容を思い返し、僕は馬の手綱を強く握る。
ありがとう、ナタリア。君がいて助かった。
そして姉様、待っていて。僕は姉様を全力で応援する。王城でも僕が姉様を守るから。