32 小姓は恵まれておりました。
よくよく考えれば当たり前だ。
宮廷植物育成師も宮廷獣医師と同じく、学園の特殊課でいい成績を修め、難関の試験を突破して研修生という見習いになった後、二回試験を経てようやくなれる職業。一年に就職できるのはせいぜい一人か二人という超難関だ。同じ難関でも、その年に三、四十人は就職できる宮廷魔術師や、五十から六十人がなれる騎士と比べて門戸は限りなく狭い。
その苦労の分だけ給金も高くないとやっていられない、というわけなのか、専門職は同期よりも多くの給金をもらえる。当然、個人からの依頼だってそれに見合った額になる。
これが王家の命じる勅命の場合や、各専門職局長が財政担当部局長に予算案を提出してなされたものならば、宮廷植物育成師だって仕事としてすぐに動いてくれる。
でもこれはあくまで僕個人の依頼になるから、莫大な依頼料を用意しなきゃいけない。それに、個別の仕事を受けるかはあくまでその人の自由なので、断られたらおしまいだ。
あぁ、やっぱりグレン様にあの袋いっぱいの金貨をもらっておけばよかった……!
僕がグレン様とは違う意味での金銭感覚のなさに落ち込んでいると、時折噴出しながらイアン様は宥めて下さった。
「まぁ、案はいいと思うぞ。苗木と宮廷植物育成師に関しては、王家にかけあえばおそらくマグワイア家から後から金をかけさせて出させることはできよう。なにせこれは国の法に反する行為だからな」
「でもそれじゃあ遅いんです!その間にも破壊は続くんですから!いずれこの地には動物たちがいなくなってしまうかもしれません!」
それに僕がこの地にいられるのも明日の朝までだ。それまでになんとかしなければいけない。
「しかし宮廷植物育成師を呼べたとしても準備も考えれば時間がかかるのには変わらないぞ。王都からどれだけ離れていると思っている」
「そうだった……」
「イアン様、それについては私から提案があります。発言してもよろしいですか?」
僕が絶望一歩手前で泣きそうな顔をしていると、騎士様の一人が挙手した。
「構わない」
「町の育成補助師を活用してはいかがでしょうか?」
「育成補助師――というと、免許を取っていないが、町で植物の育成などを手かげるものだな」
「はい、値段も宮廷植物育成師よりも安価で請け負いますし、幸いにしてこの宿屋の三軒隣が育成補助師の住まいなんです。交渉次第ではこの時間からでもやってくれるかもしれません」
そうだ、その手があった。
町の獣医師同様、育成補助師は免許なく行うことができる。
男性しかなれない宮廷従事職ではないので、当然、女性がなることも可能だ。ただし、試験でその能力が証明されたわけじゃないからその能力はピンキリ。全くできないのに暴利をふっかけられることもあるがそのリスクは自分で負えということになっている。
「ただあのばあさんはなぁ……」
「僕っ、行ってきます!」
「あ、こら。エル!待たないか!全くなんだあの暴走馬は…!グレンも相当だが主従共々暴走しすぎだろう!」
矢も楯もたまらず宿屋を飛び出した僕の背中に、イアン様の声が追ってきたが、今はそれを聞いて止まっている暇はないので背中で聞き流させてもらう。
ただし一言いいですか?
グレン様とは一緒にしないでください!
「夜分遅くにすみません!いらっしゃいませんかー!?すみませーん!」
宿屋の三軒隣には古ぼけた店らしき建物があり、前にはいろんな植物の鉢が置かれている。町外れの田舎の店がこんな夜中にやっているわけもなく、店のドアは固く閉ざされていた。
僕がそのドアをドンドン、と叩くと、暫くしてから家の中でごそごそと音がしてドアがわずかに開き、腰の曲がったおばあさんが顔を出した。これ以上ないくらい顔を顰めて僕を睨みつけている。
「なんだね、夜遅くに。非常識じゃないか」
「すみません。こんなに夜遅くに押しかけてしまって大変申し訳ないと思っているのですが、どうしてもお願いしたいことがあって」
「仕事の時間じゃないんだよ」
「お願いします。すぐに…明日の朝までにどうしてもやらなければいけないことなんです!」
「知ったこっちゃないよ。常識ってものを身に付けて顔洗って出直して来な」
「お願いします、すみません」
平身低頭で謝り、ドアを閉めようとするおばあさんの服を掴む。
「放しな。最近のガキは礼儀も知らんのかい」
「礼儀知らずであることは重々承知しております、ですが森の動物たちのために、一刻を争うんです」
「……森の?」
「はい、おばあさんはこの森の木が伐採されていることをご存知ですか?」
「あぁ知っているとも。私は育成補助師だよ。自然のことに関しちゃ毎日呼吸をするくらい感じ取るようにしておるさ。マグワイアの馬鹿どもが何をしているかくらい知っとるよ」
「ではその傷ついた森を、おばあさんの手で甦らせたいと思いませんか?」
「バカお言い。私たちだって霞みを食って生きているわけじゃないんだ。金がないと動こうにも動けんわい」
「お金ならっ、今ここに金貨5枚あります!これでやっていただけるだけでいいんです!」
「……お前さんは町の汚いガキかと思いきや、貴族のボンボンだったのかね。貴族どもの汚い金なんざいらないよ」
「いいえ!僕の家は一応貴族ですけれど、おそらく平民のみなさんよりもずぅっと貧乏です!自信を持って言い切れます!この貧相な顔と体を見てください!贅沢をしているようには見えないと思います!」
「……まぁ、平民と間違うくらいではあるさね。じゃあその大金はどうやって手に入れおった?汚いことをしたんじゃなかろうね?」
「このお金は、僕がこの三月半文字通り命を懸けて働いて得たお金です。だから汚くはありません!」
どれだけ死にそうな目に遭わされているか考えれば「命をかけて」は冗談なんかじゃない。
「なんでそんなに必死になっているんだい?それだけ苦労して得た金ならそんなに簡単に放り出せたりしないだろう?」
「いえ、我が家のモットーは、金は必要なときに惜しまず使え、です。そして今は惜しむときじゃないですから」
「どうして惜しむときじゃないと言い切れる?」
「友達が助けてと僕に訴えているんです。僕がこのお金を払うことで友達を助けられるのなら、これ以上の使い道はないと思っています」
「は、とうとう尻尾を出したね。さっきお前は森が、と言っただろう?友達が森に住んでいたりでもするのかい、そんな馬鹿なことが」
「僕にとって、森の動物たちは友達です!」
僕がはっきりと言い切った時に、そのあたりの草むらからウサギさんとリスさんが僕の足元に近寄ってくれる。何羽かの鳥さんがバサバサと羽ばたいてやってきて僕の肩に乗った。そしてチコもポケットから出てきて、きゅっ。と鳴いた。
そっか、こういう気温のところでも、ウサギさんやリスさんもいたんだ。カメレオンさんだけじゃないんだ。
そしてここにいる動物たちは、僕のことを完全に嫌ったわけじゃなかったんだ。僕のことを完全に見限ったわけじゃなかったんだ……。
そのことが分かって、嬉しくて目頭が熱くなる。
「……ありがとう、動物さんたち」
気持ちのままについ言葉に出すと、「いいんだよ!誰だって間違えるもんね!」と言うように頭に留まった極彩色の鳥が僕のことを羽で叩いた。羽が僕の頬をそっと擽る。
動物に囲まれた僕を見たおばあさんは、少し黙った後にドアを開いた。
「……私は元貴族だからね、貴族の若者たちがどれだけ馬鹿者か嫌と言うほど見てきたさ。でもお前さんは違うようだ。…金を寄越しな」
「じゃあ!」
「これは仕事だ。時間外料金ももらうから少し手間賃は高くなるが、今からやってほしいのならやってやるさ」
「やった…!金5枚でどのくらいやっていただけますか?」
「そうさね、私は宮廷植物育成師じゃないからね。まぁ苗木10本を幼児の背丈にするくらいはやってやるよ」
「ありがとうございます!」
「いいから早く金を寄越して場所に案内しな」
僕が大きく頭を下げて礼を言うと、おばあさんはぶっきらぼうにそう言いながら腕捲りをした。
僕がおばあさんの説得に成功したことを知った騎士様たちはなぜか腰を抜かしたが、それから「まぁエル坊ならなんとなく分かる気がするな!」と言って僕の肩を揺さぶった。
「早くしておくれよ。老体に徹夜は堪えるんだよ」
「申し訳ない。私はイアン・ジェフィールドと言い、この者の一時的な預かり人だ。私の手の者が言った無理を聞き届けていただき、感謝する」
騎士様の間から出てきたイアン様が頭を下げると、おばあさんはイアン様を横目で眺めてからふん、と小さく鼻を鳴らした。
「ジェフィールドの者かい。最低限の礼くらいは弁えているようじゃないか。ほら、早く案内をおし」
「あなたを引く馬車がすぐには手配できない。荷台に乗っていただいて構わないだろうか?」
「仕方ないさね。私の依頼人が今すぐって要求しているんだから。荷台にはふかふかのクッションを敷いておくれよ」
「承知した。おい、クッションを持って来い」
「その辺のぼんくらどももさっさとおしよ。植物の成長は日の出の時が一番効果が高い。子供の頑張りも無駄にするつもりかい」
おばあさんの叱咤に騎士様たちも手早く準備をして荷台を馬を繋げた。
ん?待った、ちょっと誤解があるぞ!
「おばあさん、待ってください!この方たちには他にお仕事があるんです。僕一人ではいけませんか?」
「水臭せーこと言うな、エル坊!」
「この時間は本当は仕事の時間じゃねぇ!どう使おうが俺らの勝手だ」
「でも明日以降のお仕事に差し支えますから!」
「おい、そりゃあ聞き捨てなんねぇなぁ」
僕が慌てて止めようとしていると、騎士様方が僕の肩に太い腕をかけて不敵に笑った。
「騎士の体力を嘗めてもらっちゃあ困る」
「それ手伝ってあと仕事に支障きたすほど、俺達はヤワじゃないぜ?」
「お前に根性があるのは分かったが、大人に頼るなということではないぞ、エル。厚意は素直に受け取っておくものだ」
「そうだそうだ!もらえるもんはもらっとけ!」
騎士様方とイアン様にそう言われては、僕もそれ以上は言えない。ぶっきらぼうな口調なのに、こんなにもあったかい。
「……ありがとうございます……!」
僕の出来ることは、騎士様方に大きく頭を下げ、その優しさに感謝することだけだった。
「馬くん、昼も夜も働かせっぱなしでごめん。あとでブラッシングして毛並みを整えて、美味しいニンジンを持ってくるからね」
僕が馬の首に手を当てて謝ると、馬も鼻をぶるるっと鳴らして首を僕の方に預けてきた。
僕は恵まれているのだな、と心からそう思った。
荷台が、木々が切り倒されたところに着いた時には、空は白み始めていた。
「こりゃあ酷いな……」
騎士様の呟いた先に広がるのは、無残にも切株が其処ら中に散見できる場所。
おそらく元は木が生い茂っていたのだろう。
「まずは切株をどけなきゃ場所はないよ。生きてるやつは掘り起こすんじゃない。もう死んでいる木だけ掘り起こしな」
「どれが死んでいる木なんだ?」
「俺に分かるかよ!」
「最近の騎士はそんなことも分からんのかい。坊、お前さんなら分かるかい?」
「はい、えっと切株から芽も出ていなくて、木の中身が乾いているものを。芯が生きていることもあるのですが、その子たちはもう死を待つだけなので、掘り起こしても大丈夫です。チコ、騎士様たちに指示できる?」
「きゅ!」
僕のお願いを聞いてくれたチコは、僕の肩を飛び降りると、赤い実を採ってきた。そしてそのまま切株に上ってそこで赤い実を小さい脚で踏み潰す。
「チコが目印をしたものが枯れているものです。燃やしたりはしないでください。周りの植物が傷つくので」
「おいよ!」
イアン様や騎士様方が鉄のスコップでチコがつけた跡のある切株を掘り起こしていく。
騎士様や侯爵家のイアン様がこんな肉体労働をしたなんて知ったら王都の人はびっくりするだろう。
それくらい、これは地味な仕事で、騎士というのは派手な仕事だ。
でもここにいる騎士様方はみな、文句を言わずに切株を掘り起こしている。
その様子を見て、おばあさんはまた、ふん、と鼻を鳴らした後、持ってきていた袋から苗木をと種と丸薬を出した。
「坊、私は今からこれらを成長させるのに力を使うから、坊は切株を掘り起こしたところにこの肥料を蒔きな」
「これは?」
「成長を高める自然肥料さ。それから成長した苗を掘り起こした場所に丁寧に埋めていきな。できるね?」
「はい!」
丸薬を渡された僕はそれを蒔いて、おばあさんが成長させた苗を埋めて柔らかい森の土で周りを覆う。
一本一本、この森が元気になるといいなと思いながら埋めていく。
日が昇り初め、汗が頬を伝っていくのも気にしてはいられない。
全ての苗を植え終わって顔を上げると、なぜか周りの気配が増えていた。
それどころか、騎士様たちが固い根の張った切株を掘り起こす隣で、サルくんやナマケモノくん、バクくんがやってきて騎士様を手伝うように切株を押したり引いたりして倒している。
その辺りにいる動物たちが集まってこっちを見ているのが分かる。
「おばあさん、大丈夫ですか?」
「老体をこき使うんじゃないよ。疲れちまったじゃないか。当分は店じまいだね」
「すみません。きっと金5枚じゃあ割に合いませんね」
「全くさね」
苗木10本を一気に成長させるのにはかなりの魔力と精神力を使ったと思う。それもご老体にこんな森まで来させてだ。時間外労働以外に出張費や老体酷使料を取られてもおかしくない。
「でも、まぁ。私もプロさ。これまでやってきた中で一番清々しい仕事だったっちゃあ、仕事だった。それでおあいことしようじゃないか」
おばあさんが額の汗を土だらけの手で拭ってにかっと笑った。